IFRS財団評議会の戦略レビューの報告について(1.会計の目的 の1)
これから数回をかけて、IFRSが次の10年に向かおうとする方向性について、日本公認会計士協会(以下JICPAと記載)がIFRS財団に対して意見具申した内容から、IFRSの目指すところを把握する。IFRSとはいかなるものか、その性格の一端が見られると思う。
なぜそのようなことが言えるかというと「IFRS財団評議会」がIASBの上部組織、IASBの監督機関だからだ。そこがIFRSの今後10年の戦略について公表しJICPAに意見を求めてきた。その回答が今回の分析の対象だ。
回答は、IFRS財団のミッション(IFRS財団の社会的使命、役割、目的など)、IFRS財団のガバナンス、IFRS(国際財務報告基準)発行までの手続、IFRS財団の資金調達と多岐に及んでいるが、我々の観点からすると重要なのはまずはミッション、次に発行手続きであろう。
今回はもっとも重要な問題、会計のミッション、目的とはなにか、というテーマから始める。すでに会計学者の意見やジミーの公表文書を分析したが、みなさんはその中に何かずれたものを感じなかっただろうか。そこを明らかにしたい。(但し今回はそこまで行けない、IFRS財団評議会やJICPAの主張を記述するまでに留まる。分析は次回に譲る。)
【ミッション】<財務報告基準の目的>
IFRS財団としては、IASBは企業の財政状態及び業績の忠実な表現を提供する財務報告基準を開発すべきである(ので、そうなるよう監督する)としている。これは会計学の教科書の最初の数ページに書かれている非常に当たり前のことだ。これに対してJICPAは、IFRS財団の意見に賛同し、さらにその強化を求めている。この当たり前のことを強化せよと発破をかけている。なぜだろうか。具体的にはIFRS財団の政界・経済界からの独立性を高めよ、ということで論点は2つある。
一つは、IFRS財団はより高品質な会計基準を開発するために政府機関など幅広い関係者とより深いコミュニケーションの場を設けようとしているが、JICPAは相手のペースに巻き込まれて会計基準の目的に不純物を入れさせるな、と言っている。
これは主にリーマン・ショック後にヨーロッパで起こった会計基準を捻じ曲げようとする動きに対するIFRS財団側の抵抗力、独立性の問題について注意喚起したものだ。当時デリバティブなど金融商品で多額の評価損が計上されることを恐れ、サルコジ大統領などから会計基準を変更せよとのプレッシャーがあった。米国でももちろん同様の動きが起こってFASBが対応に苦慮していた。日本でも影響は小規模だが国債の評価について似た動きがあった。
だが、この動きについては批判があった。「政策当局は、金融機関等が多額の損失を計上すれば、それを見た投資家が株を投げ売りし、株価がさらに暴落し、社会インフラたる資本市場が崩壊しかねない。ならば会計基準を変更し、損失を出さなくすれば、株価が維持できると考えているのが、それでは投資家は保護されないし、資本市場は信頼を失う。尺度は変えるな、問題は実態にあるのだから。」というものである。
そもそも株価維持は会計の目的ではないし、実態を開示しないのはうそつきだ。そこでJICPAは会計基準はあくまで実態を忠実に開示することが主目的であり、他の公共政策目的は副次的な位置づけだ、とした。同様の会計基準をほかの政策目的に利用しようとする動きがあるようだが、それによって実態を忠実に表現しようとする会計が捻じ曲げられる恐れがある。そのリスクはIFRS財団評議会もよくわかっているはずだが、改めてそれを注意喚起したのが一つ目だ。
(ここの3段落は、読者の便宜を考えてJICPAが書いてない余分なことを書いている。)
なお、石川教授がこれに関連して「そもそもリーマン・ショック前の公正価値評価が高過ぎた」と理論的に鋭い批判をされていたのはすでに紹介したとおりだ。
もう一つは、リーマン・ショック後の上記の動きは資産・負債の評価基準(公正価値)を変えろというプレッシャーだったが、JICPAは会計基準を変えるというより財務情報の透明性を高めることが他の公共政策目的にも役立つとして、そのための次の2点を求めている。
・会計基準の理解可能性(要は、金融商品の会計基準が難解すぎるので簡単にしてくれということ)
・監査可能性(会計士さえチェックできないような主観的な会計処理を許容するなということ)
長くなるので今日はここまでにする。一応IFRS財団評議会の主張やJICPAの回答(僕の解釈が入っている)を記載したつもりだが、分析はまだだ。次に会計学者やジミーの論点と対比したい。次回(多分明日)はそれに期待していただきたい。
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