目的に向かったか~東京電力の損害賠償引当金不計上の判断
「財務諸表は一定のルールで作成されるものだし、そうであれば適正」というのは正しい。但し通常の場合に限る。問題は「想定外」なことが起こった時の対応だ。そういう意味では会計も(監査も)今回の原発と同じだ。では何が想定外だったか、原発にとっては津波だったが、会計にとっては損害賠償額の決まる仕組みである。そして、ここにくどくど説明してきた「適正表示の枠組み」がどのように関わるか、僕の考えを説明する。
東京電力は偶発債務の注記の中で債務計上しなかった理由を「…賠償額は原子力損害賠償紛争審査会が今後定める指針に基づいて算定されるなど、賠償額を合理的に見積ることができないことなど」と記載している。さらに継続企業の前提の注記では、原子力経済被害担当大臣に対し原子力損害の賠償に関する法律(以下「原賠法」と呼ぶ)第16条に基づく国の援助の枠組みの策定をお願いし、それを踏まえた原子力損害賠償支援機構法案が国会で可決されるか、さらに枠組みの詳細が今後検討されることを考えると継続企業の前提に重要な不確実性があるとしている。
なるほど大変だ、これじゃしょうがない。とても引当金を計算できるレベルじゃないな。単純に日本の会計ルールを当てはめると、合理的に金額を算定できないので引当金の要件を満たさず負債計上しない、その代り注記で説明するという判断になりそうだ、となる。ここまでは決められたルール通りに財務諸表を作成すればよいという「準拠性の枠組み」での話。問題はここからだ。
よく考えてみると、金額が分からないのは次の点なのではないだろうか。
① 将来のこと。例えば…
・どれぐらいの期間被災者が避難生活を続けるのか。その所得補償額(生活費補償額)、精神的補償額など。
・将来発生するセシウムなどの放射線発生物質を除去するコスト。
・将来発生するかもしれない放射線による健康被害の医療コスト。
② その他、避難している人以外の放射線被害額。例えば…
・自主的に避難しているとか、子供を疎開させているとか、その他の放射線被害を防止するための費用。
もしかして、冷温停止になる予定の来年初までの今避難されている方々に対する補償額は、ある程度の合理性を持って見積もれるのではないだろうか。また、原子炉を廃炉にするコストについては外国の例を参考に見積もって特別損失にしているから、上記についても同様にすれば注記にできる程度の粗々の概算ならできる項目があるかもしれない。
そもそも、原子力経済被害担当大臣に対し原賠法第16条に基づく国の援助の枠組みの策定をお願いしたとき、損害賠償額の総額を大雑把にでも見積もらなかったのだろうか、その規模感についてどういう説明をしたのだろうか。或いは国はそれを求めなかったのだろうか。
そんな疑問を持ってもう一度注記を読むと、注記には一切金額や数量などの定量的な情報がないことが分かる。もしかして、今後も上記審査会が決めた賠償額だけを未払い計上していくつもりだろうか。しかし、そもそも「原賠法」では損害賠償請求は訴訟によることが原則で、この審査会が決めるのはその前払い、仮払いにすぎないだろう。新設される予定の原子力損害賠償支援機構も、経産省の資料によると「被害者からの賠償相談窓口の設置等賠償実施の円滑化」と東京電力の資金繰りのサポート役に過ぎない。原賠法では債務は東京電力が直接全額集中して負うのである。そのうちの一部を新設される予定の機構を通して国が最小限補助する。したがって、審査会が決めた分だけ未払い計上すればよいとする判断は考えられない。
そこで冷静に別の経産省の資料(7/1付で更新されている)を見てみると、「機構が原子力事業者に資金援助を行う際、政府の特別な支援が必要な場合、原子力事業者と共に「特別事業計画」を作成し、主務大臣の認定を求める。」とされており、「特別事業計画には、原子力損害賠償額の見通し」も記載される。するとそう遠くない将来に損害賠償額の総額の見積もり額が計算されるので、そのとき引当計上するつもりではなかったかと思う。しかし、その際にその賠償額のインパクトがあまりに大きければ、2011/3期の決算はなんだったのか、ということになりかねない。株主や投資家がそれでよし、とするのだろうか。
長くなるが、これは一筋縄ではいかないのである。ご辛抱願いたい。ここから僕の結論を記載する。
現状の開示は、日本の会計基準の細部に照らして問題があるとは言えない(準拠性の枠組み)。しかし、注記で定量的な情報が全くないことから、株主や投資家は2011/3期時点に既に存在していて、そう遠くない時期に計上される損害賠償額のイメージを持てない状況だ。損害賠償額の総額を合理的に見積もれないことには疑いはないが、もっと踏み込めばその一部を引当てできたのではないか(そうすれば前出の修正後発事象の問題も起きなかったかもしれないし、少なくとも軽減された)、引当てできない分についても、被災地域の人口でもGDPの減少額の推定値でもなんでもよい、なんらかの規模感を出せる定量的な情報を注記に書けなかっただろうか。そういう努力があればこそ、株主や投資家の判断を誤らせないという大きな目標を目指していた、適正開示の枠組みだったと言えるのではないだろうか。そんなことを書けとは日本の基準には書いてないけれども。
東京電力の関係者、監査人等、当事者のみなさんは大変な思いをして会社法の計算書類、金商法の有価証券報告書を作成し、監査されたと思う。それに対し部外者が勝手なことを書いてしまい申し訳ないと思う。しかし、もしJリーグの観客が審判に精度を求めるなら、Jリーグの審判はひとつひとつのプレーに対する判定を慎重に行うことが正しいが、もしかしたらJリーグの審判は観客が切れ目のない試合運びを見たいと思っていることを知らないかもしれない。したがって、観客の側からなにが適正開示になるのかを申し立てることも意味があるのではないかと思う。お許しください。
なお、IFRSは完全に「適正開示の枠組み」の会計基準だ。日本基準は、以前記載したように「基準からの逸脱」が必要となることがあるとを明文化してないので、今回のようなケースに対応しづらい。ちょっと半端になっている。さらにIFRSは引当金も計上しやすい。
また、今年3/10に日本公認会計士協会から会長通牒なる文書が出ており、これにも触れたいと思っていたが、長くなりすぎるので割愛する。
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