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2011年9月

2011年9月30日 (金曜日)

リスク管理体制~創業経営者の頭の中

創業経営者や創業者ではないが僕が凄いと感じた何人かの経営者の頭の中のリスク管理を勝手に想像してみた。監査人は経営者とのディスカッションを監査の一環として実施するため、最低年1回は経営者と会う。僕は少なくとも年数回、多い場合は十回以上面談していたが、体系的に経営状況の話を聞くこともあれば、取り留めのない話を聞くこともある。また、特定のテーマでやりとりすることもある。そんな時に感じた敏腕経営者の頭の整理の仕方を想像してみる。

 

 顧客や会社の将来像、変化を予想する

 そこに至るプロセスを時間軸で整理する

 可能性と影響の大きさで整理する

 現時点での対応策を立案する

 経営理念、中長期経営計画、年度予算に具体化する(これは会社による)

 

まあ普通だね、と思われるかもしれないが、普通を実践するのは難しい。本人達が上記の整理を意識していたのかどうかは分からないが、聞き手である僕は、経営者がこういう整理をしていると想定するとスッキリ話が理解できた。

 

そして個々の検討事項は、次のような箱を作って入れてあったように感じる。かつ、環境条件の変化によって出したり入れたり入れ替えをしている。

A. メイン・シナリオ
⑤へ進む(中計や年度予算等に組入れられる)、或いは直ちに実行に移される。

B. 代替シナリオ
メインにした事象が起こらない時、メインにした事象の前提条件が変わった場合の対応策。部分的に⑤へ組入れられる。

C. オプション
まだ先の話で時間的に余裕があったり、影響は大きいが発生可能性が低いようなものが入れられていたようだ。⑤には進まないがある程度具体性のある対応策の立案を該当部署に指示したり、これが有利となる条件、現実的となる条件を検討させる。

D. (とりあえず)棄却

 

事例を紹介しようと思う。もちろん社名は明かせないが、僕が担当した会社で、事業環境の激変を予想し、主力事業を切り替えた会社があった。かなり長くなるので明日続きを記載する。

2011年9月29日 (木曜日)

リスク管理体制

オーナーシップを持った人材がやっていることがリスク管理だとすると、リスク管理はオーナーシップを持った人材が量的に十分で、適切に配置されていれば解決ということになる。しかし、こんな恵まれた会社・組織はなかなかないだろう。また、内部統制の基本要素のツー・トップは表裏の関係にあり、これは統制環境面から見た捉え方だ。

 

リスク管理面から見た場合は、オーナーシップを持った人材がどのようにリスク管理をやっているかということになる。特に統制活動が典型だが、他の基本要素と重複する部分は比較的定型化しやすいのに対し、リスク管理固有の分野であるリスクの識別・分析・評価・対応(策の立案)は、非定型的で、高いスキルを要求される。

 

そしてその特徴は自分勝手な制約を設けずに、「先読み」し、「判断したら断固として実行する」こととその「スピード」だ。スピードは事前準備の質と量の関数、判断と実行も同様なので、結局「先読み」が本質的に重要ということになる。「先読み」とはリスク管理の固有分野であるリスクの識別・分析・評価・対応(策の立案)だ。

 

まだ大きな問題が残っている。総論賛成・各論反対愛好者、既得権・所属組織の利益優先者の存在だ。オーナーシップを持った人材は少なくても、この属性を持った人々はどこにでもいる、というか誰もが持っている属性だ。いや、こういう属性が組織には必要なのかもしれない。しかし、しばしばこういう人々のなかには自分勝手な制約を設け、都合の良い条件だけを過大評価し、現実であっても不利な事象は無視する人がいる。しかしそういう人々を動かせなければリスク管理は机上の空論で終わってしまう。だからリスク管理には説明力・説得力、組織的な権威付けや情報共有が欠かせない重要な要素だ。もうみなさん想像がついてきたと思うが、この部分が会計上の見積もり、IFRSにつながっていく部分になる。

 

というわけで、この属性の人々をあまり考えなくてもよいシンプルな状況、即ち、創業経営者やすでに社内に権威を確立した経営者の頭の中のリスク管理を僕なりに想像したものと、後段の人々の存在を前提とした普通の状態でのリスク管理の在り方について、次回以降に記載する。

2011年9月27日 (火曜日)

基本的要素としてのリスク管理の重要性~リスク管理と他の内部統制の基本要素

「リスク管理」という言葉は前回に引き続き、企業会計審議会の内部統制の基準(「財務報告に係る内部統制の評価及び監査の基準」。以下単に「基準」という)の「リスクの評価と対応」の定義とは異なる広い意味で使う。そうした場合の内部統制の各基本要素の関係は以下の通りとなる。

 

A.「統制環境」と「リスク管理」がツー・トップ
「統制環境」は、社風や慣行など人的側面やそれに影響を与える事業環境や社内制度のこと。「リスク管理」はその「統制環境」下で経営目標達成のために経営者が設定した具体的な仕組みや行動。

B.「統制活動」、「情報と伝達」、「モニタリング」、「ITへの対応」は「リスク管理」の一部
組織目標を達成するための予算管理など目標の達成状況をフォローする仕組みは「モニタリング」、組織目標を達成するための組織内での情報の持ち方を「情報と伝達」、そしてこれらの具体的な手続きが「統制活動」。リスクの識別・分析・評価・対応(策の立案)は「リスク管理」の固有部分。

 

以上のように考えると、リスク管理の重要性、他の基本要素との関係が分かりやすくなっていないだろうか。次に改めて基準での扱いを見てみよう。基準は財務報告に係る内部統制報告制度の経営者評価や外部監査の対象となる内部統制の範囲を意識した定義になっているが、上記を理解したうえで改めて眺めてみると基準にいう「リスクの評価と対応」も重要であることが分かると思う。

 

「統制環境」については他の基本的要素の「基礎」や「基盤」と表現し位置づけを明確にしているが、「リスクの評価と対応」についてはそのように他の基本的要素との関連を説明した記載はなく並列的に記載されている。しかし、「リスクの評価と対応」の定義内容を突っ込んで検討してみると、他の基本的要素とは位置づけ並列ではない。それを理解するためのポイントは次の2点だ。

 

◯「リスクの評価と対応」は本来広範かつ重要
「組織目標の達成」は経営者が求められている役割であり、それを阻害する要因を「識別、分析、評価」し、かつ「対応」することまでが含まれるので、「会社全体の目標の設定」が含まれていないことを除き、「リスクの評価と対応」はほとんど経営そのもの、即ち範囲は広く、かつ、重要な機能といえる。ただ前回記載した通り、内部統制の実施基準(以下単に「実施基準」という)を見れば、基準上は損失を与える要素のみを対象とするのでここでいう「リスク管理」より範囲が狭い。

◯他の基本要素と定義をダブらせない
他の基本的要素と範囲がダブるように定義すると、経営者評価や外部監査の基準としての文章表現が難しく分かりにくくなるため、リスク管理に固有なもの、即ちリスクの識別・分析・評価・対応(策の立案)を抜き出して「リスクの評価と対応」を定義(したと思われる)。

 

代表的で重要な内部統制である予算管理で見てみよう。通常「予算管理」としてイメージされている一連の活動や制度は、次のように整理される。

 

 予算編成方針(全社目標の設定) :統制環境

 予算編成   :リスク評価と対応

 予算統制   :統制活動、モニタリング、情報と伝達、ITへの対応

 

全社レベルの目標が与えられると、リスク管理によって組織目標を阻害する要因が識別され、リスク管理のもとにPDCAサイクルが回される。PDCAサイクルには統制活動があり、モニタリングがあり、情報と伝達(ITを含む)があるが、予算編成方針の策定を除く予算管理全体が「リスク管理」の一部だ。

 

以上から、リスク管理或いはリスクの評価と対応が経営にとって重要な内部統制であることが分かったと思う。次回は、そのうえでもう一度「リスク管理はオーナーシップを持った人がやっていること」に戻って内部統制を高度化するためのポイントについて考えてみよう。

2011年9月23日 (金曜日)

基本的要素としてのリスク管理の重要性~リスク管理の内容

まずはリスク管理が何かを考えてみよう。正確な定義は企業会計審議会の意見書(前回の内部統制の枠組みが記載されていたもの)やその他権威のあるものによるとして、僕はここでは違う表現をしたい。それは「オーナーシップを持った人がやっていること」だ。

 

では「オーナーシップ」とはなんだろうか。僕は監査法人勤務時代に上場準備のサポートや新興市場に上場したての会社に関わったことがあるが、まさに優秀な創業経営者が持っている責任感がその典型だ。創業経営者ではなくとも組織目標、或いは一つのミッションを達成するために自分勝手な制約を設けずに業務を遂行する意思や態度こそがオーナーシップだ。

 

例えば、上司から権限を与えられ背景説明とともに目標を設定されるとする。それに基づいて実行計画を策定し承認を受ける。ところが実行段階で想定外の事象が起こって前提条件が変わってしまう。さてどうするか、そこでオーナーシップを持っているかどうかが試される。

 

創業経営者は、会社が社会に有益なものとして存在し続けることを究極の目標としている。その結果として得意先や従業員に利益を与えられる。そこに競争相手が現われ、円高が進行し、関連法制度が変更され、さらに顧客の嗜好や要求が変化する。さて優秀な創業経営者がどうするか、ということだ。

 

3つ特徴がある。一つは可能な限り先読みし先手を打とうとすること。もう一つは対応すべきことかどうかを判断し、対応すべきことについては断固として実行しようとすることだ。そして最後に早い判断をすること。傍で見ていると、会社に関連するあらゆることについて先を読むことをまるで人生の楽しみにしているかのようだ。ことを起こすのはいつが良いタイミングか、とか、そうなる可能性が大きいのか小さいのか、会社に与える影響は大きいのか、無視した方が良いのか、そういうネタはもっと他にないか、ということをいつも考えている。また、今はまだタイミングではないとか、無視した方が良いと判断したことであっても、その過程で、もし読み違ってもこういう対応がある、と言ったことを考える。そして状況の変化に合わせて随時その判断を更新する。

 

みなさんも、身近にそういう人に接していて、僕の書いたことは当たり前と感じたと思う。加えてこれは経営そのもの、いわゆる経営環境の変化への適応行動、戦略的経営であって、リスク管理ではないと感じておられるかもしれない。

 

企業会計審議会の意見書ではリスクを「組織目標の達成を阻害する要因」と定義し、会社にマイナスの影響をもたらすもののみをリスク管理の対象としている(実施基準)。その結果、あたかもリスク管理は経営活動と別個のもののように考えてしまうかもしれない。しかし、実施基準が言っているのは内部統制報告制度上のリスク管理、経営者評価や外部監査の対象となるリスク管理の範囲を言っているのであって、リスク管理そのものを言っているわけではない。或いは「狭いリスク管理」を言っている。

 

遺失利益(機会利益)をいかに少なくするか、即ち積極的なプラス要素の管理までをリスク管理と考えれば、リスク管理とは経営活動そのものといってしまいたいぐらいだ。そして、見積もりの会計を行うには、そこまでの広いリスク管理活動が関連する。例えば、①負の影響を及ぼす事象を見逃すこと、②有望な事業機会を見逃すこと、③有効なリスク回避策を見逃すことはいずれも会計上の見積もりに影響を与えるリスクだ。ただ、①は見逃せば決算の間違いとされるが、②や③は内部統制報告制度の対象にはならない。また、プラスの影響をもたらすもの、マイナスの影響をもたらすものと簡単に言っても事前に区分することは容易ではないし、一体として行うのが効率的だ。決算のためや制度対応のためでなく、経営の高度化のためのリスク管理を考えるなら、すべて一緒に含めて考えるべきだ。

 

さて、次回以降で、このリスク管理(リスクの評価と対応)と他の内部統制の基本要素の関係、すなわち内部統制の構造と、決算、特にIFRSの関係をもっと掘り下げてみよう。

2011年9月22日 (木曜日)

038.内部統制理解の問題点

2013/7/22、一部字句訂正等を実施。

 

2011/9/22

IFRSが前提としている内部統制とは、内部統制報告制度が想定している内部統制のことであるべきだが、実際には相違している、残念ながら相違してしまったと思う。その最も大きな点はリスク評価と対応という内部統制の構成要素に対する理解不足、対応不足にある。このことが制度導入後に提起された「内部統制の過大負担」批判にもつながっているように思う。

 

みなさんもよくご存じのように内部統制報告制度は米国のワールドコム、エンロン事件等の流れ、日本の西武鉄道、カネボウ事件等の流れで導入されたものである。それは粉飾決算を防ぐ体制を構築することがテーマであった。西武鉄道は株主構成の開示に虚偽表示があった。カネボウは債権や棚卸資産などの資産評価、連結プロセスに大きな不正があった。これらを防止するという観点から内部統制報告制度が制度化され、多くの企業は真面目に導入したと思う。

 

しかし、その流れの中で日本の内部統制の枠組みは若干間違った理解がなされたような気がする。特に次の点である。

 

〇僕がこのブログで強調している重要な決算項目である「会計上の見積もり」への対応はあまり重要性のあるもの、奥の深いものとして理解、対応されていなかったように思う。

〇内部統制を正しく理解するためには、内部統制の目的、各基本要素、加えて「内部統制の構造」への理解が必要だ。「内部統制の構造」は、例のCOSOキューブで現わされる。当然各基本要素も重要性、位置づけが異なるがそのように理解されていただろうか。特にリスクの識別と対応は重要で、経営の根幹だ。

〇内部統制は経営活動と一体、その一部であるべきなのに、内部統制報告諸制度のためにわざわざ経営の外側に出っ張った部分を作ってしまったのではないか。逆に言えば内部統制の構築とは経営それ自体の高度化でなければならない。

 

内部統制の経営者評価や監査を「間違いさがし」レベルに落し込んでしまってないだろうか。3点セットは非常に有益なツールだが、米国流の細則主義の先兵のような役目をさせてないだろうか。そして最も重要なポイントは、会社の経営計画策定能力、正しい意味での計画遂行能力は高まっただろうか。

 

ちなみに、これもよくご存じだと思うが、日本の内部統制の枠組み(2007年2月、2011年3月)は、1992年に公表されたCOSO(米国のトレッドウェイ委員会組織委員会)のフレームワークをベースにしている。古いものなのでCOSOのフレームワーク自体が、あまり見積もり項目の重要性やリスク管理の重要性を強調したものになっていない。その後COSOは2004年にこれを拡張する形で「エンタープライズリスクマネジメント・フレームワーク」を公表したが、日本の内部統制の枠組みは一応それを考慮したものとされている。しかし注意が必要なのは、日本の枠組みはリスク管理の重要性がそれほど明確に強調された形にはなっていないことだ。

 

もし、内部統制の構築時にリスク管理と見積もり項目の関係、リスク管理と経営との関係が明確に理解されていたら、その後のIFRSに対する論調も変わっていたのではないか。内部統制への評価も、もっと価値のあるものに感じてもらえていたのではないか、そんな気がする。そういったことも含めて暫くリスク管理(Risk Management)の体制について記載していきたい。

2011年9月18日 (日曜日)

災害ボランティアの貢献とその活用(3/3)

最後にボランティア・センターの運営に関連し、地方自治体や各地域の社会福祉協議会が直面しそうな問題について記載したいと思う。特に僕の地元静岡は30年以上前から地震のリスクが叫ばれている。経済効果210億円とは凄い金額だ。果たして活用できるかどうか。

 

=自治体等のボランティア活動に対する平時の備え=

災害発生時にボランティアを活用できるかどうかは、行政として非常に重要なテーマになると思う。人口2万人の七ヶ浜町が年換算で6億円の収入を得るとすると人口70万人の静岡市が同様にボランティアを活用した場合は人口比35倍の210億円ということになる。しかしそんな簡単に活用できるものではない。ソフト面・ハード面の備えが必要だ。

 

まず、ボランティア・センターの運営組織の準備やノウハウの取得が必要だ。七ヶ浜町では7月まで他地域(山口県)の社協職員がサポートに参加していた。静岡の社協職員もいずれかの地域でボランティア・センターの運営を体験したと思われるが、そういったものをしっかりまとめておく必要がある。ボランティア・センターの運営には、上記に記載したマッチング系以外にもいろいろ悩みが出てくるようだ。社協の通常業務と全く違う業務に社協職員がどう向き合うか、身一つできたボランティア、或いは自家用車の中に宿泊しながらボランティア活動をする強者ボランティアをどうサポートするか、ボランティア活動への理解と意識が薄い行政当局との折衝・説明など、七ヶ浜町の社協でも相当苦労や葛藤があったようだ。

 

また、ボランティアは自発的に行われるものであり、ボランティアに対して上から目線はNGだ。無理をさせて翌日の仕事(ボランティア活動ではなく、その人が生計を立てている仕事)に差障ってはいけない。しかしあまり自由にさせても被災者の神経を逆なでするようなことをしでかす可能性がある、というかたくさん来る人の中には必ずそういう人もいる。一方で充実感を持って帰ってもらってリピーターのボランティアとしてまた来てもらいたい。そして被災者の役にも立たなければいけない。このような中で、ボランティアにどう接するのがよいのかノウハウがある。そして多数のボランティアを組織的に動かすには現場リーダーの質が重要となるが、それをどう確保するか、育成するか。

 

七ヶ浜町のボランティア数200人を人口比で単純に35倍すると静岡は7000人のボランティアを受けいれることになるが、7000人のマッチングを一か所ではできまい。どうやってやるか? そもそも、想定される東海・東南海・南海連動の大地震の際には、ボランティアは関西や中京を優先し、静岡を素通りするに違いない。浜松もある。沼津や富士とも競争だ。静岡に足を止めてもらう工夫、関西や中京より静岡を助けよう、静岡が働きやすい、やりがいがある、と思わせる工夫は考えられているだろうか。或いは県内自治体で何らかのボランティア活用組織を共同で作るとか。

 

また7000人のボランティアが必要かどうかは被害想定による。どの程度の被害ならどの程度のボランティアを確保することが好ましいか、ボランティアに被災していない宿泊施設を提供できるか、テントを張ったり車中泊する人に場所を提供できるかなど検討項目は色々ある。ボランティア団体や宗教団体、旅行会社との日頃の付き合い方もあるだろう。

 

210億円の事業だから当たり前だが、事前準備なしにできる気がしない。我が町静岡はどうしているだろうか、故郷の沼津はどうだろうか、気になるところだ。

2011年9月17日 (土曜日)

災害ボランティアの貢献とその活用(2/3)

今日は、ボランティア・センターの運営やその経済効果について記載したいと思う。ボランティアは所詮素人集団だとバカにしてはいけない。被災者の気持ちになって、自分たちを助けようと自発的に集まってくる素人集団を想像してほしい。

 

=ボランティア・センターの運営~主としてボランティア作業の割当(マッチング)=

ボランティア・センターは、住民等からのボランティア作業の要望を集め、ボランティアに割当てる。ボランティア・センターの運営主体は社会福祉協議会(通称社協)で、普段は障害者のお世話などを行っているが、災害時にはガラッと業務内容を変えてボランティア・センターの運営を行っている。

 

ボランティア・センター・スタッフの仕事を詳しくは知らないのだが、住民からの要望・ニーズの収集は社協のメンバーが行っているようだ。少なくとも現地の人でないとお年寄りなどの詳しい事情は理解できない(言葉の問題と地域特有の状況への知識と理解)。ボランティアの申込者数やボランティア人数の予想と、ボランティアへの要望・ニーズを突き合わせ、スケジュールをまとめる。それを毎日朝「今日のボランティア作業」として来場したボランティアに提示し、どの現場に行くかボランティアに手をあげさせる。その際、団体(昨日記載の①~③)は、予め作業に割当てられている。団体がカバーできない現場、作業に④の個人が手をあげる。

 

ボランティア・センターはその日のボランティア作業が終わった後に現場リーダーを集めてミーティングを行う。その日の報告や翌日の作業割当についてリーダーたちの意見を聴いたり、指示を与えたりするのだろう。リーダーたちの意見は柔軟に取り上げられて改善が図られている印象だ。

 

=作業の実施=

現場ごとにリーダーが配置される。リーダーは、特に力仕事系はすべてベテラン・ボランティアだが、現場作業のことはかなり権限委任されているようだ。ボランティアはリーダーから作業内容や注意点を教えてもらう。どの現場でも初めての人の割合が多いので、一週間いると被災者の気持ちを大切にすること、被災者が現場に現れたときの態度、怪我をしないこと、熱中症対策などを繰返し習うことになる。

 

=ボランティアの経済効果=

7月に僕が行ったとき定休日はなかったが、その後月曜日が休みとなった。毎日平均二百名が週6日労働し、日当や昼食代、現地・現場への移動・宿泊経費等を含め一人当たり一日1万円かかるとすると一週間で12百万円、月5千万円、単純年換算6億円の経費がボランティア負担となって、七ヶ浜町や住民は節約できることになる。ボランティアの中にプロが混じることもあるが、ほとんどは素人の集団であることが多く、一日一万円のコストが果たして適正かという問題はあるが、ボランティアが適切な態度で現地住民に接し、また作業する前提で、以下の効果もある。

 

 全国から自分の地域に人が集まってくる状況を見て、この被災地域が社会から忘れられていないという安心感を生む。または社会からの疎外感を減ずることができる。

 特に直接作業を受けた被災者は前向きな力、気持ちを得ることが多い。

Ø 住宅地の瓦礫整理などは被災者がどう頑張っても個人でやることは無理だが行政はやってくれない、手が回らない。

Ø 自分の敷地で数十名のボランティアが真面目に作業している姿になにか温かい、前向きなものを感じる。

 将来ボランティアが町のファンとなって戻ってきてくれる可能性(観光客として)。

 長期ボランティアの中には住み着いてしまう人もいるかもしれない。

 

ボランティア同士の会話で、本来七ヶ浜町は良い街だ、美しい街だ、菖蒲田浜の砂は細かくていい、などと聞こえてくる。

2011年9月16日 (金曜日)

災害ボランティアの貢献とその活用(1/3)

前回少し記載したが、震災地域へ行って昨日戻ってきた。被災地で監査人や会計士として役立つことはない。僕の価値は肉体労働力だ。しかし、帰り際に次回は現場リーダーをやってもらいたいと依頼されたので、また行くことになりそうだ。まだ肉体は若いのだろうか。

 

さて、前回(7/23掲載の「東日本大震災の「復旧」と東北人(番外編)」)と同様、今回も再び番外編でIFRSは出てこない。その代り僕が体験したいわゆる災害ボランティアがどんなもので、ボランティアにどんな価値があるか、地方自治体、特にわが町静岡はそれを活用できるかといったことについて、僕の思うところを3回にわたって記載したいと思う。1回目はまず現状説明だ。

 

=現地の様子=

僕が行ったのは仙台市の東方、石巻・松島の手前の七ヶ浜町だ。車で30分、1時間の範囲に、被災直後に悲惨な状況が報道されていた仙台市若林区、津波が襲う様子がテレビで再三放映されていた仙台空港のある名取市があり、車で十数分のところにはイオンの屋上から津波に襲われる様子が撮影されユーチューブに動画が投稿されて話題になった多賀城市や同じく塩竃市がある。七ヶ浜町もやはり十メートルを超える津波に襲われた。リアス式海岸というほどではないが、小高い丘が海にせり出す地形で海岸が七つの浜(正確には八つらしい)に仕切られていることからこの町名になっているそうだ。丘の上は津波を免れたが平地の住宅の多くは全壊、半壊の被害を受けている。人口は約2万人、面積も狭く車で5分も走れば突き抜けてしまう小さな町だが、東北電力の火力発電所があるせいか、スポーツ施設等が充実しており自治体としては裕福な印象を受ける。しかし、これらの施設はグラウンドを瓦礫の集積所にされたり、仮設住宅が建設されたり、僕がお世話になったボランティア・センターとして利用されたりしている。地震のひび割れでいまだ使用できない施設もある。

 

=ボランティアの仕事=

僕が行っていた先週から今週にかけての期間、ボランティアは平日でも200名ぐらい、土日ではその倍ぐらいが来ていた。前回7月の倍ぐらいに増えている。大学生が夏休みでたくさん参加していることも一因だが、多賀城市や塩竃市のように県外ボランティア受入れを止める自治体が増える中、七ヶ浜町は県外ボランティアを一貫して歓迎し続けていることも大きい。もちろん宮城県内からきている人も多いが、日本全国北海道から沖縄までの人が来ている。外国人もいる。そして仕事は、被災者からリクエストの多い全壊住宅跡地の瓦礫除去や半壊住宅の壁抜きなど力仕事がほとんどであるが、被災者の引越し手伝い、写真など津波に流された遺留品の洗浄、仮設住宅等にある集会所での被災者のメンタル・ケア、ボランティア・センターの雑用などだ。僕は仲間から「おまえは顔が怖いので被災者と接しないように」と忠告されていたので、今回も前回ももっぱら力作業をやってきた。

 

=ボランティアの分類=

ボランティアは便宜上、団体と個人に分けられる。団体は①会社などの組織でまとまって来る人たち、②旅行会社や大学生協などのツアーを利用してくる人たち、③西本願寺など宗教団体の宿泊施設やレスキューストックヤードなどの災害ボランティア団体が確保した宿泊施設・移動手段を利用してくる人たちがある。これ以外に④全くの個人で直接ボランティア・センターに来る僕のようなボランティアが常時二~三十人いる。①の中には半ば会社命令に準じたケースもあるだろうが、基本的には個人が自発的に①から④の枠組みを利用してボランティア・センターへ来る。

 

ハードなのは②のうちの旅行会社の弾丸ツアーだ。夜行バスで中国地方や関西、中京方面から来て午前中に到着し、翌日の午後にはまた夜行バスで戻っていく。作業の熟練度は低くとも、作業態度は真摯だ。このように1日、半日、数日という人が多いので、僕のように1週間単位で来る人は割と長期とみなされる。しかし、③や④の人たちの中には、数か月に及ぶ長期間ボランティア活動を行う人々がいる。地元の人もいるが、県外の人もいる。こういう人たちがボランティア・センターの運営をサポートし、現場リーダーを引き受ける。

 

さて、みなさんも弾丸ツアーなら土日を利用して被災地へ行くことが可能だ。弾丸ツアーを利用するかどうかは別として、テレビや人伝えでなく、ご自身が一度現地に足を運んでみることを僕はお勧めする。増税議論など色々有権者が判断しなければならないことは多い。

2011年9月 6日 (火曜日)

IFRS開発に日本は参加するのか、しないのか(3の3)~純利益、包括利益

昨日の僕のブログは人によっては非常に不満だったに違いない。そんなことは分かっていると。効用があるとしてもそれ以上に大きな不満があると。業績が外部要素に攪乱されて本業の良し悪しが見えてこないじゃないかと。

 

IFRS上、次のような区分を設けて損益計算書(包括利益計算書)の表示ができる。

(純利益)

 ・継続事業

 (・営業活動による項目)

 (・財務活動による損益項目)

 ・非継続事業

(その他の包括利益)

 (・退職給付会計の数理計算上の差異)

 (・売買有価証券以外の評価差損益、売買損益)

 

特徴、注目点は以下のようになると思う。

 特別損益区分がなくなり、その代りに継続事業・非継続事業という区分が加わっている。即ち、事業の非継続という観点からしか非経常的な損益を区分表示することを認めない。

 日本基準では特別損失に計上していた減損損失も営業活動による項目の一部。

 (上記のように区分表示する場合、)投資有価証券の売買損益は純損益にならない。

 

さらに純利益の中に売上総利益を表示できるのかとか、退職給付会計以外の見積もり要素の強いものを純利益の外側に出せないか、などということも考えられるが、できるものもあれば、できないものもある。

 

まず「その他の包括利益」に計上できるものはIFRSにおいて指定されており、指定されていないものは純損益を構成する(IAS1号第88項)。退職給付会計の数理計算上の差異はその他の包括利益へ集計されるので、製品原価計算や純損益に影響することはない。

 

売上総利益や営業利益の表示は可能だ。但し、純損益に「異常項目」という意味の区分を設けたり、「異常項目」として独立表示することは許容されないが、例えば単に営業費用の内訳として減損損失を独立表示することはできる(というかそうしなければならない)。発生頻度の低い損失、期によって発生額が大きく変動するような項目や見積もり項目は読者のために独立表示させるべきだ。ただ「経常利益」といった損益区分は「異常項目」を区分表示することにつながるので設けることはできない。なにが異常でなにが異常でないかの判断に関する恣意性を排除するための措置だ。また、特別項目に計上されている項目も、事業上のリスクを反映したもので、それが外部要素だろうと内部要素だろうと経営者が対処すべきという意味では営業費用の項目と同じだ。

 

最初に戻ると、業績の変動が大きくなるというが、それは包括利益の部分であり、営業利益や純利益は従来以上に、本業の状況を表示するのではないだろうか。また営業利益の内訳としてだが、従来の特別損益項目を独立表示することは可能だ。

 

純利益を作るための投資有価証券売買は意味がなくなるが、むしろ一時的に業績を良く見せるための無駄な取引を抑制できるので、会社のためになると思う。株を売れば利益が出る、そう思うと本業の改善に本腰が入らないし、今年の見栄えに気を盗られず来期の業績づくりを考える方が良い。

 

確かに今までと全く同じではないが、それは改善と言えないだろうか。リスクを定量化してすべてテーブルに載せたうえで本業の利益の表示もできる。ただ、以前も記載した通り、純利益とその他の包括利益の定義がないなど改善すべき余地もまだまだある。日本では「経常利益」が重要な経営指標として普及していた。その日本だからこそ、もうちょっと違う切り口でもっと良い案をIASBに提案できないだろうか。

 

 

なお、しばらく通信環境の悪い地域へ出向くため2週間ほどお休みしたいと思う。例によって震災地域へ行く予定だ。IFRSは会社に一定のリスク管理(リスクの識別と対応)を暗に求めている。しかしそれはJ-SOXでも内部統制の基本要素、全社的内部統制として求められてきたものだ。再開後はこれらについて、それが実施可能で会社のためになるのかについて検討してみたい(が、また何か動きがあればそちらに気が向いてしまうかもしれない)。

2011年9月 5日 (月曜日)

IFRS開発に日本は参加するのか、しないのか(3の2)~経営上のリスク認識

思い返してみると、僕がこの業界に入ってからの主な会計基準の変遷には以下のものがある。インパクトがあったと僕の印象に残っているものだ。

 

〇 連結重視(連結範囲の厳格化、関連当事者取引の開示、セグメント情報の開示を含む)

〇 有価証券等の時価評価(資本直入、強制評価減を含む)

〇 外貨建て取引に関連する改善(非貨幣項目の期末日レート適用など)

〇 固定資産、在庫評価の厳格化(不動産在庫の強制評価減や建設工事の受注損失引当金、在庫の低価法適用、減損会計)

〇 キャッシュフロー計算書の開示

〇 退職給付会計

〇 税効果会計

〇 継続企業の前提に関連する制度

 

会社によってインパクトの大きさは異なるが、これらは多くの会社に新しいリスクを定量的に認識させる効果があった。経営に「これは事業上のリスクが大きいから対応が必要」或いは「リスクが小さいから対応不要」などと判断するきっかけを与えたということだ。(ただ会社によっては会計基準が適用される前から適切にリスク認識し対応していたところもあったと思う。しかし、そうでない会社が多かったために業績に影響すると騒がれたのだと思う。)

 

例えば、有価証券の時価評価は株式市場などの相場の変化が会社の業績を直撃する、株の持合いができなくなるといった批判があった。しかし、そういう相場が変動するリスクのあるものを保有して資金運用をしていると開示する必要があったし、持合い株は会社の事業資金を寝かせることであり資金活動が効率的かどうか、持合い先との関係に意味があるかどうか見直す機会となった。それで日本特有の下請け制度であった「ケイレツ」を破壊されたというが、価値のある生産性の高い「ケイレツ」なら今でも存続しているのではないか。そして実力次第で「ケイレツ」を超えた新しい得意先を増やせる時代を招来するきっかけの一つになった。

 

もし、JALの退職給付債務が8千億円もあることが知られてなかったら、JALの経営者は破綻前に金融機関からもっと気前よく融資を受けられ、もっと多額の資金を使えていただろう。しかし、その代りに破綻時の悲劇はもっと大きくなっていた。即ち、金融機関はもとより、退職者や従業員が被った不利益もこの程度では済まなかったに違いない。JALは平成21年3月期に退職給付引当金を947億計上していたが、注記を見れば8千億円から年金資産を控除した簿外債務が3,300億以上あったのだから金融機関は参考にしたはずだ。これは退職給付会計の効用だ。

 

多くの会社が将来にわたって退職者の生活を保障することの重大さを退職給付会計によって気付かされた。その結果、給付総額が不利になったとしてもより確実な給付ができるよう各社が(国も)制度変更を行った。もし気付かされなければ、ある日突然大きな悲劇に襲われる人が増えていたはずだ。即ち、従業員は突然職を奪われ、老後のあてにしていた企業年金までが揺らぐのである。無い袖に気が付かずに振り続ければそういうケースが増えてしまう。

 

しかし、残念なことに勘違いが時々見受けられる。時価評価するから市場リスクがある、退職給付会計があるから退職給付制度を変えなければいけない、財政状態が悪く見える、業績が変動する、というのである。会計基準があるからリスクがあるのではない。もともと存在するリスクを会計基準が見やすくした。問題が先送りされないように白日の下に晒しただけだ。古代ローマ帝国の英雄ユリウス・カエサルが「人は見たいものしか見ない」と言って、都合の悪いものを遠ざける性質が古代ローマの人々にあることを指摘しているのはご存じの通りだが、我々も厳しい現実に向き合う覚悟が必要だ。

 

さあ、これらの我々にリスクの所在とその大きさを知らせてくれた会計基準の中で、海外の影響を受けず日本国内の英知とパワーだけで開発され導入されたものはあるだろうか。詳細を知っているわけではないが、僕はないと思う。さて、これからはどうする?

 

2011年9月 2日 (金曜日)

IFRS開発に日本は参加するのか、しないのか(3の1)~経営上の判断と会計基準

会計基準と経営者の判断の関係について数回にわたって書いてみたい。どうもこのあたりがIFRSやコンバージェンスによる最近の会計基準に対するアレルギーが生じているのではないかと思われるからだ。会計基準の開発や実際の運用、監査をするにあたっても重要な視点を与えてくれる気がする。

 

まず会計基準は企業を生かすものであって殺すものであってはならない。道具に過ぎないから。しかし、減損会計や退職給付会計など多額の損失を生じる可能性のある会計基準については、企業活動を阻害するとか、企業を殺すとまで言われることがある。また金融機関が貸出金について厳しい評価をすると貸出先を潰すと言われることもある。

 

次に実施困難、手間のかかる会計基準も評判が悪い。特に今回のIFRSに対する逆風は、研究開発費や時価のない株式等への公正価値の適用など、実施困難と思われる基準に対するものなのだと思う。

 

「ここまでやる必要があるのか」というのが過去監査人としての僕に投げかけられた印象的な言葉だ。みなさんの中にも何度もこの言葉を言ったり、逆に聞かされたりした方がいるに違いない。実はこっそり僕自身が呟いていた言葉でもある。しかしなぜそれをクライアントに勧めてきたか。新しいことに取り組むかどうかは、やってみて良かったと思えるかどうかだが、そのことを次回以降に書いてみたい。

 

細則主義に陥ってはいけない理由がここにある。しかしそれには財務諸表を作成する側も、監査する側も、そして読者サイドもある種の覚悟が必要だ。したがって重要なテーマだ。

2011年9月 1日 (木曜日)

IFRS開発に日本は参加するのか、しないのか(2)~見積もりは化粧

前回書いた通り取引をただ集計しても会社の実態を表わす財務諸表にはならない。そこに「経営者の見積もり」という仕上げ、即ち化粧を加える。「化粧」というと従来は「粉飾」を意味する隠語だったが、僕の意味は少し違う。良い化粧とやってはいけない悪い化粧があるものの、見積もりは化粧であり、化粧にこそ経営者や会社のスタンスや能力が現れていて高い情報価値があると最近僕は思っている。

 

若い女性は男性に素顔を見られることに恐怖心があるというが、それは素顔と自分の期待が相違しているからだろう。化粧によって自分を期待へ近づける。それを他人に見せて自分を理解してもらう入り口にする。会社の決算は取引を集計しただけの試算表では債権や在庫の評価も行われておらず、問題点の所在や業績の良し悪しも不正確だ。本当の会社の姿とは違う。本当の姿に合うように修正、即ちお化粧をし、それによって会社の実態を説明するわけだ。

 

やってはいけない化粧というのは本当の自分自身と異なる印象を相手に与える化粧だろう。顔は人の一部でしかないが、通常顔を見ながらコミュニケーションするため顔の印象は重要だ。あとから顔の印象と性格その他が全然違うと嘆くのは男性の常だが、企業財務の場合はそれが、投資家、株主、債権者等、時には経営者自身となる。男性は嘆きながらそれも楽しみの一つと自己解決して人生を送れるが、投資家等はお金が絡んでそうはいかないから適切な情報開示が必要だ。よって会社が行う化粧は、単なる取引の集計だけでは表現できない企業の実態を、より正確に見せるために行う。必要なら厚化粧も厭わない。そこに化粧をする人のセンス、能力が現れる。日常的に会社をどう見ているか、どういうスタンスの経営をしているかを垣間見ることができる。とても価値のある情報だ。

 

決算の場合、化粧は部分ごとに行われ、最後に全体の印象を確認する。中には全体の印象を決めてから部分の処理を決めることもあるかもしれないが、例外であるべきだ。逆に女性の場合は全体の印象を決めてから個々のパーツに入るのではないだろうか。それが許されるのは男性の潜在意識に騙されても綺麗な方がよいという気持ちがあるからで、投資家等はそうではない。この点は重要な相違点で、女性の化粧と同じと考えてはいけない部分だ。もし、経営者や投資家等に「騙されてもよいから綺麗に見せてくれ」という気持ちが芽生えたら、それは非常に危ない状況だ。会社の危機、経済全体の危機だろう。

 

さて、その化粧法が会計基準で、それを国際的に統一しようとするのがIFRSであるが、日本人と欧米人で化粧法が同じでよいかという問題がある。「金融経済化した英米に有利な会計基準」というIFRSを批判する言葉を聞くとまさにこの点に思い当たる。

 

しかし現実には日本人がミス・ユニバースで優勝・準優勝することもあるし、国際的に活躍するモデルもいる。日本製の優れた道具や化粧品も使っているかもしれないが、基本的にはその人の個性に合う調整をしているだろうと思う。原則主義ならそれが可能、それが原則主義の良い点だと思う。だから日本としては細かいことまでIFRSに決めてもらってはやりにくい。日本はIFRSの開発に参加して、原則主義を維持すべきことを主張し、原則主義でも新興国で有効にIFRSが機能するよう良い仕組みを提案していくべきだ。それにはIFRSの趣旨をしっかり理解して、まず日本で実際に合った基準の適用・運用を行える環境を作り、維持することの意思表明が重要だと思う。

 

「このグローバル化した社会で、今更お歯黒に戻ることはないだろう」というのが僕の意見だ。「お歯黒が日本の伝統で、国際社会からも評価される」という意見には現代の男性としては与できない。すでに日本でも会計ビックバンの以前から「芸能人は歯が命」と言われ、白い歯の方がよいとされている。(ちょっとふざけ過ぎか? 済みません。次はまじめにやります。)

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