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2011年11月15日 (火曜日)

【オリンパスの粉飾】1990年代の損失の内幕

1990年代といえば、僕が監査スタッフという責任の軽い立場で気楽に経験を積めた時代だが、世の中は激震に見舞われていた。即ち昂揚感のあったバブル時代が収束し長い停滞の時代に入っていく。多くの企業が難しい舵取りを強いられたが、オリンパスはその時代に財務面で多くの間違った判断を行って、いまツケを払わされようとしている。何が起こったのだろうか。スタッフ時代の時代背景を思い出しながら、オリンパスの抱えた経営問題を想像してみた。

 

(時代背景とオリンパスの事業)

ホームページに掲載されている最も古い有報(2000/3期)から、これらの時代のオリンパスの状況を拾ってみた。

                                       
 

 

 
 

時代背景

 
 

オリンパスの事業

 
 

経営課題

 
 

1980年代

 
 

2度のオイルショックを乗り越えて、ジャパン・アズ・ナンバー1といわれた時代。自動車、家電、その他多くの工業製品が世界の工場日本から輸出されていた。ただ円高が進行し、生産拠点の海外展開が始まった時代でもある。

 
 

1936年に写真機、1952年に医療機器、1960年に測定機器の製造を開始。1964年にヨーロッパ、1968年にアメリカに販売子会社を設立。1969年には海外で資金調達開始。1970年代、1980年代は1960年代までに築いた基盤を拡張。1980年代に海外生産を開始。

 
 

基本的には良い時代だったと思う。

 

・海外生産

 

・半導体関連事業への進出

 

・為替管理(多額の差損が発生)

 

・エクイティで調達した余資運用(財テク)

 
 

1992/3期まで

 
 

198912月日経平均が最高値。1990年より下落が始まる。大蔵省金融引締め開始(総量規制)。損失補填問題発生。

 
 

1980年代までの事業拠点の新設から、この時代は各事業拠点の“強化”へシフト。

 
 

円高対応力、コスト削減が課題だったと思われる。

 
 

1996/3期まで

 
 

1ドル130円ぐらいだったものが、1995年一時79円台の超円高。そこから一転して100円台へ戻る。

 
 

リストラと思われる施策が行われている。

 
 

同上。

 
 

2001/3期まで

 
 

アジア通貨危機、国内金融危機。円は1998年一時140円台まで下がるが概ね100円~130円。

 
 

大きな事業拠点の変更はない。

 

内視鏡が大黒柱。

 

デジタル・カメラも好調に。

 
 

同上。

 

2000/3期に特定金外信託及びスワップ契約を整理し170億円の損失計上。

 

 

(1980年代)

僕が1985年に卒業旅行をしたときの円レートは250/$260/$だった。それが1990年には130/$とか120/$台まで上昇している。1980年代は円高不況もあったけれど、基本的には好景気に沸いていた時代、バブル時代だ。オリンパスも円高の影響を受けて生産の海外シフトを始めているが、基本的には製品は良く売れ、企業規模を拡大できた時代だっただろう。

 

1990/3期~1992/3期)

この時代はバブルが破裂し、株式相場が下落し、企業の財テクが破たんした時代だ。典型的なのは営業特金と呼ばれた証券口座で、損失補填が社会問題になった。

ウィキペディアを読むと、1990/3月期から1992/3期の間に大蔵省に要求されて、各証券会社が顧客企業との間で交わされていた営業特金契約の解消に動いていたことが分かる。

 =ウィキペディアの記事から分かること=

 1989年12月 大蔵省証券局は、通達により各証券会社に損失補填等を「厳に慎む」ことを求めた。しかし、同時にバブル崩壊が始まったこともあり、過去の契約については、各証券会社が顧客企業との契約を解消する過程でやむをえず損失補填が続けられた。

 1991年8月 日本証券業協会が国会に損失補填の手法などの説明資料を提出。

 1991年9月 日本証券業協会から、その後1991/3期までの損失補填の総額は787件、2100億円であることが公表される(但し、中小の証券会社については一部未集計の取引あり)。

 1991年 証券取引法が改正され、損失補填等の禁止が明文化される。

 

オリンパスの財テクも、多分、この営業特金の仕組みを使っていたと思う。すると営業特金契約の解消を迫られたはずだ。その結果営業特金というファンドをいったん解消し、ファンドを構成する個別銘柄で引き取ることになるので、会計上は個別銘柄ごとの評価をせざるえなくなる。すると強制評価損の計上が必要な銘柄が結構多く、それが多額となる会社が多かった。

会計基準としては、バスケット方式というものが認められていて、複数銘柄をあたかもファンドのようにまとめてしまい、ファンド全体で評価をする方法もあった。この方法では個別銘柄に著しく価値が下落しているものがあっても、他の銘柄の価値が上昇していれば通算されるので、個別銘柄ごとに評価する方法より、損失計上額が少なかった。オリンパスは2001/3期の決算で特定金外信託を整理しているので、営業特金解約直後にこの信託を設定していたかもしれない。その際にこのバスケット方式を採用していたかどうかは分からないが、採用していれば含み損が残りやすくなっていただろう。しかし、営業特金を解消した段階で、いったん個別銘柄として引き取り、改めてファンドを組みなおすはずなので、いったんは個別銘柄ごとに評価をしているはずだ。したがって、ちゃんとその手続きを踏んでいれば、その段階では含み損はそれほど多くはなかったと思う。

もしかしたら、その個別銘柄ごとの評価をやらずにそのまま新しいファンドに組み入れてしまったのだろうか。或いは、著しい価値の下落かどうかの判定は基本的には各企業の判断に委ねられていたので、甘い基準で判定したのだろうか。

 

いずれにしても、当時の監査人からは注意喚起なり、警告なりがあったはずだが、それはどのように行われて、経営者はどのように受け取ったのだろうか。監査人は監査意見を出すにあたって、最終的にどのように判断したのだろうか。

オリンパスの経営者にとって、そして監査人にとって、このときの判断が最も悔やまれるのではないだろうか。このときしっかりやっておけば、のちの経営者たちの頭を悩ませたり、ここまで損失が拡大することはなかったと思われる。ここに最も多くの教訓が隠れているように思う。第三者委員会によって解明されることを期待する。

 

僕はこのとき、会計基準の趣旨を会社がしっかり受け止めて、メーカーにとっての余資運用がどういうものであるべきかしっかり根本から見直す必要があったと思う。当時、それをしっかりやって財テクを反省した会社も多かったと思うが、オリンパスの経営者と監査人はそのようにできなかったのではないだろうか。

 

(~1996/3期)

為替予約は当たり前に行われていた為替リスクのヘッジ手法だったが、僕の記憶ではこのころは、為替予約契約のロールオーバーや通貨オプション取引など、正常なヘッジ行為と思えない取引や投機取引が行われていて問題となった。一部の企業では多額の損失が計上されていたと思う。

<為替予約契約のロールオーバー>
 
会社にとって不利なレートだと為替予約を実行しないで金利を払って予約の実行期限を延長した。しかし、延長しても会社に有利な方向へレートが動くとは限らないので、かえって損失を膨らませることにつながった。また、ロールオーバーし始めると、実需を伴わないオーバーヘッジ、リスクの高い投機的な取引になることが多かった。

<リスクの高い通貨オプション取引>
 
代表的なものにゼロ・コスト・オプションがあった。通貨オプションの買いと売りを組み合わせた複合金融商品だ。シンプルな通貨オプションだと銀行にオプション料を支払う(オプションを買う)だけだが、それに企業側が銀行に通貨オプションを売る(企業が銀行からオプション料を受取る)取引と複合させ、企業のオプション料の支払いをゼロにした商品だ。一見お得に思えるのだが、実は企業にとってリスクの高い商品設計となっており、企業が予想した方向と異なる方向に円レートが動いた場合は、多額の損失が発生した。1995年は80/$を下回るところまで円高となったが、その後急に円安に転じたため、1996/3期決算で多額の損失を計上する会社が散見された。実は僕がスタッフとして担当した会社もこの取引を行っていて、監査チームは会社にこの取引のリスクを説明した。会社はそのときは聞き入れなかったが、結局相場の方向を読み間違い、ひどい額の損失を計上した。当時、財務担当の副社長(日銀出身)が、失踪したという噂を聞いた。もちろん、その方は副社長を解任された。しかし、その会社は高い授業料をちゃんと払いきった。

 

オリンパスは輸出企業だったので、為替予約取引は馴染みがあったと思う。ロールオーバーは行っていなかっただろうか。また、金融機関からゼロ・コスト・オプションのようなデリバティブを勧められることもあったと思うが、この手の取引を行っていなかっただろうか。そして、経営者はこれらの取引のリスクを理解していただろうか。監査人はどうだろうか。リスクが実際に損失となった時に覚悟ができていないとそれを見ないふりをすることがある。問題の先送りだ。事前にシュミレーションをして損失を受容れる覚悟を決めておくことが重要だ。

 

また、1992/3期に損失計上せずに特定金外信託等にしていたものの含み損を解消するために、オプション取引などのデリバティブを使っていなかったか。特定金外信託等は、会社がどのような指図してそのファンドの中で何が行われているかが分かりにくい商品だ。加えて、デリバティブは、オフバランス取引とも呼ばれ、帳簿を見ても取引状況が分からない。取引状況が分からないので、そこに損失が隠れていると発見が難しい。そういうものを経営者がどのように管理していたのだろうか。監査人はどうしていただろうか。この当時は時価会計が導入されていないので、信託先の金融機関から時価情報が来ることもなかったと思うので、管理は非常に難しかっただろう。したがって、信託財産の価値がどうなっているかについて、ブラックボックスになっていたのではないだろうか。

 

 

以上は僕の経験したことを参考にして行った推測ばかりだ。実際の状況は、第三者委員会の調査結果を期待して待つしかない。僕はこの1990年代の経営者が実態の把握にどれぐらい熱心だったか、見たくないものを遠ざけるような姿勢がなかったか、臭いものに蓋をするような傾向がなかったか、というところを注目したい。そういう姿勢が問題を先送りさせるのだと思っている。それが部下や、後任の経営者に重荷を被せることになる。悪いことにこそ関心を持ち対処する、それが経営者の基本的な資質だと思う。これは監査人にも全く同じことが言える。

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