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2012年2月

2012年2月29日 (水曜日)

有用な財務情報とは~「忠実な表現」と「比較可能性」(売上基準を例に)

有用な財務情報であるためには「目的適合性」と「忠実な表現」という2つの基本的な質的特性が必要とされている。即ち、将来キャッシュフローの見通しを評価するために有益で、かつ、経済実態を忠実に表した記述になっていることが基本的な要件とされている。しかし、IFRSは、国際的な会計基準の相違を乗り越え、国籍の異なる企業の財務情報も比較可能にするために開発されたものだ。なのに、なぜ「比較可能性」という質的特性が、基本的でなく「忠実な表現」を補強するに過ぎない質的特性とされたのだろうか。

 

それが垣間見られる概念フレームワークの記述を抜き出してみよう。

 

QC23

比較可能性は画一性ではない。情報が比較可能となるためには、同様のものは同様に見え、異なるものは異なるように見えなければならない。財務情報の比較可能性は、同様でないものを同様のように見せることで向上するものではない。同様のものを異なるように見せることで比較可能性が向上しないのと同じである。

 

QC24

ある程度の比較可能性は、基本的な質的特性の充足により達成できる可能性が高い。目的適合性のある経済現象の忠実な表現は、おのずと、他の報告企業による類似の目的適合性のある経済現象の忠実な表現とのある程度の比較可能性があるはずである。

 

そして、IFRS自体ではないが、IFRSと共に公表される附属文書(パートB)には次のように解説されている。

 

BC3.33

目的適合性があり忠実に表現された情報は、他の企業および他の期間における同一企業が報告する類似の情報と容易に比較できる場合には、最も有用である。財務報告基準が必要とされる理由のうち最も重要なものは、報告される財務情報の比較可能性を高めることである。しかし、容易に比較可能でない場合であっても、目的適合性があり忠実に表現された情報は、やはり有用である。比較可能な情報であっても、目的適合性がない場合は有用ではなく、忠実に表現されていない場合は誤解を招く可能性がある。したがって、「比較可能性」は基本的な質的特性ではなく補強的な質的特性であると考えられる。

 

僕が読み取るエッセンスは次の通りだ。

 

 A 比較可能性は作成手続や様式で担保されるのではない。実際の受け取られ方が重要。

 B 経済事象を忠実に表現してない情報を比較(分析)に使っても意味がない。

 C 比較(分析)の単位は、取引などの細かい単位ではなくもっと大きな経済事象レベルが想定されている。

 

AとBはすんなり受け入れられるのではないだろうか。会計方針が同一であれば比較可能性を高める可能性が高まることには同意するが、すべての場合にそうなるとはいえない。逆に会計方針が異なっていても、それぞれが経済実態を忠実に表現しているのであれば、分析に値する。そう思えるのはなぜか。意外にCが大事だと思う。

 

例えば、売上を出荷基準で処理している会社と検収基準で処理している会社の財務情報を比較するのは意味があるだろうか。もし、出荷後、据付工事や稼働テストなどを経てから検収があがるような製品の売上であれば、比較分析する価値は下がるだろう。出荷しても返品される可能性もあるし、据付工事や稼働テストに無視できない追加コストが翌期に計上されるかもしれないので、両社の将来キャッシュフローのイメージは、売上や売掛金に計上されている数字から正しく把握できない。

 

しかし、返品がほとんどない汎用品を出荷基準で計上している会社と、据付工事や稼働テストが必要な個別仕様品を検収基準で計上している会社の比較はどうだろう。これなら両社の将来キャッシュフローの状況を売上や売掛金の数字から評価するのに問題は少ないはずだ。なぜなら、会計方針は違っていても、それぞれが経済実態に合った会計方針を採用しているからだ。

 

では、汎用品を生産・販売していた会社が、顧客の要望に応じて個別仕様品を供給するようになり、その比率があがっていったらどうするだろうか。ここまで読んでこられたみなさんなら迷わず、会計方針を変更するか、少なくとも個別仕様品については検収基準を採用する、と考えるだろう。

 

なんだ、当たり前のことじゃないか、と思われる方も多いと思うが、意外と「我社の会計方針は出荷基準」、「継続性の原則は守らなければならない」などと言って、出荷基準を継続している会社も多いのではないだろうか。IFRSが話題になって変化も見られるが、日本基準では、それを容認する雰囲気が強い。しかし、大事なのは手続や方法を継続することではなく、その経済実態に合わせる感覚を持つことだ。

 

さて、Cの意味がお分かりだろうか。経済実態に合わせようとすると、単に取引のみを見るのではなく、その背景にある経済事象に目を向けることになる。そのとき同一・類似の経済事象を背景に持つとか、同一・類似の経済事象創出のための活動だとか、そういうまとまりが、会計方針や見積もりの単位、減損会計の単位、そして比較・分析の単位となってくる。しかし、代表的な財務諸表の読者である外部者が比較・分析を行う場合は、外部経済環境の変動の影響、セグメント単位、連結グループなど、その単位が大きいので、そのレベルでも、経済実態に忠実な表現となっているかを気遣う感覚が必要となってくる。合成の誤謬が起こっていないかだ。日本では個々の取引をルール通りに処理することで、その集計結果たる全体も正しくなると信じられているが、本当にそうか、確認する目が必要なのだ。そういうことも、この質的特性の読み込みから見えてくる。

 

今回は売上を例に考えてきたが、次回は、減価償却について考えてみたい。

2012年2月28日 (火曜日)

有用な財務情報とは~「忠実な表現」と「比較可能性」の前に固定資産に寄り道

いよいよ、IFRSと日本基準のスタンスの差が明確になるテーマに辿り着いた。IFRSはこの概念フレームワークと個別基準(IFRSIAS)が矛盾する場合は個別基準の適用を優先するとされている(概念フレームワークの「はじめに」)ので、多くの人は個別基準を見れば事足りると思っているかもしれない。しかし、それは間違いではないかと僕は思う。

 

日本では、減損会計について知りたいと思った人が、企業会計原則を見ることはないだろう。減損会計基準かその適用指針を見るはずだ。それは企業会計原則に資産が何かについても、なぜ資産を減損するかについても書かれていないからだ。しかし、昨年11月からずっと書いてきたように、IFRSの概念フレームワークには、資産が将来キャッシュフローを生むものであることが書かれており、だからこそ、将来キャッシュフローを生まなくなった資産が減損される必要性が理解される。

 

今はさすがにないかもしれないが、昔よく聞いたのは、遊休土地の減損について「売らなければ損は出ないし損が出るくらいなら売らない。だから減損は不要」という意見だ。これには一理ある、というか、そのような意見を持つことは理解できる。なぜなら、日本基準に資産が定義されてないからだ。減損会計基準には遊休土地も時価(=将来キャッシュフロー)を見積もって簿価が上回れば減損するように記載されているのだが、なぜそうすべきかは「資産が何たるか」が決まっていないから基準からは分からない。だから「基準にはそう書いてあるが、我社のことではないだろう」と思ってしまう。

 

IFRSにおいても、減損の手続については、減損の個別基準であるIAS36号に記載されているから、何をやればよいかは個別基準だけ見ればよい。しかし、その意味は概念フレームワークに記載されている。その意味を理解せずに個別基準に書かれた手続だけをやっても正しい会計処理になるかは疑問だ。

 

例えば「回収可能価額」を超える簿価は減損損失に計上されるが、その「回収可能価額」は、資産(又は資金生成単位の売却費用控除後)の公正価値と使用価値のいずれか高い金額とされている(IAS36.6)。しかし、どんな時でもこの通りで良いというわけではないだろう。例えば収用される可能性が高い資産に使用価値を使ってはいけないだろう。なぜなら概念フレームワークに記載されているように、資産はその資産が生み出す将来キャッシュフローで測定されるからだ。実は、日本基準は細かいのでそこまで書いてある(減損会計適用指針の第28項や第31項)。一方原則主義のIAS36号には書いてないが、概念フレームワークとの合わせ技でこのように理解される。というか、概念フレームワークを理解していれば、仮にIAS36号の詳細を知らなくてもこの答えを導くことが可能だ。それほどに概念フレームワークを理解することは重要だ。

 

実は先の「売らなければ損は出ないし・・・」に似た話は、ついこの間の資産除去債務の会計基準を導入する際にも見られた。「ずっと使い続けるのだから資産除去債務を認識する必要はない」と。しかし、物には寿命があるし、条件の良いところが他にあれば移転、環境が悪化すれば撤退もある。永遠より永遠でない方の可能性が高いので、その時期をいつにするかは議論の余地があるものの、見積もりの対象から外すことはできない。少なくとも移転や撤退の可能性の変動については毎期チェックが必要だ。

 

だが、当面は移転や撤退の可能性がなく、かつ、それほど重要性がないとか、重要性がない割に数が多く手間がかかる場合などに、資産除去債務の見積もりを将来キャッシュフローの見積もりから控除して、減損テストすることで代替できないか。これなら償却計算や資産除去債務の事後変動の面倒な処理は避けられる一方で、いざ、移転や撤退の検討をするときには財務的効果のシュミレーション材料を素早く提供できる。資産除去債務の見積もりは、決算時でなく時間のある時にやっておき、事業計画策定時に移転や撤退の可能性を追加検討すればよい。

 

移転や撤退を機械的に決めずに、検討を始めてから実行までに時間をかける企業も多いし、IFRSは原則主義だから、それが、概念フレームワークの資産の定義に沿った内容なら、単純に書いてないものはダメ、ではないかもしれない。それとも全然ダメだろうか。少なくとも議論のテーブルには載せられるのではないだろうか。

 

さて、前回(2/23の記事)、「忠実な表現」と「比較可能性」を掘り下げると書いたのに、とんでもない寄り道をしてしまった。しかし、個別基準は「手順」であって、根底にあるものは概念フレームワークだということを強調したかった。その概念フレームワークに、日本基準の「継続性の原則」に当たるものがなく、かつ、「比較可能性」より「忠実な表現」が優先されると書かれていることが重要性だと強調したかったのだ。次回はホントに「忠実な表現」と「比較可能性」で書きたいと思う。

2012年2月23日 (木曜日)

有用な財務情報とは~「継続性の原則」とIFRSの「比較可能性」、「首尾一貫性」

IFRSの概念フレームワークには、日本の「継続性の原則」に当たる記述が見当たらないと書いたが、「継続性の原則」に関連しそうなIFRSの質的特性の規程を抜き出して検証してみよう。それは比較可能性と首尾一貫性だ。しかし、結論を言うと、比較可能性の記述には会計方針の適用について触れていないし、首尾一貫性は「同一事業年度における会計方針の一貫性」なので、どちらも「継続性の原則」ではない。

 

<比較可能性>
報告企業に関する情報は、他の企業に関する類似の情報や、別の期間又は別の日の同一企業に関する類似の情報と比較できる場合には、より有用である。
QC20
比較可能性は、項目間の類似点と相違点を利用者が識別し理解することを可能にする質的特性である。(
QC21

   (特徴)

  1. 同一企業の期間比較ばかりでなく他社比較も明示されている。
  2. 「同じ情報」と言わずに「類似の情報」と表現している。比較は、違うものを違うと確かめるためにも行われるし、事業背景等も踏まえて行われるのだから、異なる企業間で、或いは同一企業でも異なる期間で、状況の同じ項目のみがその対象になるとは限らない。よって、このような表現になっていると思われる。

 

日本の継続性の原則は、作成者側の手続を規制することで利用者が得る情報の質を確保しようとするものだが、IFRSの比較可能性は利用者側の効果・効用のみを書いているし、他社比較を直接明示している。即ち、日本基準は手段を書き、IFRSは目的を書いていて、かつ、対象範囲も異なる。

 

<首尾一貫性>
首尾一貫性は、比較可能性と関連したものではあるが、同じではない。首尾一貫性は、ある報告企業の期間ごとに、あるいは異なる企業のある単一の期間において、同じ項目に同じ方法を使用することを指している。比較可能性は目標であり、首尾一貫性はその目標の達成に役立つものである。
QC22

   (特徴)

  1. 期間ごとに同一の処理がなされるべきことが記載されている。「期間ごとに」の部分の原文の表現は「from period to      period within a reporting entity」。もしかしたら、これを「期間内」と「異なる期間」の両方で一貫した処理を要求したものと読む方もいるかもしれない。実は僕もそうだった。「異なる期間」における一貫性を要求したものであれば日本の「継続性の原則」を含むことになる。これは可算名詞であるperiodに、atheもついていないのをどう理解するかにかかっていると思う。これについては後述する。
  1. 異なる企業同士の処理についても言及している。「異なる企業のある単一の期間において」という部分は、英語では「in a single period      across entities」となっていて、会社間の比較と読める。

 

QC22の最後の文章で分かる通り、この首尾一貫性は上記の比較可能性の部分的な裏返しで財務諸表の作成者側から書いている。両者の関係は目的(比較可能性)と手段(首尾一貫性)。すると、この首尾一貫性が日本の継続性の原則に近い。本当にこの首尾一貫性は「異なる期間における一貫性」も求めてないのか。

 

さて、atheもついていない「from period to period」についてだが、これは僕の転記ミスではなく本当にこう書いてある。もし、可算名詞であるperiodaを付けるとすれば「from a period to another(or others)」のようになるのではないだろうか。するとこの場合の意味は「異なる期間」の一貫性になる。だがWikipediaの「可算名詞」の項には『"I ate a chicken." と言うと「ニワトリ一羽をまるごと食べた」となるので、「鶏肉を食べた」は "I ate chicken." と言わねばならない。』 とある。やはり、「from period to period」は「from a period to another(or others)」とは異なる意味なのだろう。それは何か。

 

僕の解釈だが、「a period」とするとperiodが特定の長さを持つ(だから数えられる)が、ここではperiodに複数の長さを持たせたかったのではないか。会計期間には、四半期、各四半期累計期間、半期、事業年度と複数の長さがあり、これらの間での一貫性を表現したのではないかと思うのだ。要するに事業年度と、それを構成する四半期や半期は、同じ会計方針で一貫させることを言っているのであって、異なる事業年度の間での一貫性(=継続性の原則)ではないということだ。ASBJの翻訳も「統一事業年度内の一貫性」をイメージしているように思える。これならこの部分は日本基準の首尾一貫性と同じだ。

 

実は、IAS第8号「会計方針、会計上の見積もりの変更及び誤謬」の14には、より目的適合性の高い情報を提供できる場合にのみ、会計方針を変更しなければならない旨の記載がある。日本流に書けば「正当な理由がある場合にのみ、変更しなければならない」だが、日本の企業会計原則は「正当な理由がある場合を除き、継続適用しなければならない」だ。このニュアンスの違いがどこから来るか、もう一度基本的な質的特性である「忠実な表現」と、補強的な質的特性に格下げされた「比較可能性」の関係を見ながら次回以降掘り下げていこう。

2012年2月21日 (火曜日)

こんな金融機関の監査人だったら?(これは長文です。お暇なときにどうぞ。)2

前回から、気仙沼信用金庫のような金融機関を僕が監査するとしたらどうなるかを想像して書き始めた。貸出金に対する貸倒引当金が最大の問題だ。しかし、中小企業金融円滑化法の施行以来、金融検査マニュアルが改定され、貸出金の評価に金融機関の裁量が与えられたので、金融機関は、バブル崩壊後の反省に立って鍛えてきた信用リスク管理能力をいよいよ発揮する機会を得たことになる。僕は金融機関がこの能力を適切に発揮しているか、即ち、融資の判断や自己査定による貸倒引当金の見積もりの判断が、返済条件の変更という形式的な要件で一律に決められるのではなく、融資先の実態を金融機関が把握してその結果が貸出金の回収可能性の判断に適切に結びついていることを監査によって確かめるという方針を立てた。今回は、もう少し具体的なところを書いてみよう。

 

改めて難問がクローズアップされてくる。それはリーマンショックと東日本大震災では震度がまるで違うことだ。リーマンショックでは物理的な損害はないわけだが、東日本大震災の被災企業は生産設備などの事業資産を失っただけでなく、従業員も離散し、また、津波に流された低地には工場を作れないかもしれず、作れたとしても、瓦礫、そして、流れ着いてきた漁船や自動車、家屋の撤去もあるだろうし、事業休止中に大切な得意先も失っているはずだ。二重ローンもある。そして被災者たちはみな家族を、親類を、友人を失った精神的な痛手もある。要するに借金はあるのに事業基盤を喪失しているのだ。津波に沈んだ土地の担保もあてにならない。したがって、そもそも事業再開など無理だと諦める経営者が、リーマンショック後の不況とは比べようもないくらい多いだろう。したがって、引当金が増えないかというとそれはありえない。大幅に増えるかもしれないが、事業再開を諦めた企業については十分に引当するしかない。

 

一方、事業再開を決意した企業はどうだろう。事業基盤を失った会社が多いのだから、やはり多難だ。金融機関が与信の審査にあたって、物的担保や事業性といった通常客観的に冷静な目で見るものは、一切あてにできない。だがその代り、経営者のやる気と覚悟は尋常じゃないものが見られるのではないだろうか。そして、危機感で共感が得られれば、通常得られないような金融機関と融資先企業の強いパートナーシップが実現できる。事業は経営者のやる気とアイディアで化けるものだし、金融機関と強固なパートナーシップが組めるのは企業にとって大きい。返済条件を変更したら即不良債権という扱いは緩和されたのだから、切り札としては従来より長い目で融資先を見ることもできるかもしれない。要するに融資先企業とこの金融機関が本気かどうかを見極めて、あとは火事場の馬鹿力を信じる。・・・しかし、全く客観性がない。

 

やはり客観性は必要だ。被災前のその企業の業績・歴史・経営者の管理能力の評価・評判の確認は必要だ。被害や、再建への障害の大きさも知ってなければならないだろう。そして、現状の復興対策の進捗では合理的な予想は困難だろうが、一応、公的な助成が受けられる可能性も把握しておかなければならない。・・・しかし、間接的だし、確実性もない。

 

普通はあるものが、まるでない。客観的には悪材料だらけだが、主観的なところに好材料がある。このような融資案件は通常ペンディングにもならないはずだが、ここでは判断から逃げられない。形式ではなく、実質で判断するので、理由の説明も必要だ。それだけ事案を深く具体的に理解していなければならない。少々究極過ぎるのだが、この状況こそ金融機関が鍛え上げてきたリスク管理能力を発揮するところだ。地域金融機関としての燃える使命感と冷静なリスク判断を両立させて。このような主観的な要素を金融機関がどのように評価し与信の判断に結び付け、自己査定を行ったかが監査のポイントだ。そこに金融機関側の本気度(熱い気持ちと冷静な判断)が見て取れるならば、監査人も寄り切られるのではないか。

 

監査は、客観的で確実性のある監査証拠を積み上げて合理的基礎を得なければならない。そして、その裏側で人を見るという極めて主観的な判断をしている。このケースなら、普通あるはずの達成可能で合理的な事業計画はないかもしれないが、融資先と金融機関のやる気だけは十分にあるというような監査調書を作って、事務所の承認をもらいに行くことになるだろう。承認とは、いわゆる(監査法人の)審査というやつだ。これをパスしないと監査報告書が発行できない。しかし、果たしてこの監査調書で審査に通るだろうか。

 

もっと工夫が必要だ。せめて「融資先と金融機関のやる気」についてぐらいは客観的に証明できなければ。本来は「やる気」じゃなくて担保や事業の将来キャッシュフローが貸出金の額を上回る可能性が高いことを(金融機関の業務を通じて)確認しなければならないが、まともな事業計画がない以上それは不可能なので、せめて「やる気」についてだけは客観的な証拠が必要だ。尋常でない「やる気」が証明できれば、少なくても「絶対回収できない」とは言えなくなる。回収の可能性はあるといえる。それが、どのぐらいの確実かは分からないのであるが。

 

そのために一つは、融資されなかった案件についてもしっかり見ておく必要があるのではないか。何が足りなかったのかを確認することは、金融機関が「情」だけでなく、鍛えてきたリスク管理能力を生かしていることを確認することにつながる。それと融資の可否や資産査定の判断がばらつかない仕組みも重要だ。文書化されたものだけでは当然足りず、融資方針の伝達や審査部門に実際のところをじっくり聞いたり、異例だがその金融機関の審査会議にオブザーバーで出席させてもらうことも必要かもしれない。

 

最後に予想貸倒実積率をどうするかという問題がある。(不良債権でない)通常の貸出金については、その債権金額に予想貸倒実積率を乗じて貸倒引当金を計算するので、予想貸倒実績率をいくらにするかは数字的にかなりインパクトがある。しかし、どう考えても貸倒は増加し貸倒実績率は上昇していくだろう。したがって、普通行われているような過去の数期間の貸倒実績率を単純平均して当期の予想貸倒実績率を決めるような方法では引当金が不足するに違いない。一方で3.11直後の貸倒実績は、事業再開を諦めた企業の貸倒の影響が大き過ぎて、そのまま使うと返って過大な予想貸倒実績率になってしまう。どのように調整するか。3.11以降の貸倒実績の中から、被災直後特有部分を異常値として除けるか、それとも被災前の実積率と加重平均する、そのウェイト付で調整するか。いずれにしても根拠づけが必要になる。

 

間接的だが、昨日の記事の最後の段落に書いた「金融機能安定化法の震災特例の制度」をどのぐらい利用しているかも、金融機関の本気度の一端が見えるところだろう。また、公的な再建への援助政策や二重ローン対策がどのようなものになって、それによってどのぐらいの融資先が救われるかについて、継続的なフォローをしていくこと、そして状況が明らかになった時点で速やかに貸倒引当金を見直すことの意思表明も重要だろう。

 

監査法人の審査は、監査法人内部で行われるものだから、そこに監査先の方が出席することはない。地域経済を再建しようという融資先、金融機関の本気度がしっかり審査部門に伝えられるかは、監査担当者の責任であり、監査担当者の本気度が試される。気仙沼信用金庫の芳賀理事がNHKのこの番組の中で「企業の方と一緒になって苦しみながら」と言われていたが、監査担当者も別の意味であるが、苦しんで本気にならなければ実情を伝えられない。

 

書いているうちに、久しぶりに以前所属していた監査法人の審査部門の人々の顔が浮かんできた。この金融機関について、誰に相談を持ちかけて、その結果どんなメンバーでどんな会議をやって、そこでの参加者の発言はどんなだろうと想像していたからだ。この会議は基本的にはロジカルな会議だから、本来の監査調書はこの記事の印象よりずっとロジカルなものでないといけない。しかし、何度か繰り返せば、最終的には分かってもらえるように思える。「あれもない、これもない、ナイナイ尽くしの監査調書」などと苦情を言われるかもしれないが、この審査部門の人たちは実態重視だし、こちらの本気を受取れる人たちだからだ。結局監査担当者の僕の覚悟次第ということだ。

 

というわけで、非常に長文だし、取っ付き難い内容だし、ここまで読む方はあまりいらっしゃらないと思うが、読んでいただいた方にはお礼を申し上げる。結局、空想、妄想にしかならなかったが、金融機関の財務諸表には厳しい現実が現われざるえないという印象は持たれただろうか。しかし、そういう現実を認識することこそが、どこまで融資が可能かというリスク判断の後ろ支えになる。甘い判断を繰返して回収が滞る融資先が増えれば、不幸な融資先を増やすことになる。また、金融機関が公的な支援を得ようとするタイミングが遅れたり、内容が不十分なものにならないためには、厳しくても現実が映し出された財務諸表がなければならない。監査人とはそこに使命感を燃やす者だ。

2012年2月20日 (月曜日)

こんな金融機関の監査人だったら?(これは長文です。お暇なときにどうぞ。)1

一昨日は気仙沼信用金庫の覚悟の潔さに感動し、一気に記事を書いてアップしてしまったが、今日になってふと思った。もし僕がこういう状況の金融機関の監査担当者だったらどうするだろうと。返済期限延長の貸出金、通常なら債務不履行扱いとなるような債務者(融資先)が激増し、多額の引当金を積み増すことが想定されるが、それが正しいのか、それとも別の判断があるのか。多額の引当金を積み増した時、地域経済の復興に賭けた金融機関はどうなってしまうのか。今日は気仙沼信用金庫のことではなく、架空の、しかし、同様の覚悟を持って地元企業に資金を供給する金融機関を想定して僕がどう監査するかを書いてみたい。(したがって、気仙沼信用金庫の監査について何かを述べようとするものではない。)

 

まず最初に確認しておくべきは財務諸表の役割だ。財務諸表はその金融機関の経済実態を表現するものであって、それ以上のものではない。即ち、あるがままの実態を開示することが目的であって、その金融機関を存続させるための数字を作るものではない。あるがままの開示をした時にその金融機関の将来が危ぶまれ、しかし、その金融機関を存続させることが地域社会にとって必要であれば、自己資本を充実させる然るべき処置が公的になされるべきだ。それは会計の役割ではない。会計は、その金融機関がどれぐらい大丈夫だとか、危ないとか、どのくらいの自己資本を上積みすればよいかとか、そういう判断に資する財務情報を提供するものだ。したがって監査人は財務諸表が金融機関の実態を表示しているかどうかのみを判断する。

 

そして次がメインテーマの債務者区分の判断基準(信用リスク上のランク付け)、貸倒引当金が妥当かどうかの判断だ。貸倒引当金を見積もる会計基準は、一般事業会社も金融機関も大枠は同じだが、金融機関の方が圧倒的に細かく定められている。さらに金融機関については、金融検査マニュアル等で金融庁がさらに非常に細かく定めていて、かつ、これにバーゼルⅡの規制も関連してくる。一般的な感覚からすると、が・ん・じ・が・ら・め、という感じだ。或いは、ま・ん・じ・が・た・め、を掛けられたように動きようがない。

 

ところが、この卍固めが動いたことがある。それはみなさんもご存じの「中小企業金融円滑化法」だ。この法律はリーマンショック後の急激な経済環境の悪化から中小零細企業や住宅ローン債務者を守るために制定された(2009/11/30)。この法律によれば、金融機関が、中小企業や住宅ローンの借り手の申込みに対し、できる限り、貸出条件の変更等を行うよう努めるものであり、金融機関はその努めた状況の開示義務を負う(罰則付き)。要するに金融機関は、申込があれば、返済期限を延ばしたり、金利を下げたりすることを前向きに検討しなければならない。

 

肝心なのはここからだ。従来は、貸出条件の変更が行われた場合その債務者は、良くても「要管理先」、悪ければ「破綻懸念先」という信用評価の低いランクに分類されたのだが、前出の金融検査マニュアルが改定され、貸出条件変更先に対し実抜計画とか合実計画とか呼ばれる事業計画を策定させれば「要管理先」や「破綻懸念先」にしなくてよいことになった(或いは債務者が計画を策定できなくても金融機関が計画を読み取れるなら可)。加えて金融機関に、実抜計画・合抜計画を債務者に策定させられるような(コンサルティング)体制の整備を求めた。

 

ちなみに「要管理先」とは、要注意先と呼ばれるちょっと問題含みの融資先区分のなかでも一番リスクの高い(信用評価の低い)ランクで、それより信用評価が下がるともう破綻懸念先になる。破綻懸念先になると新規融資は事実上困難といわれる。バーゼルⅡという国際的な規制では「要管理先」でもデフォルト、即ち、債務不履行先扱いとなる。「要管理先」は、それぐらい信用評価の低いランクであるため、ここに分類されるのとその上にいられるのでは金融機関の融資姿勢に大きな差がでる。また、引当金も「要管理先」からはたくさん積む必要がある。繰返しになるが、従来は返済期限の延長など返済条件の変更を行うとこの「要管理先」以下の悪いランクに分類されていたが、中小企業金融円滑化法によって、上記XX計画を提出させる等の条件がそろえば、それを回避できるようになった。

 

さて、この中小企業金融安定化法に関連して、次のような話を複数の地銀の方から聞いたことがある。100年に一度の大不況と言われるリーマンショックなのに、この法律のおかげで本来急増すべき金融機関の貸倒引当金が落ち着いている。むしろ減少しているところも多い。本当に貸倒引当金は十分積んでいるのかと心配する向きもある。そんなところへ2年に1回の金融検査がきたそうだ。金融検査といえば、「おたくは貸出先の管理はなってない、評価が甘い」とか、「貸倒引当金をもっと積みなさい」と怒られる、金融機関にとって厳しい場だったから、この法律施行後の金融検査がどうなるか注目された。やはり甘いと怒られるのか。
ところが、今度は状況が同じでも反対のことを言われるようになったという。「これは厳しすぎないか、もっと上のランクで良いのではないか」と。しかし、言うのは同じ金融庁の検査局の人なわけだから、言いにくそうではあったらしい。

 

さてこの一連の動きは、金融庁が金融検査マニュアル等を使って、金融機関の貸倒引当金の見積もり方法を変更させたと言えなくもない。回りくどくて申し訳ないのだが、ここからがやっと本筋。というのは、この法律は面白い推移を見せている。この法律に基づく開示を見ればわかるが、金融機関はすべての相談者の条件変更を認めているわけではない。したがって貸出条件等の変更を断られた会社もあるし、それで潰れた会社ももちろんある。条件変更ができた先はその後どうなっているのだろう。順調に例のXX計画を達成しているのだろうか。この不況だからそんなわけはない。この法律によって資金繰りは何とか回り生かされてはいるが、実質的な事業活動はもうできないという幽霊企業が増えていて、この法律が打ち切られるなどのきっかけがあれば、多額の不良債権が表面化するという観測もある。しかし、これでは面白くない。

 

僕が面白いと言っているのは、こんな景気でありながら、意外と幽霊企業は少ない可能性もあるということだ。幽霊企業が多いとの指摘は、貸倒引当金が不足しているという指摘につながるが、僕の見方は逆で貸倒引当金はいまだ妥当な水準だろうと思う。中小企業の資金繰りがサポートされ、貸倒引当金の見積もり方法も少なくなる方向へ変更されたのに、中小企業の資金繰りのサポートが終了しても貸倒引当金は不足しないと思う。なぜか。それは、この法律以前の貸倒引当金は積み過ぎで、余裕があった可能性があるからだ。

 

但し、これは金融機関の引当金の積み方にもよる。金融機関へお勤め以外の普通のみなさんには馴染みのない話だが、信用評価の低い融資先債権に対するいわゆる個別引当てと呼ばれる貸倒引当金の積み方は、恐らく差は少ないと思うが、正常先や要注意先など比較的信用評価の良い先に対する一般貸倒引当金は、金融機関によって積み方に差がある。予想される貸倒損失のこの先1年分しか積んでいない銀行もあれば、貸出金の平均残存期間分、2~3年分積んでいる銀行もある(こちらが原則)。すると正常先や要注意先への引当だけ見ると、両者の差は2~3倍にもなる。これは数十億、銀行の事業規模によっては数百億。

 

この問題も掘り下げていくときりがないので幽霊企業が多くないという話へ戻そう。金融機関は自己査定といって、年に2回資産をすべて洗い出してその価値を確認する手続がある。一番大きな資産は貸出金だが、この自己査定によって正常先、要注意・要管理、破綻懸念先などといった債務者(融資先)の区分を行う。この融資先の実態を把握する仕組みは確か1997年度ぐらいから始めたもので、90年代のバブル崩壊後の不良債権処理の遅れの反省に立っている。引当金の見積もり方法についてのルールも、途中でバーゼルⅡの影響を受けて変わった部分もあるが、当初に決められたものがベースとしてずっと引継がれていると思う。したがって、今から十数年前の経済環境を前提に、十数年前の遅れた管理体制を引上げようとして厳格に決められた昔のルールがまだ生きているのだ。

 

十数年経って金融機関の管理体制は大きく変わった。もちろん、バブルのときのような異常な融資姿勢は見られないし、担保評価も厳しくなった、支店別・エリア別の内部利益管理、原価計算、審査部の機能強化や企画部のリスク管理機能や、監査部の強化など、自己査定で融資先の財務状況を把握するとともに、社内の実情を把握しやすいシステムを導入したり、組織的なバランスをとって全体の機能を高めたりと。しかし、基本的に以前から同じ方法で貸倒引当金を積んでいる。そして、融資を受ける側、特に中小企業は、金融機関は借りたお金の回収には厳しいと過去から一貫して思っている。したがって、金融機関の信用リスク管理が成長した分は、本来リスクは下がるわけだが、貸倒引当金の見積もり方は変わってないので、残高に余裕があるというわけだ。

 

しかし、よく言われるように中小企業金融円滑化法は、融資を受ける側の意識を変えていく可能性が高い。いわゆるモラルハザードの問題だ。この法律が施行された当初はそうでもないが、業績がXX計画通りにならずに返済条件の見直しを繰返していると変わってくる。2度あることは3度あると期待する。こうなるとバブル崩壊時の「大き過ぎて潰せない債務者」と同じで、債務者に当事者意識が無くなってきて、金融機関への依頼心が強くなってしまう。これで信用リスクはど~んと上がってしまう。

 

だが、ここからが、鍛えてきた金融機関のリスク管理能力の発揮のしどころだ。或いは正念場といってもよい。上述したようにこの法律の下でも金融機関はすべての相談に対して返済条件等の変更に応じているわけではない。各債務者の状況を見極めて、即ち、鍛え上げたリスク管理能力を発揮して、モラルハザードを起こした債務者に対しては残念ながらランクを下げて融資方針を切り替え、引当を積み増しているはずだ。これができなければ今までの管理体制改善の努力は水の泡となってしまう。もしかしたら、この3月期辺りから、その節目を迎えるかもしれない。

 

おっと、今回は大震災の被災地で果敢にリスクを取って融資をしている金融機関の監査、ことに貸出金の評価、即ち貸倒引当金の話をしていたのに道を大きく逸れてしまったか。いやそうではない。ここがまさにツボなのだ。即ち、この中小企業金融円滑化法は、不良債権になるかならないかという非常にセンシティブが部分について、金融機関へ裁量を与えたのだ。卍固めが緩んだ。細則主義でなく原則主義に近づいた。言い換えれば、地震ではないが、リーマンショックが引き起こした100年に一度といわれる世界的な大災害に金融機関がリスクを取ってここまで果敢に融資をしてきたということになる。でも、能力を磨き、裁量も与えられたので、今のところは、貸倒引当金は増えていない。

 

ではリーマンショックではなく、東日本大震災のショックはどうなのか。基本的には同じだ。だから、僕は監査先がこの信用リスクの管理能力を高めてきたか、そして大震災のショックに対して実際にその能力を発揮しているか、そして債務者にモラルハザードが起きていないかを、監査人として評価すればよいのではないか。

 

さすがに長くなったので、大雑把に監査方針が見えてきたところで一端切りたいと思う。次回は、果敢にリスクを取って地域経済にお金を回そうとする金融機関の監査をもう少し具体的に考えてみよう。

 

ところで、参考情報だが、気仙沼信用金庫に今月20日(本日)投入される予定の公的資金150億円は、ネットで見たところ信金中金が優先出資証券を買う(資本提供する)形をとるものの、最終的に返済を要する資金だ。自己資本比率の計算上は自己資本に含めるのだろうが、実際にはこの信金が借金をしてそれを地域経済に環流させることになる。そういう意味でもこの信金はリスクを負う。同金庫を含め、筑波銀行、仙台銀行、七十七銀行など9つの金融機関が、金融機能安定化法の震災特例の同種の制度を利用するようだ(「最近の金融行政を巡る動向-平成24年1月27日金融庁総務企画局企画課」P8~)。

2012年2月17日 (金曜日)

2/11放送のNHKスペシャル「東日本大震災「“魚の町”は守れるか~ある信用金庫の200日」の気仙沼信用金庫」

ビデオ録画してあったこの番組を見て感動した。地元とともにある金融機関の不退転の決意とはこういうものだと思った。

 

番組によれば、気仙沼市は地元企業の8割が被災し、被害額は2100億円で、年間生産額の半分に及ぶ規模だという。気仙沼信用金庫(以下、当金庫と記載する)は、ホームページを見ると陸前高田市や南三陸町など東日本大震災で甚大な被害を被った宮城県北部から岩手県にかけてを営業エリアとしていて(当金庫はこの範囲でしか営業できない)、当金庫自体も12本支店中7支店が被災してまだ閉鎖中だ。

 

仕事がなければ地域は再建できない。このエリアの雇用は水産加工業などの中小企業が担っていた。中小企業の経営者が踏ん張って事業再開を決意しても、お金がなければ何もできない。しかし、被災企業への融資は二重ローン問題や休業中に失った得意先があるなど事業が毀損しておりリスクが高い。国や県の補助金は建物や設備などが用途だし、入金するのは建物や設備を取得した後だから、当座の資金には使えない。そして金融機関が逡巡していれば、人はいなくなり、地域経済は疲弊する。

 

当金庫は、融資をするリスクと、融資をしないで地域が疲弊して当金庫の事業基盤が毀損するリスクの両方を見ながら、地域と運命を共にする決意をしたと思う。当金庫の2011/32011/9のディスクロージャー資料を見ると、バーゼルⅡの自己資本比率はそれぞれ9.86%8.47%だが、千年に1度の大震災の真っただ中にバーゼルⅡの統計的手法はあまり意味はない。むしろ会計上の自己資本比率で感覚をつかんだ方が良い。2011/3期で総資産1000億に対して利益剰余金は30億しかなく会計上の自己資本比率は3%台だ。信用金庫なので普通なら健全だが、いま、このエリアではどうだろうか。2011/9で429億円の貸出金のうち58億がすでに不良債権とされているが、余裕は残り30億しかなく、貸出金の1割に満たない。1割が毀損する前にこの大災害から地域が復興できるだろうか。開示はされていないが貸出条件変更の相談を受けた件数や融資額を考えるときっと難しいと思っただろう。だからこの信用金庫は本気なのだ。

 

番組では、日本政策金融公庫の融資審査に時間がかかったり、銀行から妨害されたり、逆に銀行から肩代わり融資を押し付けられそうになったり、国や県の補助金の入金までの融資先企業の資金繰りの厳しさなど、様々な障害に当金庫の融資担当者が遭遇し、融資先とともに対処していく姿が映されていく。その中で、ある水産加工会社のメイン銀行の姿は、この番組を見た人から顰蹙を買ったに違いない。このメイン銀行も震災に苦労をしているのだろうが、当金庫の肝の座った対応に比べると小賢しいとさえ思えない。長くなるが少し内容を記載しよう。

 

今まで取引のない水産加工会社から4.4億円ほどの融資の申し込みがあって、当金庫は前向きに検討した。この会社は、当金庫に申し込む前に創業以来のメイン銀行にも頼んだが取り合ってもらえなかったのだ。この会社にはすでにそのメイン行から3億円を借りており、いわゆる二重ローンの問題もあった。しかし、当金庫が4.4億円のうち日本政策金融公庫の制度で2.8億円を借りられる目途付け、残り1.6億円も半分は信用保証協会の保証を付けられるようにすると、メイン行は急に、日本政策金融公庫が使えるなら1.6億円はウチに出させろ、そうでなければ既存の3億円をすぐ返済しろ、とこの水産加工会社に迫った。

水産加工会社の社長は、メイン行の要求に応じれば早く融資が受けられると思う一方で、一連のやり取りから、メイン行でなく当金庫と付き合っていきたいと感じていた。しかし、メイン行が態度を変えない限り3億円の借入を当金庫に肩代わり融資してもらう必要がある。しかし、当初からそこまではできないと当金庫に言われていた。だから八方ふさがりだったが、思い切って、メイン行にこの融資は当金庫から受けたいと申し入れに出向いた。その結果を社長と専務が当金庫へ報告に来たが、それなら3億円をすぐ返済しなさい、それには信金から3億追加融資が必要だが信金がそこまでできますか、できないでしょう、だからウチから今回の融資を受けなさい、という話であった。メイン行はまったく態度が変わらなかったのだ。

その報告を聞いたあと、当金庫の融資責任者である芳賀理事は社長に確認した。御社としてはどうなんですか。当金庫からの融資でいいんですかと。社長は、当金庫へ融資をお願いしたいと答えた。すると芳賀さんは今までダメだと言っていた追加の3億円の融資も(検討)すると伝えた。実はこのシナリオを想定して事前に理事長に話を通してあったのだ。正式の審査会議の承認はその2日後であったが。

このとき、横にいた専務は俯いて泣いていた。社長と芳賀さんはしっかりと手を握って事業の成功を誓い合っていた。

 

水産加工業が立ち上がると漁業が元気になり、それが造船業にも伝わりと、水産加工業は意外と波及効果が高いのだそうだ。そういうこともこの判断の裏にはあったようだ。地域経済全体を見据えた融資だったわけだ。インタビューでこの芳賀さんが言われていたのは、当金庫も非常に苦しい状況だが、それは地域の企業のみなさんもみな同じ状況だ。それを一緒に苦しみながら乗り越えていきたいということだった。なお、当金庫には150億円の公的資金が信金中央金庫からの出資という形で入ることが決まっている。

 

僕は金融機関は客観的な目を持って、一歩離れたところから融資先を冷静に見ることが必要だと思うので、どこまで個々の融資先に寄り添っていくかは難しい判断を必要とするところだと思うが、当金庫の地域経済との一体感については本当に素晴らしいと思った。

 

そしてもう一つ思った。偉いのは誰か。それは覚悟を持って使命を果たす人々だ。

2012年2月14日 (火曜日)

【予測危機2】9.11の予兆

ご存じのとおり、イスラム狂信派のテロリスト20名近くが米国内の空港から4機の航空機を乗っ取り、ワールド・トレード・センターへ2機、国防省へ1機、墜落が1機。以下に事前の予兆であるテロの動機の察知と、空港警備に対する警告の状況を抜き出す。みなさんがこの国のリーダーだとしたら、この状況で9.11を迎えたとしたら、9.11のような事件を防止するための対策を取っていたと考えるだろうか、それとも(実際の米国と同様に)手控えていただろうか。

 

<テロ動機の察知>

  • 米国は1990年代を通してイスラム狂信派が憎悪を募らせていることを知っていた。
  • 米国はイスラム狂信派が自らの主義のために殉教者となることを知っていた。
  • イスラム狂信派による1993年ワールドトレードセンター爆破事件発生。
  • イスラム狂信派が1994年エールフランス機をハイジャックしエッフェル塔に突入しようとした(未遂)。
  • 米国は1995年にイスラム狂信派が太平洋上で米国の民間航空機11機を同時にハイジャックする計画を把握。
  • 米国は1995年にイスラム狂信派が軽飛行機に爆薬を満載してCIA本部に突入させる計画を把握。

 

<米国の空港警備システムへの警告>

  • 米国会計検査院(GAO)から毎年いくつもの指摘を受けていた。例えば…
              ・
    FAA(連邦航空局)は搭乗前の乗客検査の実施基準を設けるべきだ(1987年)
    ・新しい警備技術開発は期待とはほど遠い(
    1994年)
    ・航空警備 取組むべき緊急課題(
    1996年)
    ・航空警備システムに依然として存在する脆弱性(
    2000年)
       -米国を標的としたテロ攻撃の趨勢は、最大級の破壊と恐怖、メディア・インパクトを狙い、大規模な事件をうかがう方向にある。
  • 19967月、持主不明の手荷物の爆発でTWA800便が爆発し239名の命を奪っていた。9月には手荷物照合を行う提案が当時副大統領のゴア氏を責任者とする大統領府委員会で準備された(が、翌年2月の最終報告では骨抜きにされていた)。
  • 大学のテロリズムの専門家が2つのシナリオを当局(FAA)へ提示(1998年)。
    ①テロリストが東海岸の原子力発電所に飛行機を突入させる。
    ②テロリストが貨物機を乗っ取り、世界貿易センター、国防省、ホワイトハウス、国会議事堂、シアーズ・タワー、ゴールデン・ゲート・ブリッジに突入する。
  • 航空機の操縦室のドアが貧弱。1998年以来少なくとも40名の酔っ払いや迷惑客が操縦室に入り込もうとし、6人が成功した。特に19996月には8インチの包丁でパイロットを殺傷(ANA)。
  • 米国の空港での武器発見効率が依然として欧州の半分(20013月の米国会計検査院の国会報告)。原因の一つは検査員の離職率の高さ(200%の空港もあった。空港内のファーストフード店より賃金が安いことも多かった。欧州は政府や関連機関の職員であることが多いが米国は外注)。

 

これ以外にもあとから出てきた非常に有力な情報もあるが、当時この国のリーダー達は少なくとも上記は知っていたということだ。みなさんが「僕なら当然対策をしていた」と思われるのであれば、もうこのシリーズは必要がない。「僕はこれでも二の足を踏んでいただろう」と思われる方は一緒に次へ進みましょう。

僕が思うのは、問題が大きければ大きいほど利害関係が絡み、既得権者の抵抗は強く、リーダーの決意は鈍るのではないかということだ。「もし起こらなかったら」の一言がリーダーの足を竦ませる。事件が起こる前ならば、本当に起こるのかという疑問がなかなか頭から抜けないのではないだろうか。そのとき、何が助けになるだろう。確率論か? 既得権者を見分けたり、反対者を説得する術か? 既得権者をも巻き込んで全体での対応行動に結び付けられる方法か?

 

このブログではこの全てには言及しないので関心のある方は原著「予測できた危機をなぜ防げなかったのか」を是非お読みください。僕は、まずリーダーである方もそうでない方も、客観的にひとりひとりが判断できることが大事だと思うので、そこに焦点を当てていきたい。

2012年2月10日 (金曜日)

【予測危機1】赤信号が見えてる?

誰でも「危機が来るなら避けて通る」と思うだろう。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」は古いが、危ないと分かっているなら「みんなで渡る」のではないまともな対策をとるだろう。タイトル「予測できた危機をなぜ防げなかったのか?」から、みなさんはこの本の内容をどのように想像されるだろうか。「分かっていても避けて通れない危機がある。でもそれを避けて通る本」か。それとも「分かっているのに何も対策しない怠慢を叱る本」か。前者だろう。前者なら価値があるが、後者だったら読みたくない。

 

この本の著者は、やはり前者のつもりで書いている。いや、もう少し突っ込んで書くと「予測できる危機は回避できるはずだが、実際には大損害を生じているものが多い。その原因を解明して役立てよう。」となる。すると先程の例でいう「赤信号、青になるまで待ちなさい」という本か。ところが、そうはなっていないというのが僕の解釈だ。

 

現時点での感想は、筆者は前者のつもり、前者を前提に話を進めているが、実は「赤信号が赤信号に見えない目の曇り」を問題にしているのではないか、と思うのだ。信号があったが赤信号だと思わなかったので道を渡って事故にあった。そんな経験ありませんか? なぜですか? 実は後ろから押されて道に出てしまった、木が邪魔で見るのを諦めた、本当は見ようとしてなかった、或いは、赤が見えたけどまだ行けると思った、など。さすがにここまで来ると、後者の叱る本になりそうだ。しかし、叱るわけではないが確かにそういう要素もなきにしもあらず。

 

この本は色々な危機を取り扱っているが、なかでも9.11同時多発テロと、エンロンの粉飾が双璧だ。みなさんはこの2つの事件が予見できており、本当は未然に防げた事件だと思えるだろうか。確かにアメリカではその予兆があった。いや予兆というにはあまりにもはっきりとした警告があったのだ。なぜそれで対策が取られなかったのか。実は見えていない。個人の危機認知能力の問題、組織の問題、損得の(政治的)問題がある。9.11やエンロンは国家レベルの問題だが、似たようなことは企業にもある。まず、リスクをリスクと思わなければ、リスク管理はできない。どうやったらリスクを認知できるか、という観点で、次回は9.11の予兆をみていこう。

2012年2月 8日 (水曜日)

有用な財務情報とは~「ゆっくり滑り」現象

前回(1/27)より大分間が空いてしまったが、今回はこのブログの本筋であるIFRSの話題に戻ろうと思う。前々回(1/26、IFRSには継続性の原則に相当する言葉が見当たらず、日本でも継続性の原則がゆっくり滑りして内容が変化していると書き、前回(1/27)は日本の継続性の原則を復習し、最後にIFRSではむしろ積極的に変えろと言っているのではないかと書いて終わった。

 

そこでいよいよ日本での変化、「ゆっくり滑り」現象を記述していきたいと思う。

 

 会計方針が限定された
 耐用年数は会計上の見積もりと明確にされた。昭和
54年の監査第一委員会報告32号では「現在、耐用年数の変更と継続性原則のかかわりについての考え方は必ずしも定かでない。」とされていたが、今では明確に会計上の見積もりだ。そのほか会計方針は、収益認識基準のように会計基準のないものは別だが、概ね会計基準上で明示されている方法に限定されてきたイメージだ。

 選択適用できる会計方針が減った
 後入先出法禁止、持分プーリング法廃止、棚卸資産の収益性の低下による低価法・時価のある有価証券に対する時価法の強制適用等がある。そして最近の会計基準は複数の会計処理から選択適用できる要素はあまりない。

 

いま振り返ってみるとこれらは会計ビックバンと言われた2000年ぐらいから漸進的に動いてきたものだと思われる。例えば②についての例に退職給付会計がある。退職給付会計基準が導入される前(2000/3期以前)は、会社によって自己都合による期末要支給額の40%を退職給与引当金として計上したり、保守的に100%を計上したり、場合によっては会社都合による要支給額をベースに計算していたが、いずれの方法も継続適用を条件に認められていた。それが退職給付会計基準によって退職給付債務の見積もり額を現在価値に割引いて、そこから年金資産の時価を差引いて退職給付引当金を計算する方法へ一本化された。監査意見も昔は継続性の原則に関する特別な限定意見があった(正当な理由による会計方針の変更であっても除外事項としていた。2003/3期から廃止。)。

 

会計基準等に明文化されて変わったものもあるが、間接的に雰囲気で運用が変わってきたものもある。1990年代までは、あらゆるところに継続性の原則を効かせていたように思うし、今は会計方針の範囲も①にあるように限定的に理解されるようになってきた。

 

そしてこれらの動きのとどめが企業会計基準第24号「会計上の変更及び誤謬の訂正に関する会計基準」「会計上の変更及び誤謬の訂正に関する会計基準」だ。

 

会計方針の変更は遡及調整だが、見積もりの変更は将来に向けて行う。従来は見積もりの変更も比較可能性に関する追加情報とするなど会計方針の変更とほぼ同様の取扱いだったが、これで完全に一線を画した。
また会計方針と区別が難しいものは見積もりの変更として扱うこととされたので、会計方針の範囲が狭まった。減価償却方法は、会計方針だが、その変更は区別が難しいものとして会計上の見積もりと同様に扱われる(IFRSでは減価償却方法は会計上の見積もり。日本がこのようにしたのは会計方針なら継続性の原則を効かせられるからと推察されるが果たして・・・。)。

 

根底で何が起こっているかを理解することが重要だ。地震のゆっくり滑りは、ゆっくり滑ることで地盤のひずみを解消し、周期的な地震が発生しなかったり、発生が遅らされるという説があったが、東日本大震災ではむしろ大地震を誘発したとの見方があるようだ。継続性の原則のゆっくり滑りの行きつく先はどこだろうか。もちろんIFRSだ。IFRSは経済環境の変化に応じて積極的に処理を変更しろと言っている(見積もりは当然、会計方針も)、というのが僕の今の印象だが、それを確認するために、根底にあるもの、即ち財務情報の質的特性の「忠実な表現」をさらに検討していきたい。

2012年2月 6日 (月曜日)

【予測危機】シリーズ開始

前回記載した通り「予測できた危機をなぜ防げなかったのか?」(マックス・H・ベイザーマン、マイケル・D・ワトキンス著、東洋経済新報社)を読んでいるが、ようやく1回目を終えて2回目に入った。リスク管理面で企業にとって、そして国家にとって重要なテーマを扱っている。とりあえずこの段階の報告をさせていただきたい。

 

この本のテーマは国家、組織の危機を回避したり、重大な問題を解決するためのリーダーシップ論だ。その特徴は以下の通り。

 

  • 過去の危機を分析すると予め予測できていたものが多いと考えている。
  • 危機が分かっても対応(回避・解決)できなかったのは人間の特質、組織的要因、政治的要因がある。
  • これらを理解して危機を識別し具体的な対応行動に結びつける方法をリーダーに示し、リーダーに勇気を持つことを求めている。

 

こういう内容が、前回記載したような問題、その他日本でもよく報道されているような色々な具体的な問題を例にして論証されている。

 

リーダーシップ論なのだが、リーダーに情報を提供するのは内部統制だ。リーダーに伝える価値があるかないかの判断の精度を上げるにはどうしたらよいか、提起された問題が対応すべき重要な問題かどうかの判断をそれぞれの部署はどのように行うべきか、リーダーが持つべきとされる勇気と同じような勇気が組織の構成員にも必要ではないか、など、事業計画を策定する前の段階で非常に重要となる、内部統制の基準などには書いてない、色々な参考になる指針が提供されている。具体的な感想というか、企業のリスク管理に通じそうなところを今後【予測危機】シリーズとして「番外編」カテゴリに記載していきたい。

 

2012年2月 5日 (日曜日)

原発反対!

1/23NHKのクローズアップ現代「原発賠償 遠い生活再建」、そして被災者と東京電力の和解案(第三者機関の紛争解決センターによるもの)を東京電力が拒否したという週末のニュースを見て感じたことを記載したい。原発事故関係に限らず東日本大震災の被災者への対応は遅れるばかりだが、事故からもう10か月以上経過した今でも被災者は先が見えない状況に置き去りにされている。

 

僕は、3.11以降も必ずしも原子力発電所の即時廃止論者ではなかった。ご存じのとおり、原子力発電は放射性廃棄物の処理を含めて技術的に未解決な問題が非常に大きいので、危険が大き過ぎるとして即時廃止を主張する人たちが多い。しかし、だからといって原子力の利用をしてはいけないとは思っていなかったのだ。

 

それにはリスクを理解して、国や、公益企業を標榜する東京電力が適切に対応してくれるという信頼感があったのだと思う。福島第一原発の事故は政府や東京電力が言う「想定外」の事故だったかもしれないが、起こってしまったものは現実だ。「想定外」だったから対処できなかったというのは一応の理屈だが、被災者の救済という現実の問題に対処しないのは怠慢だ。

 

さて、みなさん。やる気になればできるはずの現実の問題にも対処できない人々に、非常にリスクの高い原子力への挑戦を許してよいだろうか。原発運用体制とか技術開発体制と、被災者支援体制は違うと思われる方もいらっしゃるだろうが、国の機関や経営陣は同じ人たちだ。同じ人たちがどこまでやるかを判断するのだ。被災者への対応はズサンでも、原子力発電所では自己に厳しく安全で信頼感のある運用が行われ、放射性廃棄物は1万年先をも見据えた管理体制がいずれ構築されるなどと想像できるだろうか。これは有権者が選択すべき問題だ。

 

休止している原発を再稼働したいと考えている人たちは、まず福島の被災者のことを考えるべきだと思う。自宅から避難して不安で不自由な生活をしている原発被災者への補償が自動車事故と同じレベルで良いと考えている人々の想像力など信頼できない。それで「想定外」などと言われても許せるわけがない。ちょっと想像力があれば、浜岡原発が東海大地震に被災して、西風に乗った放射能が首都圏まで飛散する姿を想像してしまう。そのとき我々は国や電力会社からどのような扱いを受けるのだろうか。それも想像できる。

 

クローズアップ現代によれば、賠償金の総額は5年間で6兆円と試算されるそうだ。もちろん6年目以降も賠償は続くだろう。昨年7/6の記事にも記載した通り、これは全額東京電力の負債だ。一部(特別事業計画に記載された賠償額の見積もり約1兆円のうち、原子力損害賠償支援機構からの補償金受入見込額1,200億円を控除した8,909億円)はすでに第2四半期より引当金に計上されている。しかし東京電力に想像力があれば、それでは特別事業計画に記載された「親身・親切な賠償のための5つのお約束」が果たせないことはもう分かったのではないだろうか。

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