« 2012年7月 | トップページ | 2012年9月 »

2012年8月

2012年8月28日 (火曜日)

【OxRep】第四節(2/3): オックスフォード・レポートの価値や如何に!?

2012/08/28

甲子園は、大阪桐蔭が春夏連覇を果たした(先週の話題ですみません)。前回触れた光星学院は昨年の夏から3大会連続決勝まで進んだが、春の雪辱を果たすことはできず、大阪桐蔭の連覇を許してしまった。光星学院の金沢投手は準決勝を休んで満を持して決勝に挑んだが、今度は逆に3点取られて敗戦投手となった。大阪桐蔭の春夏連覇も、桐光学園の松井投手の三振ショーも素晴らしい偉業だが、その輝きの強さの陰に深い闇ができてしまったようだ。金沢投手の活躍はそこに紛れ込んでしまい、マスコミには取上げられない。厳しいものだ。

 

さて、昨年6月まではIFRSに大阪桐蔭や松井投手的な光が当てられていたのだが、このレポートでは諸悪の根源にされている。IASBの主張する「透明性」や「比較可能性」の向上、「国際統一基準」のメリットも次々と否定されている。今回取り上げる「6. 関連法規や制度の視点からの懸念」や「7. 総合的な主観定量データとその解釈」でも同様だ。ところで前回「(2)保険業」は省略すると書いたが、折角ここまで書いてきたので、少し触れてから6や7へ進もうと思う。

 

 

(2)保険業

まずは、予備知識から。保険業においては、銀行業でいうところの自己資本比率規制(BIS規制の柱)が、ソルベンシーマージン比率と呼ばれる保険金の支払い余力を評価する規制として行われている。銀行の自己資本比率規制は、企業の決算数値を前提としておらず、会計上の貸倒引当金等を取消して、資産額についても改めてBIS規制用のリスク資産額や純資産額を計算し、独自の自己資本比率を算出する。その結果、BIS規制の自己資本比率(国際統一基準として有報に開示されている)と会計上の自己資本比率の間には大きな差が現われる。

 

次にこのレポートの主張だが、それ(銀行規制)に対して、保険業のソルベンシーマージン比率はIFRSによる会計数値を前提として計算される。銀行のような穏やかな関連でもけしからん、ということだったので、保険業ではさらにけしからんということになっている。投資家のための数値が、保険契約者保護に役立つのか、とか、保険は国によって制度内容が多様だからIFRSのような国際基準を利用して一律に規制してよいのか、という批判、そして負債の測定についてはIFRSは保守主義的でないと批判している。

 

このレポートでは、こういう問題についてもIFRSが悪いことになっているが、基本的には規制者(保険監督者国際機構(Internatinoal Association of Insurance Supervisors: IAIS や、各国の規制当局)の問題だと僕は思う。IFRSでは目的に合わないというなら、規制当局が銀行規制のように独自の計算をさせればよい(恐らく、計算を強制される保険会社側の負担は大きそうだが、このレポートはそういうことはは一顧だにしない。P104では注意すると書いてあるのに・・・)。IASBも規制者側の問題と考えているらしいが、このレポートは、理由を示さずそれをIASBの詭弁、強弁と述べている(P133脚注)。

 

仮にこのレポートに記載されている問題をIFRSで解決しようとすると、各国別、保険制度別の会計基準を開発せねばならず、投資家用の負債測定ではなく保険契約者用の負債測定の規程を設けなければならない。そんな国際基準を作られては一般の利用者(作成者・読者)には迷惑だし、そもそも実現可能だろうか? また、国際的な比較可能性など全く考慮されないことになる。規制者が問題解決した方がはるかに合理的だし、実現可能性がありそうだ。このレポートはこのようにしばしば、問題の解決の道筋を無視した批判がなされる。その行きつく先は、IFRSのような国際統一基準は不要で、各国にある会計基準が各国の現状に合っているのだから、それを使い続ければよい(現状固定)という話になる。保険会社には国際的な投資は不要ということか。

 

ざっと書くつもりが思わず長くなってしまったが、下記6ではさらに具体的に公正価値会計と原則主義が批判の対象となっている。

 

 

「6. 関連法規や制度の視点からの懸念」

ここでのテーマは、『「確定決算と税」、「金融商品取引法と会社法」、「内部統制」など、関連制度の角度から分析』だ。それぞれについて記載する。

 

「確定決算と税」

この角度からは、IFRSやIASBを批判するポイントが2点あるようだ。

 

  • ・・・第一節でもふれたように、日本の伝統的な確定決算主義に基づく会計制度はビルト・イン・スタビライザーとしての機能も持つ「世界で最もすぐれた整合的なシステム」である可能性がある。
  • ・・・会計と税の関係という国家の管理の根幹・国家戦略にかかわる事項の検討が後手に回っていることである。

 

1点目は既に(8/11の記事で)触れたように、第二次世界大戦に負け、焼け野原になった日本を再建しようという頃から随分経済環境は変わったのに、その当時良いものだったのだから、この制度は変えるなという。

2点目は、財務省での検討が始まったのが2010年後半で、検討時間が短すぎるということらしいが、税務当局はもう随分前から引当金を廃止するなど、会計基準変化への対応を行ってきた。税務当局は国際化による会計基準の変化をもうとっくの昔から認識している。その対応が遅れている、対応のスピードが遅いという話なのだから、IFRSやIASBを批判するのではなく財務省や国税庁の対応を批判してはどうか。

 

 

「金融商品取引法と会社法」

この角度では、以下の点で「・・・会社法上の会計機能の低下が危惧されている。」との批判を行っている。

 

  • 時価会計導入後、未実現利益を原資とした配当が増加している可能性が観察されている。
  • 原則主義と「合理的な見積り」を多く含む公正価値会計の下で、違法か否かの判断が難しくなり、配当規制など企業の法務リスクが増大する。

 

即ち、時価会計と原則主義の弊害の指摘をしている。もちろん、時価会計や原則主義の良い点は一切記載されていない。

 

ここで大王製紙の決算訂正の事例を「公正価値会計に含まれる見積もりや予測の脆弱性を示す典型的な事例と解釈することができるかもしれない」と持ち出している。しかし、この事例(繰延税金資産の計上額、固定資産売却取引、非上場株式の減損損失、関係会社に対する貸付等の引当金、子会社株式の減損損失)は、「見積もりの甘い判断」を訂正したのであって、公正価値会計とは無関係だ。脆弱性を指摘するのであれば、取得原価主義会計で、かつ、細則主義の項目でも、作成者や監査人がしっかりしなければ間違いが起こる事例と考えるべきだ。要するにこの問題は、会計上の主義や基準の設定の仕方とは関係なく起こってしまったものだ。会計基準の問題ではなく経営姿勢と監査人の問題だ。

 

これらは“見積り”が必要ではあるが、公正価値を計算させる会計基準とは関係ない取得原価主義会計の項目だし、見積り方についても日本基準の方がIFRSよりずっと細かい規定が設けられている(例えば非上場株式の減損の純資産の50%基準とか、税効果会計の会社のランク付け等々)。バブル時代の多額の含み損を反省して取得原価主義の下に導入され、既に10年以上も運用され日本基準として定着した項目ばかりだ。それをこのレポートはなぜ“公正価値会計”と関連付けるのだろう・・・。

 

僕は、1度目に読んだときは流してしまったが、改めてここを読んで、このレポートの価値を疑うようになった。

 

今や“見積り”は取得原価主義会計の下でも必要不可欠な要素となっている。確かに、公正価値会計の“見積り”は、未実現利益とかキャッシュフローの裏付けのない利益の計上となる可能性、即ち、保守主義とは逆の楽観性が過度となりえると批判されることがある。だが、同じ批判は取得原価主義の“見積り”には当たらない。基本的には将来キャッシュフローの流入が見込める上限と取得価額のどちらか低い方で資産計上しようというのが取得原価主義の下での“見積り”だから、未実現利益とかキャッシュフローの裏付けのない利益計上という批判は的外れだ。むしろ、この見積りは純粋な取得原価主義会計より保守的だ。だが、このレポートはその批判をしている。しかも、これらが公正価値会計と関連しているがごとくの表現で。

 

もし取得原価主義の“見積り”も否定するとなると、会計ビックバン以前の1990年代の会計基準に戻らなければならない。それは、現在と比べると、ほとんど税務会計と違いのなかった時代と言ってよい。本当にそこへ戻そうとしているのだろうか? 税務会計は、実質的に“保守主義”がない。そんなことを許しては税収が減ってしまう(負担能力に見合った公正な課税ができなくなると言った方が公式表現)。それはいくらなんでも無茶だろう・・・。それとも税務会計で許容される程度の保守主義で十分だというのか。いったい、会計をどこへ連れて行こうとしているのか・・・。

 

このレポートは、好意的に考えてもやっつけで作成されて、内容が作成責任者によってちゃんと推敲されていないか、或いはレポート作成者に日本の会計基準を評価する実力がないのではないか。そのいずれもでもないとすると、穿った見方かもしれないが、意図的に事実を捻じ曲げて伝えようとしているか。このレポートは、いままでのIFRS研究についてIFRSやIASBに対する知識と適用される各国の知識の両方を備えたものが少ないことを、P30で「重大な懸念を持っている」ことの理由の一つとして挙げているのだが、このレポートも同じかそれ以下ではないか。日本基準の上記項目がなぜ公正価値会計なのか? それとも意図的にこのような間違いを犯しているのではないか、読者を誤解させるために。

 

未実現利益の配当にしても、法が許容していることが問題なのであって、会計基準の話ではない。それより資本剰余金から配当できるようになってしまったことの方が資本の健全性、企業のゴーイング・コンサーンの観点からより深刻な問題ではないか。しかし、それは会計基準の問題ではなく会社法が資本の健全性をどう考えるかの問題なので、会計の側からどうこう言っても仕方がない。会計は適法に行われた事象を実態通りに会計処理するしかない。未実現利益の配当もそういう問題だ。(しかし、資本の払戻しを配当と同じ「分配」と呼ぶなんて・・・。) また、未実現利益の配当に危惧を抱くのであれば、上記の「時価主義導入」前の取得原価主義で配当可能利益を計算すると含み損が損失計上されないので、含み損を原資とする配当がなされることとなるが、それは問題としないのか? それは、あまりにもバランスを欠く分析ではないか。

 

原則主義が法務リスクを増大させるという批判にしても、この大王製紙の例は数値基準のある項目でさえも、経営者の甘い判断が法務リスクとなることを示している事例なので的外れだ。しかし、このことには一切触れていない。問題の本質は“甘い判断”をすることなのに。将来事象に過度に楽観的な期待を持つことが問題なのだ。これは単に会計処理の問題ではなく、環境変化への対応行動を遅らせるような企業経営の姿勢にも繋がる、経営者のスタンス、企業統治の問題であり、会計問題よりもっと根本的なレベルでゴーイング・コンサーンを揺るがす大問題だ。だがそれを公正価値会計や見積りという会計基準の問題にすり替えようとしている。

 

今までも、IFRSやIASBへの批判点を取上げることばかりに集中していて、公平な議論が行われていないという趣旨のことを何度も書いたが、研究者のスタンスに関することについては多少のバイアスはある程度許容されるものと考えていた。それを読み手が注意すればよいと。しかし、この大王製紙の事例は、そのようなピックアップの問題ではなく、取得原価主義か公正価値会計かという分かりやすいところでの完全な間違いか、そうでなければ意図的な事例のねつ造解釈だ。これは単に研究上のスタンスの問題ではなく、学者としての倫理観の問題だと思う。

 

そういえば、P71の脚注にあるオリンパス問題を公正価値会計への批判として利用しているところも極めて独創的、創造的な解釈をしている。『実際に日本でもエンロンと同様の事件が起こっている。・・・当該事件では、時価会計ないしは公正価値会計のもとでの「契約」をベースにした形式上の資産が損失分離、損失解消のための手段として活用されたと解釈できる。』とされている。恐らく「損失分離」とされているのは、2000/3期の時価会計早期適用の直前に行われた海外ファンドへの不良資産の売却(飛ばし)を言い、「損失解消」といっているのはその簿外ファンドを解消するための「のれん」の計上と償却を言っているものと思われる。

 

このP71の本文では、エンロン・スキャンダルで、市場価格とか契約書上の取引価格から公正価値を導き出す金融工学を使った創造的会計の問題点を指摘しているのだが、もちろん、オリンパス問題には金融工学は出てこない。したがって、エンロンとオリンパスの関連性はあまりないはずなのだが、それを「同様」と表現し、なぜ「同様」なのかについての説明なしに上記の脚注をつけている。だが、むしろ日本では、時価会計で多額の含み損が明らかになることを恐れたオリンパス経営陣が飛ばしを行ったと理解されているし、オリンパス経営陣はのれんを本当は減損ではなく(日本基準に従って)償却しようとしていた。国内子会社3社ののれんが減損されたのは監査人の指摘があったからだ。これも公正価値会計とは関係ないのに公正価値会計への批判へ捻じ曲げて繋げている。

 

もっといえば、もしオリンパスがIFRSを採用していれば、あの海外子会社ののれんに追加計上された多額の優先株はそもそも優先株(資本性金融商品)ではなくその海外子会社の負債であり、負債を取得したのであればのれんにもならなかっただろう(のれんではなく、多分、損失ではないかと思う。正確には分からないが)。そういうことには一切触れていない。それを指摘した海外子会社の監査人は解任され、国内子会社の減損を指摘した親会社の監査人も解任されたのは、みなさんもご存じのとおりだ。

 

そう思ってみると、他の記載についても単なるピックアップ問題によるバイアスではない事実や解釈のねつ造があるかもしれないと思えてくる。例えば多くの証言も、インタビュー時の全体の文脈を無視して、切り取った言葉を拾ってつなげて、ありもしない事実を作り上げているのではないか。まるで売りたいだけの安っぽい雑誌の記事か芸能ニュースのように。そのインタビューも、インタビューアーが欲しい一言を引出すために、誘導尋問まがいのことがなされていたのではないか。そしてそれをコミュニケーションと称しているのではないか。これでは、いくら面白くても価値がない。また、検証したくてもインタビューの詳細が分からないので読み手には不可能だ。

 

UNIAS手法は主にインタビューによって入手した情報を分析するので、情報の入手と分析の両面で主観的になりやすい。したがって研究スタンスとしては、他の手法にも増して、研究者としての誠実性や、事実を探求すること(或いは「批判がしっかりした根拠に基づいていることへの探求」と言い換えてもよい)への真摯な態度が求められると思う。それでこそ、定量的な手法による研究より価値ある情報が期待できる。そこに「オックスフォード・レポート」という冠が持つ信頼感が意味を持ってくる。しかし、そこが毀損している証拠がこんなに分かりやすく提示されている。UNIAS手法に魅力は感じるが、それの使い手に問題があるのではないか。このレポートが、まるで独立性のない監査人の「監査報告書」のように思えてくる。こんな監査報告書に価値はあるのか?(と金融庁に訊きたい。)

 

 

しかし、冷静になって考えてみると、このレポートで漸く「製造業にIFRSが合わない」とか、「IFRSとゴーイング・コンサーン経営は合わない」といった批判の内容を理解することができた。このレポートはこういう批判の元になっている誤解をインタビューやコミュニケーションによって解いてあげてないし、その批判が的を得たものであるように扱っている点は合点がいかないのだが、昨年からの大きな疑問が解けたという成果を、僕が得られたのは事実だ。(まさか、このUNIASプロジェクトがこのような誤解を作り上げたのか? いや、そこまでは考えないが・・・。)

 

さて、今回も非常に長文になってしまい、このブログの読者の方々には申し訳ない。実は、これ以上このレポートを読む価値がないのではないか、もう続きを読むのを止めようかと思ったのだが、上記のような成果を得られたのと、目次にある次の第五節「会計基準設定の政治学」は、興味をそそるタイトルだし、やはり読み続けようと思う。今回は、本当は「7. 総合的な主観定量データとその解釈」についてまで書こうと思ったのだが、「内部統制」と「7. 総合的な主観定量データとその解釈」は次回に繰越すことにしたい。だが最後に1点だけ付け加えさせて欲しい。

 

このレポートは政策判断の場に提供された。金融庁は、UNIASプロジェクトについて、どのようなスタンスで研究を行っているかを確認したうえで、このレポートを依頼したとされている(P25)。そのスタンスについては事前に分かっていたとしても、このような論拠の危ういものになる可能性までは分からなかったかもしれない。そもそも、このようなスタンスのレポートを期待したことについての政治的な意味を感じざるえないが、それでも受領したことまではやむを得ないと思う。だが、このレポートを無批判に利用することは、オリンパスの2009年第三者委員会のレポートを当時の監査役会が無批判に受入れたのと同じことになる。昨年末のオリンパスの第三者委員会がそれを批判にしたのはまだ記憶に新しい。その轍を踏むことのないように、このレポートの価値を政策立案者の責任でしっかり検証して、利用の仕方を決めて欲しいと願っている。 ・・・あれっ、もう遅いか!?

2012年8月23日 (木曜日)

【OxRep】第四節(1/2): 投資家以外のステークホールダーへの影響~これは面白い!

2012/08/23

一昨日は桐光学園松井投手の三振ショーを見たくて、高校野球をテレビ観戦した。素晴らしいピッチングで15個の三振を見せてくれた。しかし、対戦相手の光星学院の金沢投手が好投して桐光学園を完封し、8回に3点を献上した松井投手はこの夏の甲子園を去ることになった。ところで僕は光星学院の金沢投手の名前が思い出せず、ネットでニュースを検索したのだが、ほとんどの記事が素晴らしい三振記録を作った松井投手のことばかりを書いており、金沢投手の名前がなかなか見つからなかったのに驚いた。金沢投手も完封・完投の大活躍だったのだが、相手が悪すぎたようだ。

 

さて、前回は投資家への影響だったが、今回はそれ以外の利害関係者に対する影響について記載された第四節(P103P143)の前半部分について記載する。とても面白かった。1時間半ほどかかっただろうか、でも、一気に読んでしまった。もし、みなさんがどれか1節ぐらい読んでみようかと思われているなら、この第四節をお薦めする。といってもまだ第五節は読んでいないので、第五節を読んだらそれが一番面白いと宗旨替えするかもしれないが・・・。この第四節には主に企業経営に与える影響が記載されている。

 

まず、この節の結論であろうと思われる部分を引用し、そのあとで主な話題をピックアップしていき、今回はその都度、僕の感想を記載するという形で行きたい。

 

P141)

確かに、「のれん」や「開発費」の例をとれば、「費用を早期に認識する方が規律のある投資とリスク軽減に伴う長期投資が可能になる」という主張も説得力がある。しかし、他方で「国際的な競争が激化している環境で、日本だけがのれんを償却しなければいけないような制度では勝ち残ってゆけない」という主張もありうる。本来、「日本基準とIFRS の違いは十分比較可能な程度に縮小している」状況にあり、「投資家やアナリストがちゃんと分析し有意味な比較が可能な状態になっている」[Int. Inv. (Seniorfundmanager, Major investment firm)-A/B-Tokyo, Jan., 2012]ので問題はないはずである。しかし、新しいインベストメント・テクノロジーに支えられた「バイ・アンド・ホールドでない」投資家の勢力が拡大した現在および将来の証券市場では、どちらの会計が日本の中期的な成長にとって有利であるのか予測がつかない。

・・・こうした経済や社会への影響について十分に理解が深まっていないまま、闇雲に「性急で強いフォームでの強制アドプション」を進めるのには大きなリスクを伴う。そうした観点から、現在のメリットを感じる企業がIFRS を採用し、感じない企業が国内基準を採用するという「任意適用」の状態は合理的といえるかもしれない。・・・。会社法や税法と深くかかわる単体財務諸表と連結財務諸表を切り離すことで、IASBが重視する投資家の視点からIFRS の導入をめぐるメリット、デメリットがより先鋭化していくのだとすれば、連単分離したうえで、日本における企業会計のグランドデザインを考えていくことが合理的であると推測する。

 

ここでは、比較的具体的にIFRSによる財務諸表数値の影響を検討し、いわゆるゴーイングコンサーン経営や製造業にIFRSが向かないといった主張の中味も、企業の証言として紹介している。印象に残ったのは保守主義と創造的会計に対する証言だ。また、銀行、信用金庫、保険会社など金融機関が持つ危惧も紹介している。加えて、税法や会社法など関連法制度に及ぶ影響についても言及したうえで、日本経済に対する影響の評価が定まっておらず、強制適用すべきでないと論じている。

 

 

さて、それでは主な話題をピックアップするが、今回はピックアップするにとどめ、これらは興味深い問題が含まれているので、今後個別に取り上げていきたい。

 

このレポートは、この節の冒頭に次のようなバイアスに陥ることのないよう自ら戒めるスタンスを持っていることを表明している。但し、どのように戒めたのかは読んでも分からなかった。

 

企業の側は多くの人的、資金的、時間的犠牲のもとに投資家のための会計を作成しなければならないという構造で認識されているため、仮にIFRS の導入により企業側にメリットがあるとしても、一般にIFRS 導入反対の意見が多くなるのは当然のことであるとの見解があり[Email. Inv.(Senior researcher, ex-analyst/investor, Top research firm)-B-Tokyo, Feb., 2012]、

UNIAS プロジェクトもこうしたバイアスに注意する必要があると考えた。

 

 

1.先行適用企業のケース・スタディー

ここでは、IASBのいう資本コストの低減という期待や効果は先行適用企業からも聞かれず、はむしろ、海外子会社の管理など経営管理的なメリットを感じているという証言が記載されている。そして、そういう経営管理的なメリットを積極的に取りに行く姿勢がないと、IFRSを導入してもメリットがないとも記載されている。この姿勢が必要な点について、僕は全く同感だ。

 

 

2.「のれん」の非償却というメリット

この見出しは「~というメリット」と書いてあるが、このレポートは、決してそれを好意的に捉えていない。むしろ、公正価値会計への批判として利用していて、保守主義などの本来あるべき好ましい経営マインドが薄れるのではないかという危機感を強調している。

 

僕は、IFRSに対して「保守主義がない」という根強いイメージがあり、これがIFRS批判になっていることを知った。本当にそうだろうか? これは後日のテーマになると思う。

 

なお、のれんを償却すべきか、非償却として減損のみにすべきかという議論については、「保守主義がない」という批判に比べると小さな問題であると僕は思っている。それは、どちらの会計処理を採用するにしても、将来に対する慎重なスタンスに欠けた経営姿勢では、良いことはないと思っているからだ。

 

 

3. 開発費の資産計上という懸念

これについても、のれんと全く同じ趣旨だと思う。(ただ、なぜかタイトルはメリットではなく「懸念」とされている。)

 

 

4.「ものづくり」立国に資する会計か

これについては、「原価計算や原価低減に関する機能不全、企業の長期的視点に立った経営の阻害、および企業の規律や内部統制機能の弱体化に関する懸念」ということのようだ。それを次の2つの視点から記載している。

 

(1)各勘定科目レベルでの懸念

ここでは、原価計算、上記ののれんと開発費の非償却の問題、退職給付会計が取上げられている。退職給付については、リサイクリング・ノンリサイクリング問題が関わっており、ノンリサイクリングになると数理計算上の差異等が原価計算の範囲から除かれてしまい、正しい製品原価の計算や原価管理が困難になるとされている。僕は本当にそうだろうか?と直感的に思っている。それはあまりに教条主義的な条文解釈なのではないかと。これも後日のテーマになると思う。

 

このほか、有形固定資産の再評価モデルについても記載されているが、これも多くの方々が懸念されるというのは、有形固定資産の公正価値評価がいずれ強制されるなどといった誤解があるからだと思う。このUNIASプロジェクトでは、インタビューでのコミュニケーションを重要な目標としていて、相手の気が付かないこと、不足している知識などをインタビューアーが補いながら相手の証言を得るようにしているのだが、この誤解については解いてあげなかったのだろうか。

 

これに関連して減損の戻入れ処理が事務手続きを複雑にし、原価計算等にも影響することが考えられると指摘している。手間がかかるのは事実だが、何故戻入という考え方があるのか解説しないのは公平でない。

 

そして、この(1)のセクションの最後に「以上のように表明された意見に関し、UNIASプロジェクトは全てに一定の真があるものと考える。」としたうえで、「IFRS の影響はそれぞれの企業が置かれるその時々の状況によってかなり異なり、個別勘定科目を判断の単位とした場合には、「IFRS が適用された場合の日本全体への影響」という形で評価することは非常に困難である。」と結論している。

 

(2)保守主義と持続的成長に関する懸念

ここでのテーマは、「もっと根本的なレベルでは、IASB が保守主義を排し、公正価値会計と貸借対照表アプローチによる包括利益を計算することで、特に投資家に資する会計を推進していることに対する懸念が表明されている。」とされていて、改めて保守主義を取り上げている。

 

即ち、このレポートも「IFRSには保守主義はない」という前提に基づき作成されているし、インタビューにおいて「そうでもないですよ。例えば減損会計で5年分しか将来キャッシュフローを見積もれないというのは保守主義の現われですよね・・・」などと教えてあげた雰囲気も感じられない。確かに概念フレームワークからは「保守主義」とか「慎重性」などといった質的特性はなくなったが、それでIFRSには保守主義はないと言い切るのは早計だと僕は思っている。また、「投資家としては公正価値を基礎とした情報がほしい、製造業としては(適切なレベルの)保守主義を内包する会計行為によって企業を管理したいという異なった要求の衝突である。」と記載している。しかし、これではIFRSだと多くの資産・負債が公正価値評価される印象となるが、このレポート自身で、「実際、IFRS 下での測定には取得原価が多く用いられている。」、「IFRS の測定は、概念フレームワークにより基本的には公正価値によると規定されていると誤解している」(いずれもP63)と書いてあったのはなんだったのか。これも教えてあげなかったのだろうか。そのほか、「IASB の推進する期末時点で解散した場合に企業の価値がいくらであるかというような印象を与えかねない会計」などとも書いてあるが、公正価値は「清算価値」とは明らかに考え方が違うことは、会計学者なら分かるはずだが、それも教えてあげなかったのだろうか。まあ、いちいち、ここに書いていると長くなるので、別の機会に譲りたい。

 

だが、「IFRSは資産・負債を公正価値評価する」というイメージを前提とした証言がこの(2)のセクションではずっと続いていく。そういう誤解のもとにIFRSはデフレ経済、少子高齢化の日本には合わないとか、IFRSだとリニア・モーターカーの開発はできないとか・・・などと証言が紹介されていく。そしてB/Sで損益計算をする考え方についても、なぜそのような考え方があるのかについて紹介されず、批判する証言だけが続いていく。

 

しかし、セグメント情報のセグメントの区切り方である「マネジメント・アプローチ」については、こんな証言も記載されている。

 

そもそも企業秘密を外に出すわけがないじゃないですか。最初に本当のセグメントの業績が分からないように再編されますよ。

 

この証言が誤解に基づくかどうかは別として、明け透けな証言であることは事実だ。公正価値会計に関連するもののように、誤解に基づく証言であったとしても、多くの企業がどのように感じているかを「生の声」として読むことができるのは大変に興味深かった。(たとえそれらが、一定の意図を持ってピックアップされ、並べられたものであったとしても。) これはこのレポートの魅力だし、こういう証言が取れることは、UNIASプロジェクトのインタビューアーの腕の良いところなのだと思う。

 

このあと、第三節の投資家のための会計での話題が繰返され、短期売買専門の投資家の増加に対抗する手段として保守主義を関連付けて、「これまでの政策に一定の修正を加えるとともに、長期的・持続可能な経済成長や斜陽経済管理(Management of DecliningEconomy)に資するような政策を検討することである。」と、(2)を締めくくっている。

 

ところで、この(2)のタイトルに含まれている「持続的成長」については、僕は上記で触れていないが、「保守主義」によってももたらされるものというイメージになっている。公正価値会計は取得原価主義会計と対立するもの、「保守主義」と公正価値会計は相容れないもの、よって取得原価主義会計は「保守主義」と相性が良いという印象であり、その結果、取得原価主義が持続的成長をもたらすイメージになると思う。一方で、市場性のある有価証券を公正価値評価すべきでないという主張をする人はいないだろう。それなら、公正価値会計を適用する対象範囲を問題にすればよいと思う。(1)の個別の勘定科目のところでは日本経済への影響の評価を避けているが、公正価値評価をしてしまうと「持続的成長」を阻害する勘定科目は何かについて、具体的に論ずるのが良かったのではないだろうか。

 

 

5. 特定産業に関する懸念‐金融業 / 保険業

印象としては、会計論というより金融業に対する産業政策、市場政策論的な話のように見受けられた。このレポートには「所詮は会計のこと」というような、会計などたいした問題ではないという姿勢があちこちに出てくるが、その割には影響が大きいということか。

 

(1)金融業

まずは、EUがIAS第39号の一部(公正価値オプション)をカーブ・アウト(適用除外)したり、IFRS第9号をまだ承認してないことを紹介している。そして例のリーマンショックの時に主にEU首脳(当時のサルコジ大統領など)のプレッシャーによってIAS第39号の金融資産の再分類についての改定が、通常の基準改正手続きを経ずに行われたことを紹介している。日本でも政治的なプレッシャーで時価会計の一部が凍結されたことを紹介している。これらは、会計基準へ政治的なプレッシャーをかけ、基準自体や運用に一定の影響を与えることを肯定するもので、それがさらにIFRSのフル・アドプションへの警告へと繋がっていく。例の「プロシクリカリティの問題」もここで紹介されている。加えて、「IFRS を背景に各国法制度によるコントロールを超えて影響力を持ち始めた会計士勢力に対して不満が高まっている。」として、欧州での監査制度改革にも触れている。

 

さて、僕はIFRSをアドプションするにしても、日本がカーブ・アウトする権利を放棄してもよいなどと思ってはいないし、IASBもカーブ・アウトする権利を各国が持っていることを否定していない。しかし、そのことと、政治が会計基準、即ち、“尺度”を歪めることを同じ問題だとは思っていない。カーブ・アウトするのは、会計基準が日本に相応しくない時に行われるもので、このレポートが肯定的に例示している日本の1990年代の金融機関の不良債権問題の時のような、利害関係者から実態を隠すような政治の介入(この例では当時の大蔵省が金融機関を身びいきしたという官僚の介入だと思う)は問題だと思っている。政治は実態に基づいた判断をすべきで、会計基準を歪めれば、間違ったものを実態だと思って間違った判断をすることにつながる。

 

また、欧州の監査制度改革は、会計士勢力が力を持ちすぎたから行われるのだろうか。それも初めて知った。僕はリーマン・ショックの時の監査が企業に甘かったから、監査制度改革が検討されていると思っていた。どうなのだろうか?

 

もう一つ、バーゼル委員会によるBIS規制(自己資本比率規制)の話が登場する。BIS規制とIFRSが似過ぎている、即ち、BIS規制がIFRSというかIASBに依存してきているというのだ。国際的な金融規制までがIFRSに影響されてよいのか、という問題提起をしている。

 

これは、お互い全く別々だったものが、信用リスク(貸付金等)の評価などの共通部分があるので、銀行等の負担(システム投資や事務負担)軽減のためになるべくを共通化してほしいという金融機関側の要望があって、バーゼル委員会とIASBが対応しているものだ。しかし、このことには全く触れていない。規制に対応する企業側のコストのことも触れるべきではないか。

その延長で、G20(主要20カ国の首脳会議)がIFRSを世界の統一会計基準にするようにと決議を採択していることについて、何故会計ごときがG20で扱われるのか、会計のことを理解しない政治家が裏方の事務方に動かされたものではないかと、その正当性に疑問を投げかけている。(これについて僕には論評する知識も能力がない。)

 

更に日本の信用金庫にIFRSが導入されるかもしれないということについて、信用金庫側の懸念も伝えている。その内容は「中央における定量・画一的で、表面上はアカウンタビリティが高く理由づけのしやすい、効率のいいモニタリングとコントロールの要求のために犠牲にされうる、地方金融機関の文化や、責任あるリスク・テイキング、不振企業の支援や、イノベーションのサポートといった機能の縮小に関する危惧である。」とされている。この場合の「中央」とは規制官庁のことだ。

 

多分、信用金庫側は、自己査定、内部統制の構築、リスク管理(BIS規制の国内版)といったこの15年ほどの規制強化のことも含めて証言したのだと思う。それをIFRSのみに対する懸念として扱っている。また、この規制によって信用金庫側が得たメリットについては例によって語られていない。語られたかもしれないがこのレポートには紹介されていない。ここばかりではないが、冒頭のバイアスに注意した形跡が見られない。

 

そしてこの(1)の結論としては次のようにまとめられている。

 

我々は金融規制とか国際会計基準を考察するときに、国際的なメガバンクなどを想定しがちである。・・・

しかし、日本を支える地方や中小の金融機関及びそのクライアントへの影響を注意深く検討することは日本の会計政策を検討する上で重要な手続きであろう。

 

是非、物事を一方向からだけしか見るようなことではなく、バランスのとれた政策をお願いしたいが、そもそもこれらは会計基準で解決を図る問題ではないと思う。地域金融機関の文化やリスク・テイキングは、融資先の実態を理解して各金融機関が腹を括るものであって、それを可能とするために金融庁や日銀が工夫すればよい。それを会計基準のせいにするのは、1990年代の大蔵省の身びいきと同じことになりかねない。

 

 

さて、このあと「(2)保険業」があり、さらに「6. 関連法規や制度の視点からの懸念」、「7. 総合的な主観定量データとその解釈」と続いていく。だが、もうこれを読まれているみなさんも食種気味ではないだろうか。保険業については特殊分野なので省かせてもらい、「6. 関連法規や制度の視点からの懸念」、「7. 総合的な主観定量データとその解釈」については、次回に繰越したい。

 

 

生々しい証言は面白いが、僕は完封した光星学院の金沢投手の話も少しは出して欲しかった。それともこのレポートの読み手(依頼主)は、桐光学園松井投手の三振ショーにしか興味がなかったのだろうか。

 

2012年8月20日 (月曜日)

【OxRep】第三節: 「投資家のための財務報告」の歴史、論理、影響~なるほど!でも・・・

この第三節のタイトルから察するに、いよいよIASBのレトリックに具体的に迫る箇所に辿り着いたようだ。ちょっとワクワクしてくる。今回はP51P102までが対象だ。

 

と書いた後に一挙にその範囲を読んでみた。前回までに何度も記載した通り、これはある立場(IASBのレトリックの裏を暴こうとする立場)からIFRSに光を当てたレポートなので、その点を理解しながら読まなければならない。例えば、時には誘導尋問的なインタビューもある。だが、インタビューのやり取りは面白く、確かにそういう回答もあるだろうなあ、なるほど、と思わせる箇所も多い。

 

ではまず、この範囲の最後に「小括」というセクションがあって、そこに3つの「IFRSの基本問題」が提起されているので、それから紹介する。下記は、その基本問題の内容を最も表していると僕が判断したところを、僕がタイトルをつけて転記したものだ(青字)。次にこの「小括」に至るプロセスの中の主な話題を要約し、最後に僕の感想を少し書いた。

 

 

P98:第一基本問題)原則主義の下の公正価値会計では透明性や比較可能性が損なわれる

 

いわゆる洗練され注意深い投資家からは公正価値や資産負債アプローチ、包括利益への批判的な見解が提示されている。これは、企業担当者からは原則主義の下の公正価値会計では透明性や比較可能性が損なわれるであろうことを示唆する証言が圧倒的に多かったことと整合的である。我々は今後、この点を「IFRS の第一基本問題」とラベリングし、原則主義の下のIFRS が想定する公正価値会計が財務諸表の透明性や比較可能性を実質的な意味で高めるかどうか、更なる論理と証拠をもって確認してゆく必要がある。これまで繰り返されてきた表面的なレトリックによる透明性と比較可能性に対する支持は否定されるべきである。

 

 

 

P99:第二基本問題)今後も他のステークホールダーの便益を犠牲にしてまでIFRS による世界統一を推し進めるべきであるのか

 

ここでの問題の本質は、会計基準の改良やコンバージェンスなどを通じて一定限度の透明性と比較可能性が確保されている現時点で、今後も他のステークホールダーの便益を犠牲にしてまでIFRS による世界統一を推し進めるべきであるのか、という問題である。さらにいえば、個別の投資家にとってのベネフィットが必ずしも明確ではない場合に、レピュテーションの問題も含め、果たして市場全体におけるベネフィットがどれほど存在するのだろうか。こうした点については今後さらに検討を行う必要がある。今後の会計改革は誰のために進められてゆくべきなのか、多くのステークホールダーとのコンサルテーションが重要になる(「IFRS の第二基本問題」)

 

 

P100:第三基本問題)ハイパーリアリティーやテクノロジカル・ディターミネーションの危険を形成している可能性

本来(ミクロ的には)経営実態を忠実に表象せしめることによって慎重で詳細な経営分析を可能にする会計が、(マクロ的には)かえって表層的で安易な経営分析と投資を促進しかねないという、合成の誤謬、パラドックスを起している可能性がある。

会計制度や資本市場の調査を専門としているインタビュイーの多くが「、、、会計数値と株価のポジティブな関係が増してきたとしても、、、これが長く会計士や規制団体が目指していた資本市場の姿なのか」と疑問を呈する[ e.g., Int. Inv.(Nomura, One of senior managers, anon.)-B-Tokyo, Aug.,2011]。数値を見ていち早く投資意思決定が出来る(または見ずともコンピューターが機械的に処理できる)会計と、企業の実態を深く分析させて効率的な投資判断をさせる会計とは異なりうる。IFRS が作り上げている新しい資本市場は、理論が想定していたような効率的な市場ではないかもしれない。そうして作られた新しい証券市場の影響を受けて、更に新しい経済事実が作られてゆき、累積的なテクノロジカル・ディターミネーションの危険を冒す可能性が指摘されるだろう。このような市場が、安定的で経済社会の厚生を高めるような制度なのか注視してゆく必要がある。(IFRS の第一基本問題と非常に関連性が深いが、透明性や比較可能性を超えて、ハイパーリアリティーやテクノロジカル・ディターミネーションの危険を形成している可能性を重視して「IFRS の第三基本問題」とする。)

 

 

改めて、僕が理解した範囲で上記の3つについて説明する。

 

P98:第一基本問題)原則主義の下の公正価値会計では透明性や比較可能性が損なわれる

 

ここで印象に残ったのは、原則主義では各社ごとの会計基準(細則レベル)が策定されることになるという主張だ。従来は各国ごとの会計基準の差異を考えればよかったが、IFRSアドプション後は各社ごとの会計基準の相違を意識する必要がある、という。だから本当の透明性や比較可能性は高まらないと。

 

 

P99:第二基本問題)今後も他のステークホールダーの便益を犠牲にしてまでIFRS による世界統一を推し進めるべきであるのか

 

ここでは、ファンドマネジャーへのインタビューから、実は多くの場合、どの国の企業へどの程度投資資金を振り分けるかは、どんな会計基準を採用しているかはあまり関係なく、例えば経済が成熟していて成長が見込めない日本にはこれぐらい、という具合に枠が決まっており、それをどの企業に配分するかは財務諸表ではなく企業のビジネスを見て決めるという話が出てくる。したがって、会計制度の統一に手間暇・コストをかけて、果たしてそれに見合うベネフィットがあるのか、ということが主張されている。ちなみに、19993月期から数年の間、日本企業の財務諸表につけられたレジェンド(警句)の問題についても、ファンドマネジャーは投資先の選定にあまり影響なかったと証言したことが紹介されている。即ち、IFRSへアドプションしても日本株へ投資される金額は変わらないよ、という主張だ。他の利害関係者が強いられている犠牲については、一般論として標準化が特定の利害関係者のために行われるもので、他の利害関係者の利害を損ねている可能性があるとしているだけで、具体的に書かれていない。次の第4節あたりに出てくるのかもしれない。

 

 

P100:第三基本問題)ハイパーリアリティーやテクノロジカル・ディターミネーションの危険を形成している可能性

 

ここでは、IASBの宣伝から表面的な透明性や比較可能性を信じ込んで、注記をしっかり読まずに投資意思決定をする投資資金の割合が増加すれば、長期投資を続けてきた投資家でさえ短期投資へ改宗替えしかねない。さらにその宣伝はITテクノロジー(XBRL等も含む)の進化により機械的に短期投資されることや、投資家を惑わす流行の投資理論に正当性を与えたりして、それが株式相場を変動させ、それがまた企業業績に影響を与え、もはや企業実態と合わない財務諸表と株式相場が形成されていくとしている。この問題提起は、いわゆるプロシクリカリティの問題にも繋がっていくのかもしれない。

 

 

上記の「小括」に至る過程で、色々な話題が提供されている。例えは・・・

 

(アドプション)

米国、カナダ、中国、インド等の対応だ。各国ともIASBの透明性の向上や比較可能性を高めるといったレトリックを無条件に信じてはおらず、自国企業や経済への影響を考慮し対応しているとしている(P52P53)。

 

また、これら各国の対応を見て、IASBはアジェンダ・コンサルテーションやDue Process Handbookの改定などを行った。その結果、デュー・プロセスにおいて各国の経済的影響などを注意深く検討したうえで基準設定が進められる方針が打ち出されたという。今後、アドプションやコンバージェンスを進めることが困難になり、会計基準の相互承認という形式で、国際的な会計基準が運営される可能性が高い(と予想している)(P53)。

 

IASBは会計基準のグローバライゼーションについて「調和化」→「コンバージェンス」→「アドプション」と主張を変化させてきたが、これらについて利害関係者の反応を聴取しようとすると、IASBが「投資家のための会計」と言っている割には、投資家やアナリストの意見が収集しにくいという。これは日本だけでなく世界的な傾向だそうだ。その理由として、長期保有を志向せず、制度の欠陥を利用して稼ぐような投資家が多いからで、そういう人たちにとっては透明性も比較可能性も高まらない方が良いし、意見を発しないという(P61)。(これは上記第三基本問題につながる。)

 

(公正価値)

IFRSの概念フレームワークでは、公正価値が必ずしも絶対的な評価基準とされていないにもかかわらず、そのように誤解されているのは2つ理由があるという。一つは一部のIASBのメンバーが実際にそう公言していたこと、もう一つは「Historical Cost」より「Fair Value」の方が、各国・地域で、詳細な会計知識を持たない政治家や担当官僚、ジャーナリスト、国際機関の代表者へのロビー活動に有効に作用するからだという(言葉の印象が良い)。実際には、今ではそういうIASBメンバーもすっかりいなくなった(退任した)ということらしい。但し、公正価値会計について理論的不整合がある、投資家やアナリストが無関心、恣意性の広がりという点から批判を展開している(P63P72)。公正価値は外部専門家の鑑定を入手するケースもあるが、「透明性を金で買える」という証言を記載している(P68)。

 

この議論の中でIAS41号(農業会計)が、農産物に公正価値を適用していることを例に挙げて批判している。パームヤシは植林して1年目に公正価値で評価され多額の利益が計上されるが、その後25年~40年の間は微々たる利益か、9年目からは赤字になるという。ロンドン証券取引所には、こうした事業を主体とする会社が4社実際に上場しているが、適用されている割引率は5%20%とバラバラで、投資家に有用な財務情報を提供しているとは考えにくいという(P68)。

 

(原則主義)

「原則主義による会計基準の統一」を「標準化」という言葉に置き換えて、標準化が役に立たないケース(アップルとオレンジの比較)を例にするなどして、日本基準と米国基準による利益が相違してもよい、と主張している。アップルとオレンジは「糖度」、「食感」、「ビタミンC含有量」などを基準として比較されるが、その価値を測る方法をどれか一つの基準に統一すべきだろうか、と問い、その答えを「もちろん否」としている。可能な限りすべての基準で総合的に価値を評価すべきで、「価格」もその基準の一つに過ぎないとしている。アップル等に対する価値判断は、日本と米国で存在感が違うのだから異なってよい。だから会計基準も日本と米国で違って構わないという(アップルやオレンジは個別企業の例え)。

また、標準化は政治的に特定の利害関係者(ここでは投資家)のために行われるため、他の利害関係者の利益が阻害されている可能性があるとしている(P73P74)。

 

(透明性と比較可能性)

一言でいえば、「UNIASプロジェクトでは本質的な意味での透明性や比較可能性は明らかに低下するとの証言が圧倒的に多いことを確認している」(P80)ということだ。個々の証言に興味のある方は直接ご確認願いたい。大雑把に言って、細かい相違を注記まで読んで理解しようとする投資家がいない(少ない)ということと、企業に自由裁量の余地があって企業によって結果が異なる可能性が高まるという理由だと思う。そういう問題を意識せずにIASBの透明性と比較可能性が高まるというレトリックを信じてしまうと、低コストで短期間で投資判断を下す必要があるという投資家・アナリスト側の経済環境の変化を合わせて考えると良いことはない、と主張している。むしろ会計基準が国ごとに異なって手間暇かけて分析するのが当たり前という状況の方が良いと思っているようだ(P75P81)。

 

(投資家の多様性)

投資家にも色々な投資家がいて、注記もしっかり読む洗練された投資家から、読み込んでいないという投資家、さらにはアルゴリズム取引などITを駆使した自動売買を基本とした投資家もいる。それぞれに対し、企業が提供する情報を変えることを想定する必要があるという。注記までXBRL化が進むなどによって、今後更に短期的な投資家の投資環境が改善されるとプレゼンスを増し、洗練された投資家が不測の不利益を被ることも考えられるとしている(P81P95)。

 

上記の中で日本株の場合、売買高の6~7割が外国人投資家なので、海外投資家の証言を載せている(P83P93)。これらの証言については上述した第二基本問題のところをご覧いただきたい。要するに会計基準がIFRSであろうがなかろうが、日本株への投資に影響はないという証言、注記まで読み込まれていないことを示唆する証言が集められている。

 

(透明性、スピードの程度)

透明であればあるほど良い、早ければ早いほど良い、という考え方に対する疑問を呈した証言を記載し、「適切なスピードとか半透明性」という概念が必要としている(P96P98)。

 

-------------------------

なるほど~って思いながら読んだが、改めて振り返ってみると・・・。

 

僕は思うが、多分、IFRSがあろうがなかろうが、株式売買の自動化は進むのではないだろうか。IT技術の進歩とIFRSは関係ないから。せっかく注記を書いても読まないというが、会計基準が違っていてどこに何が書いてあるかわからない状況より、会計基準が統一されて、読もうと思えば記載場所の当たりはつくし、実際に書いてあるという状態の方がまだマシではないだろうか。そうしておかないと増々読まれなくなるのでは? もし読まれない状況を前提に開示制度を考えるとしたら、どうなるのか? それは会計基準ではないところから解決策を考えた方が合理的なのでは?

 

どうも、すべての問題をIFRSに関連付けてIFRSがその原因だとしている感じ。制度論として原因と結果の区別が整理されてない気がする。そして、アップルとオレンジの例えが会計基準が相違してよいという説明に合っていると思えない。但し、IAS41号(農業会計)の公正価値の話は詳しく知らなかったが、驚いた。お陰でIAS41号にも興味が湧いた。

 

原則主義でいう透明性と比較可能性については、細則主義でいうところとちょっと意味が違う気がする。それを一緒に(細則主義でいうところで)考えているので、上記のような批判になるのでは? これは具体例に基づいて議論したい項目なので、また機会があれば書きたいと思うが、実は、比較可能性については2/29の「有用な財務情報とは~「忠実な表現」と「比較可能性」(売上基準を例に)」で既に少し触れている。僕が読み取ったエッセンスのCがそれに該当する。比較分析する際の単位が異なると思っている。

2012年8月15日 (水曜日)

【OxRep】第二節: 目的・方法・構成~UNIASプロジェクトのセールストーク?

2012/8/15

日本はオリンピックが終わったところでお盆を迎えた。メダル数38個は史上最多という素晴らしい成績だった。サムライブルーの仇もバレー女子が討ってくれた形になったが、それでも残るもやもや感は是非2014年W杯ブラジル大会で晴らしたい。一度ブラジルへ行ったことがあるが、愛煙病の僕は機上での禁煙24時間が辛くて2度とブラジルへは行かないと心に決めた。しかし、W杯は行かざるえないかもしれない。

 

さて、今回のテーマは方法論である「レトリック分析」で、このレポートのP26P49までだ。だが概要は、すでにUNAIS手法への期待」(8/9の記事)で、「要約」(P3~)に記載された範囲でみなさんに報告済みだ。僕は、このレポートのIFRSへ否定的な結論は別として、統計的な手法ではない、長期的な定点観測もできるインタビュー等によるアナログな研究手法に期待を持ったことを記載した。今回はもう少し掘り下げて、というか、僕にも難しい学術研究の方法論は分からないので、僕が読み取ったより直感的なイメージをお伝えできえるよう努力したい。ということで、いつもはまずレポートの概要を記載してから自分の意見を書くパターンだが、今回は初めに僕の意見を記載したい。

 

(統計的な手法の欠点について)

みなさんもご存じのように、統計的な手法は学術研究のみならず色々なところに利用されている。僕が「統計的手法」と言っているのは、やたらに「母集団は正規分布(釣鐘状のグラフで表現される分布のこと)である」と仮定して、一部を調べて母集団の全体の傾向を定量的に推定する手法のことだ。母集団が正規分布だと、関連する確率や分散などの計算が非常に楽になるためか、当たり前にその仮定が置かれる。検証対象となる母集団という最も基本的なところにそんな安易な仮定を置くものだから、そのプロセスの中でもさらに色々な仮定が置かれ、段々実態と乖離していく、というか、限定的な結論しか得られなくなる。ところがその限定が明確にされず、或いは忘れ去られて、結果だけが独り歩きする。僕は統計的手法に対してそんなイメージを持っている。

 

最近では、例のサブ・プライム・ローン問題の時に、CDO(合成証券)の組成が問題になった。CDOの組成や運用には高度な投資理論、金融工学(これらの基礎に統計理論がある)を理解する必要があり、そのために当時の金融機関は、数学的能力の高い優秀な理系の学生をはこぞって採用した。しかし、安易な仮定が現実との乖離を生み、机上の空論(だが、理論としては美しいのだそうだ)でゴミのような債権がトリプルAの最高信用格付けの債券に生れ変わっていった。それが現実と乖離していることが明らかになって、リーマンショックに至る一因になった。(と僕は理解している。)

 

実は監査の世界にも統計的な手法が随分前から入ってきている。監査自体、母集団の一部を抜き取ってチェックする「試査」という方法で行われるので、その検証結果を如何に母集団全体に拡張するか、それを監査人の「勘」ではなく論理的説明するか、という問題の解決に利用されている。また、例えば売上の検証を行うのに、過去の実績の推移データを統計的に加工して期待値を求め、それと実績の乖離幅で異常の有無を判断するといった実務もあった。

 

お分かりいただけると思うが、会計監査が検証するのは財務諸表なので、上記の母集団とは「合計残高試算表残高の全金額」ということになる。しかし、合計残高試算表は様々な性質の異なる科目があるので、そこに虚偽記載が発生するリスクが正規分布しているなどという仮定を置くのは現実的ではない。したがって、監査手法の理論的な説明として統計的な発想が利用されるのは良いが、それが過度に監査実務を縛ると問題が起こる。売上の検証にしても、過去にはなかった事象、例えば東日本大震災が発生したのに、それを考慮しない統計的分析は役に立たない。或いは、過去にないヒット商品が生まれたとか、営業エリアの拡大・縮小とか、色々な状況を加味して利用するというのが現実的な対応だ。

 

しかし、得てして、仮定や限定は置き去りにされて、結論だけが独り歩きしてしまう。統計的手法は価値あるものだが、利用するのは難しい。

 

やや、本筋から逸れてしまったが、このレポートでは一般に利用されているアンケート分析について、例えば「設問」の設定の仕方が回答を歪めてしまうなどいった例を挙げながら、問題点をリストアップしている。アンケートは全員に配られるものではなく、一部の人の回答を全体の傾向として推定するもの(或いは読み手にそういう印象を与えるもの)だから、基本的には上記と同じ構造を持っている。一部の人の回答が全体の傾向を表すようになるような「設問」の設定は難しい。その結果を分析することも難しい。このレポートでは、アンケート調査のような従来の手法でIFRSに関する調査を行うことは特に困難で、調査結果の解釈には読み手の留意が必要として、その問題点を次の3点にまとめている。

 

  • 研究者の側に、各国・地域の文化・習慣や会計知識を備えたものが少ない(国際的な研究)。逆にIFRSやIASBに関する知識が欠けているものがある。
  • 回答者の側に、IASBやIFRSに関する知識が絶対的に欠如している。
  • 調査企画者の期待と異なる結果が出た場合に公表されないことがある。

 

 

UNIAS手法の優位性)

次に、上記の従来手法の調査の欠点を補うという文脈で、UNIASプロジェクトの手法が紹介されている。

これについてもまず僕の意見を書くが、ちょっと頭を抱えている。このレポートではIASB等の使っているセールストーク(レトリック)を、「背景」や「目的・方法・構成」といった本来まだ結論を記載すべきでない節から徹頭徹尾批判しているのだが、どうやらそれは調査の結果批判するに至ったのではないようなのだ。最初から批判するための仮説を立ててインタビューを行い、インタビューする側が持つIFRSやIASBに関する圧倒的な知識量を駆使して、その知識のない回答者の証言を引出す、極端に言えば回答者の証言を、UNIASプロジェクトの目的に合うように誘導しているように思えてきたからだ。以下にレポートの内容を紹介させていただくので見ていただきたい。

 

過去12年、3期(2000-2006ぐらい、2006-2009ぐらい、2009以降)にわたって行われてきたUNIASプロジェクトの手法については、従来の統計的手法による調査の欠点を補う利点として、次の5つの説明をしている。

 

  1. 先験的な予想や定量的方法ではとらえられない、さまざまな論点の洗い出しと整理を重視
                   「先験的な予想」とは、具体的にはIASBのセールストークである「高品質な唯一のグローバル基準が、比較可能性や透明性を高めることに役立つ」みたいなことを指していて、定量的な方法は、上述の従来手法のアンケート調査など統計的手法を指していると思う。そして様々な問題点の洗い出しというのは、IASBの「投資家のための会計」とか「証券市場の効率化」というシンプルなレトリックで見えなくなっている様々な問題を現場から拾い上げるということだと思う。(例のトライアングル体制維持の主張もこの問題意識からきているものと思う。)
             
  1. 個々の重要なケースを詳しく分析できる
              例としては、IFRS採用第
    1号の会社である日本電波工業を2006年から調査対象にしていることを紹介している。これら(任意適用が予想されている会社数社への個別ヒアリング)から大衆メディアで一般に報道されているものとは異なる意見、状況を聴取できたという。
             
  2. ほとんどIFRSの知識のない人たちを対象にでき、質的重要性に注目して日本全体のデータを収集できる
                   IFRSの知識のない人からアンケートの回答を受取っても、意味のある分析は難しいが、インタビューなら知識を授けながら質問ができるし、業種等を考慮してバランスよく調査対象を決められる。
             
  3. 不合理な行動(意見)を不合理のまま記録できる
                   総論賛成・各論反対のような、不合理・無理解・あやふやな理解をそのまま記録でき、その結果IASBのレトリックに踊らされている構図が観察されたそうだ。また、「IFRS導入により経営者は短期業績主義に陥りやすい」という仮説を否定する研究が多い中、実際にそれを危惧する企業の様子が観察できたという。
             
  4. IFRSを推進する理由(ドライビングフォース)の変遷を明らかにできる
              「投資家のために」といった建前でなく、実際に何がIFRSを推進しているのかを長期間にわたり観察できるとのこと。
             

そして、今回のレポートで十分検討し解決することはできなかったテーマだが、次のような重要な視点をインタビューデータが与えてくれたという。

 

  1. 「透明性」レトリックへの企業の疑問
              透明過ぎるとイノベーションを起こしにくいという企業側の疑問が存在すること(が、インタビューによって判明)。
             
  2. 「情報開示スピードアップ」への要請に対する経営者の疑問
                   企業のみならず、証券市場運営者、政府官僚も、インタビューによって、投資家・株主の多様性を想定した会計・財務報告を考案する必要性に気付かされるのだという。(僕の勉強不足で、これと情報開示のスピードがどう関係するかは良く分からなかったが、プログラム売買するような投資家の存在について言及しているので、それが何か両者を結び付けるのかもしれない)
             
  1. 世界万国のための会計基準という目的(レトリック)と矛盾する人選・資金・サテライトオフィスの設置の要求
                   恐らく、万国のための会計基準に関連して、国益丸出しの主張がなされるような状況を言っているのだと思う。インタビュー形式でこの矛盾点の批判論を展開すると、関係者に「反道徳的側面があることが分かる」とのこと。恐らくここでいう関係者とはそういう国益丸出しのような主張をしている人々のことだろう。
             
  2. 不十分な情報下で国際的な課題に対処する際の日本の無理解、無策、戦略的柔軟性の欠如
                   「日本はまじめ過ぎて・・・」という証言が引用されているが、これは日本の良識や美徳の否定にもかかわることなので、この手のことは、文書形式の調査よりインタビュー形式の方が有効だという。

 

そしてこの節の最後に「4.主目的:コミュニケーションの促進」というタイトルの文章がある(P47P49)。白状するが、実はこの文章には、良く理解できない箇所が一杯ある。特に色々な学者の名前が出てくる最初の部分(P47)は本当に分からない。だが、どうやらここは、研究手法の特徴として次の2点を言いたいのではないかと一応理解した。

 

  • 研究者がバイアスを持つことは避けられないし、バイアスを持っていないと装うべきではない。
  • この研究の目的はコミュニケーションの促進にあるのであって、何らかの絶対的な真実を発見しようとするものではない。

 

この2点が要約されていると僕が感じたのは、次の記述だ(P47)。

 

すなわち、我々は実際に言語的コミュニケーションのできる主体が相互に意見や感情を表現し、その表現を聞き手が了解することでコンセンサスとしての真理を構築していこうとするものである。

 

研究客観性はその一時的な結論たる著作物の中に求められるものではなく、継続的に啓発される問いと批判の過程の中に求められる。

 

研究者側が用意した問いについてディスカッションすることで、回答側との間にコンセンサスが得られたと研究者が判断したものを、研究成果として取上げる。これがこのプロジェクトにおけるインタビューの姿だが、用意された問いは、IASBのレトリックを批判するためのもので、かつ、回答者側に知識がないのでディスカッションの過程で研究者側がそれを提供する。研修者側はIASBのレトリックを批判する証拠集めをしているので、回答者側からそういう証言を引き出せるように問いや知識を提供する。だが、だから研究客観性が損なわれていると批判するのは不当で、こうやって集めた証拠で得られた結論も研究客観性の評価の対象ではない。なぜなら、研究客観性は対象物を真摯に批判するその姿勢にこそ求められるものだから。

 

ということだと思うのだが、みなさんは理解されただろうか?

 

僕は少し分かるような気がする。僕が監査法人にいた時、クライアントに新サービス、例えば内部統制構築のサービスを売込む目的で、クライアントとディスカッションしたときの心境を思い出したからだ。

 

まず、僕が「御社にはこういう問題がありますね」と問いを発する。そして、「今度内部統制報告書制度というのができますよ」などと内部統制に関する知識を提供しながらクライアントとその提起した問題についてディスカッションする。すると、「なるほど、やはりそれは改善が必要ですね」とのコンセンサスに繋がり、そこから「こういう方法でポイントを絞って対策を立てていけば効率的に改善できますね」と新サービスの内容の話へ移っていく。

 

僕には新サービスを売込もうという動機があるので、その問題を大袈裟に主張するかもしれない。そういうインセンティブのある僕の立場は、一見、客観的な立場とは思われない。しかし、それがクライアントの経営改善に役立ち、かつ、監査リスクを減らすんだという確信・信念があれば、いささかも後ろめたいことはない。その姿勢こそが重要なのだ。その姿勢で問題提起し、ディスカッションし、コンセンサスを得られたのだから、どんなサービスを提供しようと問題はない。(実際には「監査人の独立性」という制約があって、提供できないサービスもあるのだが。)この構図とUNIASプロジェクトの構図が良く似ているような気がしたのだ。

 

しかし、これでは下心がある監査法人のセールストークとこのレポートが同じレベルになってしまう。即ち、UNIASプロジェクトだって自分たちの主張を売込みたいという下心を持って問題提起し、ディスカッションをやりながら、相手とのコンセンサスを得ていく。するとレポートを公表したときに素直に受入れてもらえる。即ち、自分たちの主張が世の中に認められやすくなる。・・・だが、これはあまりに下世話な解釈ではないだろうか。本当にこういう解釈で良いのか? と頭を抱えてしまったというわけだ。

 

ただ、とりあえず、僕の能力ではこのように考えるしかない。

 

すると結局大事なのは、受け手(読み手)が賢くなければならないということか。監査法人のサービス売込みでも、UNIASプロジェクトのレポートでも、そしてIASBのセールストークでも、相手の立場や背景を理解したうえで利用の程度を判断しなければならない。しかし、その判断のためには相手に対する知識が必要だ。IASBのセールストークについて判断をするにはIFRSの知識が欠かせない。このレポートでもそういう知識が欠けていると指摘されていて、その点は僕も全く同感だ。IASBは「IFRSの解釈はIASBやIFRIC以外がやってはいけない」などといっているが、「使えるIFRS」として導入するためには、世の中で草の根のIFRS論議がもっと盛んにならなければいけない。

 

であるとすれば、勝手な解釈を書き散らしているこのブログも少しは世の中のためになっているかもしれない。もしそういうことなら、僕も若干心を強くできる(とニヤついているのだが、これは少し我田引水か?)。

2012年8月11日 (土曜日)

【OxRep】第1節:背景~戦後の日本の会計制度(トライアングル体制)構築からこのUNIASプロジェクト依頼までの経緯

2012/08/11

まず、なでしこJAPANの銀メダル、サムライブルーの4位、おめでとうございます。一時は男女ともに金メダルなんて夢まで見させてもらいましたが、この結果も正に快挙です。特に男子は韓国に敗れたのは残念ですがここまでやってくれるとは。ありがとうございます。

 

それでは、ざっと今回の記事の対象となる「第1節:背景」の内容を概観してみよう。そのあと僭越にも僕の意見を記載したい。

 

「第1節:背景」は、「1.経済・社会のための会計」と「2.投資家と証券市場のための会計」の2つから成っており、前者では米国占領統治下での戦後の会計制度構築(いわゆる商法(会社法)、税法とのトライアングル体制のこと)の過程を、企業会計というプライベートな事象を社会制度に昇格させるため、というか、社会経済システムに組込むという他国ではやりたくてもできなかった大図面を描いたとして評価している。ところがIFRSは、投資家と証券市場のための会計という小さな図面であり、折角の大図面をそこに押込めて良いのか(投資家と証券市場以外に関する機能を捨てて良いのか)と疑問を提起している。

 

後者の「投資家と証券市場のための会計」とは、即ち、IFRS(やその前身のIAS)のことを指している。ここでは、このUNIASプロジェクトの目的である「単一で高品質の会計基準」とか「比較可能性や透明性を高める」というIASBのセールストークに対する日本や米国の姿勢の変遷や中国やインドの反応を紹介している。その中で次の指摘が目を惹く。

 

  • 会計のグローバライゼーションは当初は各国会計基準の「相互承認」から始まり、それがIFRSへの「コンバージェンス」、そして「アドプション」と変遷していったのが不可解。
  • 20091月に米国SEC委員長にシャピロ氏が就任してからIFRSアドプションへ慎重になっているのに、日本は20116月まで積極的なままだったのが不可解。

 

(これらは、第5節で一定の検討をするものの、基本的には将来の検討課題という扱いにするそうだ。要するにこのレポートでは結論的な見解を述べないということ。)

 

そしてこの節の最後をみると、201110月の当時の自見大臣の訪英がきっかけで、UNIASプロジェクトへレポートを依頼することになったことが記載されている。UNIASプロジェクトの学術的スタンスを了解したうえでの依頼だった。したがって、最初から「IASBのセールストークの裏を暴く」レポートが期待されていたことになる。

 

 

さて、僕が驚いたのは、このレポートの現状追認型の姿勢だ。僕がGoogleで「Oxford Report」を検索したときには、学術的な価値の高そうな国際法のデータベースや各国のエネルギー政策へ抜本的な変革を迫るような凄いタイトルと並んで、僕のブログが表示されたのが恥ずかしかったと既に記載したが、この第1節を読む限り、少なくとも日本に於いてはそれほどのことでもなさそうだ。ただ、いち早くIFRSを採用したEUの、IASBが置かれているイギリスのOxford大学がこのレポートを出すというところには価値があるのだろう。では、なぜ日本ではそれほどのことはないと感じたかを下記に記載する。

 

 

(トライアングル体制)

トライアングル体制にについては2点ある。

 

会計・税法・商法のトライアングル体制は、もともと日本に官尊民卑という風土があったうえに、戦時中の国家統制経済で民が極端に弱くなっていた当時の日本において、民の立場を代表する会計の背中を押すための理屈だと思っていた。もう少し書くと、「税」があまりに強すぎるので、会計が商法の力を借りて「税」に対抗する仕組みだと思っていた。民間経済の発達と会計のグローバライゼーションのおかげで、会計は独り立ちできるようになった今、そろそろ形を変える時期が到来している思っていた。ところが、このレポートはトライアングル体制を構築した当時の「世界最高のシステムとの自負」を思い出せと言っている。環境変化にどう対応しようかという議論の中で、60年前は良かったなあ、と言われてもピンと来ないのだ。

 

もう一つは、その「世界最高のシステム」の根拠は、「日本の確定決算主義にはマクロ的には経済を自動的に安定させる機能がありますし、商法の会計にはいろいろな利害関係者の間を取るというか、コンセンサスを得るというか、所謂利害調整機能が働いています。」というところにあるとされている。しかし、その機能のすべては「会計が企業の財務実態を忠実に描写している」という前提の上に成り立っていることが忘れられていることだ。

 

経済環境、経済取引の内容が変われば、それを忠実に描写するための会計基準も変わらなければならない。しかし、特に税法の足かせがきつくて損失計上に消極的になり、過去随分含み損が放置されて、それが企業経営と株式市場、ひいては日本経済に悪影響をもたらした。オリンパスの損失隠しだって、きっかけの一つはそういうところにあったと思う(特金解消時に含み損を損失計上しなったことが巨額の損失隠蔽へエスカレートしていった)。バブル崩壊時にも、含み損を抱えたまま企業は過大な税金を払い続け、実質的に事業を行えなくなった企業が幽霊企業として存続し、日本経済に大きな影響を与えた。

 

だから、会計は企業の財務実態を忠実に描写することに専念し、その結果を税法や会社法がそれぞれの立場で調整しながら利用するという、単なるトライアングルではなく、会計が上位にぴょんと飛び出した二等辺三角形になるべきという認識が広がり、それが会計のグローバライゼーションの動きと合っていたと僕は思っている。

 

実は僕は、この二等辺三角形は、日本でも支配的ではなくてもかなり一般的な認識だと思っていて、企業会計審議会の議論もそこへ収斂していくのではないかと予想していた。ところが議事録をみていると、今もトライアングル体制を守ろうとする人が意外に多いので驚いている。

 

さて、このレポートは、終戦直後の環境において3つのバランスは素晴らしかったんだから、いまもそれを忘れるな、と言おうとしている。イギリスでは革新的な研究かもしれないが、日本では超保守的ではないか? みなさんはどう思われるだろうか。

 

 

(投資家と証券市場のための会計)

 

ここでは、IFRS財団評議会(IASBの監督機関)副議長の藤沼亜起氏の「多くの国が、IFRSが比較可能性や透明性を高めるというビジョンに賛同している」という趣旨の発言、即ちIASBのセールストークをまず引用し、そのあとはそれを否定することに費やしている。即ち、

  • 会計ビックバン以降の日本の会計基準の改正一覧や、200810月にEUの会計基準の同等性評価にパスしたことを記載したうえで、会計基準の改良はもう十分という趣旨のコメントを紹介
  • 米国、中国、インドのIFRSアドプションへの足踏みや限定的な対応を紹介
  • IFRSに対する批判コメント(例の英米の陰謀説)、日本国内のIFRSアドプションへの懸念の紹介

 

そして上述の指摘、「総合承認→コンバージェンス→アドプションへの変遷はなぜ起こったのか」、「日本だけがなぜアドプションも視野に入れた対応を20116月まで継続していたのか」と疑問を呈した(但し、それについての検討は将来の課題とした)。

 

しかし、足踏みをする米国がIASBと主要な会計基準の摺合せに精力を費やしていることには触れないし、中国がIFRSを適当だがコンバージェンスし、インドも除外分野はあるが基本的にアドプションしていることの評価はない。IFRSに対してポジティブな発言・対応は批判の対象とし、ネガティブな面から発言・対応を眺めてIFRS批判の根拠としている印象だ。

 

だが、この節は「背景」というタイトルだ。ここで早くも「IASBのセールストークはNGだ」と書いてしまって良かったのだろうか? もう少し、「公正な立場でバイアスはありません」という振りをした方が良かったのではないか。

 

或いは、この程度に留まらないもっと深い話がこの先に出てくることを暗示しているのだろうか。

というわけで、今朝はサッカーの応援疲れもあり、これでお休みなさい。

 

----------------------------------------

米国の動きに興味のある方のために、このレポートに引用されていたSEC委員長シャピロ氏の上院銀行委員会での証言を転記します。

 

Well, I would proceed with great caution so that we don’t have a race to the bottom. I think we all can agree that a single set of accounting standards used around the world would be a very beneficial thing, allowing investors to compare companies around the world. That said, I have some concerns about the road map that has been published by the SEC and is out for comment now and I have some concerns about the IFRS standards generally. They are not as detailed as the U.S. standards. There is a lot left to interpretation. Even if adopted, there would still be a lack of consistency, I believe, around the world in how they are implemented and how they are enforced. The cost to switch from U.S. GAAP to IFRS is going to be extraordinary, and I have seen some estimates that range as high as $30 million for each U.S. company in order to do that. This is a time when I think we have to think carefully about whether imposing those sorts of costs on U.S. industry really makes sense. Perhaps, though, my greatest concern is the independence of the International Accounting Standards Board and the ability to have oversight of their process for setting accounting standards and the amount of rigor that exists in that process today. I will tell you that I will take a big deep breath and look at this entire area again carefully and will not necessarily feel bound by the existing road map that is out for comment. (Shapiro, 2009, pp. 21-22).

 

拙い訳ですがだいたい次のように言っていると思います。間違ってたらごめんなさい。あくまで参考に。

 

え~、悪い競争をしないよう気をつけたい。一組の会計基準が世界中で使われることは、投資家が世界中の企業を比較できるので非常に便利だと思う。でも、SECのロードマップには心配もあるし、IFRSにも懸念がある。IFRSはUS-GAAPほど細かくない。色々解釈が必要になる。アドプションといっても、実際の制度化の方法も固まっていない。US-GAAPからIFRSへ移行するのも大変なコストだ。ある試算だと1企業当たり30百万ドルにもなる。果たしてそれだけの価値があるのかじっくり考えないと。だが、一番心配なのはIASBの独立性と、その会計基準設定プロセスをどうやって、どれだけ厳格に監視するか。深呼吸してもう一度すべて目を通さないと。必ずしもロードマップに捉われないで。

2012年8月 9日 (木曜日)

【OxRep】UNIAS手法への期待

2012/08/09

オリンピックがサッカーだけでないことは分かっているが、恥ずかしながら、まだサムライ・ブルーの無念を引きずっている。引きずっているのだが、目を瞑ると瞼のうちに蘇るのは、あの大津選手の強烈なゴールだ。試合に負けたとはいえ、あれは良いものを見させてもらった。ブラジルとの決勝戦は次回ワールドカップ、ブラジル大会の楽しみに持ち越そう。

 

さて、今日のテーマはUNIAS手法だ。これは研究報告なのだから、どういう観点や方法論によって問題に迫ったかを理解しておく必要がある。「あらゆる方向から光を当ててすべての問題を曝け出す」というのは、言葉にはできても実際には困難だ。だから、どの方向から光を当ててみたのかを理解する必要がある。

 

まずUNIASは「Unexplored Impact of International Accounting Standards / International Financial Reporting Standards」(即ち、「未発見の国際会計基準/国際財務報告基準の衝撃)の略であることが、日本語の要約の脚注に記載されている。そしてUNIASは「UNIAS研究プロジェクト」というオックスフォード大学のチームによって2000年から推進されてきたプロジェクト名であり、次のような目的・特徴を持っているという。

 

(日本語の要約版から転記)

  • 「真」や「解」を求めるのではなく、「コミュニケーションの推進」、「実質的な討議の推進」を目的とする。
  • 従前の研究方法の弱点を改善。単なる統計的手法ではなく、社会学、政治学的観点等を組み合わせる。レトリックを排する、「手続き的客観性」に依拠した調査分析手法。
  • 12年以上の調査期間、およそ1000人からの計画的聞き取り調査を中心。

 

僕の印象としては、聞取り調査が中心であることから、次のような性格を持ちやすいと思った。

 

  • 会計基準や会計制度の「あるべき姿」を導き出そうとするものではない。
  • OnOffみたいなデジタルな分析結果を求めておらず、ニュアンスまでも拾い取ってアナログ的な課題認識しようとするもの。
  • 研究成果を得るだけでなく、聞取り調査への協力者がより深く新しい会計基準の内容や課題に理解が及ぶようにする。
  • 以上の結果、現状追認的な結論になりやすい(会計実務の現状を肯定的に、変化を否定的に扱いやすい)。

 

聞取り調査といっても、その対象者(主要企業のCFOなど)が1000人にも及ぶというのは凄い(正確には「のべ」1000人ということのようだ。同じ人に異なる時期、計画的に何回も聞取りしているらしい)。しかも、そこからニュアンスまでをも拾い上げていくというから、従来の学術研究の枠を超えた面白い調査報告になっていると思う。

 

ただ、ディスカッションによってIFRSやその導入に対する問題点を洗い出すスタイルなので、IFRSに肯定的な結論とはなり難いのは当然のことか。またもう一つ、IASBの主張である「高品質」とか「透明性」、「比較可能性」、「資本市場の効率性」といったものを「レトリック」として捉え、そこに表現されない「Unexplored(未発見)」なものをピックアップするのが目的なので、益々そうなるだろう。「未発見の衝撃」を探り出す研究とは即ち、IASBのセールストークの裏に隠された商品(IFRS)の欠陥を掘起す作業に他ならない。

 

僕自身、会計及び監査に身を携えていて、会計数値が現場のアナログ情報をそぎ落とした象徴的な情報に過ぎないこと、そしてその欠点を感じていた。例えば、会計上は同じ売上高の数字であっても、小売業と製造業ではその内容が全然違う。また、業績管理をするとすれば、数字で単純に分かる「目標を達成したか否か」より、数字では分からない「どうやって目標を達成したか」の情報の方がはるかに価値がある。

 

この研究報告が、単に「どの選択肢を何パーセントのCFOが選択した」みたいなものでなく、もっと生々しい声を伝えてくれるのではないかと思うと、たとえ結論は僕と相違しても期待は大きい。試合結果に拘らなければ、豪快なシュートを楽しめそうな気がする。

2012年8月 8日 (水曜日)

【OxRep】要約 とExecutive Summary

2012/0808

正直言って、本日未明のメキシコ戦の敗戦、サムライブルーの敗退はショックだった。しかし、まだ銅メダルのチャンスと、なでしこの金メダルの可能性がある。気を取り直していこう。でも、メキシコは強かった。

 

さて、「オックスフォード・レポート」という名称にはどういう意味があるのだろうか。オックスフォード大学の教授がレポートを作成すれば、すべてこのように呼ばれるのだろうか。Googleで「"Oxford Report"」を検索してみたら、

 

最初に出てきたのは、オックスフォード大学の国際法廷の判例集のようなサイト(学術的価値の高そうな感じです)。

 

2番目に出てきたのは、オックスフォード大学のチームが「原油埋蔵量がTipping Pointを迎えた」というレポートを出版したことを紹介した記事(きっと、エネルギー政策を抜本的に見直す機会となりそうな凄いレポートだったのでしょう)。

 

そして、なんと3番目に僕の前回の記事がリストされていた。

 

前の2つがあまりに立派で恥ずかしくなったので、それ以上見るのを止めた。そしてシリーズ名は、上記のように勝手に省略して【OxRep】に切替えた。(これは8/3の出来事)

 

ということで、この名称のちゃんとした意味は分からずじまいだったが、やはりオックスフォード大学800年の歴史に重みづけられた権威があるのだろう。ちなみに作成者であるトモ・スズキ氏が所属している「Saïd Business School(サイード・ビジネス・スクール)」は、「経営学全般のほか、社会的起業、ファイナンス、会計等の科目に強い。」ほか、「2006~2007年、英国教育省の査定によると、サイード・ビジネス・スクールの「Economics& Management」コースは、英国のすべての大学、すべての学科の中で総合第1位の評価を獲得している。」のだそうだ(wikipediaから)。

 

さて、冒頭に前回の記事で取り上げた「序」があり、その次に「要約」があり、その次に英文の「Executive Summary」がある。多くの人は日本語の「要約」を読んで英文の「Executive Summary」は飛ばしたと思うが、前回の記事に「熟読する」と書いた僕は、英文も眺めてみた。すると両者に差があるのに気が付いた。どちらかが、他方の単純な「翻訳」ではないのだ。英文の方が詳しい。

 

「要約」や「Executive Summary」は、調査方法(聞取りや学術研究資料などの調査)やこのレポートの方法論の説明から始まるのだが、そこは省略して、内容を以下に大胆に概略する。

まず、「要約」には次のようなことが書いてある。

 

  • 本報告書はIFRSの日本における性急な(=コンセンサスのない)フル・アドプション・強制適用を支持しない。

(理由)

  • 多くの投資のプロや日本企業は、原則主義と公正価値で透明性と比較可能性が低下すると考えている。
  • 短期的・中期的には、国際証券市場の本質的な効率化は促進されないと考えられる。
  • 証券市場以外の日本の経済社会全体に与える影響が十分分析されていない。特に透明性と比較可能性が増進されるイメージの中で、実際には低下するという混乱がもたらす影響。
  • しかし、日本は今後も国際的な会計・財務報告の実質的な改善に一層の努力と貢献が必要。
  • そして、その努力や改善を個人から政府機関のあらゆるレベルで日本国のコンセンサスとして積極的にアピールすることが必要。

(理由)

  • 規制関連ビジネスの伸長、国際規制の政治的駆引きへ対応する必要があるから。これに対応しないと日本企業のファイナンスに支障をきたす恐れがある。

 

  • 日本は、(上記の)IFRSでの経験を活かして(他の分野の)国際規制の政治経済的な駆引きに関し、今後、政府レベル(特に内閣レベル)での組織的な対応が必要。

なんと、散々ではないか。IFRSに良いところはないのに、グローバリゼーションという津波の防波堤とするために国際貢献をしなさいということか。しかも最後はIFRS以外の分野についても日本の組織的な対応を求めている。それは、この調査の目的から外れていると思うが・・・

 

そして「Executive Summary」は次のようになっている。

 

  • 性急なフル・アドプションは透明性と比較可能性を低下させ、IFRSの目的を達成できない。
  • 日本基準をIFRSのために捨てることは、日本の成熟した経済の運営に歓迎できない多面的な影響を及ぼす。
  • しかし、我々は日本に対し、国際会計基準開発への前向きな参加を推奨する。

 

(IFRSの早急なフルアドプションに賛成しない理由)

  • 日本の学術研究ではIFRSへのアドプションにより透明性と比較可能性が低下するとされている。
  • 日本のトップ企業のCFOや政界の投資家への聞取り調査でも、経営者に見積りや会計方針の選択を行わせる原則主義の公正価値会計で、透明性と比較可能性が悪化するとされている。かつ、IFRSの冠である「高品質のグローバル基準」は、特に会計方針や注記を熟読せず財務諸表の数字のみに反応するような多くの投資家に誤解を与える。この2つが実態を誤解させて短期投資を動かし、その相場の動きがさらに会計の透明性と比較可能性を劣化させる(市場価格がB/Sに付されるため)。その結果、株式相場も経営上の意思決定も歪められる。
  • 金融より、製造業やその他の分野の日本のトップ企業が上記のようなひずみを生む可能性に強い関心を持っている。例えば、IFRSの、のれんの非償却処理や自己のれんの資産化問題。
  • IFRSのアドプションは、長く醸成されてきた日本の経営哲学に害をなしそうだ。
  • 長く親しんだ取得原価主義や保守主義からの離別にも強い関心を持っている。これらは、日本の経営を支えてきた長期投資やイノベーションの基礎を傷つける。
  • 銀行業や保険業でさえも公正価値会計の導入によってビジネスモデルが劣化させられるのではないかと関心が持たれている。
  • すでにIFRSをアドプションした企業のCFOが、IFRSの採用は資本コストを削減できず、原則主義の下で、監査コストなど規制対応コストを増やしたと認識している。

 

「投資家のために有用な会計情報を提供することが、効率的な証券市場を構築するうえで必要不可欠である」というのは良く聞かれる話だが、これをIFRS推進派(IFRSビジネスの提供者や政治的な強者)のレトリックと決め付けている。

 

どうも、僕はとんでもないものを読み始めてしまったのかもしれない。「早急な(コンセンサスの取れないうちの)」という言葉がついているものの、どうみてもIFRS導入に賛成しているように思えない。僕とは意見がかみ合わないのではないか。しかも相手は800年の歴史の重みを持つ大オックスフォード・レポートだ。もうここで読むのをやめようか。しかし、始めたばかりで止めてしまっては、最後まであきらめずに勝利を目指すなでしこJAPANや、これから気分を取り直して銅メダルを目指すサムライ・ブルー関塚JAPANに顔向けができなくなるかもしれない。ということで、気を取り直してもう暫く読み続けていこうと思う。

2012年8月 3日 (金曜日)

【Oxford Report】この「序」の意味するところは?

2012/08/03

暫く前に金融庁のHPに掲示されて気になっていた「オックスフォード・レポート」なるものを読んでみることにした。200ページ以上あるが、すべて読んでからまとめて分かりやすくみなさんに報告するのが良いと思ったが、「序」に引用されている欧州会計学会創立者・会長の故・アンソニー・ホプウッド教授の言葉を読んで、一読するより熟読するようが良いと感じたので、読みながら途中途中で記事を上げていこうと思う。

 

なぜ熟読する方が良いと感じたかというと、次の下りに興味を感じたからだ。

 

IFRSはビジネスそのものにかかわる、・・・オペレーション、企業統治、サプライチェーン、物づくり、顧客との関係、ペンション、従業員関係、税金、粉飾もあれば、農業や、エネルギー産業、その他いろいろな関係があるはずだ。

 

公正価値の良し悪しとか、統計的手法がどうだとか、包括利益か当期純利益かとか、そういう議論を見ていると、そこで議論されている会計が、経営の現場から乖離しているような気がしてならない。そういう議論が重要であることは分かるが、それには、大前提として「会計は企業の実態を表現するためにある」、即ち、「会計は、経営者が企業の実態を把握するために頼りになる財務情報を産出しなければならない」という共通認識が必要で、その上で投資家や債権者などの利害関係者に提供する情報の内容が議論されなければならないと思うのだ。

 

もう少し具体的に書くと、例えば、非上場株式に公正価値評価を適用するのは、経営者が企業の実態を把握するのに必要だからであり、もし経営者が不要と判断するのであれば「取得原価(&減損)が公正価値の最良の見積りである」と主張すればよいということだ。(但し、これは経営者が非上場株式の評価にリスクがあることを知りながら、それを隠すために取得原価を付すことを許容することでは当然ない。)

 

どういう時に非上場株式の公正価値評価が必要となるかというと、例えば、非上場株式を一杯持っている(ビジネスモデルと関連して非上場株式を保有している)とか、過去からの経緯で非上場株式を保有しているが、今は環境が変わって保有するメリットよりディメリットが上回っているかもしれないが、それに気づくのが遅れる。或いは、その非上場会社は、株式を取得したときとまったく変わって超優良企業になっているが、それが経営者に認知されず協力会社政策に反映されないとか、金融機関に担保価値の正当な評価を主張できないといった問題がないか。

 

なければ取得原価が公正価値の最良の見積りだと主張すればよい。もしかしたら、単体財務諸表では重要な子会社株式について、持分法による評価額が公正価値の最良の見積りだと主張できるかもしれない。IFRSはそれを経営者に認めている。経営者が自信を持って判断すればよい。(もちろん監査人がその経営者の判断を監査する。単に手間がかかるからという理由で取得原価を主張するなら容認されないと思う。)

 

確かに、非上場株式を公正価値評価することが技術的に可能か、信頼の高い測定が可能か、それを検証できるかという心配はある。例えば教科書的には、中長期の事業計画を入手しないと公正価値を算定できない。しかし、それを入手できるのはむしろ稀だ。入手できても信頼できるかどうかは極めて疑問だ。だいたい、金融機関から求められて作成したとか、投資を受けたくて明るい未来を表現したというケースが多く、また、金融機関等に提出したものと同じものを入手できたか確かめようがないし、実は金融機関は楽観的なところを修正して利用しているなどという情報は、企業には分からない。中長期の事業計画を入手できたとしても、それをそのまま使えることなど考えられない。

 

中長期の事業計画を公正価値の見積りに利用できるケースは、親会社がきちっと作成や(予算)統制過程を指導できるとか、営業成績を支配できるグループ会社の場合に限られる。しかし、中長期の事業計画を脇に置いて単なるサポート情報として扱い、直近の期末B/Sの情報から作成した評価で、公正価値の見積りと主張できる可能性はある。一番大事なのは企業自身がその方が取得原価より実態に近いと思えるかどうかだ。だが、その必要のない企業にそこまでやらせる意図はIFRSにはないと思う。

 

改めてIFRSの規程を見てみよう。

資本性金融商品に対する投資及び資本性金融商品に関する契約は,すべて公正価値で測定しなければならない。IFRS9 B5.5)」と書いてあるから、非上場株式も(教科書的な)公正価値で評価しなければならないと単純に主張するのは、経営の実態から乖離している議論だと思う。

 

公開草案に対するコメント等により追加された次の規程を、企業の実情に照らして理解することが重要だ。

しかし,限定的な状況ではあるが,取得原価が公正価値の適切な見積りとなる場合がある。公正価値を算定するのに利用できる最近の情報が十分でない場合,又は,可能な公正価値測定の範囲が広く,当該範囲の中で取得原価が公正価値の最善の見積りを表す場合には,そうなる可能性がある。IFRS9 B5.5)」

「限定的な状況」と書いてあっても、ある地域のある業種・業態ではそれがむしろ一般的な状況であることがあり得る。

 

しかし、一方で、これが「限定的な状況」となっている地域、業種・業態もある。どういう場合がそれに当たるのだろうか。

 

それらの状況は,金融機関や投資ファンドのような特定の企業が保有する持分投資には決して当てはまることがないIFRS9 BC80)」

 

総合商社なども同様だと思うが、プロの投資家にはこの「限定的な状況」はあり得ないのだ。また次のようにも書いてある。

 

当審議会は,基本的な株主権により,評価を行うのに必要な情報を企業が入手することが一般的に可能となっていることに留意した。IFRS9 BC79(b))」として、小規模のIFRS適用企業に内部システムや専門知識がないという懸念に反論している。

 

基本的な株主権で入手できる情報は、B/S、P/Lなど限られたものだし、それさえ信頼してよいかという問題がある。それにIASBが、小規模のIFRS適用企業に、そういう財務資料を正しく修正して、中長期の事業計画を投資先企業に代わって作成し、将来キャッシュフローを見積もるなどという能力を期待してるはずがない。ということは、公正価値の算定といっても相当に幅が許容されていて、必ずしも教科書に載っているような手法でなければダメということはないと考えて良いのではないか。それはIASBが経営の実情というものを踏まえて基準が解釈されることを期待していると考えることだ。「公正価値」という馴染みのないテクニカル・タームに踊らされて、妙に固く解釈してはいけないと思う。

 

むしろ、過去取得した株式が放置されて生かされていないのではないか、生かすなら投資先企業に財務的な関心も持つべきではないか、そう問題提起しているように僕には思える。そういう関心を持っていれば、いまの帳簿価格が適切かどうかについても、企業が継続的な関心を払い、野心的ではない控えめの、もし買い手がつくならこれぐらいだろうとか、これなら買い手に値段の説明ができるという、それなりの公正価値がイメージできるようになるのではないかと思う。

 

 

さて、話が非上場株式の評価に逸れてしまったが、実はIFRSはそういう経営の実情を当然の前提として基準作りがされているのではないかと僕は期待している。原則主義は、国ごとの特殊性を基準に吸収する仕組みであるとともに、企業の経営の状況の違いも吸収する。上記の序に引用された故・アンソニー・ホプウッド教授の言葉は、IFRSに関する議論がそういうレベルから乖離して、格好の良い理論とか技術論とかに偏っているという警鐘と僕には思われたのだ。

 

そういう観点で、というか、その観点を忘れずに、これからオックスフォード・レポートを読んでその都度みなさんにご報告したい。でも、そういう内容でないと分かった場合は、途中で打ち切るかもしれない。それはご了解ください。

2012年8月 1日 (水曜日)

アジェンダ協議2011~ASBJの個別項目のコメント

2012/08/01

サムライ・ブルーのオリンピック代表チームは、スペインに続きモロッコも破り2連勝。早々に本選トーナメントへの出場権を獲得した。中国や韓国のメディアも大注目の快進撃だ。さて、会計界の日本代表たるASBJのアジェンダ協議2011のコメントは、前回(7/27)記載した通り、当面は既存のIFRSの維持管理にIASBの勢力を向けるべきとしているが、具体的にどういう問題に対処するよう求めているだろうか。個々の問題を見てみよう。

 

なお、ASBJはこのコメントの中で主語を、ASBJとわが国市場関係者の2つを使い分けている。下記はそれを意識してお読み願いたい。わが国市場関係者が誰かについては、7/24の記事をご覧いただきたい。

 

aOCIとリサイクリング

OCIとは「その他の包括利益(Other Comprehensive Income)」のこと。包括利益は、期首B/Sと期末B/Sの純資産の増減額として求められ、一方、当期純利益は(従来の)損益計算書によって計算される。「その他の包括利益」は、両者の差額だ(包括利益=当期純利益+OCI)。リサイクリングとは、一旦その他の包括利益に計上したものを当期純利益に振替え、B/Sの純資産内の組替を行うことだ(その他の包括利益から利益剰余金と少数株主持分への組替)。

 

この項目でASBJは、現状では不明確になっている、なにがOCIで、何が当期純利益かを明確にすべきという主張をしている。

概念フレームワーク改定プロジェクト(フェーズB)のなかで取扱われるよう主張しているが、それに時間がかかるようであれば、リサイクリングが行われたり行われなかったり、現状の個別IFRSが不揃いになっているので、取敢えずその扱いを統一するプロジェクトを始めたらどうかと提案している。

また、退職給付会計基準(IAS19)における数理計算上の差異等の再測定部分についてリサイクリングを認めない取扱いを特に取上げ、退職給付のそもそもの性質や、原価計算にこれらを反映させられないこと等のわが国市場関係者の懸念を憂慮し、リサイクリングすべきと主張している。

 

なお、リサイクリングしない取扱いは、会計実務(作業)としては楽だ。しかし、個々のIFRSの取扱いが不揃いになると当期純利益の性質が不明確になり当期純利益の開示を廃止する主張に繋がりやすいほか、公正価値評価を絶対視する主張と親和性がある。

 

b)公正価値測定の適用範囲

IFRSでは公正価値評価する資産と償却原価(≒取得原価)による資産があるが、公正価値で評価する資産の範囲が広すぎるというのがASBJの主張だ。対象資産としては、わが国市場関係者が憂慮している4項目、有形固定資産、投資不動産、農業、非上場株式が挙げられており、ASBJ及びわが国市場関係者は、概念フレームワーク改定プロジェクト(フェーズC)のなかで、上記の利益概念の整理と共に優先的にこの検討を進めるよう提案している。

 

このうち、有形固定資産と投資不動産については、公正価値評価する方法と取得原価ベースで測定する方法のいずれかを選択適用することがIFRSでは容認されている。代替処理を認めないIFRSにしては珍しいことだ。これに対して、どういうときにどちらの処理が適用されるのかを明確にするよう求めている。

非上場株式を公正価値で評価する規程(IFRS9)については、測定の信頼性、実務上の実行可能性の観点から、その規程が有効に機能しているかどうかの調査(適用後レビュー)を求めている。

 

なお、非上場株式の評価についてIFRSはガイダンスを設けて「取得原価が公正価値の最善の見積り」になる場合を認めている(IFRS9 B5.5~)。わが国市場関係者はそのガイダンスが機能しえるものかどうかを疑っているようだ。これは面白い材料なので、IFRS9のこの規程について、後日、改めて記載したい。

 

c)開発費の資産計上

IFRSでは、研究局面の支出は費用処理、開発局面では一定の要件を満たすものを資産計上することとしている(IAS38)。ASBJのコメントが問題視しているのはこの「一定の要件」だ。この基準開発からすでに10年以上経過しているので、IFRS採用地域や企業数の増加、環境の変化を反映させて見直すべきだとしている。

 

ASBJの調査では、企業によって「一定の要件」の運用にばらつきがみられるとされ、また、わが国市場関係者には、比較可能性に問題があるとか、判断に恣意性が介入している懸念があり、開発局面でも米国同様費用計上の方が適切と思われているようだ。そこで、開発費の処理を適用後レビューの対象へ含め、基準の改正の必要性を検討することを求めている。

 

d)のれんの非償却

ASBJ及びわが国市場関係者としては、IFRSののれん非償却、減損のみという処理より、定額償却&減損の方が適切と考えている。根拠は、定額償却により収益費用が対応すると考えられることだ。一方IASBは、のれんの耐用年数や減価のパターンの予測は不可能で、償却しても有用な情報にならないとし、非償却で減損のみの処理をIFRSへ採用している。

 

この基準ができたのは2004年なのでだいぶ古いし、当時の公開草案に対するコメントでも反対意見が多かった。すでに実務に定着したと考えるのではなく、見直しが必要、即ち、適用後レビューを実施し基準の改正を検討することを求めている。

 

ちなみに、のれんを非償却とすることは、減価償却より減損テスト(将来キャッシュフローの見積りを割引く計算)に信頼を置くことであり、公正価値を絶対視する考え方により近い。

 

e)固定資産の減損の戻入れ

日本では固定資産をいったん減損すると簿価を切り離し戻入をしない。一方、IFRSでは減損の原因がなくなれば戻入を行い簿価を元へ戻す(減損していた期間の減価償却分は小さくなる)。ASBJは戻入禁止の立場を取るが、その理由は上記(b)と同じとされているだけで具体的に記載しされていない。

 

b)は上記のように、再評価モデル(公正価値評価する場合)と原価モデル(取得原価ベースで測定する場合)は、どのような場合にどちらが使われるかを明確にするよう求めているだけなので、減損の戻入れについても、どのようなときに戻入をするかが明確でないということだろうか。でもそれなら「反対の立場」とまでは言わないだろう。。。良く分からない。

 

わが国市場関係者は手間がかかると懸念としている。戻入処理は、減損前の簿価に戻して減損期間の減価償却を実施するので、面倒だ。だから、それは良く分かる。確かに現状を前提にすると手間がかかる。(現状の管理方法を換えたらどうだろうか? いずれまた突っ込みたい。)

 

この点については、例の7/2企業会計審議会の中間的論点整理で「固定資産の減損の戻し入れについて、理論上、実務上の懸念がある。」とされていたので、実務は分かるけど理論的な懸念とはなんだろう、と思って注目していたのに残念だ。諦めきれずにネットで検索してみたが、それらしき資料は見つからなかった。それどころか、ネットで検索された無形資産に関するASBJの審議資料には、IFRSのような「兆候、即、減損」なら戻入が適切で、日本基準のような「兆候、割引前キャッシュフローによる試算、そして減損」なら戻入禁止が適切という趣旨の記載がある。戻入が理論的におかしいとはされていない。

 

結論としては、残念だが、理論的に問題があるとされる根拠は良く分からなかった。もしかしたら、わが国市場関係者の実務上の懸念を記載するために、理論上も問題があると書いておこう、というだけかもしれない。

 

f)機能通貨

この項目のコメントはちょっと毛色が違っている。上記の5つのうち、のれんの償却を除く4つとは、明らかに方向性が違っている。即ち、上記の4つは「ルールが抽象的だからもっと明確にしてくれ」という話だが、これは「ルールが固すぎるからもっと自由にやらせてくれ」という話だ。

 

外貨建て取引の換算というと、日本基準では日本円と外貨という2つの通貨間の換算だ。出てくる通貨は円ともう一つということになる。ところがIFRSでは、表示通貨、機能通貨、そして外貨の3つが出てくる。外貨から機能通貨への換算、機能通貨から表示通貨への換算と2種類の換算がある(機能通貨から表示通貨への換算は、日本基準の在外子会社の財務諸表項目の換算に似ている)。

例えば、日本企業の子会社が中国にあって、その子会社は通常元建て取引を行って元建てで決算を行っている。そして、たまに韓国への輸出もあるからウォン建ての取引もあるという場合を考えると、元が(子会社にとっての)機能通貨、ウォンが外貨だ(表示通貨はどの通貨でもOK)。IFRSではこのように事業体(支店を含む)ごとにそれぞれ1つの機能通貨を一定のルールで決めなければならない。この一定のルールが不自由というのだ。なぜか。

 

例えば、(ちょっと極端な例で恐縮だが、)仮にその中国子会社は日本企業の製品を円建て50円で輸入し、円建ての販売価格100円、若しくは、円相場に連動して100円に相当する現地通貨で中国国内や韓国で販売していたとする。このような子会社の業績を分かりやすく表示できるのは、所在地国通貨の元ではなく円だ。円ベースで販売価格が決められ、利益が見込まれているからだ。この場合IFRSの上記一定のルールによれば、この子会社の機能通貨は円ということになるから、中国子会社であっても円建てで帳簿に記帳し決算を行うことになる。するとP/Lの為替差損益はウォン建ての取引以外は出てこない。しかし、もし元建てで記帳していれば、円建ての買掛金からそれなりの為替差損益が出て利益に影響しているはずだ(機能通貨である円から、表示通貨の元へ換算した場合、その為替差損益部分はP/Lを通さず純資産へ直接振替えられる)。要するに機能通貨を円にするか、元にするかで利益が変わる。さて、その状況で中国当局への財務諸表の提出、納税、中国人株主への報告・配当が果たして行えるだろうか。中国の法律や当局に受け入れられるだろうか。もしダメだとすると円建ての帳簿以外に元建ての帳簿も記帳して決算を行い、かつ、両者の整合性を維持しなければならないことになる。現状の実務を前提にすると手間が増える。

 

毛色が変わっていて、もっと自由にやらせてくれと言っているが、その理由は(現状を前提にすると)手間がかかるということで、わが国市場関係者の懸念として記載されている。だが、ASBJの意見としても、もっと自由に(=総合的な判断で)機能通貨を決めるべきとしている。

 

以上の他に、「IASBのリソースに余裕があればプロジェクトを進めて欲しい」項目、即ち優先順位の低い項目として「共通支配下の企業間の企業結合」が挙げられ、されに「アジェンダから削除すべき項目」、即ち優先順位が低いどころか計画に含めることも不要とされた項目として「引当金、偶発債務及び偶発資産」に関する改定、即ちIAS37号の改定プロジェクトが挙げられている。加えて、IASBはキャッシュフロー計算書を直説法で作成・開示することも検討中だが、これについてはわが国市場関係者が反対していると記載されている。

 

以上を読んでみて分かるのは、このコメントは、実務上の懸念については「わが国市場関係者」を主語に記載し、理論上の懸念についてはASBJを主語として記載していることだ。さらに言うと、公正価値を絶対視すること(=当期純利益を軽んじること)につながりそうな項目は、ASBJが理論面から反対意見を表明し(適用後レビューを実施して基準を見直す必要性を検討すべきとし)、実務が煩雑になる項目については、わが国市場関係者の懸念を記載したうえで、(手間がかかるとか、実施可能性に問題があるという理由だけでは、すでにIFRSを多数の国が採用している状況ではIASBに対して説得力がないので)ASBJが理論面から補足するという形になっている。みなさんもそういう目で読んでみると読みやすくなると思う。

 

僕の感想としては、理論面、即ち、公正価値絶対主義は行き過ぎで、当期純利益を投資家の意思決定に重要な指標として残していくべきという点には賛成だが、個々の意見については賛成しかねるところもある。日本経済をもっと盛んにするために、とか、失われた20年から脱するためには、日本企業はもっと海外に出なければいけないとか、日本企業はガラパゴス化しているからもっと海外に目を向け、海外に対してオープンになるべきだと言われている現状で、現状の実務を維持するためにIFRSに注文を付けるのはどうかと思う。日本の経営は海外の良いところをもっと取り込むべきと思うからだ。経理、企画、さらには経営システム、経営指標(利益から将来キャッシュフローへ)の変革と合わせて、上記の問題をひとつひとつ掘り下げて考える必要があると思う。

 

 

« 2012年7月 | トップページ | 2012年9月 »

2023年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ