【製造業】開発費~辻褄が合わない!
2012/10/30
今回は、開発費(B/S)計上額に恣意性が入ることで、次のようなことが起こる可能性について、前回(10/26)予告した通りに検討したいと思う。
- 一定限度を超えて多額の開発費がB/Sに計上され、製造業を営む企業の経営、財政基盤を揺るがすような影響をもたらす可能性があるか。(保守主義)
- ある企業は開発費を多めに計上し、別の企業は少なめに計上するという会計処理の相違が生まれることで、比較可能性が低下するか。(比較可能性)
検討するのに関連しそうな国際会計基準(IAS)第38号「無形資産」の最小限の記載を抜き出して、末尾に転載する。この問題の趣旨から、主に自己創設無形資産のところから拾う。ご興味のある方はご覧いただきたい。
概略としては、資産計上されるのは、研究開発活動のうち「開発」に限定され、しかも、減損テストをクリアするようなものが資産計上される、ということになる。即ち、新たに獲得する知識を利用して、将来キャッシュフローが生成されると合理的に見込める場合は、その将来キャッシュフローと開発局面で発生した費用のいずれか小さい金額が、資産計上される。
そして、このことから想像される検討ポイントが3つある。開発費が財政基盤を揺るがすほどの巨額になるか? という点と、将来キャッシュフローの見積りのばらつきに関して2つだ(産業間のばらつきと同業種間のばらつき)。
まず、巨額になるかという点から。
資産計上額には上限があって、その厳しさは、有形固定資産等の減損の基準と合っている。ただ、合っているといっても、すでに事業化され、製品の市場が存在することが確認され、収益を産み出している有形固定資産の将来キャッシュフローの見積りより、いまだ市場が確認されていない画期的製品に関する開発段階の将来キャッシュフローの見積りでは、自ずと後者の方が、企業による厳しい自己チェックが必要になる。その結果、企業が開発局面に入ったと認識していても、それが直ちに資産計上の要件を満たすことにはならず、費用処理が継続されることがある。このことは明確に認識しておくべきだ。
開発費が巨額に及ぶケースを想像するには、例えば、2011/8/25の企業会計審議会でTKC全国会会長の大武氏が例に挙げたJR東海のリニア中央新幹線が良さそうだ。大武氏は「JR東海のように一企業がリニアモーターカーを、積立金を積んであのような研究開発をもし欧米系の企業がやるとしたら、いわゆるこの基準では絶対にできません。」と発言し、IFRSを強制すると「製造業中心の日本は大変弱体化するとしか私は思えません。」とした(金融庁ホームページより)。JR東海の開発費が相当巨額になると思われたのだと思う。
もし、JR東海がIFRSを採用していれば、リニア中央新幹線を自力で建設すると公表して以降のリニアモーターカーの開発費は、資産計上されるのかもしれない。或いは、まだ具体的ルートが公表されず、環境影響評価の結果等も不明なので、まだ実現可能性が判明しないとして、費用処理されるかもしれない。だが、仮に前者だとして考えてみよう。
結論から記載すると、リニアの軌道など有形固定資産としてB/Sに計上される金額は巨額になることが予想されるが、開発費として計上される金額は、それほど多額になるとは思えない。例えば、昨年度の有価証券報告書P21によると、研究開発活動として3項目が挙げられ、その3項目めに超電導リニアが記載され、3項目合計の研究開発費は258億円とされている。超電導リニアのみの金額は明らかにされていないが、100億円未満かもしれない。
ちなみにJR東海のホームページに掲載されている最も古い有価証券報告書(2007/3期)では、超電導リニアは5項目中5番目で、試験研究費の総額は175億円だ。もっと遡ると、1990年前後の資料と思われる別の資料(超電導リニア新実験線建設と実用化の見通し:http://ktymtskz.my.coocan.jp/linia/yamanasi.htm)では、山梨実験線の費用総額は、3,460億円の予定、とされており、そのうちJR東海の負担額は1,960億円とされている。しかし、ほとんどは研究段階の支出ということで、IFRSでも日本基準でも、この段階では差は出ないと思う。
みなさんが想像されているのは数千億円とか兆単位の資産計上額では?
確かに最終的には数兆円の資産が計上される。例えば、2006年には、JR東海の自己負担3,550億円の予定で、山梨実験線を42.8Kmへ延長する工事に入っている。そこで、仮にだが、IFRSではこの3,550億円が開発費に含まれ資産計上されると仮定しよう。しかし、この支出額の多くは、土地とか建物・構築物、運搬具など有形固定資産に計上されるものなので、日本基準でも資産計上され、償却資産は(法定)耐用年数か、転用の利かないものは開発プロジェクトの期間で償却される。IFRSでも開発費は無形のものだけなので、有形のものは同様の処理になるはずだ。すると、差が生じるのは人件費・経費部分だが、全体としてみると印象よりずっと僅かな金額だ。しかも、実際にはこの仮定は有効ではなく、IFRSの開発費の要件に合うのは上述のとおり、早くとも、自社負担で全線開通させると意思決定した後になると思う。
ちなみに日本基準では、「製品を量産化するための試作」は、研究開発費に含まれないとされている(「研究開発費及びソフトウェアの会計処理に関する実務指針」26項)。これから類推すると、JR東海は、延長線の工事について、もはや研究開発段階を終了した普通の資産の取得として処理しているかもしれない。日本基準では、開発局面がIFRSより狭く捉えられており、早い段階から普通に資産計上される。
以上から、実際には開発費はそれほどの金額にならないと想像がつく。したがって、IFRSと日本基準で、大騒ぎするほど結果に差が出るわけではない。意外とそのあたりは誤解をされてないだろうか。企業会計審議会での発言も、多分、こういう誤解に基づいている気がする。
要するに、IFRSでも研究費は費用処理で日本基準と相違ない。そして、開発費のうち、収益で回収できると見込まれる部分だけが資産計上される。また、日本基準は、開発局面がIFRSより狭く捉えられている。したがって、具体的に考えてみると、通常、両者の差はそれほど多額になると思われない。(上記のJR東海の例は、国の補助やJR他社の資金もつぎ込まれているという点が、少し特殊ではある。だが、このテーマの本質を曲げるほどではない。)
なお、上記は巨額になるか否かという点に絞っていて、保守主義との関係について記載していないが、それについては、9/18の記事をご覧いただきたい。要するに、IFRSの概念フレームワークに保守主義の記述があろうがなかろうが関係ない。企業経営に必要なリスク管理、保守主義がなくてはIFRSも成り立たないというのが、僕の意見だ。それでIFRSと矛盾はない。
次に産業間でばらつく可能性だ。
多額に計上されるといえば、製薬会社が思い起こされる。なぜなら、患者数がある程度知られており市場の大きさが分かっていることや、新薬の効能が明確でどの程度販売できるかが、他の産業の製品より分かりやすいからだ。将来キャッシュフローの見積りが客観的に行いやすいので、早い段階から製品化の意思決定ができ、かつ、開発費の計上に繋がりやすい。
それに比べると家電は難しそうだ。革新的な製品が売れるかどうかは、市場調査などを積上げるしかないが、実現可能性の判断は簡単ではない。また、同業他社に隠すとなると、市場調査もあからさまにはできない。将来キャッシュフローを見積もったとしても、確信を持てる数字を出すのは困難だ。製品化の意思決定を行っても、暫くは開発費を計上できないかもしれない。もしかして、本当に前例のない革新的で冒険的な製品は、最後まで開発費を計上できないかもしれない。
結果として両産業間で開発費のB/S計上額はかなり異なることになりそうだ。しかし、だからといって「処理がまちまち」というだろうか? むしろ、製品市場の違い、経済実態を反映した相違というべきではないか。だが、オックスフォード・レポート(P114)では「まちまち」と言っている。加えて、オックスフォード・レポート(P114)では「過去に遡及して測定するのは大変な作業であった」と書いてあるので、もしかしたら欧州では、過去に開示した開発費を間違えたとして、過年度に戻って直した企業があったのかもしれない。でもそれしか記述がないのでよく分からない。これが問題というなら欧州の実例をなぜもっと詳しく書かなかったのだろう? それとも、たいした問題にならなかったことの切れ端を、これ見よがしに取上げたのか?
それはさておき、3つ目に思い浮かぶのは、開発段階の将来キャッシュフローの見積りには、同業種でも企業によって異なる可能性があるということだ。だが、製品市場の調査をどのように実施し、その結果をどのように判断するかは、企業によって当然異なる。その結果、将来キャッシュフローの見積りや開発費計上額に相違が生じるのは、別に問題ではあるまい。
結局、問題なのは、将来キャッシュフローで回収できると判断して資産計上した開発費が、あとからどんどん減損されるようなケースだ。止む得ない事情による場合もあるが、資産計上の判断が甘いのではないかと疑われても仕方がない場合も多いはずだ。そして、財務諸表の読み手としては、止む得ない事情による減損なのか、それとも判断が甘いのか(マーフィーの法則を防ぐようなリスク管理、保守主義が機能してない企業体質なのか)の判断をしたいところだ。しかし、残念にも、現状ではそれができるような開示にはなっていないと思う。だが、それは開発費の問題というより、有形固定資産等も含めた減損の注記の問題であり、かつ、日本基準も同様だ。IFRS固有の問題ではない。
以上で、このテーマの検討は終わりだ。開発費が日本企業、特に製造業の経営に悪影響を及ぼすというのは、どうも底の浅い表面的な味方に過ぎないように思われる。だが、さらに、一つ付け加えたいことがある。
そもそも、日本メーカーが絶好調だった時代は、会計基準上、試験研究費と開発費は繰延資産と呼ばれて、資産計上処理と費用処理の企業による選択が可能だった(企業会計原則注解15。但し、税務上は損金経理の範囲が制限されていたから、全額損金処理はできなかった)。即ち、IFRSよりさらに裁量の幅が大きく、保守的でなく、かつ、比較可能性も低かったはずだ。それが、原則費用処理へ変更されたのは、企業会計審議会が「研究開発費等に係る会計基準の設定に関する意見書」を公表した1998年3月13日以降のことだ(法人税法も、会計基準に沿う形で改正された)。
もし、開発費の一部が資産計上されることで、メーカーの経営がおかしくなるというのなら、高度経済成長時代は来なかったのではないか? ソニーはWalkmanを開発できなかったし、東海道新幹線も開通できなかったことになるのではないか。
それなのに、なぜ開発費の会計処理が日本のメーカーにそんな重要な悪影響を及ぼすなどと言われるのだろうか? それが不思議でならない。このテーマは、オックスフォード・レポートのなかで、ある東証一部上場会社の元経理担当取締役の懸念として紹介され、そのあとで「ほとんどの企業から同様の証言が得られた。特に自動車、重機、電気機器、化学、薬品産業からは多くの懸念が表明された。」と一般化されている。(P113~114)
しかし、このメーカーの役員氏は経験豊富な方だから、このような会計基準の変遷は当然ご存じだったはずだ。他の業種の会社の証言者たちも同様だ。それにもかかわらず、みんなが揃ってこのような証言をしたというのは納得ができない。
もしかして、UNIASプロジェクトのインタビュー手法(詳細は8/9の記事参照)によって、IFRSには保守主義がないとか、欧州企業では各社ごとに処理がまちまちだなどという表面的な情報を与えられ、さらに、欧州では開示を修正した企業があって大変だったなどと些細な事例を大袈裟に言われ、(これは書いてないが)税務上も損金経理できる金額が減って税金が増えますよなどと、企業の事情によって異なる可能性があることを確定的に吹込まれ、誘導されてこの証言を言わされたのではないかと疑ってしまう。これは恐ろしいことだ。もちろん、僕の杞憂か、妄想に過ぎないのだろう。しかし、不思議だ。どうも辻褄が合わないのである。
--------IAS第38号抜粋----------
(用語の定義)
- 開発とは、商業ベースの生産又は使用の開始前における、新規の又は大幅に改良された材料、装置、製品、工程、システム又はサービスによる生産のための計画又は設計への、研究成果又は他の知識の応用をいう。(8項)
- 研究とは、新規の科学的又は技術的な知識及び理解を得る目的で実施される基礎的及び計画的調査をいう。(8項)
- 自己創設無形資産が認識規準を満たすか否かを判定するため、企業は資産の創出過程を次のように分類する。
(a) 研究局面
(b) 開発局面
「研究」及び「開発」の用語は定義されているが、「研究局面」及び「開発局面」の用語は、本規準の目的上それらより広範な意味を持つ。(52項)
- 無形資産を創出するための内部プロジェクトについて、企業が開発局面と研究局面とを区別することができない場合は、企業はそのプロジェクトの支出のすべてを研究局面において発生たものとして処理する。(53項)
(認識規準)
- 研究(又は内部プロジェクトの研究局面)から生じた無形資産は、認識してはならない。研究(又は内部プロジェクトの研究局面)に関する支出は、発生時に費用として認識しなければならない。(54項)
- 開発(又は内部プロジェクトの開発局面)から生じた無形資産は、企業が次のすべてを立証できる場合に限り、認識しなければならない。
(a) 使用又は売却できるように無形資産を完成させることの技術上の実行可能性
(b) 無形資産を完成させ、さらにそれを使用又は売却するという企業の意図
(c) 無形資産を使用又は売却できる能力
(d) 無形資産が蓋然性の高い将来の経済的便益を創出する方法。とりわけ、企業は、無形資産による産出物又は無形資産それ自体の市場の存在、あるいは、無形資産を内部で使用する予定である場合には、無形資産が企業の事業に役立つことを立証しなければならない。
(e) 無形資産の開発を完成させ、さらにそれを使用又は売却するために必要となる、適切な技術上、財政上及びその他の資源の利用可能性
(f) 開発期間中の無形資産に起因する支出を、信頼性を持って測定できる能力 (57項)
- 無形資産が将来の経済的便益を創出する可能性の高さを立証するため、企業は、IAS第36号「資産の減損」における原則に基づき資産から受領することになる将来の経済的便益を査定する。(60項)
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