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2012年10月

2012年10月30日 (火曜日)

【製造業】開発費~辻褄が合わない!

2012/10/30

今回は、開発費(B/S)計上額に恣意性が入ることで、次のようなことが起こる可能性について、前回(10/26予告した通りに検討したいと思う。

 

  • 一定限度を超えて多額の開発費がB/Sに計上され、製造業を営む企業の経営、財政基盤を揺るがすような影響をもたらす可能性があるか。(保守主義)

 

  • ある企業は開発費を多めに計上し、別の企業は少なめに計上するという会計処理の相違が生まれることで、比較可能性が低下するか。(比較可能性)

 

検討するのに関連しそうな国際会計基準(IAS)第38号「無形資産」の最小限の記載を抜き出して、末尾に転載する。この問題の趣旨から、主に自己創設無形資産のところから拾う。ご興味のある方はご覧いただきたい。

 

概略としては、資産計上されるのは、研究開発活動のうち「開発」に限定され、しかも、減損テストをクリアするようなものが資産計上される、ということになる。即ち、新たに獲得する知識を利用して、将来キャッシュフローが生成されると合理的に見込める場合は、その将来キャッシュフローと開発局面で発生した費用のいずれか小さい金額が、資産計上される。

 

そして、このことから想像される検討ポイントが3つある。開発費が財政基盤を揺るがすほどの巨額になるか? という点と、将来キャッシュフローの見積りのばらつきに関して2つだ(産業間のばらつきと同業種間のばらつき)。

 

 

まず、巨額になるかという点から。

 

資産計上額には上限があって、その厳しさは、有形固定資産等の減損の基準と合っている。ただ、合っているといっても、すでに事業化され、製品の市場が存在することが確認され、収益を産み出している有形固定資産の将来キャッシュフローの見積りより、いまだ市場が確認されていない画期的製品に関する開発段階の将来キャッシュフローの見積りでは、自ずと後者の方が、企業による厳しい自己チェックが必要になる。その結果、企業が開発局面に入ったと認識していても、それが直ちに資産計上の要件を満たすことにはならず、費用処理が継続されることがある。このことは明確に認識しておくべきだ。

 

開発費が巨額に及ぶケースを想像するには、例えば、2011/8/25の企業会計審議会でTKC全国会会長の大武氏が例に挙げたJR東海のリニア中央新幹線が良さそうだ。大武氏は「JR東海のように一企業がリニアモーターカーを、積立金を積んであのような研究開発をもし欧米系の企業がやるとしたら、いわゆるこの基準では絶対にできません。」と発言し、IFRSを強制すると「製造業中心の日本は大変弱体化するとしか私は思えません。」とした(金融庁ホームページより)。JR東海の開発費が相当巨額になると思われたのだと思う。

 

もし、JR東海がIFRSを採用していれば、リニア中央新幹線を自力で建設すると公表して以降のリニアモーターカーの開発費は、資産計上されるのかもしれない。或いは、まだ具体的ルートが公表されず、環境影響評価の結果等も不明なので、まだ実現可能性が判明しないとして、費用処理されるかもしれない。だが、仮に前者だとして考えてみよう。

 

結論から記載すると、リニアの軌道など有形固定資産としてB/Sに計上される金額は巨額になることが予想されるが、開発費として計上される金額は、それほど多額になるとは思えない。例えば、昨年度の有価証券報告書P21によると、研究開発活動として3項目が挙げられ、その3項目めに超電導リニアが記載され、3項目合計の研究開発費は258億円とされている。超電導リニアのみの金額は明らかにされていないが、100億円未満かもしれない。

 

ちなみにJR東海のホームページに掲載されている最も古い有価証券報告書(2007/3)では、超電導リニアは5項目中5番目で、試験研究費の総額は175億円だ。もっと遡ると、1990年前後の資料と思われる別の資料(超電導リニア新実験線建設と実用化の見通し:http://ktymtskz.my.coocan.jp/linia/yamanasi.htm)では、山梨実験線の費用総額は、3,460億円の予定、とされており、そのうちJR東海の負担額は1,960億円とされている。しかし、ほとんどは研究段階の支出ということで、IFRSでも日本基準でも、この段階では差は出ないと思う。

 

みなさんが想像されているのは数千億円とか兆単位の資産計上額では?

 

確かに最終的には数兆円の資産が計上される。例えば、2006年には、JR東海の自己負担3,550億円の予定で、山梨実験線を42.8Kmへ延長する工事に入っている。そこで、仮にだが、IFRSではこの3,550億円が開発費に含まれ資産計上されると仮定しよう。しかし、この支出額の多くは、土地とか建物・構築物、運搬具など有形固定資産に計上されるものなので、日本基準でも資産計上され、償却資産は(法定)耐用年数か、転用の利かないものは開発プロジェクトの期間で償却される。IFRSでも開発費は無形のものだけなので、有形のものは同様の処理になるはずだ。すると、差が生じるのは人件費・経費部分だが、全体としてみると印象よりずっと僅かな金額だ。しかも、実際にはこの仮定は有効ではなく、IFRSの開発費の要件に合うのは上述のとおり、早くとも、自社負担で全線開通させると意思決定した後になると思う。

 

ちなみに日本基準では、「製品を量産化するための試作」は、研究開発費に含まれないとされている(「研究開発費及びソフトウェアの会計処理に関する実務指針」26項)。これから類推すると、JR東海は、延長線の工事について、もはや研究開発段階を終了した普通の資産の取得として処理しているかもしれない。日本基準では、開発局面がIFRSより狭く捉えられており、早い段階から普通に資産計上される。

 

以上から、実際には開発費はそれほどの金額にならないと想像がつく。したがって、IFRSと日本基準で、大騒ぎするほど結果に差が出るわけではない。意外とそのあたりは誤解をされてないだろうか。企業会計審議会での発言も、多分、こういう誤解に基づいている気がする。

 

要するに、IFRSでも研究費は費用処理で日本基準と相違ない。そして、開発費のうち、収益で回収できると見込まれる部分だけが資産計上される。また、日本基準は、開発局面がIFRSより狭く捉えられている。したがって、具体的に考えてみると、通常、両者の差はそれほど多額になると思われない。(上記のJR東海の例は、国の補助やJR他社の資金もつぎ込まれているという点が、少し特殊ではある。だが、このテーマの本質を曲げるほどではない。)

 

なお、上記は巨額になるか否かという点に絞っていて、保守主義との関係について記載していないが、それについては、9/18の記事をご覧いただきたい。要するに、IFRSの概念フレームワークに保守主義の記述があろうがなかろうが関係ない。企業経営に必要なリスク管理、保守主義がなくてはIFRSも成り立たないというのが、僕の意見だ。それでIFRSと矛盾はない。

 

 

次に産業間でばらつく可能性だ。

 

多額に計上されるといえば、製薬会社が思い起こされる。なぜなら、患者数がある程度知られており市場の大きさが分かっていることや、新薬の効能が明確でどの程度販売できるかが、他の産業の製品より分かりやすいからだ。将来キャッシュフローの見積りが客観的に行いやすいので、早い段階から製品化の意思決定ができ、かつ、開発費の計上に繋がりやすい。

 

それに比べると家電は難しそうだ。革新的な製品が売れるかどうかは、市場調査などを積上げるしかないが、実現可能性の判断は簡単ではない。また、同業他社に隠すとなると、市場調査もあからさまにはできない。将来キャッシュフローを見積もったとしても、確信を持てる数字を出すのは困難だ。製品化の意思決定を行っても、暫くは開発費を計上できないかもしれない。もしかして、本当に前例のない革新的で冒険的な製品は、最後まで開発費を計上できないかもしれない。

 

結果として両産業間で開発費のB/S計上額はかなり異なることになりそうだ。しかし、だからといって「処理がまちまち」というだろうか? むしろ、製品市場の違い、経済実態を反映した相違というべきではないか。だが、オックスフォード・レポート(P114)では「まちまち」と言っている。加えて、オックスフォード・レポート(P114)では「過去に遡及して測定するのは大変な作業であった」と書いてあるので、もしかしたら欧州では、過去に開示した開発費を間違えたとして、過年度に戻って直した企業があったのかもしれない。でもそれしか記述がないのでよく分からない。これが問題というなら欧州の実例をなぜもっと詳しく書かなかったのだろう? それとも、たいした問題にならなかったことの切れ端を、これ見よがしに取上げたのか?

 

 

それはさておき、3つ目に思い浮かぶのは、開発段階の将来キャッシュフローの見積りには、同業種でも企業によって異なる可能性があるということだ。だが、製品市場の調査をどのように実施し、その結果をどのように判断するかは、企業によって当然異なる。その結果、将来キャッシュフローの見積りや開発費計上額に相違が生じるのは、別に問題ではあるまい。

 

結局、問題なのは、将来キャッシュフローで回収できると判断して資産計上した開発費が、あとからどんどん減損されるようなケースだ。止む得ない事情による場合もあるが、資産計上の判断が甘いのではないかと疑われても仕方がない場合も多いはずだ。そして、財務諸表の読み手としては、止む得ない事情による減損なのか、それとも判断が甘いのか(マーフィーの法則を防ぐようなリスク管理、保守主義が機能してない企業体質なのか)の判断をしたいところだ。しかし、残念にも、現状ではそれができるような開示にはなっていないと思う。だが、それは開発費の問題というより、有形固定資産等も含めた減損の注記の問題であり、かつ、日本基準も同様だ。IFRS固有の問題ではない。

 

 

以上で、このテーマの検討は終わりだ。開発費が日本企業、特に製造業の経営に悪影響を及ぼすというのは、どうも底の浅い表面的な味方に過ぎないように思われる。だが、さらに、一つ付け加えたいことがある。

 

そもそも、日本メーカーが絶好調だった時代は、会計基準上、試験研究費と開発費は繰延資産と呼ばれて、資産計上処理と費用処理の企業による選択が可能だった(企業会計原則注解15。但し、税務上は損金経理の範囲が制限されていたから、全額損金処理はできなかった)。即ち、IFRSよりさらに裁量の幅が大きく、保守的でなく、かつ、比較可能性も低かったはずだ。それが、原則費用処理へ変更されたのは、企業会計審議会が「研究開発費等に係る会計基準の設定に関する意見書」を公表した1998年3月13日以降のことだ(法人税法も、会計基準に沿う形で改正された)。

 

もし、開発費の一部が資産計上されることで、メーカーの経営がおかしくなるというのなら、高度経済成長時代は来なかったのではないか? ソニーはWalkmanを開発できなかったし、東海道新幹線も開通できなかったことになるのではないか。

 

それなのに、なぜ開発費の会計処理が日本のメーカーにそんな重要な悪影響を及ぼすなどと言われるのだろうか? それが不思議でならない。このテーマは、オックスフォード・レポートのなかで、ある東証一部上場会社の元経理担当取締役の懸念として紹介され、そのあとで「ほとんどの企業から同様の証言が得られた。特に自動車、重機、電気機器、化学、薬品産業からは多くの懸念が表明された。」と一般化されている。(P113114

 

しかし、このメーカーの役員氏は経験豊富な方だから、このような会計基準の変遷は当然ご存じだったはずだ。他の業種の会社の証言者たちも同様だ。それにもかかわらず、みんなが揃ってこのような証言をしたというのは納得ができない。

 

もしかして、UNIASプロジェクトのインタビュー手法(詳細は8/9の記事参照)によって、IFRSには保守主義がないとか、欧州企業では各社ごとに処理がまちまちだなどという表面的な情報を与えられ、さらに、欧州では開示を修正した企業があって大変だったなどと些細な事例を大袈裟に言われ、(これは書いてないが)税務上も損金経理できる金額が減って税金が増えますよなどと、企業の事情によって異なる可能性があることを確定的に吹込まれ、誘導されてこの証言を言わされたのではないかと疑ってしまう。これは恐ろしいことだ。もちろん、僕の杞憂か、妄想に過ぎないのだろう。しかし、不思議だ。どうも辻褄が合わないのである。

 

 

--------IAS38号抜粋----------

(用語の定義)

  • 開発とは、商業ベースの生産又は使用の開始前における、新規の又は大幅に改良された材料、装置、製品、工程、システム又はサービスによる生産のための計画又は設計への、研究成果又は他の知識の応用をいう。(8項)

 

  • 研究とは、新規の科学的又は技術的な知識及び理解を得る目的で実施される基礎的及び計画的調査をいう。(8項)

 

  • 自己創設無形資産が認識規準を満たすか否かを判定するため、企業は資産の創出過程を次のように分類する。
             
    (a)      研究局面
             
    (b)      開発局面
              「研究」及び「開発」の用語は定義されているが、「研究局面」及び「開発局面」の用語は、本規準の目的上それらより広範な意味を持つ。(
    52項)

 

  • 無形資産を創出するための内部プロジェクトについて、企業が開発局面と研究局面とを区別することができない場合は、企業はそのプロジェクトの支出のすべてを研究局面において発生たものとして処理する。(53項)

 

(認識規準)

  • 研究(又は内部プロジェクトの研究局面)から生じた無形資産は、認識してはならない。研究(又は内部プロジェクトの研究局面)に関する支出は、発生時に費用として認識しなければならない。(54項)

 

  • 開発(又は内部プロジェクトの開発局面)から生じた無形資産は、企業が次のすべてを立証できる場合に限り、認識しなければならない。
             
    (a)      使用又は売却できるように無形資産を完成させることの技術上の実行可能性
             
    (b)      無形資産を完成させ、さらにそれを使用又は売却するという企業の意図
             
    (c)      無形資産を使用又は売却できる能力
             
    (d)      無形資産が蓋然性の高い将来の経済的便益を創出する方法。とりわけ、企業は、無形資産による産出物又は無形資産それ自体の市場の存在、あるいは、無形資産を内部で使用する予定である場合には、無形資産が企業の事業に役立つことを立証しなければならない。
             
    (e)      無形資産の開発を完成させ、さらにそれを使用又は売却するために必要となる、適切な技術上、財政上及びその他の資源の利用可能性
             
    (f)      開発期間中の無形資産に起因する支出を、信頼性を持って測定できる能力 (57項)

 

  • 無形資産が将来の経済的便益を創出する可能性の高さを立証するため、企業は、IAS第36号「資産の減損」における原則に基づき資産から受領することになる将来の経済的便益を査定する。(60項)

2012年10月26日 (金曜日)

【製造業】原価計算~嗚呼、勘違い

2012/10/26

みなさんには申し訳ないことになってしまった。前回(10/23)の記事で、IFRSの原価計算の問題について「原価の範囲が不安定、変動する」とまとめたうえで、のれんや開発費は別途扱うことにして、固定資産や棚卸資産の減損について検討すると記載した。しかし、この問題設定の仕方は不適切だったようだ。

 

僕は、オックスフォード・レポートの「毎期の原価計算の基礎が不安定になる」(P116)という記述から、IFRSの原価計算に関する規定(IAS2号「棚卸資産」)に、原価の範囲を不安定にするような不適切な規定があると早合点してしまった。僕の勘違いのようだ。原価計算の基礎の問題とは、次の3つの問題に限定されると読むのが素直なようだ。

 

  1. 「のれん」の非原価化(償却されなくなるため)

 

  1. 「開発費」の裁量に基づく費用化・非費用化(資産計上額を操作すると費用を増減させることができる)

 

  1. 「退職給付債務の数理計算上の差異」の扱い(一括負債計上してOCIに含めると非原価化される)

 

僕は、これら3つは代表例であって、IAS2号に問題があるなら他にも同種の問題があると思ってしまった。例えば、IFRSになると特別損失区分がなくなるので、減損損失が原価かどうかが問題になるのではないかと思って、固定資産や棚卸資産の減損を検討するとした。ところが、IAS2号を読んでみると、そんな懸念は起こりようがないことが分かった。(IAS2号はA4サイズで7ページしかないシンプルな基準。末尾におおよその内容を書き出したので、イメージを掴んて頂けると幸いだ。)

 

そこでもう一度オックスフォードレポートのP116の記述を読みなおし、勘違いしないよう丁寧に記述を追ってみることにした。すると、上述のように原価計算上問題は上記の3つに限定して考えて良いと考えなおした。ただ困ったことに、「のれん」と「開発費」については、P116には「既に触れた」としてあまり細かく説明がされていない。

 

そこで改めて「のれん」と「開発費」の懸念について記載されている『2.「のれん」の非償却というメリット』(P108P113)と、『3. 開発費の資産計上という懸念』(P113P115)を読んでみた。しかし、原価計算のことなど何も触れてない。どういうこと?

 

これを卒論にしたら、大学教授からひどく怒られそうだ。だが、これは大学教授が書いたレポートなので、何かあるに違いないと思い、もう少し突っ込んでみることにする。(ただ、3の退職給付債務の数理計算上の差異については、予定通り、後日、退職給付債務のところで検討する。)

 

 

1.「のれん」が原価計算に及ぼす影響について

 

IFRSでは、のれんを償却しない。では、減損したら原価計算に影響を及ぼすか? しかし、減損損失は異常項目でIFRSでも期間費用処理だ(正常生産能力に対応しないため。末尾参照)。したがって、原価計算の対象にならない。すると、いずれにしても、IFRSではのれんは原価計算と関連しない。

 

それに対して日本ではのれんの償却費は原価計算の対象に・・・? あれっ、日本で、のれんの償却費が製造原価に計上されることがあるだろうか? もしあるなら、IFRSと日本基準の相違で、原価計算に影響することになるが、ないなら原価計算とIFRS導入は関係ないことになる。

 

「企業結合会計基準及び事業分離等会計基準に関する適用指針(企業会計基準委員会)」の76項(3)には、「のれんの償却額は販売費及び一般管理費に計上すること」と記載されているので、のれんの償却費が製造原価に計上されることはなさそうだ。

 

すると、この問題提起はなんだ? 大学教授の勘違いか。

 

 

2.「開発費」が原価計算に及ぼす影響について

 

「のれん」と異なり、「開発費」の償却費は原価計算の対象となる。基本的には、特定の製品や製造工程などに関連する無形資産の償却費は製造固定費に集計され、関係する製品に配賦されるはずだ。これは日本基準でもIFRSでも考え方は同じだ。だが問題は、日本基準では支出時に費用処理されるものの一部が、IFRSでは開発費(無形資産)としてB/Sに計上され、その後償却されていく。

 

その結果、製品原価は、開発費の償却費分だけIFRSの方が大きくなるので、売上金額が同一なら売上総利益が減少する。だが、これには上限がある。開発費が過大であれば、採算の合うところまで減損されるからだ(減損損失自体は、上記のれんの減損と同じで原価計算の対象にならない)。減損後は少ない償却費しか計上されなくなり、日本基準の原価に近づくことになる。したがって、原価計算に影響があるといっても、限られたものになるはずだ。それに、関連する原価を集めて製品原価を計算するという原価計算の趣旨に照らして、製品に関連付けられる開発費を原価計算の対象にすることは、好ましいともいえる。だから、日本の製造業に悪影響を及ぼすというほどのものではないし、むしろ、改善しているように思うが、いかがだろうか。

 

開発費(B/S)計上額に恣意性が入ることで、次のようなことが起こる可能性については、前回予告した通りの区分で、後日検討したいと思う。

 

  • 一定限度を超えて多額の開発費がB/Sに計上され、製造業を営む企業の経営、財政基盤を揺るがすような影響をもたらす可能性があるか。(保守主義)

 

  • ある企業は開発費を多めに計上し、別の企業は少なめに計上するという会計処理の相違が生まれることで、比較可能性が低下するか。(比較可能性)

 

なお、オックスフォードレポートでは、開発費を資産計上するか否かが、製品価格の決定に影響を及ぼす可能性もあるように表現されている。だが、成果が出るか不明で、どんな製品になるのかの具体的なイメージもない研究費とは異なり、開発費は、収益を上げられる見込みが立つ段階で、かつ、既に成果の出た研究を製品化するプロセスで発生した費用であるため、特定の製品(群)との関連性は濃厚だ。常識的に考えて、開発費を資産計上しようがしまいが、この段階の支出を回収できるように製品価格を決めるのは当然のように思う。したがって、価格決定には全く影響を与えない可能性も十分考えられる。そうでない場合でも、製品価格を決める際のマークアップ率(原価に上乗せされる利益部分の率)に開発費が一般的な比率として上乗せされるので、実際の影響は軽微なのではないかと思われる。

 

それに、そもそも、販売価格はメーカーが一方的に決められるものではない。顧客が受入れる価格でなければならない。すると、IFRS導入が製品価格の決定に影響を与える可能性なんてことは、問題提起されるほどの重要性があったのだろうか。これも大学教授の勘違いか?

 

 

というわけで、原価計算については、僕の勘違いで、みなさんを混乱させてしまい申し訳ないが、大学教授の方も勘違いしてるようで、それほど重要な問題はなさそうだ。

 

 

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(ご参考)

以下は、IAS2号の主な内容を書き出したものだ。IAS2号は「棚卸資産」というタイトルがついていて、実は原価計算だけの基準ではない。しかし、A4でたった7ページというコンパクトな基準だ。一方、日本の原価計算基準は、財務会計上のB/S計上額を計算するだけのものではなく、原価管理や価格決定にも配慮された総合的で詳細な基準で16ページもある。しかし、決算期末の在庫評価方法や評価基準、開示までについてまでは記載されていない。それらは企業会計原則や他の会計基準で定められている。

 

一応下記のIAS2号の概略では、両者のカバーする範囲が相違することを示すために、日本の原価計算基準に相当する部分を「---」で挟んでみた。また、日本企業の実務と若干異なる可能性のありそうなところ、注意した方が良さそうなところを赤字にしてみた。興味を持たれた方は、IAS2号の原文を当たられたい。

 

  • 農林業、鉱業関係の棚卸資産の測定と開示、商品取引の棚卸資産の測定は、IAS2号の対象外。(3項)
  • 棚卸資産は、原価と正味実現可能価額のいずれか低い額により測定。(9項)

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  • 棚卸資産の原価は、購入原価、加工費、及び棚卸資産が現在の場所及び状態に似たるまでに発生したその他の原価のすべてを含まなければならない。(10項)
  • 購入原価は購入対価に付随費用を加えたもので、値引きや割戻し等は控除される。(11項)
  • 加工費には、直接労務費等の生産単位に直接関係する費用の他、製造間接費(変動・固定)の規則的な配賦額を含む。(12項)
  • 固定製造間接費の配賦は、生産設備の正常生産能力に基づいて行うが、実際の生産水準が正常生産能力に近い場合は実際生産水準を使うことができる。配賦されなかった固定製造間接費は期間費用。(13項)
  • 変動製造間接費は、実際使用量に基づいて配賦する。(13項)
  • 連産品や副産物など個別に原価を認識できない場合は、販売価格比に基づくなど合理的かつ一貫した方違法で配賦する。重要性のない副産物は正味実現可能価額で測定し、製品原価から控除する。(14項)
  • その他、特定顧客のために発生する非製造間接費、設計費用、借入費用(IAS23号)など、原価に含むことが適切な場合がある。(15項、17項)
  • 仕損じ品に係る原価、製品保管費用、一般管理費用、販売費用は期間費用。購入対価の資金調達のための利息費用は利子費用(期間費用)。(16項、18項)
  • 標準原価法及び売価還元法等は、その適用結果が上記の原価と近似する場合にのみ、簡便法として認められる。(21項)
  • 個性の強い棚卸資産、特定プロジェクトによる原価で他の棚卸資産から区分されているものは、個別法によって配分しなければならない。個性の弱い棚卸資産(代替の利くもの)は個別法を適用しない。(23項・24項)

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  • 23項以外のものは、先入先出法か加重平均法(総平均法から都度法までOK)によって配分されなければならない。異なる性質又は使用方法の棚卸資産で、その理由が正当化できる場合を除き、性質及び使用方法が類似する棚卸資産は、同じ原価算定方法を使用しなければならない(製造場所が異なるとか税法が異なるだけでは正当化できない)。(25項~27項)
  • 資産は販売又は利用によって回収できる額を超えて評価すべきでないため、正味実現可能価額が原価の上限となる。(28項) その他正味実現価額の見積りに関する注意事項(29項~32項)
  • 正味実現可能価額は決算期ごとに見積もりなおす(洗い替えのため戻入が発生する可能性があるが、当初の原価を上回ることはない)。(33項)
  • 棚卸資産が販売されたときは、関連する収益が計上された期間に費用計上する。(34項)
  • 開示(詳細省略)(36項~39項)

2012年10月23日 (火曜日)

【製造業】個別科目の問題の概観

2012/10/23

「根拠を示す」ということは難しいが、そこが重要だ。

 

橋下大阪市長の出自を暴く週刊朝日の記事は、Twitterばかりでなくテレビ・ニュースでも取上げられた。僕はその記事を読んでいないので橋下氏のツイートからの想像だが、週刊朝日は、橋下氏の攻撃性がどこから来るのかを、その血統から探ろうとして失敗したらしい。だが、そもそも、橋下氏は40歳を超えて社会生活を営み、大阪府知事、大阪市長に当選した人なので、人格に致命的な欠陥があると考えるのは、いかがなものだろうか? それより、氏がなぜ怒るのか、その中味やパターンをじっくり検討・批判すべきではなかっただろうか。

 

週刊朝日は、血統・血脈・DNAという本人の努力ではどうしようもないところからアプローチすることで、橋下氏を人として“差別”した。週刊朝日は、同和問題に触れたことを次週号で謝罪するようだが、それはほんの一部に過ぎない。仮に同和問題に触れてなくても酷いアプローチだ。「本人の努力や責任の及ばないこと、即ち、関係のないことを根拠に、人格をなじった」という子供の悪口みたいな記事で雑誌を売った下品さを恥じ、マスコミという第4の権力にあるまじき差別行為を謝罪すべきだと思う。

 

さて、そんなことを考えていたら、前々回(10/18)の記事のタイトル「(まとめ1)IFRSは長期志向」が、ふっと頭に浮かんだ。IFRSになると、利益が出たり損失が出たり、業績がシーソーのように大きく振れやすくなる、という一般的な理解がある中で、このタイトルはちょっと常識的ではない。それにしてはあっさりとした書き振りだったような気がする。説明しきれていない、根拠が十分提示されていない、一面しかとらえてないのではないか。

 

しかし、幸いなことに「まとめ1」としているので、続きは次回以降の「まとめX」でやることにして、ここは前々回の予告通り先に進み、個別科目の問題に移りたい。まずは、もう一度個別科目の問題について概観してみたい。

 

オックスフォード・レポートの記述は、9/14の記事にコピペしてあるが、次のような整理ができると思う。

 

原価計算・・・原価の範囲が不安定、変動する

ここでは、固定資産の減損、棚卸資産の減損の扱いを取上げていきたい。開発費やのれんに関連する原価計算の問題、及び、退職給付債務の数理計算上の差異の影響については、下記でまとめて扱うことにする。なお、原価計算の問題とは、単に財務会計上の製品評価の話だけでなく、原価低減活動や製品価格決めについても影響が及ぶとされている。

 

開発費

ここでは、開発費に関する懸念とその影響について扱いたい。特に保守主義(長期的視点に立った経営の阻害)と恣意性(内部統制の弱体化)の問題、その結果、原価計算に与える影響。

 

のれん

ここでは、のれんに関する懸念とその影響について扱いたい。特に保守主義(同上)と恣意性(同上)の問題、その結果、原価計算に与える影響(のれんの場合もないとは言えない)。

 

退職給付債務の数理計算上の差異の扱い

ここでは、退職給付債務の数理計算上の差異をP/L計上するか、OCI(その他の包括利益)に含めるかが原価計算に与える影響、従業員退職給付制度(確定給付から確定拠出への移行)に与える影響について扱いたい。

 

人件費に関連する問題

ここでは、“人材”の評価ができない問題と、9/14の記事では「おまけ」とした有給休暇引当金について、記載してみたい。

人材評価ができないのはIFRSだけの問題ではないが、IFRSは、なんでも公正価値評価のイメージが強いので、それなら人材もやってみなさい、ほらできないだろう、でもそれが従業員に不利な影響を与えてリストラや賃金低下を招いているんだよ、という主張だと思う。果たしてそうだろうか。

それから有給休暇引当金については、僕は昔から「日本で本当にいるのかな?」という疑問を持っていた。この際、それを検討してみたい。

 

再評価モデル

IFRSでは、有形固定資産を取得原価で計上し減価償却する方法と、公正価値で再評価する方法の選択適用が認められている。製造業には合わないので、前者を選択すればよいだけなのだが、一応ここではリストアップしておく。

 

非上場株式の公正価値評価

公正価値評価が困難、或いは、面倒なので、非上場株式への投資の差し控えや、OCIに影響を与える持合株式や海外への投資を控えてしまう懸念があるという。これについて検討したい。

 

問題の解釈には僕の考えが入っているので、もしかしたら論点が間違っている可能性がある。もし違うとか、足りないと思われたら、或いは上記以外でもこんな問題がある、という点があればご指摘いただけるとありがたい。

 

オックスフォード・レポートでは、これらについて「UNIASプロジェクトは全てに一定の真があるものと考えるが、個々の企業によって事情が違うので、日本全体の影響について評価するのは困難である」旨記載している。確かにその通りだ。僕にももちろん日本全体の影響を評価する趣旨(及び能力)はなく、僕が代表的とか、典型的と思うケースについて記載するに過ぎない。

 

さて、それでも僕にちゃんと根拠を示せるだろうか。ちょっと心配だ。記事が遅れ遅れになるかもしれないが、ご容赦ください。

2012年10月20日 (土曜日)

【期待ギャ】「不正に対応した監査の基準の考え方(案)」(企業会計審議会監査部会)の「不正の端緒」

2012/10/20

金融庁のHPに「不正に対応した監査の基準の考え方(案)」という資料が、10月18日のところに掲示された。実際には9月25日に開催された企業会計審議会監査部会で提示されたものらしい。これはオリンパスや大王製紙等の事件を踏まえた監査基準改正の骨子に当たる。そして、そこで目を惹くのが監査人に義務付けられようとしている「不正の端緒」に対する新ルールだ。

 

従来の監査基準では、「不正リスク」という概念があって、監査計画時にこれを識別・評価し、発生可能性が高く財務諸表に対する影響も重要になりそうと判断すれば、「特別な検討を要するリスク」に格上げし、そのリスク内容に応じた詳細な監査手続を実施するという考え方になっている(国際監査基準も同様)。これに対して、監査部会は以下のことを提案している。

 

  1. 「不正リスク」の識別・評価の扱いに、より厳格に枠をはめる。どうも一部「不正リスク≒特別な検討を要するリスク」となったように読める。(といっても「特別な検討を要するリスクへの対応」は、実施可能な限り無限大に広がる可能性あがるので、イコールではない。しかし、その点を除いても、単に不正リスクがあるというだけで、これだけ画一的な枠をはめられ、監査調書を作る実務は大変! 監査を受ける側の監査対応も!!)。

 

  1. 「不正の端緒」という概念を新たに導入し、不正に対する監査人の対応をより確実なものにさせるよう枠をはめる。

 

  1. このような枠を前提とした監査事務所のガバナンス強化を求める。

 

国際監査基準の趣旨を強調しただけ、という感じのところも多いが、一方で、1の部分は、従来監査人の専門能力に任されていた部分(特に上記の事件当時の日本基準では)に、国際監査基準以上の枠をはめようとしている。これは、国際監査基準を先取りする意図か、若しくは日本の監査人の能力は国際レベル以下なので、追加の枠が必要と判断したかのどちらかだろう。

 

 

いつも長文になってご迷惑をおかけしているので、簡潔に2点感じたことをリストアップしたい。

 

  1. 日本の監査人の能力を国際レベル以下とするのは、一つの“判断”であり、「あり」なのかもしれないが、一方で不正を起こした企業経営者、それを許した企業のガバナンスのシステムについてはどのように考えるのか(会社法改正による改革はほとんどなきに等しい)。企業会計審議会の監査部会の担当範囲ではないかもしれないが、それでも、それについて言及しないのはバランスに欠けるのではないか。

 

  1. 監査部会の提案を読んで感じるのは、「監査人を国際レベルに引き上げよう」という意図より、「監査人や監査法人の検査がやりやすいように枠にはめよう」という意図だ。個々の監査人の判断領域を狭め、その代わりに形式な調書を作らせ、ルールに合わさなければ罰するぞ、という構えが見えている。そして、結局これらの負担は監査を受ける企業側に及ぶことになる。直接の負担もあるし、監査事務所の間接コスト増大の影響も企業に及ぶだろう。(それとも、IAASB=国際監査・保証基準審議会=で、こういう方向の議論がされているのだろうか。或いは、この一年で国際監査基準にそういう改正があったのか。)

 

 

いや、これはやはり今回も長文になりそうだ。

 

僕は監査基準が増々細則化するのではないかと危惧を抱いている。細則化すると、無駄が増殖し、企業にも監査人にも負担になる。細かいルールや形式を知っているだけで、現場に出ないのに偉そうに振舞う人がでてくる。コストの高い監査事務所の間接人員が増える。しかし、昔のドラマの名セリフのように「事件は現場で起こっている」のだ。現場で適切な判断できる人が一番偉い。その代り事件になれば、一番重い責任を負うべきだ。

 

ということで、監査基準を細かくするのではなく、以下のように、「不正の端緒」以降のステップを監査人から切り離し、かつ、情報開示によってプレーヤーの責任の明確化し、自然淘汰で質の向上を高めるのが良いと思う。

 

  • 監査人、監査事務所には、有罪であろうが無罪であろうが、或いは、まだ未決着の段階であっても、関わった粉飾事件の概要と対応を、長期間にわたり自ら開示することを義務付ける(期間は10年とか20年とか。自己紹介する場合に必ず書面で説明を要するとか、監査契約書に添付させるとか。もちろん、調査報告書等で開示されている事実の開示であって、自分の主張を入れてはいけない。)。

 

  • 監査人は、経営者が関与している可能性がある不正、影響の大きな不正の端緒を掴んだ場合、或いは可能性が高いと判断した場合、速やかに監査契約を破棄を通告(契約解除)する。契約解除しない場合でも、下記の調査を監査対象の上場会社に要求することができる。

 

  • 上場会社は、監査人から契約破棄の通告を受けたら、第三者(東証か監督官庁か)の指名による調査委員会を起ち上げて不正の有無及び内容の解明を行い、結果を速やかに公表する。

 

  • 監査人及び監査事務所は、結果的に不正がないと判明した場合でも上場会社やその株主に対し責任を負わないが、専門家としての判断の失敗として上記の開示を行わなければならない。解除した監査契約は、上場会社が望めばその期に限り復活できる。

 

監査事務所は、能力のない人を監査人(監査責任者)にした場合、長期間不名誉な自己紹介を強いられる。それがいくつもあれば、営業上不利なので衰退していく。だから、そういう監査人、監査事務所は減っていくに違いない。或いは、安い単価でしか受注できなくなる。一方、経営者が不正を行った、或いは大きな不正を防げなかった上場会社は、調査委員会によって、いまより早い段階で実態解明が進められると思う。これは結果的に不正の抑制にもなると思う。見つかりやすくなるのだから。

 

ただ、結果的に監査人が間違った判断をして調査委員会が起ち上げられてしまった会社は、調査に関する外部的・内部的負担で迷惑を被ることになる。これはこの提案の欠点だ。しかし、そういうフライングを必要悪として認める価値はあると思う。

 

というのは、実際には不正の端緒を掴んでも、それを不正の確たる証拠へ繋げるのが容易ではないことが、不正の発覚を遅らせ、不正をやりやすくしているからだ。不正が進めば進むほど損害額が膨らんで、取返しがつかなくなる傾向があるから、企業の側にもメリットがあるのではないだろうか。監査人が不正の証拠をつかむのを待っていては数年かかることもある。例えばオリンパスは、2011/11に第三者委員会が起ち上げられ、早くも翌月報告書が公表されたが、これ以前に次のように数回不正に迫る機会があり、その段階で適切な調査委員会の手に掛っていれば、もっと早く実態解明ができていた可能性があることが、同報告書により明らかにされている。

 

  • 監査人は2000/3期に飛ばしの端緒を掴んでいた。

 

  • 監査人は2008/3期に行われた国内子会社の買収をおかしいと気付ける可能性があった。

 

  • 監査人は2009/3期に行われようとした海外子会社ののれんの計上をおかしいと気付ける可能性があった(後任監査人は2010/3期に認めてしまったが、前任監査人はおかしいと指摘して止めていた)。

 

監査人(監査責任者)は、限られたスタッフと力を合わせ、基本的には報酬の範囲で業務を遂行しようとする。だが、不正の証拠までを掴んで来いと言われると、マンパワーも予算も足りないというのが率直な感想だ。僕も、売掛金の滞留の仕方がおかしいなあと思い始めてから、(社長ではないが)営業トップの役員の不正を焙り出すのに2年半もかかった経験がある。そしてその間、監査報酬の倍ほども監査コストを使い続けた。当時はまだ主査だったが、今思えば、気前の良い上司(監査責任者)と監査法人だ。

 

そこでこの提案では、不正の可能性が高いと判断する段階や不正の端緒を掴むところまでを監査人の責任として、その先を調査委員会に委ねている。よって、上記の「不正の端緒」への監査人の対応へ厳しく枠をはめようとする企業会計審議会監査部会の提案とは、全く違う。一方で、監査人個人に長期間、直接責任が付いて回るようにすることで、監査人の自覚、即ち、職業的懐疑心の強化を図って、質の向上を狙っている。気が付いて契約解除するところまでが監査人の責任で、そこに見逃しがあって過失だとされるなら、監査事務所はその人をもう監査責任者にはしないと思う。自己紹介するだけで仕事を逃してしまうから。

 

監査人は不正の可能性を指摘したがり、監査を受ける側は、簡単に不正にされては外部の調査委員会が入ってきて大事になるから、両者の間で緊張感が高まっていく。程度にもよるが、結局求められているのはそれだと思う。そして大きいのは、大袈裟な検査が不要になることだ。うっかり者の監査人や監査事務所は自然淘汰されていくのだから。

 

さて、みなさんはどのように感じられるだろうか。僕は、このような情報開示を行い、不正の端緒以降のステップを監査人から切離した方が、良いプレーヤーが残るし、不正の防止効果もあって、実のある監査制度になると思うのだが。

 

 

ん~、結局また長くなってしまった。本当はこんな世迷言の提案まで書くつもりはなかったが、今まで以上に検査対応、後ろ向き、内向きの作業に追われるのかと、昔の仲間のことが気になった。それに、監査制度の大事なところが変わっていくので、僕が“監査人”としてブログに書けることもなくなっていくだろうな、と思ったら、つい力が入ってしまった。くどいが、問題は現場にある。監査事務所は、検査をクリアできる監査調書を整えるため、ではなく、現場にいる監査人が適切な判断ができるようにサポートしてほしい。そして、それが当たり前の監査制度であって欲しいと切に願う。

2012年10月18日 (木曜日)

【製造業】(まとめ1)IFRSは長期志向

2012/10/18

ここのところ、超長文が多く、皆様には申し訳なく思っています。今日は簡潔に。

 

この【製造業】シリーズでは、日本の製造業にIFRSが合うか?という問題を扱っている。IFRS反対派・慎重派はIFRSは日本企業、特に製造業に合わないとする理由として、IFRSに保守主義がないことを挙げている(9/14の記事)。また、日本的経営がゴーイング・コンサーン経営だからIFRSは合わないと表現することがあり、その意味を考えてみると、日本的経営は長期志向だがIFRSは短期志向だ、という主張らしいことが分かった(9/20の記事)。

 

この数回、これらについての検討を行ってきて、僕の主張は次のようなものだった。

 

  • 保守主義は、企業経営に必要なリスク管理の問題、会計基準以前の問題であって、IFRSに記述があるかないかは関係なく必要なもの(9/18の記事)。

 

  • IFRS反対派・慎重派の主張に見られるトライアングル体制への回帰志向は、経営問題先送りを助長する取得原価主義の復活であり、おまけに、その頃の取得原価主義は全く保守的ではない(9/25の記事9/28の記事)。

 

  • 円高が日本経済の基礎条件を変えてしまったので、日本企業はもっと(事業)投資家的発想で事業全体のデザインを再検討し、かつ、投資の管理機能を高める必要がある。そのために、IFRSが前提とするような投資回収計画(B/S項目を含んだ事業計画)を利用することが考えられる(10/1の記事10/15の記事)。

 

  • IFRSや最近の日本基準に見られる会計上の見積りは、トライアングル体制下の取得原価主義の欠点である放置志向を改めるために導入されてきたもの(10/1の記事)。会計上の見積りは、経営におけるリスク管理(投資管理)機能から抽出されるべき(9/18の記事)。

 

そして、このシリーズ及びこれ以前から、下記のようなIFRSの受けている誤解についても時々触れてきた。

 

  • 「IFRS=公正価値会計」
             
                   このイメージが、IFRSを短期志向の会計基準と誤解させているが、IFRSは金融商品系を除けば基本的には取得原価主義をベースにしているし、上記に見るように、逆に長期志向の事業投資を行う経営者にとって、有用なツールとなり得る。(単に減価償却しているだけでは、有効な事業投資管理にならない。)

 

  • 「IFRS及び最近の日本基準は多額の退職給付債務を計上させる⇒退職金制度の改悪・後退」
             
                   このように思っている方には、昔の企業は倒産すると退職金をもらえなくなる人がたくさんいた事実を思い出してほしい。債務計上することが、従業員の権利を守ることに繋がっている。(適切な債務計上を伴っていなければ、いくら気前の良い退職金制度でも「絵に描いた餅」。)

 

ということで、このシリーズの冒頭(9/14の記事)で掲げた検討事項「(2)保守主義と持続的成長に関する懸念」については、これで区切りとしたい。経営視点で深掘りすれば、IFRSが短期志向と考えることはないと思うのだが、それでも短期志向と考えてしまう方が多いのは、「IFRSは解散価値会計」などという宣伝と、会計上の見積りをする際の、将来キャッシュフローを見込んで現在価値に割引く手法のイメージによるものと思う。宣伝はともかくとして、この手法については、上述のとおり、経営機能と結びついて事業投資を管理する長期志向のものであり、計算手法のイメージだけで短期志向と考えるべきではないと思う。

 

 

さて、あと積み残しているのは、日本的経営の特徴としてあげた「共同体意識の強さ」とIFRSの関係についてだ(9/22の記事)。ただ、昔は強く見られたこの特徴も、円高が進む過程で薄まってきているのは皆さんもご存じのとおり。とはいえ、企業が強くあるためには共同体意識が強く保たれるべきだと思うので、「思い」を共通項に、いまの時代に合った形で存続できる方法はないかと思うのだが、これはIFRSと関連しそうもないので、省略させていただきたい。それでもこの点にご興味を持たれる方は、こちら(ワタミ創業者の渡邉美樹氏の日経ビジネスのブログ)を参考に、ご自分なりに検討されてみてはどうだろうか。「思い」は経営にも、人生にも重要なものだと思う。現実との戦いは厳しいが・・・。

 

次回からは、9/14のシリーズ予告でピックアップした「(1)各勘定科目レベルでの懸念」の各項目について検討を進めていきたい。

2012年10月15日 (月曜日)

【製造業】加工貿易と円高

2012/10/15

前回(10/4)の記事で、「最近の会計は損を早く出し過ぎる」という批判に対して、時代が変わったのでその批判は当たらないと書いた。時代の何が変わったのだろうか。それは、加工貿易というビジネス・モデルが円高によって破壊されたことだ。特にコモディティー化された製品、即ち、新興国でも製造できるような製品は、日本国内で製造しても価格・コスト的に太刀打ちができない。為替相場の変動に関係しないような強い製品力を持った製品を製造するのでなければ、日本に工場は残れない。

 

「それを言っちゃあ、お終いよ」と思われた方が、もし、いらっしゃれば、もう一度冷静に現状を眺めてみて欲しいと思う。そして「ここから始めなければ、始まらない」と考えるべきだと思う。現実を認めて早々に減損すべきものは減損すべきだ。

 

 

ところで、みなさんは、ご子息の経済的な将来を踏まえた時に、どんな教育をお望みだろうか。

 

・1つ以上の外国語でのコミュニケーション能力

・他人と違う能力・技能を持つ

 

我々世代の親は、「みんなと同じことをやれる」とか「学校教育にお任せ」、或いは、「提示されたメニュー(高校の種類)の中からの選択」などといった感じの教育方針だったように思うが、今は違うのではないだろうか。ほとんどの方が、知識偏重で、同質人材の大量生産方式の教育だけでは、これからの時代は良い暮らしができない。そして英語を含め、現在の学校教育では満足できないと思われているのではないだろうか。(僕も、中学から大学までの10年間、英語の勉強に費やした時間を返してくれ、と思っている一人だ。)

 

我々の時代、「大企業に入れば良い暮らしができる」というイメージは、大卒だけでなく高卒にもあった。メーカーでは、高卒の新入社員は、主に工場に配属される。しかし、今、その工場は、国内から海外へ移転している。事務職になる人もいるが、派遣社員に置き換えられている。そんな現実をご覧になっているみなさんの考え方が変わっても少しも不思議はない。

 

 

こんな環境の変化をもたらした直接的な原因は「円高」だ。僕が大学を卒業してメーカーに就職すると、直ぐにプラザ合意があり急激な円高が始まった。そしてバブル経済と冷戦の終結とともに会計士になり、円高と戦う企業を見てきた。会計士になりたての頃は販売拠点を海外に持つ企業は多かったが、生産拠点を海外に持つ企業はまだ少なかった。日本企業は、国内の雇用を減らしてまでの生産拠点の海外移転には慎重だった。しかし、円高が進むと背に腹は代えられず、最初は国内の工場を維持したまま、そして徐々に国内雇用を減らしても生産拠点も移すようになった。もう、日本企業の投資は、国内より海外の方が多いようだ。

 

しかし、「円高」による影響の大きさは、日本企業の対応、即ち、「生産拠点の海外移転」を超えている。それは、新興国が工業力をつけて、日本企業の強力なライバルとなってきたためだ。しかも、新興国のメーカーは、安く作るだけでなく、日本企業がやってこなかった工夫もしている。車や家電では、より市場にマッチした製品を開発し提供している。日本製品は技術的には高機能だが、その機能が顧客に満足を与えるものかどうかが問題と言われている。

 

日本企業が直面している環境変化の主原因は「円高」だから、それを是正できれば日本企業はまた復活できる。そういうイメージを持っている人もいると思うが、本当に「円高」を是正できるだろうか。一企業の力では無理だし、政府・日銀の政策で変えられるかも確証はない。また、より顧客志向の経営に転換することは簡単だろうか。海外顧客のニーズを理解することは、日本語によるコミュニケーション能力だけで可能だろうか。

 

 

僕は最近「デフレの功罪」について考えることがある。それは最近インフレ待望論をよく聞くからだ。

 

インフレ待望論は、ざっとまとめると、日本に於ける2%のインフレが、同じく2%を政策目標に掲げるドル・ユーロに対する円相場の(長期的な)安定につながるメリットと、名目GDPの増加による税収増で国債償還が進むメリットがあるという話だ。このほか、インフレが経済を活性化させるという話もあるが、貯蓄率が先進国でも最低レベルに下がってしまって、今消費するか、将来消費するかなんて選択をしている余裕のない日本でそうなるか疑問だ。それとも庶民を借金漬けにする気か? 一方で、高齢者の金融資産はインフレで減価し、名目金利の上昇による国債利払いの増加というディメリットもある。

 

高齢者の金融資産の減価が、若い世代の所得の増加に繋がればよいが、円相場が今の水準で安定しても、工場の海外移転は止められないし、それだけで顧客志向の経営が実現するわけでもない。すると、若い世代の所得の減少を止められないまま高齢者マーケットだけが縮小する。

 

日本のインフレを3%にしてドルやユーロより高くすれば、円相場は円安方向に動くが、同時に名目金利も3%上昇するから、一千兆円の借金は、短期のものから順番に利払いが増えていく。10年後には現在より年間30兆円増えるかもしれない。一方で、500兆円のGDPが40~50兆円の税収を生むとすると、インフレによる税収自然増はその40~50兆円の3%しかないから、果たして利払いの増加を賄えるのだろうか。そして、現在国債・地方債を大量に保有している金融機関は、名目金利上昇による国債価格低下で発生する損失(恐らく兆単位)に耐えられるだろうか。(今の金利が異常に低いので、2%~3%の上昇は、国債等の相場にかなりインパクトがあると思う。)

 

それに、インフレ率は本当にコントロールしきれるだろうか。もし、コントロールできずに4%、5%と上がってしまえば、国債等は暴落して金融機関の経営は不安定化し、円相場も暴落するかもしれない。石油やLNGの円貨ベースの購入価格が急騰し、貿易収支も急激に悪化し、経常収支も赤字になるかもしれない。給料が増えないままインフレだけ進めば、庶民の暮らしに与える影響は最低だ。これらの結果、もしかすると、国債等は国内に買い手がおらず、海外資金が買い手となるかもしれない(買い叩かれて金利が上がる。国債等の利払いも増加する)。これでは借金が多い分、イタリアよりもっと質が悪くなる。

 

上記は、間違っているかもしれないが、要するに僕には、インフレ率を操作することのリスクや収支の見通しが良く分からない。即ち、「円高」に企業業績悪化の責任をなすりつけて、「円高」を攻撃しているだけでは、解決につながらないのではないかと恐れる気持ちが強い。

 

だが、日本企業が収益を拡大することは税収増につながるし、若い世代の所得増に結び付く可能性もないわけではない。そして、それが現在の問題を解決できる最も確実な方法ではないかと思うのだ。だから、日本企業、特に製造業は、「円高」を前提としたビジネス・モデルに転換する必要がある。そして、従業員、特に若い世代は、そういう日本企業に求められる人材になるよう(自己)投資をする必要がある。とりあえず英会話をやればよい、などという簡単なものではない。英会話もやりながら、現状の仕事の在り方について、自身が関わっている事業のやり方について、さらには会社の在り方についても、経営理念に立ち返って白紙からどうあるべきか、自分の考えを持てるようになる努力が必要だ。

 

 

この話題は、このブログの枠をはみ出すだけでなく、僕の能力を遙かに超えているが、要するに、過去を前提としない大胆な発想の転換が必要な時代になったと言いたかった。「成功するまで止めない」は、松下幸之助氏やスティーブ・ジョブズ氏が語ったような精神論としての面は今もなお重要、というより、今だからこそさらに重要になってきている。だが、企業が人材育成のために不振事業を「成功するまで止めない」のは、もはや時代が許さなくなっている。過去に目を向けるのではなく将来を予測し、顧客のニーズを深く研究し、既成概念による制約を打破して対応することで、成功の確率を高める努力にこそ、この本当の日本経済復活の成否がかかっている。企業による人材育成も、そういう局面において、その流れに沿って行われるべきだ。

 

そんな日本企業において過去の取引を集計するだけのトライアングル体制下の取得原価主義に戻ったら、何が起こるだろうか。多分、経理業務はコンピュータと派遣社員で置き換えられるだろう。そんな会計は経営に貢献しないから、コストを掛けられない。見積りに恣意性が入るといわれるが、会計上の見積りは、企業の将来を真剣に考えて、経営機構と一体になって将来のシュミレーションを繰返し、その結果として出てくるようなものになっていくことが求められていると思う。経営のツールになっている会計こそが、見積りの根拠を持ち得るのだと思う。

 

 

 

ところで、前回から随分間が開いてしまったが、気持ちの良い季節に浮かれて怠けていたわけではないことを最後に付け加えたい。実はこれが5つ目の原稿で、前の4つはボツにした。こんなことは初めてだ。日本経済全体に関わるような話は、僕には専門外で荷が重いと改めて感じた。しかし、今の延長線上に日本の未来はないのではないかという僕の危惧は、以前から、いつか、どこかで書かなければいけないような気もしていた。

 

繰返しになるが、円相場をコントロールできる根拠がない限り、我々世代が小学校時代に習った「加工貿易」はもう日本のビジネス・モデルではなくなったと考えざるを得ない。日本企業は、改めて「思い」に立ち返って、「思い以外は何でも変えていいんだ」というところから事業を見直すことが求められていると思う(「思い」については前回10/4の記事を参照)。

 

その中で、顧客満足を高める日本らしさ、我社らしさを再発見し、高価でも競争力のある製品を国内で製造するのか、それとも、安価な製品を原料の調達、生産地、販売地のすべてをデザインし直すのが我社らしさの表現になるのか、顧客目線で考えていく時代が来た。日本人従業員は、マーケットとの対話、海外生産拠点のコントロール、製品開発、そしてこれら全体のデザインにもっと関わるようになる必要がある。既に始めている会社もあるが、始めてない会社は急ぐ必要がある。そして、会計は、このような経営活動に貢献できるものであって欲しいと思う。

 

IFRSは投資家の会計基準で製造業に合わないと言う人達がいる。しかし逆に、日本の製造業がもっと「思い」を持った『投資家』になってよいのではないか、と僕は思う。

2012年10月 4日 (木曜日)

【製造業】成功するまで止めない人材育成

2012/10/04

「日本企業は、もっと事業を長い目で育てるのだが、最近の会計は損を早く出し過ぎる。」

この言葉の中には、「続けていけばいずれは利益を出せるようになる」という考えが潜んでいる。続けていけば成功するというのなら、続けていくと何かが変わるに違いない。それが業績に良い影響を与えるということだろう。それは何か。

 

と、ここまで書いて、昨年、スティーブ・ジョブズ氏が亡くなった時のクローズアップ現代の追悼番組で流された、昔(10年前)のインタービュー・シーンが頭によぎった。確か「どうしてそんなに成功できるんですか」みたいな質問に対して、「成功するまで止めないこと」と答えていたような気がする。

 

気になってネットで「成功するまで止めない」を検索すると、なんと松下幸之助氏もそう言っていたという。それを、鳥羽博道氏(ドトール・コーヒーの創業者)が、経営に悩んで相談に来た人に紹介するのだという。(名言DB:ビジネスで使える名言集 http://systemincome.com/10799 より)

 

元監査人の僕には驚きのコメントだ。なぜなら、そんなことをしたら泥沼にはまって身代を潰してしまうと思うからだ。確かに「成功するまで止めない」のだから、失敗することはない。しかし、それは言葉遊びだ。実際には資金など経営資源が尽きて止めざるえなくなる・・・。

 

と、考えるのは凡人なのだろう。天才たちが言いたかったのは、「探せば必ず道があるという信念を持って簡単に諦めない」ということなのではないだろうか。

 

いやいや、天才の言うことを簡単に理解できるはずがない。前後関係も含めたもっと正確な天才たちの発言が分からないか。そう思ってもう一度検索してみると、なんと、そのスティーブ・ジョブズ氏へのインタビュー(放送日2001/3/29)が、NHKのホームページに掲載されていて、現在も見られる。

 

http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_1403.html

 

これによると、インタビュー冒頭の国谷キャスターの「途中で止めようと思ったことはありませんか。」という質問に対する回答の中で、「大変な時もありましたが、諦めようと思ったことはありません。・・・成功する人としない人との一番の違いは、途中で諦めるかどうかということです。失敗する人は途中で諦めてしまうのです。必要なのは強い情熱です。」と言っている。さらにそのあとで、「・・・まず必要なのは、世界に自分のアイディアを広めたいという思いです。それを実現するために会社を立ち上げるのです。」と、その情熱の中味を説明している。僕の記憶とは大分違うが、諦めないという解釈だけはなんとか共通しているようだ。

 

話題を元に戻そう。続けていくと何が変わるのだろうか。もしかしたら、「何を続けていくのか」という問いの方が本質なのかもしれないが、とりあえず、変わることを探してみよう。

 

結論から書くと、「思い」以外のすべて、ということになりそうだ。思いを実現するために、あらゆる工夫、努力をしていくということだ。その結果、「思い」以外のすべてが変わる可能性がある。実際、ジョブズ氏は創業者なのにアップルから一度追い出されているから、会社さえも変わった。でも世界を変えるという「思い」は変えなかった。

 

僕はこれについて次の2点に注目した。

 

  • 「思い」以外のすべてを変えて良い、ということに気付くのはいつか。

 

  • 「思い」は、いつ、どうやって、自分のものになるか。

 

みなさんが、事業責任者に抜擢されたと仮定しよう。いや、もう私は事業責任者どころかもっと偉いです、という方もいるかもしれないが、初めて事業責任者を任された時のことを思い出してほしい。ほとんどの人が、既存の得意先、製品やサービス、監督官庁など行政上の規制、業界団体による自主規制・慣習、社内慣習、競争状態、組織のガバナンスの特徴、予算内容、過去の事業責任者のやり方などについて、自分の知識を正しいか確認したり、深めたりするだろう。そして、自分の「思い」を実現するための問題点を抽出し、変化を起こす戦略を検討する。

 

だが、いざそれらの戦略を検討し始めると、呆然とすると思う。なぜかというと、変えられないことばかりだからだ。簡単に変えられるなら前任者が変えている。それができないから問題事業になっている。

 

しかし、実際には変えられるし、答えは見えないだけで存在している。

 

このことに気付けるのは、その困難を克服する過程においてだ。自分の限界を自分で乗越えたとき、と言ってもよいかもしれない。ジョブズ氏であれば、ガレージで友人と手作りしていたPCを大量生産するためにアップルを設立し事業を開始するプロセスとか、そこを追放されても新しい会社・分野で実績を上げるまでのプロセス、さらには、アップルに復帰してiMacをヒットさせるプロセスにおいてかもしれない。

 

では、その困難を克服する精神的エネルギーである「思い」はいつ自分のものになるか。偉人伝などでは子供のころの体験でそいういう「思い」を持つようになった、みたいな話があるが、僕には残念ながらそういう体験はない。僕のような人間には「思い」は持てないのか? だが、僕だけでなく、そういう人は多いのではないか?

 

それは社会に関わりを持つようになって、自分が役立ったとか、人から感謝されたとか、そういう実感を持てたときに、「これだ」と思えることに出会えるのではないかと思う。要するに何か成功したときだ。それでも遅くはない。ジョブズ氏であれば、友人のために作っていたPCが、もっと広く一般の人にも売れると分かったときとか、多くのユーザーを獲得し、また彼らがマッキントッシュを愛していると分かったときとか。上記のインタビューで語っている、子供を撮影したビデオを3分に編集して字幕を付けたものを奥さんに見せたら、奥さんが涙を流して感動したときも、そうかもしれない。確かにそれが本当の話なら、グッとくるに違いない。

 

 

さて、今回のテーマはこれだった。

 

「日本企業は、もっと事業を長い目で育てるのだが、最近の会計は損を早く出し過ぎる。」

 

みなさんは、日本企業の話なのに長々とジョブズ氏を持ち出してどうするのか、と思われていたかもしれない。長々なのは反省するが、決して筋違いというわけではないし、このテーマを忘れていたわけでもない。ただ、ジョブズ氏ではなく、松下幸之助氏をメインにした方が良かったかもしれない。

 

まあ、そういうことは止しにして話を戻すと、僕は、日本企業が問題事業の改善を、「人材育成の場」として利用している気がしていたのだ。少なくとも昔は。営業利益や経常利益、ましてや売上高の目標達成ばかりが強調されるような冷たい世界ではなかったと思う。もっと人間としての成長が注目されていたように思う。

 

「成功するまで止めない」というのは、結局、社会に貢献しようという強い使命感で自分の殻を破ることだから、自分が成長するまで頑張ることだ。今は聞かれなくなった精神論、根性論による人材育成論といってもよいかもしれない。かつては巷に精神論が溢れていたように、その対象は「世界を変える」などといったデカい思いだけでなく、もっと日常的で身近な思いも対象になる。伝統的にOJTやインフォーマルな人間関係で人材育成を行っていた日本企業にとって、事業の立直しは、事業責任者はもちろん、その事業に関わる従業員の人材育成の場でもあったのだ。かといって、万全のサポートをするわけではない。かなり放任主義だ。その代り、時間を与えていた。それが合理的かどうかは別として。

 

実際、それで人材育成ができるのであれば、安い投資なのかもしれない。数年赤字が続いたとしても、その後黒字で挽回が見込めるし、成長した人材は、同程度のチャレンジなら別の案件を成功させる確率が高い。より大きなチャレンジをさせることもできる。だが、減損等により巨額の赤字を出してしまっては、そこまで待てないから、人材育成もできない。この言葉には、そういう意味が含まれているように思う。

 

このように書いてくると、やはり「最近の会計は損を早く出し過ぎる」ということになってしまうのか。「いや、そうではない。問題は会計が変わったことではなく、時代が変わったことだ。外部、内部の環境が大きく変化した。」という話を次回に書きたい。

 

ところで、上記のインタビューは、2001年に行われたものと思うが、今見ても素晴らしい。というか、今になってようやく僕のような凡人にも理解できるようになったというべきか。18分ほどかかるがご覧になることをお薦めする。ジョブズ氏の企業家精神の内容、PCマーケットの変化の整理(第一段階~第三段階)、製品化・組織化の手法、Think Differentの広め方、仕事へのモチベーションなど、短時間なので限界はあるが、幅広く興味深いテーマについてジョブズ氏の考え方の一端を見ることができる。

 

例えば、この当時、人間の感情面をデジタル化してPCで扱う第三段階が到来するとしていたジョブズ氏と、そこまでする人は一般にはいないのではないかという国谷キャスターが議論している。また、10年後に何をしているかという質問に対して、ジョブズ氏でも環境変化が激しく5年後でも見通すことはできないと答えている(最後の方)。恐らくジョブズ氏も複数シナリオ、オプションを持ちながら柔軟な対応ができるよう工夫していたに違いない。加えてこのインタビュー映像は、2001年に放送されたものなので、国谷祐子キャスターのファンには必見のお宝映像だ。

 

ただ、残念ながらなぜか日本語のナレーションには含まれていないのだが、ジョブズ氏は、第三段階は日本から来たといっている。具体的にはデジタル・カメラやビデオ(ハンディ・ビデオ・カメラ)のことを指している。改めて日本企業による既成概念を打破る活躍を期待したい気持ちになった。

2012年10月 2日 (火曜日)

【製造業】減損会計への批判と投資回収計画

2012/10/01

今年は10月になってもまだ暑い。台風17号の台風一過であるせいもあるが、窓から見える雲は入道雲のようにも見える。「暑さ寒さも彼岸まで」はもう古い言い伝えになってしまったかもしれない。一方、1日に日銀短観が発表され、大企業製造業の業況判断(DI)は6月に比べ2ポイントのマイナスとなって悪化したという。残念ながら、こちらは一足早く冷えてきたようだ。

 

さて、IFRSが日本の製造業に合うかというテーマだが、ここまで、放置主義の取得原価主義会計は、戦略なき問題先送りの会計であり、(製造業であるか否かに関わらず、)企業経営に役立たないと書いてきた。もちろん、経営者が見て役に立たないものは、一般的な企業の利害関係者にも役立たない。現存する問題の所在は明らかにされず、将来を映す要素もなく、単なる過去の取引の集計に過ぎないのでは情報不足だ。(9/25の記事

 

一方、取得原価主義会計でも、減損会計等の将来キャッシュフローの見積りを行う場合は、主に資産評価の観点から企業が抱える問題を棚卸し、必要に応じて財務諸表に明らかにする(減損損失を計上する)。企業のリスク管理がしっかり機能している限り、それが企業の問題解決の努力を促進させるから、問題が放置されずに早期に問題解決に向かうことができる。(9/28の記事

 

ここまで書いてきて、ふと思い出したことがある。それはトライアングル体制下の取得原価主義の頃に、損失計上を勧めた会社から言われた言葉や、減損会計が入った当初に良く聞かれた減損会計への批判だ。

 

  1. ここで損を出せば事業を縮小・リストラせざるえず、それがまた損失を生み、悪循環に陥る。

 

  1. この先環境が良くなって将来キャッシュフローが増加するかもしれないのに、減損して経営資源の配分を絞れば、それを獲得するチャンスを失う。

 

  1. 減損が怖くて、新規事業を行ったり、新機軸を打ち出すといったチャレンジができなくなる。

 

上記をまとめると、「企業経営のツールである会計が、逆に経営の手足を縛って良いのか」となる。だが、いずれも、経済実態の描写を行う会計への批判としては筋違いではないだろうか。

 

言うまでもなく、投資は投資額以上のキャッシュフローを回収するために行う。通常、大きな投資をする場合は、その意思決定の根拠にするためにDCFなどの手法による採算シュミレーションを行う(投資回収計画)。最も不確実性が高いのは需要予測だから、決め打ちせずに色々なパターンが検討されるだろう。そして、今の環境では重要な前提が崩れた場合の対応まで考えておく必要があるだろう。重要な見込み客が獲得できなかった場合、為替レートが大きく不利に動いた場合、予想より早く競争相手が革新的な新製品を投入してきた場合等々。そのときになって考えるのでは遅すぎる。複数シナリオを描いて準備を勧め、いざという時の時間を稼いでおくことが必要だ。

 

そして、これらのシナリオと採算シュミレーション(投資回収計画)は、事業開始後も、環境の変化に応じて更新を続けていく必要がある。投資額回収のための対応策は、きっとどんどん変わってくるだろう。圧倒的な製品力、マーケット支配力があれば別かもしれないが、こういう複数シナリオの準備をしていかないと、スピード感のある意思決定は難しい。その代り、投資額以上のキャッシュフローを回収できる確率が高まる。月次の損益実績は、政策が予想通りの効果を上げたかを確認をするだけの役割しかない。

 

減損会計基準(特にIFRS)を読んでいると、僕にはこんなリスク管理が前提にあるような気がしてならない。また、以前書いた創業経営者の頭の中をのぞき見たせいかもしれない(2011/9/30の記事)。日本企業の場合、製造業でも投資回収計画を更新していく企業は少なく、損益管理がメインになっていると思う。しかし、損益管理だけでは発想が狭く、大胆なアイディアが出にくいと思うし、投資額を回収しなければならないという最重要ポイントが抜け落ちる可能性が高い。

 

この点について、上記の3つ批判について考えてみよう。

 

例えば1については、損を出しても梃入れのために追加投資することもできるし、悪循環に陥る可能性が高いような事業なら、やはりその時点でしっかり損失を出して撤退した方が、トータルの損失は少ないかもしれない。複数シナリオの投資回収計画を更新していれば、結論は出やすいだろう。

 

2は環境が良くなる証拠があるならその分の減損は不要だし、証拠がないままに資金投入し続けるのは経営として合理的でない。しかし、それでも資金投入し続けるという経営判断なら1と同様に損失を出しても、説明責任を果たした上で、そうすれば良い。これも、投資回収計画が管理のベースにあれば説明しやすい。

 

3は減損の問題でなく、よい事業計画にするためのアイディア不足、事業の研究不足というシュミレーション時点、投資回収計画立案時点の問題だ。

 

即ち、いずれも経営で解決すべき問題であり、会計は現時点の最善の見積りを提供し、経営に情報提供するのが役割だ。実態の描写を歪めて、経営問題をないことにしてしまうのは、本末転倒だ。しかし、今でもこのような感覚が一部に残っているような気がする。そして、これが最近の会計は短期志向だと批判される根拠にされてないだろうか。しかし、もし、今でもこういう感覚が残っているなら、企業のリスク管理をより充実する必要がある兆候だと僕は思う。僕の言うところの保守主義(リスク管理)をもっと経営や事業部責任者、そして事業の現場に浸透させないと、この環境変化の激しい時代にはアバウト過ぎて、いずれ企業の存続が危なくなるかもしれないとも思う。

 

ただ、上記と異なる根拠で次のように言われることがある。「日本企業は、もっと事業を長い目で育てるのだが、最近の会計は損を早く出し過ぎる」と。これは簡単に否定してよい問題だろうか。もっと深く考える必要があるような気がする。

 

特に製造業は、3つの投資がある。在庫投資(生産活動)、生産設備投資、研究開発投資だ。在庫投資については会計上短期として扱われるが、それ以外はいずれも長期項目だ。長期になればなるほど、将来キャッシュフローの見積りは難しくなる。さらに人材投資もある。オックスフォード・レポートでは、全国レベル労働組合関係の幹部が、IFRSが人材価値を会計の対象にしてないことを批判した証言が載せられていた。他の会計基準でも人材を会計処理の対象にする話を聞いたことがないので、実際には無理な話だが、「企業は人なり」という言葉もあるぐらいで、企業経営にとって人材育成とか人材評価は、非常に重要な問題だ。

 

実は僕は、「日本企業は、もっと事業を長い目で育てるのだが、最近の会計は損を早く出し過ぎる」というのは、人材の成長・育成に関係しているのではないかと思う。これは、9/22の記事で、僕が日本的経営の特徴として「共同体意識の強さ」を抽出したことと関係するが、次回としたい。

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