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2012年11月

2012年11月30日 (金曜日)

【金融緩和】鶏が先か、卵が先か。でも、結局イノベーション!

2012/11/30

のれんは飽きた、という方のために、今回はこのブログでは珍しく旬の話題を取り上げる。「日銀がもっとお金を刷れば景気が良くなるか」(=金融緩和)という問題だ。なお、実際に紙幣を刷るのは財務省の造幣局(独立行政法人)であり日銀ではないが、日銀は、市中銀行にお金を供給することができる。その方法の一つが、マーケットにおける国債の買取であり、ご存じの通り自民党総裁の安倍氏の発言をきっかけに、この議論が盛り上がっている。

 

期待インフレ率が高まると経済成長率も高まる。このプロセスは、次のように説明されている(Diamond onlineの高橋洋一氏の記事より)。

 

金融緩和するとインフレ予想が高まるので実質金利が下がるからだ。実質金利が下がるということを確認できれば、金融緩和が需要不足を補うことも確認できる。実質金利が下がると、資産市場である為替と株式市場は早く反応する。円安になって、株高となる。円安は輸出を増加させ、株高はいずれ消費を増加させる。また実質金利の低下は後になって設備投資を増加させる。こうしてタイムラグはあるものの、金融緩和は輸出、消費、設備投資という有効需要を増加させる。

貼り付け元 <http://diamond.jp/articles/-/28610?page=2>

 

即ち、期待インフレ率上昇→実質金利低下

         →円安→輸出増加  →経済成長

         →株高→消費増加  →経済成長

         →設備投資増加   →経済成長

 

経済学を勉強された方は、期待インフレ率と失業率のトレードオフ関係を示すフィリッピス曲線を思い出すと良いかもしれない。(下記はWikipediaからの転載)

 

期待インフレ率が上昇すると、名目賃金には硬直性があるため、実質賃金(=名目賃金/予想物価水準)が低下する。完全雇用が達成されていない短期においては、この労働力価格の低下を受けて雇用量が増加し、失業率が減少する。そのため、期待インフレ率と失業率の間には右下がりの関係が描ける。そして一般に、期待インフレ率が変化すると実現するインフレ率もそれに応じて変化するため、実現したインフレ率と失業率の間においても右下がりの関係が表れることとなる。

貼り付け元 <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%82%B9%E6%9B%B2%E7%B7%9A>

 

即ち、期待インフレ率上昇→実質賃金低下→雇用増→失業率低下

 

高橋氏は財/サービス市場から、そしてフィリップス曲線は労働市場から、期待インフレ率が上昇した場合の経済波及効果を説明している。「即ち」に続く赤い文字の部分は、(日本という国を想定した話ではないが)一般的な経済学の定説だと思う。なんて素晴らしいストーリーだろうか。

 

だが、庶民としては、次の2点が心配だ。

 

 ① 金融緩和が期待インフレ率の上昇につながるか?

 ② 経済成長率が高まっても、(日本人の)給料が上がるとは限らない。

 

①については、一応瞬間的には、マーケットが円安と株高に動いた。しかし、これが上記のような経済効果に至るには、一定の期間この傾向が継続し、経営者や消費者が円安や株高が定着すると信じるようになる(=期待を持つ)ことが必要だ。今までデフレや円高が長かったので、このイメージを変えるのは時間がかかるかもしれない。インフレ率の差が為替レートを決めるという考え方自体、比較的長期を想定したものだ。短期では、米国の財政の壁問題や欧州のギリシャ・イタリア・スペイン問題のような各局面で大きく振れるから、そういうものを超越できる期間が必要。果たして、金融緩和の効果が、そこまで強力で持続的なものかが問題になる。

 

②については、既に1990年代からの米国や最近の日本で見られたように、企業業績が良くなっても、必ずしも、国内の雇用が増えたり賃金が上昇するとは限らないことが懸念される。企業は生産性の向上に貢献する生産要素に資金を配分する。ということは、例えは、海外生産が企業業績を改善させたなら、その報酬は海外の労働者が受け取るし、海外への設備投資が増えることになる。生産設備が貢献するなら資金は給料・賃金ではなく、設備投資へ向かう。社員全員の給料が上がるほどの良い環境になるのは難しいので、貢献の大きい人のみが報われる。

 

①の金融緩和の効果の程度については、鶏が先か、卵が先か、みたいな神学論的な難しさがあるが、今回の衆議院選挙で争点になりそうなので関心を持たざるえない。しかし、重要なのは、この無制限の金融緩和を主張している人たちも、金融緩和だけで問題が解決できるとは言ってないことだ。付加価値を生み出しやすくする政策との組み合わせが必要と言っている。そして、付加価値を生み出すのは政府ではなく企業だ。日本経済が良くなるには、結局、日本人が活躍して(=貢献して)国内企業の業績を向上させる必要がある。結局、国内でどれだけイノベーションを起こせるかが、問われるのだと思う。

 

このブログを読んでいるみなさんも例外ではないかもしれない。即ち、イノベーションを起こせないと報われないかもしれない。企業の会計関係者であれば、過去の実績を集計するだけの仕事は、既にかなりコンピュータに置き換えられているだろうし、その延長線上にいては大きな貢献は難しい。経営に役立つ情報(≒社外関係者との利害調整にも役立つ情報)は何かを追求し、将来予想を取り込んだ“現状”を如何に表現するか、そしてそういう情報を生成するプロセスを如何に(経理部はもちろん、それ以外の)経営組織に埋め込むかを考え、実現していくのが、一つのイノベーションの方法だと思う。そして、それにIFRSを利用するのは面白いアイディアだと思う。

2012年11月29日 (木曜日)

のれん ー 毎期規則的に減損するのはどう?(7)不純物

2012/11/29

11/21の記事(のれんシリーズの4回目)で「のれんの資産性」に関して問題提起した事項のうち、IASBやFASB(米国財務会計基準審議会)の考えついては11/23日の記事に、日本での議論については前回(11/27)の記事に記載した。あと残っているのは、次の2つだ。

 

・不純物

企業買収プロセスの中で発生した過大支払額(11/17の記事の末尾の「IFRSの改善による不純物の排除ついて」の④にも、関連する説明あり)。本来のれんから排除され費用処理されるべきもの。

 

・自己創設のれん

コアのれんの②の要素(シナジー効果)は、買収後に創設されるものなので、資産計上が禁止されている自己創設のれんに当たるのではないかという疑い。

 

今回は、不純物をテーマにしたい。やはり僕は不純物をのれんから取り除きたい。しかし、それには企業買収に関わる色々な取引慣行や環境を改善する必要がある。

 

 

既に記載したように、“不純物”についてIASBは、のれんにはすべきではない(費用処理すべきだ)が、コアのれんを構成する①(企業が積上げてきた価値)や②(シナジー効果)と区別ができないことと、“不純物”についてもし過大であれば、翌期以降に減損されることから資産に含まれてもやむを得ないとしている。日本では、オックスフォードレポートの表現を借りれば「M&A に付随して発生する超過支払分であった可能性を含む得体のしれない抽象的な資産(支出)」(P114)とされているが、不純物がどう処理されるべきかという直接不純物の会計処理を対象とした議論は知らない。多分、含まれていても、日本では償却されるからまだマシ、と考えられているのではないかと思う。

 

しかし、みなさんはきっと次のような疑問を持ったに違いない。「ゴトビ監督(=11/21の記事で使った比喩)との交渉を、契約金の上限額も決めずにやるだろうか?」と。そして、「例えば、実際に話してみたら想像以上に素晴らしい人物だったから、期待値が高まって上限を超えた契約金の支払いに合意してしまった、などということはありえる。このように交渉で買収額が動くことはあっても、上限額自体は分かっているから、その超過分を費用計上すればよいではないか。」と。

 

僕もそう思う。しかし、実際の企業買収では、上限額にそれほどきっちりした根拠がない。また、上限額が買収相手の評価ではなく、買収する側の支払負担限度額だったりする。即ち、必ずしも「それを超えたら費用計上」という基準に相応しい金額ではないということだ。

 

もう少し詳しく書くと、特に②の部分(=シナジー効果による評価額)に対する試算は、買収相手の情報が限られているので信頼性が高いとはいえず、上下どっちにも振れる。ちょっとした仮定の置き方で、10倍にもゼロにもなる。また、コアのれんの①の要素(企業が積上げてけきた価値)の試算が簡単かというと、そんなことはない。「これは、買収される会社の過去実績のみから試算したので①の部分です。」などという説明を受けたとしても、鵜呑みにはできない。企業買収は、その事業の環境変化が激しい時に行われることが多いが、例えば、「環境変化へ対応するには、多額の投資負担が必要になる。現在の親会社がそれを回避したいので手放します。」などというケースで過去の実績を延長したら、投資負担を新しい親会社が行うという暗黙の前提が置かれたことになる。それでは②のシナジー効果が含まれてしまう。もし、「新しい親会社が投資負担をせずに、買収される会社だけでやり繰りした場合はどうなりますか。」と質問すると、「それでは将来キャッシュフローがプラスになりませんから計算できません。」などということにもなりかねない。というより、そういうケースは多い。

 

そもそも、企業が自らこのような試算をしないことさえある。FA(=ファイナンシャル・アドバイザー。企業買収の仲介者。主に証券会社や信託銀行)に試算をさせて、それに少々質問したり仮定を修正させたりして受入れているケースだ。買収調査(デューデリジェンス)も行うのだが、なぜかその結果を整理してから買収交渉を行うのではなく、買収調査に並行して、またある時は、先行して行ったりするので、買収調査の結果を反映させられない。FAがそういうスケジュールを組むのだ。

 

もちろん、致命的な問題が発見されれば合意を破棄することはできるが、総じて、売る側の、或いは、FAの都合が優先されているケースが多いという印象だ。FAは、買収する側が立てない限り、買収額連動報酬であることが多いようで、買収額は高い方が良い。もちろん、売る側にとっては買収額は高い方が良い。そして買収スケジュールは、なるべく短期間でやろうとする。買う側に考える時間を与えない方がFAも実績が上げやすいようだし、売る側の資金繰りにも貢献する。しかし、買う側はてんてこ舞いだ。秘密保持の理由は分かるが、買い手にとっては過大な負担だ。

 

とにかく、買収する側は、買収後のプラン作りや法的な対応、そしてIRもあるし、短期間に様々な非経常的な意思決定や作業が、ごく少数の人々に集中するのでバタバタしている。それで試算をやり直す暇がないらしい。FAに試算をやってもらった場合は、企業が中身を理解してないので、買収調査の結果で試算を修正できないことさえある。したがって、現状では不純物の見極めは難しい。

 

しかし、これは非常に不健全な状況だと思う。

 

企業買収額は多額となり、企業の屋台骨を揺るがすこともある。実際に僕が監査していた会社は、買収した会社が全く期待外れで、それが遠因(多額の減損損失計上)となって上場廃止に追い込まれた。瑕疵担保責任(=契約時にはわからなかった事実による買い手の損失を、売り手があとで保証する責任)による損害賠償も請求したが、実際に生じた損失には全然足りなかった。

 

そのときの買収スケジュールが正に、買収調査(デューデリジェンス)の結果が出る前に買収合意するパターンだった。そして当時、FAとなった証券会社から出ていた買収先企業の評価資料には、もっともらしい何とか法の計算値とグラフをいくつも並べてあったが、売り手の主張に乗った、実態と違う、地に足のついてない仮定・前提で作成された絵に描いた餅だった。もちろん、仮定や前提を含むとか、利用するのは自己責任などという警告文は付いていたと思うが。でも、それで買収交渉が行われた。

 

その買収の数か月後、この証券会社は、この会社に転換社債型新株予約権付社債を発行させて手数料を稼いだ(後述の空売りをしたかどうかは知らない)。しかも、当時既に評判が悪かった転換価格を修正できるMSCBだった(ライブドアが発行したものが証券会社に悪用されて、一般株主が損失を被ったとされる。証券会社は空売りと組合わせて低リスクで多額の売却益を得たが、株価は大きく下落したから、悪評がたっていた)から、既存株主には迷惑だっただろう。その時点ではまだ資金繰りも余裕があったから、それを銀行借入の返済に充てたように記憶しているが、銀行は気を悪くしたに違いない。もちろん、会社がそれを選択したのだから、証券会社の所為にしてはいけないが、その後、上場廃止に至るころの資金繰りの厳しさを思うと、つい頭に浮かぶ。当時、この証券会社を非難する関係者は多かった。とはいえ、上場廃止の直接の理由は監査人の意見不表明だから、一番評判が悪かったのは監査人である僕だったに違いない。

 

以上は極端な例だが、しかし、企業買収にはリスクも大きい。やはり相当な準備が必要だ。そしてその過程で、公開情報等からの買収上限値を企業が自ら計算し、買収調査等の新たに分かった事実によってそれを修正し、買収交渉で詰めた条件を反映し、それから意思決定を行う、こういうことができる買収スケジュールが必要だ。どんなところでシナジー効果を生み出すか、それがどの程度のキャッシュを生むか、そしてそのシナジー効果を生むためには、相手のどういうところにどんな経営資源を足していけばよいか(或いは引いていけばよいか)、そういうイメージをなるべく具体的に持って意思決定しないと、本当に博打になってしまう。

 

買収の成功事例が増えれば増えるほど、企業買収は盛んになる。そうすればFAの仕事が増えるはずだ。FAは、買収取引が成立すればあとは関係ない、というスタンスではなく(もちろん、FAはこれを否定するだろうが、傍から、特に買収側からはそう見える)、上記のような企業買収が成功しやすい取引環境を生み出すサービスを期待したい。そうなれば、買収する側も、買収される側も、FAも、みな幸せだ。ただ、売り手だけは、多少懐が寂しくなるかもしれない。

 

また企業も、「上手い話があれば乗るよ」みたいな軽いノリではなく、自らの強み・弱み、製品市場と競争相手の分析などから、買収対象の具体的な要件を、事業計画策定の一環として日頃から考えておく必要がある。そういう土台があれば、いざ良い話が舞い込んだ時に、適切な試算や判断が行いやすいのではないかと思う。

 

そして、企業によっては買収調査を、形ばかりの、IRでのアリバイ作りのように考えているケースがある。そのような場合、そうでなくてもFAは色々条件を付けて調査資料を制限するが、ますます資料が出なくなる。一方で、事業部現場の優秀な社員も駆り出して、買収後の事業運営に生きる情報を得ようと積極的な調査を行う企業もある。そのような場合は、FAも売り手側に、より多くの情報提供のプレッシャーをかけざるえない。リスクの大きさを考えれば、当然後者のような対応が必要だ。企業の姿勢次第でFAの姿勢も変えられる。

 

そういう土台、取引慣行になっていれば、「計算された上限値を超える買収額(不純物)の費用計上」や、その後の「試算の前提・予想と異なる実態が判明した場合のスムーズな減損処理」が可能かもしれない。しかし、こういうことができているのは、M&A慣れした一部の企業だけだと思う。残念だが、IASBの言うとおり、不純物をコアのれんから区別することは困難、というのが現状だと思う。

 

だが、後日記載するように、IASB(やFASB)は、不純物をコアのれんから取り除くことはできないのに、のれんの減損会計の実務には自信をのぞかせている。その分、日本より欧米の方が、このような企業買収関係の実務が進んでいるのかもしれない。

2012年11月27日 (火曜日)

のれん ー 毎期規則的に減損するのはどう?(6)日本の考え方

2012/11/27

“決められない政治”という問題は、日本だけでなく米国でも起こっていた。米国でも議会にねじれがあり、与党と野党が妥協できずに重要な意思決定が行えなかったという。そういえば、企業会計審議会でもIFRSの導入に関して結論が先送りされた。「政権交代の可能性があって決められない」とか「米国が決めないと決められない」などいう話も聴く。しかし、それでは(政治と独立した)専門家による「審議会」で意思決定する意味がないではないか。また、会計基準をIFRSにすると米国が文句を言うのだろうか。むしろ、日本基準を維持すると決めたら米国が文句を言うと思う。米国の投資家も、日本基準よりIFRSの方が馴染みやすいだろうから。

 

(来年の)企業会計審議会ではIFRS推進派と反対派が歩み寄って合意できることを願いつつ、今日は、のれんの資産性に関する日本での議論を紹介することにしたいと思う。

 

日本の主流派は、のれんの資産性を認める意見で、だいたい次のようになると思う。

 

のれんの本質は超過収益力であり、のれんは企業買収時にのみ認識される(=買入のれん)。超過収益力とは、平均的な同業他社より多くの(営業)利益を稼ぎ出す能力だから、のれんは、その将来収益に対応して期間配分(=償却)される。結果として、償却終了まで未償却残高が資産計上される。

 

それに対して、のれんの資産性を疑う意見は、ざっと次のようになると思う。

 

のれんの資産としての実態は不明確であり、換金価値も(それ単独では)認められない。企業買収時に買収額と純資産額の差額として出てきてしまうので、会計基準上、消極的に資産計上しているに過ぎない。もし、のれんの本質が超過収益力であり、積極的に資産計上すべきものであるなら、同様の性質を持つ自己創設のれんも資産計上すべきだが、それは否定されている。本来、企業買収時に認識されたのれんも、資産計上すべきではない。

 

 

みなさんは、どちらの意見がしっくりくるだろうか。僕の結論は「資産性あり」だ。買収を決める経営者の判断は、僕から見ると神秘的でさえある実に高度な判断だ。もちろん失敗もあるが、僕がまずいと思った事案が、成功することもある。やはりそれを尊重して資産計上する方が良いと思う。M&Aは、企業成長の元になるイノベーションを起こす重要な手段だ。資産計上しない場合、その機会を得にくくなるに違いない。

 

ということで結論は同じだが、主流派の論拠となっている「超過収益力」は、どうもしっくりこない。せめて「超過収益力」って言葉を使わなければ、まだ賛成しやすいのだが・・・。

 

 

(「超過収益力」について)

 

企業買収の現場で、上記の「のれん=超過収益力(業界平均以上の収益力)」説をそのまま受け入れる人は少ないと思う。なぜなら、大抵「超過収益力のない会社」を買収するからだ。だが、それでものれんは発生する。これを見て「のれん=超過収益力」といえるだろうか?

 

買収される会社といえば、例えば、不振にあえいでいる企業とか、強み(立地、特定の資産、技術力など)を生かせない企業とか、業界再編で強い方が弱い方を飲み込むなどが多いと思う。問題を抱えた企業とか、競争力の弱い企業に、常に超過収益力があるとは思えない。したがって僕はこの「超過収益力」説はしっくりこない。

 

加えて、監査人の立場でM&Aの現場を垣間見た経験では、「ダメな会社でも我社が手を入れれば良くなる」とか、「相手が持っている経営資源を我社で利用してコストダウンを図りたい」とか、「買収でシェアを高めたい」といったコアのれんの②の要素(11/17の記事)、即ち、シナジー効果に対する期待で買収が行われる印象が強い。むしろ、企業買収は②のために行われるとさえ思う。逆に、単に「あの企業は同業者より業績が良い」(=超過収益力がある)から買収するという、まるで株式投資など資産運用の一環みたいな企業買収の事例は、少ないと思う。株主が資金繰りの都合で手放す会社を購入する時ぐらいか。だが、そんな出物はあまりない。

 

しかし、日本の会計の世界では「のれん=超過収益力」説が根強く語られている(例えば、「企業結合に関する会計基準」の結論の背景106項にも出てくる)。それは、この説をのれんの償却を主張する根拠に利用しているからかもしれない。でも、現実ののれんは上述の通りであり、僕も償却派だが、のれんが超過収益力である必要は感じない。

 

創業以来の関係者によって積上げられてきた企業価値(11/17の記事の①の要素)は、競合他社より業績が良いから発生するわけではない。業績がよかろうが悪かろうが、存続してきた企業には、①の要素がある。また、買収時には②の要素(シナジー効果)がより重視される。だから、赤字会社でも債務超過会社でも(①の価値がゼロかマイナスでも)、買収の対象になり得る。

 

それとも、会計学者は②も含めて超過収益力といってるのだろうか? だが、企業は単に追加的な将来キャッシュフローの獲得、投資額を超える将来キャッシュフローの増加を期待して買収しているのであり、収益力が業界平均を超えるかどうかは関係ない。

 

減損会計でも業界の平均収益力は考慮されないから、業界の平均収益力を“超過”していなくても減損されない(割引率に考慮されている? しかし、同じ割引率を使うのれん以外の固定資産にも影響してしまうから、それはないでしょう)。即ち、会計基準上も、収益力が業界平均を超過しているかどうかは、のれんと実質無関係だ。“超過収益力”は、会計学者の議論で用いられているだけで、のれんの本質とは関係ない。

 

ちょっと調べてみると、どうやらこの「超過収益力」説は、戦前(第二次大戦)からのもので、輸入品らしい。その頃は、資産運用みたいな買収が多かったのだろうか? しかし、現在はそうではないので、この言葉のイメージでいくら議論してもらっても現実感が乏しく説得力がない。この辺りは、前回(11/23)の記事で紹介したFASB(米国財務会計基準審議会)やIASBのスタンスと好対照だ。彼らは実際に起きていることを観察し、根拠にしていた。

 

日本はこのままで良いのだろうか? 事件は現場で起こっているのだが。

2012年11月23日 (金曜日)

のれん ー 毎期規則的に減損するのはどう?(5)IFRSの考え方

2012/11/23

今日は勤労感謝の日。日本は休日だが海外市場ではまた円安が進むのだろうか。先週の突然の衆議院解散をきっかけに、為替相場が大きく円安に振れた。すると、これからは円安方向の相場が続くとの観測が増えた。折角のれんをテーマにしたのだが、円安になると海外企業に対するM&Aが萎む可能性もあるし、円安になるだけで製造業が元気になると誤解している人が安心してしまう。しかし、経済成長も、企業の成長も、基本的にはイノベーションによってもたらされるものだし、依然としてM&Aは、企業にとってその良い機会であることに変わりはない。また製造業は、従来の枠組みや既成概念を超えて、顧客を喜ばせるその企業らしさを製品/サービスに込められるよう革新を続けていかなければならない。そういう努力の積上げがのれんなので、のれんを詳しく見ていくことは、依然として時宜にかなっているともいえる。

 

ということで今回は、コアのれん(=①積上げた企業価値+②シナジー効果…11/17の記事を参照)を資産計上するIASB(とFASB)の考え方を理解するために、IFRS第3号の結論の根拠の記載を追ってみていこう。(IFRS第3号の改正は、両審議会の共同作業で行われたため、FASBがたくさん出てくるのでそのつもりでお読みいただきたい。)

 

 

(検討の概要)

結論の根拠では、まず、IASBとFASBのそれぞれが、コアのれんについて、それぞれの概念フレームワークの資産の定義の要件を満たすかどうかを検討したとしている(BC318)。その際に問題となったのは、下記の2点だ。

 

  1. FASBでは、「のれんが交換や決済手段として使用できないし、のれんが(単独で)将来の経済的便益を生まないこと」(BC320)、
             
  1. IASB(とFASBの共通問題)では、「買収した側の企業が、のれんを支配したといえるかどうか」(BC323)。

 

これらの問題の意味と、両審議会がこれらをどう乗り越えたかを、以下に紹介する。IASBとFASBは、検討の結果、コアのれんは、資産の定義を満たすと判断した。即ち、のれんは資産計上される。

 

 

(FASBの検討事項)

資産とは、ざっくり言えば「金を生むもの」だが(2011/11/01の記事)、FASBは、それなら資産は、交換したり決済したり、収益を生んだりする形で企業の役に立つものであるはずだと考え、それを概念フレームワークの資産の要件にしていた(正確には「将来の経済的便益」(≒将来キャッシュフロー)の説明として記載している(米国財務会計概念書第6号の172))。しかし、のれんはそのどれにも当たらない。のれんは、交換されないし、決済にも使われないし、他の資源との組み合わせで将来の経済的便益を生むのであるが、のれん単独で生まない。果たして、のれんは「金を生むもの」といえるのか?

 

これについてFASBは、一般に、バラバラに個別項目を購入していくより、企業買収のように事業ごとまとめ買いした方が、買い手が喜んで支払いをすることに着目し、この問題をクリアできると判断したという。「喜んで支払いをする(is willing to pay)」という表現は、より高額の支払いに応じる(=のれんが生じる)ことを指していると僕は解釈した。実際の企業買収取引を観察する限り、のれんに経済的な価値あると一般的に考えられているという現実を指摘したのだと思う。

 

なにやら、のれんの資産性を検討しているのに、のれんを根拠にしたのでは、議論が一周回って根拠になっていないような気もする。ただ、ポイントは、一般にそのような価値が認められて取引されている“事実”にある。それを会計が否定するには相応の理由が必要だが、それはないとFASBは判断したのだと思う。

 

 

(IASBの検討事項)

IASBの方はというと、買収した側の企業は、買収された企業ののれんを支配したことになるか、という点を検討している(FASBも検討している)。“支配”については、4/21からの進行基準シリーズでも重要論点だったが、ここでもやはり重要だ。というのは、ある資産によって生み出されたお金が、もしその企業に帰属しない(≒支配していない)のであれば、その資産はその企業の資産であるとはいえない。いう意味がない。生み出されたお金をその企業に帰属させるためには、その企業が資産を“支配”している状況が必要だ。ところが、IASBは、次のような指摘を受けていたようだ。

 

のれんの構成要素と思われる従業員や顧客(から得られる将来キャッシュフローの期待)について、「買収した企業は、従業員が辞めたり、顧客が去ることを止めることができないので、のれんを支配しているといえない。」

 

これについてIASB(とFASB)は、“支配”は、買収した事業の方針及び経営に関する指示ができる力があれば十分と考えた。それはそうだ。買収された企業にも、従業員や顧客を引き留める強制的な力はなかったが、企業価値(のれん)はあった。したがって、僕も上記の指摘まで求める必要はないと思う。特に①(積上げた企業価値)の評価に関しては。

 

以上から、コアのれんは買収した側の企業にとって金を生むものであり、その企業(=買収を行った企業)の資産であると、IASBとFASBは判断した。以上が、結論の根拠に記載されたのれんの資産性に関するIASBとFASBの議論だ。

 

 

(将来キャッシュフローを生み出す期待)

しかし、前回(11/21の記事)に僕の意見として記載した「買収するという経営判断を尊重し、将来キャッシュフローが期待できることにしよう」という考え方は全く見当たらない。ただその代り、FASBの議論の中に次のような記載がある。

 

・・・したがって、のれんに関連する将来の便益は、通常はより不透明であり、ほとんどの他の資産に関連する便益よりも不確実かもしれない。それにもかかわらず、のれんは一般的に将来の経済的便益を提供する。BC320

 

この文章の趣旨を、分かりやすくより具体的に書けば、次のようになると思う。

 

例えば、企業買収で取得した生産設備は、製品の製造に役立つことが見込めるが、それに比べると、のれんは本当に将来キャッシュフローの創出に役立つのだろうか。こういう疑問がありながらも、一般に事実を観察すると、のれんは将来キャッシュフローを生み出している。

 

上述したことと同様に、FASBは、実際の状況を根拠にしたということのようだ。米国でも個別の事象を見れは、失敗例も数多くあるに違いない。しかし、引いて全体像を眺めた時には「のれんは一般的に将来の経済的便益を提供する」と言い切れる状況にあるらしい。IASBもそれを受入れているから、IASBのボードメンバーも違和感を持たなかったのだろう。

 

ただ、僕には少し違和感がある。特に、日本と欧米では企業買収の成功率が違うのではないかと思うのだ。もしそうなら、その成功率に見合った期待の仕方をするのが本来の在り方ではないのかと思う。すると、国や地域によっては期待が低すぎて、のれんを資産計上できないこともありえる。その国や地域の状況によって、のれんの資産性を判断させるような会計基準とするのが、正しい国際基準の在り方になるはずだ。

 

しかし、IASBは、国や地域に関わらず、「のれんは資産」という結論を出した。ということは、IASBは、国や地域による差が、資産か否かの判断に影響を与えるほど大きくないと考えたか、企業買収を行う際の経営者の判断に暗黙の信頼を与えたかのどちらかだと思う。僕の直感では、企業を買収し、期待通りに相手を支配し成果を上げるには、非常に高度なマネジメント・スキルが要求されるので、どの国も地域も大差なく実現できているとは思えない。特に海外企業を買収するようなケースでは顕著にみられることだ。すると、経営者が行けると判断したことなので、それを尊重したと思えなくもない。

 

それともう一つ、米国財務会計概念書6号の173項には「将来の経済的便益の最も明白な証拠は市場価格である」という趣旨の記載がある。それに続けて「売買されるものは何でも・・・企業買収を含む」とくる。企業買収は個性が強いので、買収額を簡単に「市場価格」といい得るのか疑問ではあるが、これは実際の取引額(買収額)に対する信頼の表れとみることができる。経営者がその価格で買収すると決断したのだから、取敢えずそれを「将来の経済的便益の証拠」として受入れよう、ということだと思うのだ。

 

これらが、前回の僕の意見の根拠になっている。(このように書くと、IASBやFASBは経営者に優しいな、と思われるかもしれない。しかし、あとでそれは早合点であることが分かる。)

 

しかし、一つ注意が必要だ。この経営者の判断は、あくまで企業買収の目的が、将来キャッシュフローをより多く獲得すること、企業業績を向上させることにある場合に該当するのであって、その他の目的による企業買収やその買収額の受入を容認したものではない。即ち、オリンパスの海外子会社や国内3社の買収のように、不正の目的で行われる企業買収は、はなからこの議論の対象ではない。

2012年11月21日 (水曜日)

のれん ー 毎期規則的に減損するのはどう?(4)資産性のポイント

2012/11/21

今回から何回か、のれんの資産性をテーマにしたい。のれんを企業を買収した期の費用にすべきという意見もあるが、現行制度ではそうなっていない(日本基準も、IFRSも)。なぜ資産に計上するのかを検討していきたい。(償却や減損の話は後日。) そしてこのテーマは、会計の根本に触れる非常に重要なポイントがいくつもあるので、今回はIASBや日本の(従来の)考え方の概略を書いておき、次回以降、中身の個別論点を検討しようと思う。

 

ところで最近の清水エスパルスのサッカーを見ていると、自分の会計観への自信が揺らぐ。なぜかというと、若手の活躍が素晴らし過ぎるからだ。会計では将来を見積もる際に過去実績を大事にする。楽観論を排して、基本的には「これからこういう改善をします」とか「今度投入する新製品が大ヒットします」などという話は、眉に唾をつけて聴く。それと同じ目でサッカーを眺めていると、何の実績もない若手がこれほど大活躍するのは、嬉しい方向での想定外だ。それほど、この2年間のエスパルスの成績は素晴らしい。

 

というのも、昨年アフシン・ゴトビ監督が就任したときには、チームの主力が抜けてしまい、戦力に不安を感じていたからだ。日本代表級の岡崎慎司選手や藤本淳吾選手、本田拓也選手、そして、その他のコンスタントにスタメンだった主力がほとんど移籍してしまい、若手+小野伸二選手・高原直泰選手の布陣となってしまった。昨年のリーグ戦が始まった段階では、良くて残留争い、悪ければ早々に降格が決まってしまうのではないかと心配した。しかし、昨年もリーグ前半戦は7位、終了時も10位と降格争いには無縁だった。今年はナビスコ・カップで準優勝だし、リーグ戦でも一時は2位まで順位を上げた(現在は残り2試合で、3位と勝ち点4差の7位)。選手の頑張りはもちろんだが、ゴトビ監督の手腕は素晴らしい。チーム・スタッフ、フロントとも息が合っているのだろう。(だが、ここからが壁なのだ。前監督長谷川健太氏のときもここまでは来た。)

 

さて、このエスパルスのチーム編成を企業経営に例えると、ゴトビ監督を連れてきたのは企業買収と思えなくもない。ゴトビ監督は数名のスタッフを引き連れてエスパルスに参加し(=ゴトビ株式会社を買収し)、新思考で選手(特に若手)やチーム・スタッフ、フロントにイノベーションを起こした。もし、ゴトビ監督に契約金を支払っていたら、それは、このようなゴトビ監督(=ゴトビ株式会社)のエスパルスへの貢献の経済効果への期待、即ち、ゴトビ株式会社の“のれん”への対価と考えられなくもない。エスパルスはこれを資産計上しただろうか?(実際のエスパルスの決算上は、法人税法基本通達8-2-3に従って契約金は資産計上され、契約期間か3年の短い方で償却されていると思う。しかし、ここではその契約金を“ゴトビ株式会社”の「買収資金」とし、ゴトビ株式会社には資産・負債がないから、「買収資金=のれん」と考えている。)

 

 

(のれんの構成要素)

前回(11/17)の記事では、コアのれんには次の2要素が含まれるとした。そしてそれが、ゴトビ株式会社買収の例えにどのように当てはまるかを見てみよう。

 

 =コアのれんの構成要素=

 (買収される)会社が積上げてきた企業価値に対する対価

 買収によるシナジー効果によって生まれる新たな価値に対する対価

 

そしてこれに、本来は損失計上すべきだが、コアのれんと区別できないためにのれんに含まれてくるものがある。「買収プロセスで起こる買収額の変動額(特に過大支払額)」という不純物がのれんに混入してくる(以下ではこれを単に“不純物”と呼ぶ)。

 

上記の例えでいえば、ゴトビ監督の過去の実績(韓国代表チーム・コーチやイラン代表監督での成績など)についての評価額が①、ゴトビ監督と若手選手、チーム・スタッフ、フロントが混じり合うことで期待されるシナジー効果の評価額が②、そして、もしゴトビ監督(やその代理人)が交渉上手で、(限度を超えて)報酬を吊上げたり、ドルベースで契約金の合意をして実際の支出までに円安に振れて多額の為替差損が出ていたりしていれば、それらは“不純物”となる可能性がある。そして、IASBは、これら①~②と“不純物”が実務上区別が困難で、一体として考えざるを得ないとしている。

 

 

(“期待”による資産計上)

・IASB(やFASB)

IASB(やFASB)は、①や②については、フレームワークの資産の定義に照らして、コアのれんに資産性があるか否かを検討している。その結果、コアのれんは、将来キャッシュフローを生むと期待できるので、資産の定義に該当するとしてのれんの価値を認め、資産であると判断している。

 

・日本の考え方

日本の考え方では、費用収益対応の原則から、のれんの原価は買収後の収益と対応させて費用配分すべきものなので、効果が継続する期間に渡って前払費用のように費用の期間配分がなされる。その結果として、未配分の原価が資産計上される。

 

IASBはのれんの価値を認めて資産計上、日本の考え方は収益費用対応の原則によって結果的に資産計上と、その考え方のプロセスは異なっていても、結論は同じだ。IASBは、のれんに将来キャッシュフローの流入を増加させる効果があると期待し、日本ではのれんに将来収益の獲得効果があると期待している。

 

IASB(やFASB)と日本の考え方の詳細は次回以降に譲るとして、今回検討しておくべき重要なポイントは、上記の考え方のいずれも、コアのれんが将来キャッシュフローや 将来の収益を増加させるという“期待”があることだ。もし、その期待ができないのであれば、IASBでも日本の考え方でも、資産計上という結論にならない。したがって、“期待”については掘下げる必要があるだろう。

 

そして、もう一つ“不純物”の問題がある。買収する側にとって、この部分は予定外だ。そこに、このような期待があるとの前提を置くのは困難だ。可能であれば不純物とコアのれんを区別したい。本当にコアのれんと区別ができないのだろうか。これについても後日検討する。

 

(ゴトビ株式会社への期待)

さて、上記の例えに戻って“期待”について考えてみよう。ゴトビ監督への契約金、即ち、ゴトビ株式会社買収に係るのれんに資産性はあるのか。

 

ほぼ2年間の実績を目の当たりにした今なら資産性があると納得ができるが、2年前はどうだったのだろうか。ゴトビ株式会社はエスパルスのJ1残留に貢献してくれると期待できたのだろうか(=J2に落ちることで起こるであろう収益の低下を防げると期待できたのだろうか)。もちろん、エスパルスの経営者は契約金に見合う期待ができると考えたからこそゴトビ氏に監督就任を要請した(ゴトビ株式会社を買収した)のだろう。もし、期待がなければ契約をしなかったに違いない(=ゴトビ株式会社を買収しなかった)。即ち、契約した(=買収した)ということは、上記の資産性を判断する“期待”が存在したことの証明になる。

 

企業買収に実感がわかない方のために、ゴトビ株式会社の例を書いたが、サッカーに興味がなく余計分からないとお怒りの方もいらっしゃるだろう。そういう方には大変申し訳ないが、各々何か具体的な例を思い浮かべてもらうと良いと思う。例えば、ご子息・ご息女に家庭教師をつける際に、月謝以外の一時金を最初に払うこと想定することなど。その一時金を支払うということは、その一時金以上の効果をその家庭教師に期待できるとか、一時金を月謝に割り振って均してみて、そんなもんだと納得できるなどということだろう。そういう時は一時金には資産性があるし、納得できない場合は費用処理する(実際には契約を断るので支出しない)などと。

 

繰返しになるが、買収時点では、或いは、ゴトビ監督や家庭教師と契約する時点では、買収額や契約金にその価値がある、或いは、均せばそれぐらいが相場だと納得している。そこで納得しなければ、そもそも契約しない。価値があるとか、均せばこんなもんだと納得しているなら、それはその時点で会計上の資産だ。確かに賭けではあるのだが、買収を決断したのだから、勝算があると判断したことになる。だから、のれんには資産性があると考える。IFRSにも日本の考え方にも、こういう単純な発想が根底にあると僕は思う。

 

 

(期待が実現する確からしさ)

結果から見ると、ゴトビ株式会社ののれんには確かに価値があった。しかし、他のJリーグの監督たちは必ずしも成功しているとは限らない。実際、期待が実現しないので、シーズン中でも監督が何人も交代させられている。

 

それなら、「研究費にだって価値がある。将来の貢献を期待して支出しているから資産ではないか」と思われた方もいらっしゃると思う。しかし、研究というものは、ノーベル賞を受賞した山中伸弥教授も言われたように、十に一つうまくいけば良い方で、成果が上がる確率は相当は低い。さらに大きいのは、そこから事業化という大きな壁を乗り越えなければ将来キャッシュフローは見込めないことだ。そこまでたどり着く確率は、さらに低いので、研究時点での期待値は小さい。まだ勝算があるとは言えない。そして、具体的な収益の獲得、事業化が見えて期待値が上がってくれば、開発費として資産計上されることになる。その時点でようやく、上記のコアのれんと期待値のレベルが合ってくると考えられているということだと思う。

 

一方で、のれんを費用処理すべきと考える人は、買収を決断したとしても、それは一種の賭けであり、勝算は十分でない、即ち、買収した事業が成功して将来キャッシュフローや収益を生むとは限らないから、早めに費用計上しておこうと考える。研究費に対する期待と大差ないレベルと考える。しかし、上記で見るように、経営者の判断を尊重し、経営者がいけると判断したなら勝算があることにしようというのが、現在の考え方のベースにあると思う。

 

実は、この経営判断を尊重するという部分は、IFRS第3号の結論の根拠に記載があるわけではない。それを、IASB(やFASB)が、どのように表現しているかは次回に譲ることにする。

 

 

(自己創設のれんの問題)

ちょっとおまけだが、もう一つ問題提起しておきたい。11/14の記事に記載したように、自己創設のれんは資産計上が禁止じられている。結論の根拠では、自己創設のれんが、実質的に資産計上される疑いを、償却か減損かというテーマの中で論じている。しかし、僕は、コアのれんの構成要素の②(シナジー効果)については、買収時点から自己創設のれんの疑いがあるように思う。そこで、のれんは資産か費用かというこのテーマの中で、少し触れてみたい。それも次回以降になる。

2012年11月17日 (土曜日)

のれん ー 毎期規則的に減損するのはどう?(3)のれんの構成要素

2012/11/17

今回は、のれんを会計がどのように考えているかをお伝えしたい。その際に便利なのが、IFRS第3号の結論の根拠の段落BC313から始まる「資産の要件を満たすのれん」の記載だ。この内容を僕なりに整理して報告したい。

 

(のれんに関連するIASBの動き)

IASBは、20044月にIFRS第3号「企業結合」を公表し、旧IAS第22号「企業結合」に置き換えた。このプロジェクトは2001年に開始されたが、その間の20029月に、FASB(米国財務会計基準審議会)と、あの有名なノーフォーク合意を結び、IFRSとUS-GAAPのコンバージェンス作業をスタートさせている。したがって、2004年時のIFRS第3号も、持分プーリング法を禁止するなどUS-GAAPと共通点が増えている。しかし、現在のIFRS第3号は、両審議会の共同作業により2008年に改定されたものであり、2004年時よりさらにコンバージェンスが進んでいる。

 

このような経緯があるので、IFRS第3号の結論の根拠には、FASBによる関連テーマの検討内容や結論も記載されている。また、この一連の改定作業によって、関連するほかのIFRSも一緒に改定されている(IAS第36号「資産の減損」、IAS第38号「無形資産」、IAS第27号「連結および個別財務諸表」)。SFAS(米国財務会計基準書)も同じような時期に同じような改定がされている。このため、今後の僕の記載には、FASB(米国財務会計基準審議会)とか、SFAS(米国財務会計基準書)などの4文字熟語ならぬ4文字アルファベット?がたくさん出てくるかもしれないが、ご容赦いただきたい。

 

 

(のれんの構成要素)

さて、本題に入ると、IASBはFASBが出したSFASの公開草案(1999年及び2001年)から引用する形で、投資額と売却された企業の価値の差額(のれん)は、6つの要素から構成される可能性があるとした。そして、この6つを大きく2つに、「のれんに含まれてよいもの」(2つ)と「のれんから排除されるべきもの」(4つ)に分けて考えている。

 

そしてIASBは、「のれんに含まれてよいもの」を“コアのれん”と呼び、コアのれんについて、資産計上すべきか否か、償却か非償却か、減損かなどを検討している。そして、残りの「のれんから排除されるべきもの」については、IFRSの改善によってのれんに含まれないようにするか、影響が小さくなるようにしたとしている(末尾に後述するが、実は例外があり、不純物が残る)。

 

ということで、のれんの不純物は除去されて、純粋なのれん、即ち、コアのれんが見えてきた。それは次の2つの要素で構成される。

 

① 前回(11/14説明した(買収される)会社が積上げてきたのれんに対する対価

IASBは、これを「被取得企業の既存の事業における継続企業要素の公正価値」と呼んでいる。前回記載したように、企業が存続しているのは、社会から相応の存在価値を認められているからだ。その面からこのような表現をしていると思う。

 

② 買収によるシナジー効果によって生まれる新たな価値に対する対価

 

(シナジー効果によるのれん)

①については前回説明済みなので、ここでは、②のシナジー効果によるのれんの特徴を説明する。IASBは、②について「取得企業と被取得企業の純資産及び事業を結合することにより期待される相乗効果およびその他の便益の公正価値。IFRS3 BC313)」といっている。IASBの説明につけ加えると、②ののれんは、買収側の事業や技術(経営技術を含む)と買収される側の事業や技術が接触することで発生する“化学反応”により期待される新たな将来キャッシュフロー(もちろんインフロー)だ。それは以下のような特徴があると思う。

 

 (①と同じ特徴)

・コアのれんに物理的実体はないが、買収対価として具体的に支出されている。

・買収する側には、コアのれんが将来キャッシュフローを生むとの期待がある。

・買収することで買収側がコアのれんを支配する(法的にも、経済実態的にも)。

 

 (①と異なる特徴)

・②は、買収時点では、まだ“期待”でしかない(化学反応は起こってない)。

・①は日常業務が源泉だが、②はだいたい意図的創出される。

・②の成果は買収する側の事業にも現われる。

 

これらの特徴は、コアのれんを会計上どのように扱うかに大きな影響を与える。次回以降に重要になるので、これらの特徴を頭に入れていただくか、またここに戻って読み返していただけるとありがたい。

 

 

(のれんは人が生み出す価値)

ちょっと余計なことを書かせてもらうと、僕は企業同士のシナジー効果は、イノベーションだと思っている。まあ、イノベーションというのは便利で格好いい言葉だが、漠然としているのでもう少しイメージを固めるために、その定義をWikipediaから拾ってみよう。

 

イノベーション(innovation)とは、物事の「新機軸」「新しい切り口」「新しい捉え方」「新しい活用法」(を創造する行為)のこと。

 

定義を読んでもやはり漠然としているが、何か「新しい」手段で、価値を「創造」することのようだ。その「新しい手段」を如何にスタートさせるかが、②を引出すポイントなのだろう。実は「新しい」というのもなかなか難しいもので、昔からあるものでも突然「新しい」と言われたりする。そもそも科学における「発見」だって、もともとあったものを人間が初めて認知できたというだけであり、そのもの自体は昔からあり続けてきたのだ。ただ、人がそれを知らなかっただけに過ぎない。

 

企業同士のシナジー効果もそういう面がある。企業Aにとっては当然のことが、企業Bには未知・未体験のことだったりする。それが企業Bに役立つ知識や技術、機能であれば、それを利用することによって企業Bにはイノベーションが起こる。それがシナジー効果の始まりとなる。どちらかが、或いは、双方が、相手の持ち物の中になにか「新しい」ことを発見するのが、シナジー効果を起こす化学反応のきっかけとなる。したがって、重要なのは、「新しいこと」をが分かるように情報がオープンにされることだ。両社の人と人との交流、接触面をどれだけ作れるか、そしてそこで行われる双方向のコミュニケーションが重要だ。

 

ところが、買収側と買収される側の人間関係はそううまくはいかない。買収したらすぐに相手と良好なコミュニケーションが成立するわけではない。だから買収する側は、買収される側にシナジー効果を説明し、買収される側のメリットを認知させ、協力的な姿勢を引出さねばならない。買収してからシナジー効果を探すようでは時間の無駄で、折角熱せられた鉄も冷めてしまう。予めメインストリートの基本設計をイメージしておき、買収後速やかに相手に説明できるようにしておく必要がある。それでこそ、人の交流がスムーズになり、多くの接触面を設定でき、同じ方向を向いてコミュニケーションができる。そうすることで(=両者のコミュニケーションが進むことで)詳細設計ができ、また、当初想定しなかった分野でのイノベーションのきっかけを得ることができる。事前準備、戦略策定が必要だ。

 

上記の②が①と違うところとは、まさにこういう面が反映されている。①は既に存在しているものだが、シナジー効果は、買収時点では単なる期待でしかなく、その後に意図的に創造していかなければならない。そしてその結果、買収した側にもイノベーションが伝播する。それは、人と人が接することで起こる化学反応が双方の企業価値を高める部分であり、単に、土地や建物、生産設備、さらには現金や有価証券などの物理的なものを手に入れることで、実現するものではない。

 

もう一つおまけを書くと、①も、買収される企業に関わった人々が創業時から積上げてきたもので、物理的な個別科目の評価に含められない価値が、買収額に上乗せされたものだ。①も②も、“人の働き”の評価額だと思う。だからこそ、B/Sの個別勘定では評価しきれない価値として、「のれん」を独立科目にするのだと思う。即ち、僕は「のれんは人が生み出す価値を直接評価したもの」だと思う。そして、②は買収される企業の価値だけでなく、買収する側の価値が高まる要素も含んでいる。

 

 

以上が、のれん(コアのれん)の中味だが、読んでいただいて、イメージがより具体的になっただろうか。もしそうなっていれば、のれんの会計処理について、具体的な検討をする準備ができたことになる。

 

 

------------------IFRSの改善による不純物の排除ついて--------------------------

IASBは、2004年改定前の段階で、買収額と買収される企業の純資産の評価額との差額(のれん)には、次のような、本来のれんに含めるべきでない不純物が含まれていると考えた。

 

① 買収される企業の決算上の過大評価額

② 買収される企業の決算上の過小評価額

①や②は、買収する企業が、買収時に用いる資産・負債の評価方法(IASBはこれを公正価値と考えている)と、実際に記帳する際の評価方法の相違による差額。

もう少し具体的には、会計基準や法規制等の何らかの理由で、買収後も公正価値で認識されなかった買収される会社の資産・負債と公正価値との差額は、計算上のれんに含まれる。また、買収される企業が、資産に計上していなかった無形資産等も、計算上のれんに含まれる。

 

③ 買収する側の支払方法に起因する差額

例えば、現金購入か、株式を使うかで実質的に買収額が変動することがあるが、その差額は計算上のれんに含まれる。

 

④ 買収プロセスで起こる買収額の変動額

例えば、買収価格交渉において買収価格が吊りあげられることによる過大支払額、逆に投売されたことによる過小支払額など。この過大額、過小額も計算上のれんに含まれる。

 

IASBは、①と②については、IFRSの改善で差額を出さないようにしたとしている。また、③についても、少なくとも問題は改善はされたと考えているようだ。④については、本来、過大支払額も過小支払額ものれんに含めるべきでなく、買収に関連する損益として認識すべきとIASBは認識している。そこで、過小支払額については、差額がマイナスになる場合に利益計上することとした。

 

このIFRS改善の内容は、例えば、買収される企業の資産・負債を、すべて公正価値評価するようにしたとか、資産として識別可能な無形資産の資産計上を定めたとか、差額がマイナスの場合の規程を充実させたとか、買収の対価として株式が使用される場合に、その株式の評価は買収公表日ではなく、他の取得する資産・負債と同様に“取得日(買収日)”の公正価値で評価するようにしたことなどが含まれる。

 

しかし、④の過大支払額については、「高過ぎたか?」と思うことはあっても、買収時点で具体的に過大支払額を算定することが実務的に困難であるため、のれんから排除することができないとIASBは判断した。また、改定後のIFRSでは、高過ぎる分はその後の減損手続で損失計上されることになるので、現実的な判断として、のれんに含まれても止む無しとした。

 

2012年11月14日 (水曜日)

のれん ー 毎期規則的に減損するのはどう?(2)のれんの本質

2012/11/14

今回は、「のれん」が何かについて考えてみたい。それが分かると、非償却を主張する人の背景が理解しやすくなると思う。

 

例えば、「あなたは、青が好きですか、赤が好きですか」という質問に対して、「青は落ち着いているから好き」という人もいれば、「エネルギーに溢れた情熱的な赤が好き」と答える人もいる。だが、昨季英国プレミアリーグを制したマンチェスター・シティのサポーターは、チーム・カラーの青にエネルギーと興奮を感じるかもしれない。先日再選を果たした米国大統領オバマ氏を応援した米国民主党の人たちも、そして今夜、オマーンとW杯最終予選を戦うサムライ・ブルーのサポーターたちも同じだ。「青」が何を想起させるかは、それに纏わる体験によって影響を受けると思う。さて、みなさんは「のれん」で何をイメージするか。みなさんは「のれん」にどのように関わってきたか。それが償却・非償却の判断に影響を及ぼすように思う。

 

「のれん」は、英語では「good wil」。日本語の「のれん」は、店の入り口に架かっている暖簾から転じて、企業の看板、企業イメージ(の良さ)、企業の信用などの意味がある。さらに「のれん分け」といえば、ビジネスの一部譲渡。即ち、「のれん」は、ビジネスや企業そのものの意味としても用いられる。

 

goodwill」も、同様にビジネスや企業そのものを表す言葉として用いられるが、元の意味は店の軒先に架けられた布ではない。「好意、善意、親切、親善」といった意味だ。日本語の「企業の信用」とか「企業イメージ」に近い。何か良いことをやってくれそうだという周囲からの好意的な期待を表している。

 

元の意味は違っても、この日本語と英語の差は僅かであり、これが償却・非償却に影響を与えているとは思えない。むしろ、会計で議論されるときの「のれん」と、上記のような本来の「のれん」や「goodwill」との間にイメージの差があると思う。会計で議論される「のれん」は、単に投資額と買収した企業の価値との差額という計算上のイメージしか持たれてないような気がする。しかし、「のれん」にはもっと重要な経営的な意味がある。

 

そこで、もう少し本来の「のれん」の理解を深めていこう。

 

「のれん」はどうやって作られていくのだろうか。まずは、日常の事業活動によって顧客からの良い評判を積上げていくことだ。顧客に良いアイディアと製品やサービスを提案し、提供し、評価を受けるという当たり前の日常活動が積み上がって「のれん」になっていく。他に、自社のイメージアップを直接の目的として行う企業トップの言動、広報活動、慈善事業なども「のれん」を形作っていく。

 

かつて、日本で「のれん」が経営上の重要事項としてクローズアップされていた時代があった。その当時は、多くの企業がこぞって、CI(コーポレート・アイデンティティ)戦略に力を入れていた。これは正に「のれん」を作ろう、その価値を高めようとする活動だ。今でも外資系企業などを中心に「ブランディング」が行われている。

 

日本ではCIやブランディングというと、広報部門やマーケティング部門が担当部門になって、ちょっと狭く捉えられがちのように思う。しかし、その本当の姿は、経営活動全般に及ぶといってよいほど広いものだと思う。

 

みなさんの会社に経営理念や行動指針のようなものがあれば思い起こしてほしい。企業の目標として、世界経済、地域経済、顧客などへの貢献が、明確に宣言されているはずだ。即ち、「のれん」の価値を高めること、社会からより多くの「goodwill」を獲得することが、経営目標になっている。その目標を達成するために、各社それぞれの強みを生かせるように、中長期の経営計画を策定し、研究開発や設備、人材などの投資計画を立案し、年度予算を策定し実行する。特定部門だけでなく全従業員・役員が、あらゆる場面で、共通意識の下に事業活動を遂行していく。CIとかブランディング戦略は、この経営活動に一定の方向性を与え、「のれん」の価値を高める活動の効率を上げるが、この活動の主役は、事業の実行者として社会や顧客に関わりを持つ全従業員・役員だ。

 

どんな会社も、例えばCIとかブランディングなどを意識してない会社も、また、経営理念や行動指針がない会社も、すべての会社が顧客の満足を高め、社会に貢献するために、日常的に活動しているはずだ。そういう全員の努力の結果積上げられたものが「のれん」だ。しかも、現役従業員・役員の努力だけでなく、企業創業時の諸先輩方の努力から始まって、代々受継がれてきたものだ。だから、それを簡単に毀損してよいと考える人はまずいない。また、企業が事業継続できているということは、その企業が社会から必要とされている、即ち、「のれん」の価値が社会から認められているということであり、「我社ののれんの価値はゼロである」など公言する人は、普通はあまりいないはずだ。みなさんの会社の「のれん」はいかがだろうか。会社だけでなく、大学や役所といった非営利の組織でも同じような「のれん」はある。みなさんにも非常に関連の深いものだ。

 

もし、この「のれん」を資産計上したら、簡単に償却してよいだろうか。また減損はどうだろうか。先達も含めた全員の力で積上げてきた努力の成果、創り上げてきた価値、そして後進に伝えていくべきもの。それを簡単に減額してよいだろうか。しかし、そう思う一方で、この「のれん」はちょっとしたミスや裏切りで、簡単に崩れやすいデリケートなものであり、維持し高めていく困難さも容易に想像される。伝統を守るというだけでは維持もできない。

 

さて、みなさんは、この「のれん」をどのように思われただろうか。償却するだろうか。そしてその前に、一体いくらで資産計上したらよいだろうか。

 

「ん~、難しい。困った。」と思われた方はご安心戴きたい。上記のように自社で積上げた「のれん」は、会計上、そもそも資産計上しないことになっている(自己創設のれんの資産計上禁止。IASBは「

internally generated goodwill」と呼んでいるが、やはり資産計上を禁止している)。上記のような「のれん」を創設するコストは、日常的な事業活動の費用に含まれ、通常、費用処理され資産計上されない。例えば、顧客のニーズを探る営業活動に係るコストも、CIやブランディングに直接かかわるコストも期間費用処理だ。資産計上されないので、基本的には、償却や減損の問題は存在しない。

 

では、どういう時にこの「のれん」の問題が発生するか。それは、主として、他社が積上げた「のれん」を企業買収や営業譲受で取得した場合だ。企業や事業を丸ごと買った場合は、当然、このような「のれん」もついてくる。買収額には「のれん」の対価も含まれている。それを一括費用処理するか、資産計上するか。そして資産計上したら償却するか、それとも非償却で減損のみにするか。その前にいくらでのれんを認識し、資産計上するか。色々な問題がある(そもそも、なぜ自己創設のれんを資産計上しないのか、と思われる方もいるかもしれない)。これらについては長くなるので、次回以降に繰越したい。

 

ところで、昨日(11/13)、11/5の記事「【製造業】人の評価の資産計上」に、記載を追加した。この11/5の記事では、自分でも聞いたことのない、ふっと頭に浮かんだユニークな主張をしてしまったが、そのことを書き忘れた。もしかしたら、それを通説と誤解する方がいるかもしれないと思い、念のために注意喚起をさせてもらった。追記した部分は赤字にしているので、気になる方はご覧いただきたい。

2012年11月12日 (月曜日)

のれん ー 毎期規則的に減損するのはどう?(1)問題提起

2012/11/12

いよいよ「のれん」について検討を始めようと思う。前回(11/6から間が空いてしまったが、その間に色々考えた結果、このテーマにじっくり腰を据えることにした。「のれん」は、会計処理という意味ではなく、企業にとって、経営の根幹に関わる意外に重要な問題だからだ。企業経営に重要なことは、投資家にとっても債権者にとっても重要だ。しかし、みなさんの関心は、会計処理に関連した下記の2点だと思う。

 

 1.のれんを償却すべきなのか、そうでないのか。

 2.のれんを償却すべきでないと考える人は、なぜそう考えるのか。

 

日本では償却すべしということになっているから、きっと、償却する理由は、みなさんも馴染みがあると思う。「のれん」なんていう得体のしれないものは、規則的に償却してどんどん資産から落とした方が良い、それが保守的な会計処理だ、という感じだ。オックスフォード・レポートにもそんなふうに書かれていた。でも、償却すべきでないと考える人々がいて、そちらの方が世界では主流だ。なぜ非償却なのだろう、その理由が良く分からない、と思われてないだろうか。

 

FASBが、金融界などの米国産業界と取引してのれんを非償却にした(その代り持分プーリング法を禁止した)。そしてIASBは、そのFASBとコンバージェンスにおける妥協の産物として、IFRSに受入れた。そんなふうに覚えるのは簡単だが、それはゴシップ週刊誌を鵜呑みにするようなもので、僕は、もっと深い本質が他にあるように思う。だから、もし、もっと深く知ってみたいと思う方は、暫くこのテーマにお付き合いいただきたい。

 

償却すべきか否かという点に関して、僕の意見は「償却すべき」だ。その理由については、これから以下を辿りながら、順に説明したい。だが、そのプロセスにおいて、非償却派の考え方も説明していきたい。

 

・そもそも「のれん」とは何か

ちょっと会計的な議論から飛び出して、「のれん」を考えてみたい。会計の世界での議論は、どうも視界が狭くて本質をとらえきれていないことがあるように思うことがある。「のれん」についてもそう思うので、日本(の会計界)では、もしかしたらあまり意識されていない「のれん」の経営的な重要性について触れてみたい。

 

・償却派と非償却派の意見

ここでは、会計の世界の議論を紹介したいと思う。これについては、ASBJのホームページに掲示されている論点整理(企業結合会計の見直しに関する論点の整理)を中心に、その他のネットに掲示されている資料を参考にしながら報告したい。

・改めて「のれん」の本質と会計処理を検討

以上を踏まえて、そして僕のはみだした意見を加えて、このシリーズの結論を出していきたい。

 

さて、「日本国憲法は米国から押し付けられたものだから改憲すべき」という主張がある。そういう人々の他の主張にはシンパシーを感じても、この言葉が出てくると僕は違和感を覚える。僕は現在の憲法制定に当たって、当時の日本人の意見が全く反映されなかったなどとは思わないが、仮に押し付けられたものであったとしても、日本人はうまく利用してきたと思う。うまく利用できたということは、それなりに日本人のためになる中味があったということだ。のれんの非償却についても、仮にそれが産業界との妥協の産物だったとしても、FASBやIASBが受入れたからには、そこに何か経済社会に良い意味があったからに違いない。だから、僕は償却派だが、非償却派の主張からも学べることがあったら学びたいと思う。そして、それをみなさんにも伝えられたらとても嬉しいと思っている。

2012年11月 6日 (火曜日)

【製造業】引当するなら有給休暇を買取って!

2012/11/06

日本の有給休暇の完全取得率(使い切る人の比率)は、ロイター等が調査した結果33%で、その調査の対象国24カ国中最下位だったという(Wikipediaの「年次有給休暇」より)。だから、有給休暇引当金で有給休暇の未消化分(未取得分)をコストとして認識し、有給消化率を上げて行こうというのは、良いアイディアかもしれない。

 

しかし、その前にやることがあるのでは? という気がしないでもない。やることとは、未消化のまま失効した有給休暇を企業が買取る制度を設けることだ。だが、このような意見は、労働基準法と厚生労働省からの通達で違法とされているらしい。その理由で一般的に言われているのは・・・

 

・買取ってもらう方が有利と判断する労働者が現われるので、返って有給休暇の取得を妨げる。

・買取ることを理由に休暇を与えない使用者が現われる。

・買取ることを予定した低い賃金設定がなされる。

 

ん~、もっともらしくも思えるが、本当にそうだろうか。本当にそうなら、なぜ日本の有休取得率はこんなに低いのだろうか。上記の通達は昭和30年当時のものだそうで、その当時は人手不足だったので、このように考えられていたかもしれないが、いまもそれは正しいのだろうか。むしろ、期限切れ未消化分は企業が買取らなければいけないとした方が、消化が進むと考えられないだろうか。買取費用という具体的に利益を減少させるリスクを企業側に認識させることこそ重要ではないか。なぜなら、有給休暇を取りづらい雰囲気を作っているのは企業や職場であり、その雰囲気を変えるのは、有給休暇を消化した方が企業や職場にとってよいと具体的に認識させることが一番効果的だから。

 

もし、有休消化を進めることが世の中のためになると考えるなら、過去の法律や通達を引継ぐだけでなく、いまの世の中にあっているのか見直すことも必要だと思う(これは会計方針と全く同じだ・・・2/29の記事など今年2月の記事)。ルールは継続して守っていくことが重要なのではなく、ルールによって達成したかった目的を本当に達成することこそが重要だ。有給休暇の取得という労働者の権利を守るために、労働基準法第39条は買取制度を否定した。そして通達も出した。だが、その結果、上記のように大量の有給休暇が失効している。これは、制度やルールが目的を果たしていないということだろう。発想を変えた見直しが必要ではないだろうか。

 

 

なぜこんなことを書いたかというと、オックスフォード・レポート(P118)に、「ある洗練された投資家」の証言として次の記載があって、一方で、前回の記事に登場した「全国レベル労働組合関係の幹部」の証言には、この話題が出てこなかったからだ。

 

もしね有給引当金の話をすれば、これはきちんと従業員が有給休暇の消化をするようなインセンティブになるわけでね、

 

有給休暇引当金が必要になるという話は、IFRS導入の影響としてかなり有名な話だから、組合幹部氏も知っていたのではないだろうか。だが、投資家氏のように、有給消化のインセンティブになるといった発想が生まれなかった。いや、(前回も書いたが、)この幹部氏は鋭いので、これから僕が記載するようなことやその他のことから、「IFRSの有給休暇引当金にその効果はない」と既に思われていたかもしれない。

 

 

相変わらず長い前置きで申し訳ないが、これからが本題だ。日本の実情に照らして、この引当金がどうなるか考えてみよう。この有給休暇に関連するIFRSの規程は概ね次のようになる。(以下、IAS第19号「従業員給付」11項~17項を勝手に翻訳してラフに要約。)

 

・企業は、提供された勤務の見返りとしての支払いを短期従業員給付として会計処理する(11項)。

・勤務の見返りには有給休暇が含まれる(12項)。

・累積型有給休暇(日本の年次有給休暇など)は、その予想コストを勤務の提供に応じて認識する(13項)。

・累積型有給休暇には、退職時などに従業員が企業に買取らせる権利があるものと、その権利がないものの両方がある(14項)。

・企業は、累積型有給休暇の未使用分に起因する予想追加支払金額を負債計上する(16項。これが引当金)。

・通常、有給休暇は重要性があるものとして扱われる。例えば未使用の有給疾病休暇を有給休暇へ振替えられる正式な、或いは慣習上の合意があれば、その有給休暇は、通常、重要性ありとされる。(17項。なお、「結論の根拠」を読むと「多くのケースで重要性がないことを述べた」としているが、規程ではそう読めない。)

・未使用の有給休暇から、予想追加コストを見積もる設例。(17項。これは意外と重要で、これをしっかり理解しないと誤解するので、下記に詳述する。)

 

さらにポイントを要約すると、有給休暇を付与することに起因する予想追加コストを、勤務に応じて認識する。通常、有給休暇の追加予想コストには重要性があり、有給休暇買取制度がない場合でも会計処理の対象になる。

 

そうすると日本の場合も会計処理(負債計上)せざるを得ないのではないか。いやいや、そうではない。

 

有給休暇制度は労働基準法で定められた使用者側の義務、労働者の権利だから、必ず各企業に制度があり、通常は重要性ありと判定され会計処理の対象になる(17項)。また、買取制度がない場合も例外扱いされていない(14項)から、免れようがない。

 

でも、予想追加コストとは何か? 

16項は次のように表現している。「the additional amount that the entity expects to pay as a result of the unused entitlment」。即ち、権利未使用のために企業が支払うと予想する追加金額

 

17項の設例は、未使用で繰越される有給休暇の総計200日のうち、従業員が有効期間内に取得するであろう12日分の支払い(疾病手当)予想額のみを、負債計上するとしている。この設例は、労働契約の内容が説明されていないので分かり難いが、買取制度がなく、かつ、月給ではなく時間給の労働者、即ち、日本ならパート・アルバイトを想定していると思う(派遣社員は、基本的には派遣元企業が労働契約に基づいて考慮すべきだが、企業が有給休暇に相当する支払いを派遣元企業と契約しているなら、実質的に時間給の労働者と同じ扱いになると思う)。この点(=時間給労働者を対象にしている点)が、一般的に誤解されているように思う。

 

即ちこの設例は、企業は有給休暇を買取る義務がないので、総計200日分の負債計上する必要がないことと同時に、12日分は従業員が休んでいて本来無給なのに、有給休暇を請求されて疾病手当の追加支出が発生するから、それを「予想追加コスト」としている。

 

要するに、「予想追加コスト」は、具体的な支出を伴うものだ。日本の場合は、法定内の有給休暇については買取制度はないから、この設例同様、未使用の有給休暇全体を負債計上することはない(但し、法定以上に付与される有給休暇については、買取は違法ではないため、買取制度があるかもしれない)。しかし、時間給の労働者については、本来無給で良いはずの休暇分の賃金の支払いが追加で必要になるので、それを負債計上する。

 

そして重要なことは、日本企業の多くの正社員が該当する月給制では、従業員が有給休暇を取得することで、企業に追加の支出が発生しないこと。即ち、未使用の有給休暇があっても、その取得によって追加の支出が見込まれないから、負債計上(引当計上)されないことだ。いくら有給休暇制度が重要性ありと判定されても、「負債額がゼロ」では会計処理できない。・・・と僕は思う。この考え方は、概念フレームワークの負債の定義にも合っている。負債には、具体的な将来キャッシュフローの流出が必要だ。

 

しかし、次のような反論があるかもしれない。

 

・月給制でも、有給休暇を取得する本人以外の誰かに重要な支出が発生する場合がある。例えば、誰かが有給を取得するたびに、代替要員としてアルバイトを雇わなければならないなどの支出が発生するケース。

 

このケースは、日本では考えにくい。少なくともあまり一般的ではない。

日本では、使用者側が「時季変更権」なるものを持っており、労働者の請求通りに有給休暇を与えると事業の正常な運営を妨げる場合は、有給取得を別のタイミングに変更してもらえる(労働基準法第39条第5項但書)。代替要員が確保できない場合は、この「時季変更権」を行使できる。

また、海外、特に欧米人は休暇をまとめて数週間も取るので、代替要員が必要なケースが日本より多いのかもしれない。しかし、日本では残念ながら休暇が短いし、比較的長期の休暇は、業務に支障がないように一斉にまとまって取ったり、逆に計画的に分散させて取るので、代替要員にコストがかかるようなケースは少ないだろう。あるとすれば、レストランや居酒屋などの比較的小さくて、人のやりくりが厳しい小売店舗ぐらいか・・・。

製造業なら、予定外に急激な生産量の増加があったような場合でも、まずは管理職がラインに入ったり、或いはライン間で、ラインと間接部門で、場合によっては工場間で遣り繰りする体制があるのが普通だと思う。誰かが有給休暇を取得したからといって、そのために簡単に新規のアルバイトや派遣社員を採用するなどの支出を増やすものではない。

 

・代替要員までは不要だが、他の労働者の残業代が増える。

 

これは程度問題だろう。残業代は設例でも触れられていない。設例にないから会計処理の対象にならない、と単純に考えるわけにはいかないが、残業代のような一般的に発生するもの、即ち、設例の企業でも当然発生しているはずのものが記載されていないということは、通常はそこまで考慮する必要はないと考えてよいだろう。ただ、隣の人が休むごとに、8時間も残業するというなら、アルバイトを確保するのと同じなので、予想追加コストを計算して負債計上すべきだ。だがその前に、勤務体制や有給休暇申請の仕組みなどを見直した方が良い。

 

このほかに、買取や時間給労働者の有給休暇に匹敵するような、追加の支出が必要となるケースはあるだろうか?

 

結局、IFRSの規定に沿って有給休暇引当金を計算しても、有給休暇買取制度が禁止されて、月給制が採用されている日本の多くの企業にとってはたいした金額にならず、有給消化のインセンティブになどならないと思う。時間給の労働者にとっては、買取制度がないために有給休暇取得は企業にとってコスト増にしかならないから、この引当金は逆インセンティブだ。組合幹部氏はそれを分かっていて、この話題に触れなかったのかもしれない。

 

そしてなにより、本当にこの引当金の計上が、多くの日本企業の実情に照らして必要だろうか? いらないのでは? 「有給休暇は重要」としている17項は、「In many cases, an entity may not need to」とか「is likely to be material」という表現で、例外があり得ることを表現している。日本の場合はどうだろうか。少なくとも、ケース・バイ・ケースではないだろうか。(一般的には“必要”とされていることは知っているが・・・)

2012年11月 5日 (月曜日)

【製造業】人の評価の資産計上

2012/11/0511/13

今回は、会計の根本や本質に迫る重要なテーマだと思う。「企業は人なり」と言われるのに、なぜ(IFRSばかりでなく)会計は、人を資産計上しないのか。これは、会計実務の世界では全く想定外で、普通はここまで掘り下げて問題提起されることはない。しかし、オックスフォードレポートでは、全国レベル労働組合関係の幹部の証言(P117)として、次のように問題提起されている。

 

公正価値会計でね、退職給付に関する負債が認識されてそれを一時に処理させられるわけですけどね、それは一方的なわけですよ。負債は認識されるけど、日本の優れた労働力を長期に確保することによる利益、すなわち資産は認識されないわけですよ

 

そして脚注46で、この幹部の証言をさらに詳しく紹介している(以下はコピペではなく要点のみ)。

 

・近年の企業の人的資源管理では、人をコストではなく資源として捉えているが、IFRSでは資産計上されない。

・優秀な人材は将来キャッシュフローを産出す経済資源で、工場の事業用資産などと同じである。

・そもそも、長期雇用を前提とすれば、会社は強固な職場共同体であり、その好例として、3.11の原子力発電所事故の対応を行った東京電力福島第一原発の従業員が挙げられる。

 

そのうえで、「ある洗練された投資家」の次のような証言を紹介してこの話題から離れている。

 

まあ、日本の長期雇用というのが日本の強みであった時期はありましたけどね、今は逆に弱みでもあるわけですよ。

 

そもそも、オックスフォード・レポートは、このテーマ「人を資産計上するか?」を積極的に取り上げてはいない。前回(11/2の記事)のテーマだった退職給付を問題提起したついでにこの問題に触っただけだ。しかし、このテーマは、僕が以前から気になっていたことだった。例えば、2011/11/01の記事で、「スティーブ・ジョブズ氏でも資産計上されない。」と書いたが、書きながら、何故だろう、もし資産していたらどうなっていただろう、という気持ちを持っていた。だから、オックスフォード・レポートのこの労働組合関係の幹部の証言が、強く印象に残った。

 

人を資産計上しないのは会計の常識だ。だが、何故だろう?

 

本来計上すべきだが人を金額評価する実務上のハードルが高過ぎて計上しないのか、それとも、本来計上すべきものでないのか。結論から書くと両方だと思う。もし、人を完璧に評価できてそれを資産計上したら、人以外の資産と価値がダブってしまう。だから、人を完璧に資産計上するなら他の資産を貸借対照表から外す必要がある。しかし、誰もが分かる通り、そんな人の評価は実現不可能だ。

 

では、具体的に検討してみよう。意外なことに、このテーマは、公正価値会計と取得原価主義会計に関連している。

 

実は、人に関係する価値が資産計上されている例は既にある。例えば自家建設の固定資産がある。建設に関係した労務費が、固定資産の取得原価に含まれて計上されている。また、製品の製造原価も然りだ。次に社内開発のソフトウェアも「研究開発費等に係る会計基準(企業会計審議会 1998313日)」以降は資産計上されるようになった。ただ、価値を評価したというより、コストを集計したイメージだが。

 

それからもう一つ、「のれん」だ。のれんは後日扱う予定のテーマだが、ちょっと先取りすると、企業買収等の際に、個々の資産・負債を評価して積上げた値段と、実際の買収額の差がのれんになる。IFRSや今の日本基準では識別可能なあらゆる資産・負債を公正価値評価して、それでも評価しきれない部分がのれんになるが、その「あらゆる資産」には「人」は含まれていない。したがって、もし買収額に「人」の価値が含まれていれば、その価値は、のれんに含まれることになる。こちらは、コストの集計ではなく人の価値が計上されている。

 

前者の例は、コストを集計して資産計上するという特徴があり、いわゆる取得原価主義会計だ。後者の例は、実際の取引価額(公正価値)から、個々の資産・負債の公正価値を引いていった残りだから、その残り部分も公正価値と考えることができる。即ち、取得原価主義会計の世界では、人をコストで集計し資産計上するが、公正価値会計だと人の価値が公正価値評価され、資産計上される。

 

すると、上述の労働組合関係の幹部氏は、このことを直感的に理解されていて、「IFRSは、公正価値会計と言いながら、なぜ人を資産計上しないのか」と批判したわけだ。ここまで考えてみると、これは鋭い指摘だ。

 

だが、残念ながら「IFRS=公正価値会計」は、オックスフォード・レポート(P63)も指摘しているように誤解だ。部分的には公正価値会計だが、別の部分は取得原価主義会計であり、この両者をつないでいるのは減損主義会計だ(2011/11/29からのいくつかの記事(IFRSの資産シリーズ)を参照していただけるとありがたい)。したがって、この幹部氏の批判をより正確に記述するなら、「金融商品関係の資産・負債(退職給付関係を含む)は公正価値評価されるのに、人の評価が関係する棚卸資産や固定資産の多くは、なぜ取得原価主義の評価なのか。人はコストでなく資産なのだから、棚卸資産や固定資産も公正価値評価しなさい。」となる。

 

さて、面白くなってきた(僕だけ?)。なぜ、一方は公正価値なのに、もう一方は取得原価なのか。

 

みなさんは既に想像がついたかもしれないが、棚卸資産や固定資産は「公正価値評価する実務上のハードルが高過ぎて計上しない」のだと思う。そして、その実務上のハードルを作っているのは「将来の不確実性」だ。金融商品は、外部との約束事があって、基本的にはそれが果たされるという前提を置くことができる分、不確実性が削減されている。しかし、棚卸資産が原価以上で売れるかどうかは顧客が決めることで、事前に確実性を持ってわかるものではない。作っても売れないこともある。作れないことさえある。それが事業の難しさであり面白さだ。固定資産も、それを利用して行われる事業が成功すれば原価以上のキャッシュフローをもたらすが、そうでなければ減損が待っている。即ち、棚卸資産や固定資産に由来する将来キャッシュフローは、不確実性が高い。公正価値評価するには実務上のハードルが高過ぎるのだ。

 

だが、将来、何かの科学技術の進歩によりこのハードルが低くなって、金融商品等と変わらなくなった時のことを想像してみよう。すると、棚卸資産や固定資産はいつ公正価値評価されるだろうか。いや、そもそも棚卸資産や固定資産は資産計上されるのだろうか?

 

将来の不確実性が低減し、顧客に受け入れられる商品を思った値段で提供できる可能性が高まれば、製品ならそれが完成した段階で公正価値評価できる。さらに言えば、生産設備を購入した段階で、その生産設備によって獲得される将来キャッシュフローを完璧に予想し、生産設備を公正価値評価できるかもしれない。或いはその事業を着想した段階で、事業全体を公正価値評価できるようになるかもしれない。さらに究極の完全合理性の成立つ世界では、人が入社したらその人が、何を事業化し、退職までにいくら将来キャッシュフローを生むのかを予測できる。その場合は、その人を公正価値評価することになる。このような世界では、従業員および経営者を公正価値評価すれば、その企業の価値は分かってしまうので、それとは別に製品や生産設備を資産に計上することは不要になる。それをすると資産価値が二重に計上されてしまう(これは一般的な意見ではない。下記11/13追記を脚注参照)

 

即ち、企業を評価しようと思えば、人を評価するか、“人以外のもの”を評価するかのいずれかであり、現状では現実的に実行可能な“人以外のもの”を評価することが行われている。そのために、将来の不確実性が高く、取得原価主義(+減損会計)で評価されるものが出てくる。そして、既述したように、金融商品などの契約で相手の行動を予測しやすく、将来キャッシュフローを客観的に見積りやすい項目については、その分将来の不確実性が低いので公正価値評価が行われる。退職給付の将来キャッシュフローの流出額は、企業と従業員の契約に基づいて見積ることができるため、事業による将来キャッシュフローの流入額より確実性を持って見積もることができる。したがって、公正価値評価が行われる。仮に、それが事業による将来キャッシュフローの流入額と同程度に不確かなもの、退職給付を受ける従業員の権利が不確かなものでよいなら、取得原価主義会計で処理されることも考えられるかもしれない。

 

ということで、幹部氏が指摘されたように、人の評価は本来会計処理の対象となって、資産計上されても不思議はない。しかし現実には“人以外のもの”を会計処理の対象としているため、人の評価を貸借対照表に計上すべきではないというのが結論だ。

 

 

ところで、上記では、「のれんは公正価値」と書いたが、それは買収時のことに限られる。いったん資産計上されたのれんは、その後、取得原価主義会計で処理される。そのために、償却するかしないかが問題になる(もし、公正価値会計であれば、毎期公正価値で評価替えされるので、償却も減損も問題にならない)。のれんのこの問題については、恐らく次々回で取上げる。そのまえに、次回は、(一般的には必要と考えられているが、)日本に於ける有給休暇引当金の要否について検討する。

 

11/13追記)

この辺りに関するIASBの見解は、IFRS3号「企業結合」の結論の根拠『集合的な人的資源(BC176~)』に記載されている。そこでは、集合的な人的資源が、資産の定義に合うかどうか(無形資産を認識する要件に当たるかどうか)の観点から、資産に計上しないと判断したとしている(結論は上記と同じだが、根拠は異なる)。詳細は、現在進行中の「【製造】のれん」シリーズの中で触れる予定。

この追記は、もし、上記を一般的な見解と誤解する人がいたら申し訳ないので、念のために付け加えることにした。上記の「人の評価を完全にできれば、企業価値が算定できる」とか「企業を評価するには、人を評価するか、“人以外のもの”を評価をするかのいずれか」などといった意見は、僕の感覚的な意見に過ぎず、何か根拠のあるものではない(が、僕はそう思っている)。

2012年11月 2日 (金曜日)

【製造業】退職給付~不思議な誤解

2012/11/02

開発費の次はのれんを期待された方が多いかもしれない。しかし、のれんを飛ばして退職給付の数理計算上の差異の検討をしたい。のれんは人件費項目が終わってからにしたいと思っている。オックスフォード・レポートでは、従業員給付の新基準(IAS第19号「従業員給付」-2011/6改定、以下新19号と記載)について、2つのテーマが問題提起されている。

 

 1.退職給付債務の数理計算上の差異が原価計算の対象から外れること。

 

 2.企業が、確定給付年金を廃止して、確定拠出年金に移行せざるをえなくなる可能性。

 

結論からいうと、いずれも、具体的に検討してみると、オックスフォード・レポートに記載されている懸念に誤解があることが分かる。1の方は指摘自体が的外れ、2の方は指摘の趣旨は理解できるが、会計基準をいじったところで実態が変わるわけではなく、本質的な問題(将来の不確実性)が解決、若しくは改善されるわけではない。

 

結局、この程度の関連性と影響度合いで、IFRSが日本の製造業を危機に落し入れるとは思われない。以下で、その理由をみていくことにする。

 

 

<1.退職給付債務の数理計算上の差異が原価計算の対象から外れること>

 

まず、オックスフォード・レポートの記述を詳しく見てみよう。

 

P116117からの転記)

・・・もっとも多く指摘されたのは「従業員給付」についてである。退職給付債務の数理計算上差異については、従来は残存勤務期間等の合理的な期間で配分して製造原価に算入する方法がとられていたが、IAS 第19 号(2011 年6 月改訂、2013 年1 月適用)によると、即時に OCI(その他の包括利益)に計上し、リサイクリングを行わないために純利益計算に反映されないこととなる。多くの企業でこの処理は従来の原価計算、投下資本コスト回収、利益性評価という体系を崩すものとして経営管理に資さないものとして理解されている。企業によってはその際の処理が相当金額(多くの会社で200-600 億円単位)に上り、原価計算、財務諸表、および価格設定への不都合が指摘された。

 

しかし、新19号の規程を読むと、「退職給付債務の数理計算上の差異」は、原価計算の対象に含まれる。だとすれば、「この処理は従来の原価計算、投下資本コスト回収、利益性評価という体系を崩すものとして経営管理に資さないものとして理解されている」は誤解ということになる。OCIに計上されるため、原価計算の対象から外れるのは、販売費および一般管理費に相当する部分だ。だが、これはもともと原価計算の対象ではないために、原価計算には影響がない。

 

確認してみよう。新19号の日本語訳があれば良いのだが、残念ながら僕は入手できていない。そこで、下記のホームページの記載を参考にしているが、次のように記載されている。

 

改訂IAS第19号「従業員給付」の解説(第6回)税務研究会『週刊 経営財務』 2011年9月26日号

 

他のIFRSが(A)~(C)の費用を資産の原価に含めることを要請または許容している場合は、退職給付費用の一部を資産の原価に含めることを規定しています。

 

要するに、IAS第2号「棚卸資産」が、退職給付費用(数理計算上の差異を含む)を原価計算の範囲に含めなさいと規定していれば、それを優先しなさいということだ。一応、新19号の原文に当たってみよう。

 

 Components of defined benefit cost(給付費用の構成要素の範囲)

120項では、日本でいう数理計算上の差異も、退職給付費用に含めて定義している。)

121  Other IFRSs require the inclusion of some employee benefit costs within the costof assets, such as inventories and property, plant and equipment (see IAS 2 and IAS 16). 
Any post-employment benefit costs included in the cost of such assets
 include the appropriate proportion of the components listed in paragraph 120.

(この121項が上記のホームページから抜き出したところに該当する。背景色は僕が加えた。)

122項では、退職給付資産と負債のネットの再評価額の変動額(≒日本でいう数理計算上の差異)のうち、その他の包括利益で認識したもののリサイクリングを禁じている。)

 

ということで、リサイクリングを禁じられているのは、資産の取得原価に含められなかった数理計算上の差異等であり、棚卸資産(および販売済みで売上原価に計上されたもの)や自家建設の固定資産の取得原価に含めるべき退職給付費用(数理計算上の差異等を含む)は、いったん資産に計上され、その後売上原価や減価償却として純損益に計上される。

 

むしろ注意すべきは、上記のホームページにも記載されているように、数理計算上の差異等を一時認識することで、原価計算に含まれる退職給付費用が大きく増えたり減ったりすることだろう。これを原価管理や売価決定プロセスでどう扱うかが問題だ。

 

IFRSでは、日本基準(原価計算基準)と異なり、製造間接費の配賦を正常生産力に基づいて行う(IAS第213項)など、棚卸資産の原価をその時々の生産状況(操業度の高低)で変動させないようにする規定がある。そのイメージで考えると、棚卸資産原価と関連の薄い数理計算上の差異等の影響を最小限にとどめる工夫ができないこともないように思うが、その原価変動を減殺させる直接の規程はない(ただ、上記121項では、さりげなく「include the appropriate proportion of the components of ...(“適切な比率の”退職給付費用の構成要素が含まれている)」と表現されている)。原則主義のため、具体的に定められていない事項をどのように解決していくかは、各社で工夫するようになると思う。

 

ちなみに、日本基準(原価計算基準)では、原価差異は原則として売上原価へ賦課することになっているから、労務費を予定単価で直課・配賦している場合には、数理計算上の差異等の影響による変動額は原価差異となり、全額売上原価にすることができる。異常であれば、原価から外すこともできる。しかし、実務では税法の影響が強く、期末に原価差額を売上原価と期末棚卸資産へ按分する方法が普通だ。したがって、なにも工夫せずにIFRSを適用すれば、この税法規程を前提とするので、一時認識された数理計算上の差異は、棚卸資産へ配賦されることになるだろうと思う(棚卸資産の減損会計があるので、販売見積額から販売費用を控除した正味実現可能価額が上限だが)。

 

以上によって、上記の懸念は誤解であり、それは、新19号を読めば簡単に分かることだとご理解いただけたと思う。注意すべきはもっと他にある。

 

 

ところで、新19号の規程は、数理計算上の差異等が棚卸資産の原価に含まれること(121項)と、OCIに計上された数理計算上の差異がリサイクリングできないこと(122項)が、隣に書いてある。加えて、この121項の規定と同種の規程(IAS第2号等を優先すること)は、改定前(2011/6以前)から上記の背景色を含む形で、旧19号の複数個所に記載されている。だから、学者などの専門家であれば、数理計算上の差異が原価計算の対象から外れるなどという誤解をするはずがない。それなのに、なぜ、こんな誤解が広まり、的外れな懸念が「もっとも多く指摘され」る事態に至ったのだろうか。一斉に多くの人が同じ誤解をするだろうか? それとも誰かが広めたのか? 

 

また、このような懸念があったとしても、新19号が2011/6に確定して払しょくされたはずだ。しかし、9カ月も経過した2012/3に提出されたこのオックスフォード・レポートに、的外れな懸念が、的外れなまま記載された。おかしい。実に不思議だ。だが、学者らしからぬうっかり者が、調子に乗って言いふらしたとしたら・・・。そしてそのうっかり者とは・・・。

 

 

<2.企業が、確定給付年金を廃止して、確定拠出年金に移行せざるをえなくなる可能性>

 

さて、話題を次へ移そう。確定給付年金制度は、年金をもらう従業員にとっては将来の給付額が確定しているのでありがたい制度だ。その代り、企業が将来の不確実性に対するリスクを負う。一方、確定拠出年金制度は、従業員が将来もらえる年金額が変動するが、企業の負担額が確定しているので企業にありがたい制度だ。将来の不確実性を企業が負担するのか、従業員が負担するのか、この違いは大きい。そこで、オックスフォード・レポートでは次のような懸念が表明されている。

 

P117 大手電機メーカーの経理部幹部の懸念として、下記が紹介されている)

退職給付のフェーズⅡで、IASB はキャッシュバランスプランについて、金融商品のように毎期末に公正価値評価して、退職給付債務の期首と期末の差額をP/L に計上するか、OCI に計上することも検討するようである。

OCI に計上する場合は、上記の問題が増幅するだろう。P/L に計上することになると企業の損益のボラティリティが大きすぎることになり、企業は、キャッシュバランスプランのような確定給付年金を廃止して、確定拠出年金に移行せざるをえなくなる可能性もある。

 

「退職給付債務を満額貸借対照表へ計上すると、企業側が将来の不確実性の負担を負えなくなりそうだ。だから、従業員へ負担を移させてもらうかもしれない。」という内容だ。しかし、純損益ではなくOCIに計上することで、業績(損益計算書)への影響は少し緩和されそうだ(「増幅する」というのは良く分からない)。ただ、財政状態(貸借対照表)には容赦なく反映される。

 

ポイントは、確定給付年金制度があまり企業にリスクをもたらさないのに、会計処理が適切でないために、業績や財政状態に大きな変動を与えてしまうのか、それともリスクを反映して変動しているかだ。そして、実際にリスクがあるならやむを得ないのではないか。そのリスクを負担しきれないのなら、確定拠出年金へ移行せざるを得ない。それがゴーイング・コンサーン経営だし、従業員にとっても結局幸せなのではないだろうか。

 

例えばもし、経営者が思いは熱いが数字に弱い人で、「従業員に優しい経営者でありたい」などと言って、財務的な備えもなく確定給付年金制度を採用したら、困るのは従業員だ。会社が倒産しても、確定給付年金は約束だから満額もらえる、などと思っていたら大変だ。一方で、確定拠出年金の外部積立分(+運用損益)は、従業員が確実に受け取ることができる。

 

企業経営者も銀行も、貸借対照表を見ながら投資額をいくらにするか、融資をどうするかを考える。もちろん、投資から得られる見込みの事業収益が最も重要だが、見込みは不確実性が高いから、財務的な体力を示す現時点の貸借対照表が重要な判断材料になる。そこに退職給付債務が満額記載されているのと、過去勤務債務や数理計算上の差異が簿外債務になっている場合では、意思決定の内容が変わってくる。退職給付債務が満額記載されていれば、その分慎重になることを期待できる。いざという時でも、その方が従業員への配当をより多く期待できる。

 

上記の経理部幹部の懸念のほか、全国レベル労働組合関係の幹部の証言も記載されていて(P117)、やはり満額負債計上に対する懸念を述べている。気持ちは分かるが、その面だけを見るのでなく、負債計上することで、従業員の債権者としての立場が強くなると考えたらどうだろうか。

 

ただ、確定拠出して、従業員自身が運用する制度は危険が一杯だ。「円高+デフレ」の環境だと、相場で儲けるのは難しい。積極運用するとほとんどの人が損を抱えるのではないだろうか。いくら低利でも、何もせずに預金かMMFにしておくのが一番良さそうだ。楽だし、儲けは少なくてもデフレだから損はしない。そして「円安+インフレ」に変わるタイミングで、積極運用を始めると成功率が高いかもしれない。多くの相場、銘柄の名目価格の上昇が期待できる。しかし、それがいつかは分からない。なぜなら、将来のことは分からないから。不確実性が高いから。

 

いずれにしても、本質的な問題は将来の不確実性であって、それは会計処理では解決できない。精々会計は、見る人に実態(に近いと思われる姿)を知らしめることしかできない。しかし、実態を理解しないまま意思決定が行われ、その結果を押し付けられるのは、従業員にしても、債権者にしても、株主にしても、そして顧客にとっても願い下げではないだろうか。だから、経営者が実態を理解できるような会計処理を勧めた方が良いと思う。満額負債計上するのは厳しいのだが、本当に厳しいなら仕方ない。それを前提に経営したもらった方がみんなのためになる。

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