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2013年1月17日 (木曜日)

のれん ー 毎期規則的に減損するのはどう?(20)集合的な人的資源

2012/1/17

ようやく、のれんの本質が人の評価だ、という結論を得て、のれんの償却方法や耐用年数を客観的に決める方法の検討へ入れると思ったら、IFRS第3号のBC176(結論の根拠の段落番号)の前の「集合的な人的資源」という見出しが目に入ってしまった。IASBも、人という経営資源をのれんとの関係で検討しているのだ。どのように考えているのだろうか。以下にBC176以下の段落の内容を説明する。

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BC176の出だしはこんな感じ。

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SFAS141号を開発するにあたり、FASBは、集合的な人的資源が識別可能な無形資産としての契約法律規準又は分離可能性基準のいずれかを満たすものであるか否かを検討していない。

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これは小さい。経営資源としての“人”はこんなに小さいのか! ここでは、集合的な人的資源を無形資産としてのれんから区分できるかどうかが、関心事になっている。のれんに人的な要素があることは認めているのだが、どうやら、人の要素は、のれんの小さな一部に過ぎないと考えているようだ。のれんの本質が人の評価だとする僕の意見とは大きく異なる。もう少し続けて見てみよう。

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SFAS141号ではその代わりに、集合的な人的資源の価値を信頼性をもって測定する技法を現時点で利用することができないとするFASBの結論を受け、集合的な人的資源を個別に認識することを排除した。

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なるほど、FASBは集合的な人的資源をのれんと区別できないと判断したのか。それも、計算技法がないという、テクニカルな形式的な理由で。

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僕にしてみれば、客観的な計算技法がないのは当たり前だ。区別できない理由はもっと本質的なものだ。のれんは、人が将来の不確実性へ適切に立向かっていく姿への期待なのだから、将来事象を認識し、将来要素から測定しなければならない。だから、買収時に経営者が神憑り的な判断で、買収対象会社の純資産を上回る値段をつけない限り、金額的な評価はされない。その価格で買収するか否かは、経営者の研ぎ澄まされた一瞬の判断なのだから、あとから計算式でなぞろうとしても無理なのだ。(だから、買収価格は極めて主観的であり、経営者によって異なるはずだ。したがって、企業の買収価格は公正価値とは言えないと思う。)

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では、それに対してIASBはどう判断したのだろうか。続きを見てみよう。

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一方、IFRS第3号及びIAS第38号は、集合的な人的資源を個別に認識することを明確には排除していなかった。しかし、IAS第38号の第15項では、企業は、集合的な人的資源から生じると予想される将来の経済的便益に対して、それが個別に認識される無形資産の定義を満たすのに十分な支配を、通常は有していないと説明している。

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IASBは、明確には言ってないが、結論は「企業は人(の行動から生じる経済的な成果)を支配できない」という理由で、区別できないとしている。この部分を読んで理解した。「支配」と書いてあるが、これは過去事象にこだわっている証拠だ。IASBもFASBも、人が将来の不確実性に立向かっていくこと(=将来事象)に価値を置いたのではなく、「人が過去してきたこと(過去事象)をそのまま将来も続けて行うとしたらいくらになるか」に関心があるのだ。即ち、過去に起因する事象を認識し、将来要素で測定しようとしている。会計上の資産の定義に合わせて(=財務情報の範囲で)、「集合的な人的資源」を考えているわけだ。しかし、買収額と純資産の差額で計算されるのれんは非財務情報の評価額であり、財務情報の評価額ではない。

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財務情報     非財務情報

認識の対象    過去       将来

測定の要素    将来       将来

  ↓        ↓

 IASBやFASB  僕が考える

    が考える     人の評価

 集合的な人的資源  (=のれん)

 (のれんの一部)

(なお、「認識」は伝票でいえば日付の決め方、「測定」は伝票の金額の決め方と思っていただけると良い。)

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結局、これは前回(1/16の記事)の「ぬいぐるみと生き物」の議論と同じだ。IASBもFASBも、経営者が企業の過去を見てその買収額を決めていると考えているが、僕は、企業の将来を推し量って買収額を決めると思っている。みなさんは、どちらだと思われるだろうか。

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ちなみに、このIFRS第3号の「集合的な人的資源」の議論は、上記のBC176からBC180までの5つの段落をかけて記述されている。そしてその結論を大雑把に表現すれば、次のようになる。

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「(公開草案に対するいろいろな意見を検討した結果、)集合的な人的資源は、のれんと区別できないので、のれんと別科目とすることは禁止する。仮に、のれんと区別できるとしても、その価値は僅かで重要性がない。」

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過去をそのまま繰返すだけの企業、環境変化に適用しない企業における人の価値は、確かに僅かかもしれない。しかし、立派なのれんのある企業とは、そんなものではない。

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