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2013年1月

2013年1月31日 (木曜日)

のれん ー 毎期規則的に減損するのはどう?(24)本質に合った減価償却、減損の方法

2013/1/31

なんと、一カ月にもわたって「のれんは人の評価だ」と言い続けてきた。かなりシツコイ。しかし、まだ続く。このシリーズの前々回(1/24の記事)では、買収後の減価償却や減損の意味を考えるにあたって、買収時に想定した目標が重要になると記載したが、今回は一歩進めて、減価償却や減損の方法について検討したい。もちろん、「のれん=人の評価」を前提とした場合の検討だ。シツコイ、シツコイ。

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重要なことは、のれんがなんであるかが明確になると、償却や減損の意味もその分はっきりしてくるということだ。その結果、償却期間(=耐用年数)や償却方法をどのように決めるか、減損の兆候が発生しているかどうかといった判断が、より適切に行えるようになると思う。

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すでに2012/12/27の記事「“再”のれんの本質」にも一部記載したが、改めて考えてみよう。

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(減価償却)

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・関係する人々の、予想残存勤務期間に渡って減価償却すると収益費用が対応する。

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のれんは、買収時に関係する人々が将来に行うであろう判断や行動に対する期待だから、償却期間は、それらの人々のその事業に関わる残存勤務年数を見積って決めることになる。個人別に見積もるか、それとも、一定のグループの平均残存年数を適用するか、考え方は2つがありえる。もちろん、現実的なのは、部署や役職などのグループごとの見積りだろう。

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償却方法は、上記で在籍期間を個人別に見積もった場合は、その個人別の見積り退職・異動時期に応じた償却、或いは、実際の退職・異動に基づく償却(生産高比例法のようなイメージ)が考えられる。グループの場合も基本的には同様だが、もしかしたら、単純に定額法や定率法のような方法の採用もあり得るかもしれない。

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加えて、関係する人々が将来キャッシュフローの獲得にどれほど貢献するかを見積って、重み付けをする方法も考えられるかもしれない。例えば、スティーブ・ジョブズのような革新的な付加価値を生むアイディアを実現する能力を持った人がいれば、その人に重み付けをするなど。でも、かなりハードルが高い。

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もちろん、IFRSではのれんの償却が禁止されているから、実際には、このような処理は行えない。これは妄想の世界の話だ。しかし、日本基準では、のれんの償却期間をどのように決めたらよいか悩むことは多いはずだ。妄想でも、多少はその参考になるかもしれない。(このように考えると、日本基準の最長20年というのは、かなり良い線だと思う。退職給付の注記を見ると、残存勤務期間はだいたい20年未満が多い。)

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一つ注意が必要なのは、シナジー効果があるので、「買収側の人々」ものれんの対象になっていることだ。

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(減損)

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 関係する人が、退職したり異動した場合に減損する。

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単純に、買収時に関連した人々の在籍者人数の減少の度合いだけで減損の判断を行うことも考えられるが、それでは「収益性の低下による回収可能性を測る」という減損会計の趣旨には合わない。やはり、のれんが将来キャッシュフローによって回収できるかどうかを判断する必要があると思う。個人別の将来キャッシュフローを見積ることが理想だが、困難だろうから、部署ごとや組織階層別のある程度のグループごとに見積って、個人別の単価を計算し、それに離職者の状況を加味することになるだろうと思う。

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 事業から生じる予想将来キャッシュフローがのれんを回収できると見込めなくなった場合に減損する。

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これは通常ののれんの減損の考え方だ。基本的には現状の方法とあまり変わりはないと思う。

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だが、のれんが人の評価であるとすれば、ここで起こっていることのイメージが湧いてくる。即ち、減損が起こる状況とは、買収時に予想したほど人々の判断や行動がキャッシュフローの獲得に貢献しなかったということになる。例えば、環境変化への対応力やシナジー効果の発揮が期待ほどでなかった、或いは、買収時には想定しえないほどの大きな環境変化が起こったなど。日本基準で開示される減損理由は後者のニュアンスで記載されることが多いと思うが、実態はどうなのか。読者としてはそれを読み取ることが重要だ、と素直に思えるだろう。

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のれんが人の評価であることを前提とすれば、今のままではダメだから事業責任者や幹部社員を変えよう、とか、買収時の計画にはない追加の大きな投資をしようとか、環境変化に合わせて事業の方針・内容を変えようといった時が、減損のタイミングかもしれない。.

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ここで、「買収時に在籍した、或いは、関係した人々にしか、のれんがないのか」という疑問が沸くかもしれない。即ち、あとから異動してきたとか、あとから入社した人々が、のれんを引継いでいるのではないか、という疑問だ。もし、引継いでいるとすれば、のれんを償却・減損しなくてよいのではないか、それに、予想残存勤務期間では耐用年数を決められないのではないか、ということになる。

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もちろん、引継いでいる。でもそれは、M&Aに関係なく普通にあらゆる部署で行われていることなのに、どの部署でもそれを資産計上することはない。ということは、M&Aの場合も資産計上しないということだ。これが、いわゆる自己創設のれんだ。人の評価、しかも、将来の判断や行動への期待に基づく評価が、資産計上されることは、M&Aの時以外はない。なぜなら、将来事象は非財務情報であり、会計処理の対象にはならないからだ。M&Aの時は、それを評価し買収額が実際に支出されるので、会計の対象となる(1/17の記事など)。

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さて、いよいよ、このシツコイのれんシリーズもフィナーレを迎える。残るは、このシリーズのタイトル「毎期規則的に減損」についての検討だ。なぜ、このタイトルを掲げたか。それは『きっと、のれんの本質が分かりさえすれば、原則主義の奥深いIFRSならば、ことの本質に合った形の会計処理、即ち、「IFRSに於いてのれんを規則的に減損する方法」が考案できるのではないだろうか』と思ったからだ。

 

ということで、僕はこれから、IFRSの規程をしっかり読み込む。そしてこれに成功すれば、「のれんを償却しないからIFRSは日本の製造業に合わない」という主張を退けることができる。果たしてどうなるか・・・、でもそれは来週! ん~、残念!!

2013年1月29日 (火曜日)

のれん ー 毎期規則的に減損するのはどう?(23)アップルの株価

2013/1/29

アップルの株価が急落している。一時は700ドルを超えるまで上昇していたが、今は440ドル前後だ。MSNマネーによると、2012/9期末での資本合計は176,064百万米ドル、発行済株式総数は939.21百万株だから、一株当たり純資産は、187.5米ドルとなる(アップルの決算月は9月)。700ドルまで上昇していた時は、のれんに相当する部分が500ドル以上あったが、今はその半分程度しかない。そしてつい最近、時価総額No.1の座をエクソン・モービルに明け渡したというニュースが流れた。

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アップルの株価の動きを振返ってみると、ちょうど一年前のいまごろ、今と同じ程度の株価だったが、その後上記のように上昇して9月が天井だっだ。ちなみにスティーブ・ジョブズ氏が亡くなったのは、今から1年3カ月ほど前の2011/10/5、その前月9月末の株価は381ドル、10月末の株価は404ドルだ。死の直前の10/4には、iPhone 4S発売の発表が行われた。

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ほー、ジョブズ氏が亡くなって、株価が上昇した(即ちのれん相当額が増えた)ということは、「のれん=人の評価」説は消えたな。

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そう思われた方はちょっと待ってほしい。株価は短期的には業績予想で動く。いま、アップルについて言われていることは、「ジョブズ後の成長が見えない」ということであり、ジョブズ氏が残されたアップルの人々に企業価値の源泉となる能力を引継げていれば、株価はこれほど下がってはいなかっただろう。

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昨年9月のiPhone 5までは、ジョブズ氏の遺産・路線を引継いだものと見られていた(株価は天井)。だからその後が注目されたが、昨年10月に発売したiPad miniのコンセプトは、生前ジョブズ氏がネガティブだったと言われ(注)Androidの7インチ・タブレットに追随したものだ。これ以降、株価下落が始まった。さらにはサムスンやアマゾンなどの安い製品に対抗するために、中国などで価格競争を強いられているために、廉価版が開発されているなどと噂されるようになり、いま、ジョブズ氏のブランド・イメージが剥げ落ちている過程だと見ることもできる。ジョブズ氏なら、市場に追随するのではなく、新たな市場を創造するような、或いは、他社製品とは明らかに差別化できる革新的なアイディアで製品開発をしたに違いない。それができないアップルは普通の会社になってしまったと。

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確かに、革新的な製品開発は短期間にできるものではない。とはいえ、うかうかしていると、ジョブズ氏が復帰する前の、破綻寸前のイメージが蘇ってくるかもしれない。iTunesのような新しいビジネス・モデルが残されたが、これだって激変する環境の中でいつまでも新鮮さを保てるとは限らない。ジョブズ氏の遺産を守っているだけではダメなのだ。果たしてジョブズ氏は、新しい才能と、目標に向かう強い組織を育てられていただろうか。残された人々の実力・能力。それがこれから問われることになる。

 

ちなみに、僕は株式投資は素人だ。これを読んで売ったり買ったりする人はいないと思うが、念のために申し添えておく。昨年10月以来のアップルの株価急落の原因で一般的にいわれているのは、iPhone 5のスタート・ダッシュが市場の期待ほどには良くなかったこと、調査会社IDC12月のレポート(iPhone中国市場のシェア下落、タブレットのシェア下落)、それを裏付けるような部品メーカーへの部品発注減の報道、13月業績見通しが期待外れ等々の理由で下落したとされている。Microsoft2000年には現在の倍ぐらいの株価がついたが、その後それを更新できていない。さて、アップルはどうなるか。「人次第」と思いません?

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(注)2010/10/18の決算説明会の質疑応答でジョブズ氏が、Android陣営が開発している7インチ・タブレットについて「DOADead on arrival=即死)」と表現したことを根拠にしているらしい。7インチという小さな画面でも操作できるように、ユーザーが指を削る紙やすりを製品に同梱する必要がある、という趣旨のことも述べたという。このときの否定の仕方が強い印象を残した。
その後、ジョブズ氏が
iPad miniの開発を認めていたという報道や、ジョブズ氏が言を返すことは他にもたくさんあったという話もあるが、今回の件についての真相は分からない。ただ、アップルからジョブズ氏の持つ革新的なイメージが、薄れつつあることは確かなようだ。

2013年1月26日 (土曜日)

【番外編】3x2はマルだけど、2x3はペケ?

2012/1/26

これは、すでにネットなどでも話題となっていて、ご存じの方も多いと思うが、僕は、次の記事で初めて知った。小学校の先生によっては、掛け算の順番に拘るのだという。

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小学校のかけ算 えっ?順序が違うと「バツ」(朝日新聞デジタル版1/25

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上記はID登録が必要なので、面倒という方は、こちらのブログも面白い。

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6×8は正解でも8×6はバッテン?あるいは算数のガラパゴス性(ITmedia社ブログ、白川克氏、2011/12/21)

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僕は、行き付けの喫茶店でこの記事を読んでいて、思わず椅子から滑り落ちそうになって、ガタン、と物音を立てた。いつも物静かにこのブログを書いたり、Twitterを読んでるだけなので、この店のお姉さんはびっくりしたと思う。掛け算の答えの「6」が合っていればどちらでもいいのではないか、と思ったのだが、上記の記事やブログを読んでみると、教育上の見地からは、結果だけでなくプロセスに拘ることも重要だという意見がある。そうなのかなあ。

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今回は、この問題の是非を問おうというのではない。実は、これらを読んで、先週受けた日本公認会計士協会のリスクアプローチの研修を思い出したのだ。リスク・アプローチは、コストを最小にコントロールしながら成果を出す手法として監査制度に採り入れられ、監査基準の改定のたびにその緻密さを増している。僕は現在監査に従事してないので、このテーマの研修は不要なのだが、僕が監査法人を辞めた直後に、実質的な監査基準である監査基準委員会報告が一新されたこと(クラリティ版の発行)もあり、どう変わったのか気になって受けてみた。

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結論としては、僕が監査をやっていたころと(最近公開草案が出た不正対応関係を除いては)、違いはないのだが、気になっていたのは、クラリティ版と同時期に公表された監査基準委員会研究報告第1号「監査ツール」だ。「監査ツール」とは、監査調書の様式集と考えてもらえれば良い。即ち、「この様式を利用して監査調書を作成すれば、リスク・アプローチに沿った監査をやったと主張できる」という有難いものなのだ。

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その様式の根底にあるのは、あの内部統制報告制度のRCM(Risk Control Matrix)のお化けのような、ばかでかい表のイメージだ。このRCMは、識別したリスクを単位として、内部統制の整備・運用状況を検討するものだが、この監査ツールは、会社の於かれた環境、事業の理解から、リスクの識別、内部統制の整備状況の把握(以上までがリスク評価手続)、内部統制の運用状況、財務諸表項目の実証的検証(以上がリスク対応手続)、さらに監査証拠の評価までを含む監査一連のプロセスを表現するイメージなので、“お化け”といえるほどにデカい。それを局面ごとにばらして様式化したものが、この「監査ツール」といえると思う。

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実は、僕のいた監査法人では、クラリティ版の大元である国際監査基準準拠の監査マニュアルが適用されていて、すでに同じ様な様式があった(実際にはこの「監査ツール」よりもっとデカいというか細かい)。その様式に沿って作ると、膨大な監査マニュアルのかなり細かい規程にも対応できるのだが、それが大変な作業なのだ。“コストを最小に”というリスク・アプローチの趣旨を見失いそうだった。

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そうか、あの手のものを使うのが会計士協会の標準の考え方になったのか。それでは、是非、木を見て森を見ずにならないよう注意を願いたい。即ち、様式を埋めることに一生懸命になり過ぎて、何をやっているかを見失わないように注意していただきたいと願うのだ。というのは、導入時に、監査マニュアル担当者とこんなやり取りがあったからだ。

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会社のリスクには様々な様態のものがあって、一律の表形式で表現できるものではない。その証拠に、様式に入れようとすると「該当なし」ばかりになってしまうリスクとか、その様式では適当な記入欄のない重要事項が出てくる。

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該当する記入項目がなければ「該当なし」と記入すればよい。用意された枠では表現しきれないなら、別に調書を作成し添付して、一番関連しそうな表の枠に添付調書の番号を入れてくれ。

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それでは作成に手間がかかるばかりでなく、一覧性がなく、表にした意味がなくなる。調書レビュー(作成者の上司が何段階か、調書をチェックすること)の手間もかかる。もっとリスクの実際に合わせた自由様式を許容したらどうか。

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様式を多少崩してもよいが、最低でも監査マニュアルの規程と整合させてくれなくては困る。

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それはそうだ、ということになったが、良く考えてみると、様式を崩すには、膨大な監査マニュアルから関連しそうなところをあちこち読込み、より厳密に様式を考案しなければならない。会計士協会の品質管理レビューもあるし、会計士監査審査会の検査もあって、標準フォームと違う様式を使っていれば、理由を説明しなければならないだろう。しかも、監査マニュアルや様式はしょっちゅう改定されるので、そのたびにカスタマイズした部分に影響がないか検討しなければならなくなる。それには様式をカスタマイズしたもののリストと、カスタマイズの詳細の記録も必要になる。そして、これらを後任に引継いでいかなければならない。これらの作業と、少々強引でも枠に書き込むのとどちらがコスト・パフォーマンスが良いか・・・。

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結局、様式を崩すことは実質的にできないという結論になった。しかし、これは細則主義の弊害であると内心怒り、ますます、僕は原則主義が好きになった。

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んっ、これと、冒頭の掛け算と何の関係が? と思われたかもしれない。それは、「たとえ、答えは同じでも、その経過を一定の形に当てはめないといけないことがある」ということだ。しかし、僕は納得できない。掛け算も、この様式も、もっと結果重視で良いのではないか。

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そこで、喫茶店のお姉さんに聞いてみた。「ねぇ、3x2と2x3に拘る?」と。このお姉さん、江戸っ子ではないが、しゃきしゃきした切れの良い性格だ。きっと「どっちでもいいんじゃない」っていうだろうと期待して。しかし、意外な答えが返ってきた。「ん~、やっぱり順番が大事だと思う」と。

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「えっ、どうして?」って聞くと、「教育上必要という人がいてもいいでしょ。ケース・バイ・ケースよ」という。僕は、不意を突かれてゴールを許してしまったゴール・キーパーのような気持ちだ。振り向くとゴール・ネットにボールが転がっている・・・。ん~、確かに決め付けるべきことではないか。僕は転がっているボールを思いっきりネットにけり込みたいと思ったが、お姉さんの笑顔にその気も鎮まった。たいしたお姉さんなのだ。もしかして、密かに監査のことまでお姉さんに解決してもらおうとした僕の企みも、見透かされていたか。

2013年1月24日 (木曜日)

のれん ー 毎期規則的に減損するのはどう?(22)のれんの減価・減損の意味

2013/1/24

実に、単純なことになってきた。今まで長々と書いてきたことは、概ね以下の式に現わされている。

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非財務情報=将来情報=のれん=人の評価

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この式の意味として主張したいのは次のことだ。

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  • のれんは将来情報なので通常は財務情報にならない(自己創設のれんの資産計上禁止)。
  • M&Aではこの将来情報も評価されて買収額が決まる(のれんが発生、会計処理の対象になる)。
  • M&Aの将来(=成否)を左右するのは、買収後のそれに関わる人々の判断や行動だが、その“人々”には、買収される会社の人々に加え、シナジー効果を出すために関わる買収する側の人々も含まれる。
  • 将来情報で企業評価をするということは、上記の人々が将来行う判断や行動を予想して、その時点で評価することに等しい(これは神業。のれんは人の評価)。

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では、のれんが人の評価であるとすれば、何によって減価(=費用化)したり、減損したりするのだろうか。

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それは、買収時に掲げた目標達成に向かって人々が貢献していれば費用認識し(=減価償却)、目標達成から遠のけば評価の見直し(=減損)が必要になるだろう、ということだ。

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というわけで、いずれにしても“目標”が重要だが、これには以下のような問題がある。

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  • 買収時に設定される目標は、必ずしも明確にされないケースがある。もしかしたら存在しないのかもしれないし、あっても経営者や少数の人々の頭の中にあるだけで公式なものにされず、そのうち忘れ去られる可能性がある。

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このケースは、特にシナジー効果に関する目標が該当する。買収された企業の目標は、その後の事業計画で明らかにされるから、まだ分かる(買収時の目標とは違うものかもしれないが)。しかし、シナジー効果は買収する側の企業にも現われるものなのに、それが明示されるとは限らない。

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  • 設定される目標が、投資額(=買収額)の回収と、明確に関連付けされているとは限らない。

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「まさか!」と驚かれたみなさんは、非常にM&A慣れしている会社の方か、大学等の研究者・学生の方だろう。僕が関係した事案では、こちらから話を向けて初めて、そういう資料を会社が作り出すことが殆どだったし、その資料が会社の事業計画と整合しているとは限らなかった。『「のれんを償却してもなお利益が出ている」状態で、のれんの償却が終われば、結果的に投資額が回収されたことになる。』 そういうイメージのようだった。

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確かにそうだが、買収直後からのれん償却後も黒字になるような買収事案は当たり前にあるわけではない。それに、のれんの償却は、通常、単体決算ではなく通常連結で行われるので、月次決算に基づく管理会計とは結びついていないことが多い。即ち、のれんの回収は経営上意識されていない、或いは意識が薄いことになりやすい。

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  • 買収後の環境変化や買収後に判明した事実により、買収時の目標が変更される。

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より高い目標になったのなら良いが、低い目標に改定された場合は、のれんが回収できるか確認する必要がある。しかし、経営管理上、これが連動して確認されているケースは多くないように思う。その結果、決算時に決算担当部署が騒ぎ始めてから慌てたりする。

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また、事業内容に大きな変更があった場合は、金額的な目標に大きな変更がなくても、のれんが有効かどうか確認する必要がある。買収時に在籍していた人々の判断や行動が生きる事業であれば、そのままでよいが、再教育が必要とか、人を大幅に入替える必要がある場合は、もう、のれんは買収時ののれんではないかもしれない。

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上記は、「のれん=人の評価」という僕の妄想の世界の話であり、現実のIFRSや日本の会計基準の話ではない。でも、意外と現実との共通点が多いのではないだろうか。

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重要なことは、のれんがなんであるかが明確になると、償却や減損の意味もその分はっきりしてくるということだ。その結果、償却期間(=耐用年数)や償却方法をどのように決めるか、減損の兆候が発生しているかどうかといった判断が、より適切に行えるようになる。ということで、次回以降も、妄想の続き、償却期間や償却方法の決め方、減損の方法等について検討していく。

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ついでに、現実の世界で参考になりそうなことを、最後に少し挙げてみる。

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上記で問題にした“目標”だが、統合報告に関連する記載(例えば1/8の記事)を思い出してほしい。経営者にとって「主」として重要なのは、これからどうするかという将来情報、非財務情報であり、財務情報は、正しい方向へ向かっているかを確認する「従」としての重要性しかない。しかし、M&Aに関しては、その「主」が欠けていることが多い。そのために、突然監査人や決算担当部署からのれんの減損を突きつけられて大慌てになる。これが改善されないと、M&Aの経営管理、のれんの減損会計は向上しない。

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関連してもう一つ。日本基準でもIFRSでも、のれんの減損テストを行う際に、シナジー効果を考慮しているだろうか。特に、買収された側の企業から生じる将来キャッシュフローだけで、のれんが回収できるかどうかを検討している場合は、シナジー効果を考慮し漏らしている可能性がある。これはIFRSではのれんの構成要素にシナジーを含めているので当然の考えだと思うが、日本基準でも(暗に)許容されているように思う。

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しかし、このような個別企業の枠を超えた減損テストを行うには、日ごろから、そういう連結ベースの経営管理を行っている必要があるので注意が必要だ(日本基準では「固定資産の減損に係る会計基準の適用指針」第75項を参照のこと。セグメント基準の「マネジメント・アプローチ」が経営管理と整合していること、そして、それにのれんを含めた投資回収管理が組込まれていて欲しい)。もちろん、決算のためだけの理屈では、監査人が認めないだろう。

2013年1月21日 (月曜日)

のれん ー 毎期規則的に減損するのはどう?(21)IASBの誤解

2013/1/21

僕は、いま、昨日(1/19)購入した新しい椅子に座って嬉々としている。僕は少々腰が弱いので、ん? 腰が弱いというと、交渉で腰が引けているとか、弱気だとか、“弱腰”と思われるかもしれないが、そういう意味ではない。僕は在職時代に(そして退職後にも)、当時お世話になったみなさんに仰っていただいたのは、「ハード・ネゴシエーター」だ。まあ、それはいいが、言いたかったのは“腰痛持ち”ということだ。そのため、座るときに少々前のめり気味で背筋を伸ばした格好1になりたいのだが、そういう姿勢に座りやすい椅子というのは、意外に少ない。それを見つけたのだ。

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しかし、驚いたのは値段だ。僅か11千円ほど。定価は確か15千円ほどだったが、店員さんが値下げの値札を付けた椅子を売り場へ展示しようとしたところを見逃さず購入した。監査法人時代に、同じような座り心地で、同じような背もたれ、肘付のものが、この10倍以上もしたことを覚えている。まだ十年は経っていない。もちろん、定価ではなく半額に値切ったのだが、それでも5倍だ。この数年のうちに何が起こったのか。それとも、当時の値切りが足りなかったのか。ん~、半値、八掛け、2割引きか。この業界のマークアップ率は知ってるつもりだったが。

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いずれにしても、もう、監査法人時代のパートナー席にあったような心地よい椅子には座れないと諦めていた。それなのに、以前に勝るほどの椅子を安価に入手できて、とても嬉しい。だが、同時に、パートナーの椅子が随分安くなったなあ、なんて、全く関係ないことを少々寂しく思ったりもしている。まごまごしていると価値が下がるのは、デフレの影響ばかりではあるまい。立ち止まって進歩を止めるのは怖いことだ。だが、この椅子があれば、僕はもっと良いものが書けそうだ。(ほとんど自己満足だが。)

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さて、前回(1/17は、IASB(やFASB)が、財務情報(≒会計処理の対象)の範囲を決める認識と測定の規準を「過去・将来」の組み合わせで考えており、「のれん」についても、この考えに則っているのに対し、僕は「のれん」は「将来・将来」の組合わせと考える点が異なると説明した。なぜ、このような相違が生まれたのか。

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IASBの考えは推測するしかないが、僕にいわせると、少々理論的な型にこだわり過ぎて、誤解をしている気がする。これから書くことは意外に単純な話なので、自分でも少々信じがたいのだが、一応書いてみて、それが当たっているかどうかはみなさんの判断に委ねようと思う。

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何度もくどいが、改めてIFRSの概念フレームワークの資産の定義を下記に転記する。

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資産とは,過去の事象の結果として特定の企業が支配し,かつ,将来の経済的便益が当該企業に流入すると期待される資源をいう。

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これを「のれん」について考えてみると、後半の将来志向の測定をする部分はIASBと同じなのだが、前半の「過去の事象」について認識するところの状況の捉え方が違う。

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企業買収によって相手企業の「のれん」をある企業が支配する。僕の言う「将来・将来」も、買収という事象が発生した後に上記の定義に当てはめれば「過去・将来」になる。即ち、買収額を支出し、相手企業を支配したという事実によって、「のれんの支配」が過去の事象になるため、「のれん」が財務情報の範囲、会計処理の対象に入ってくる。これはIASBと同じだと思う。

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じゃあ、何処が違うか? 買収をする際に、その相手企業に対して持つ“期待”の内容が違う。

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買収額は、理屈としては、その相手企業の財務情報と非財務情報の両方を考慮して、相手企業によって、および、相手企業と自社とのシナジーによって、将来生み出されるキャッシュフローの期待値以下になる。そのうち、財務情報からの期待値は相手企業の財務諸表に現われているが、それを超える「のれん」、特に「コアのれん」に相当する部分は、非財務情報からの期待値になる。非財務情報は、基本的には相手企業の将来情報であり、その期待値は将来事象からの期待値のはずだが、IASBは実質的にそれが過去であることを求めている。そこが違う。

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IASBがそこに過去を求める理由は、恐らく、「のれんから何が分離できるか」という発想で「のれん」を眺めているからだろう。「のれん」から分離して独立科目で表示するには、「過去・過去」パターンであることが必要になる。これは、「のれん」に含まれているものの中に「のれん」ではないものを探そうとしているに等しい。だから、「のれん」そのものでなく、小さなものしか発想できない。それが前回(1/17の集合的な人的資源が、取るに足りないものと結論付けられている理由だと思う。

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ん? いや、もしかして・・・。

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もしかしたら、これが日本的経営とIASB(やFASB)が発想する経営との差だろうか? 即ち、IASB(やFASB)は、経営者以外の企業構成員の生み出す価値は取るに足りないもので、人的資源の価値のほとんどは企業経営者によるものという発想があるのだろうか。だから、集合的な人的資源にあまり価値を見出さないのだろうか?

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だとすれば、長々4ヶ月も検討してきて、初めて、IFRSが日本の経営風土と相容れないという問題を掘り当てたのかもしれない。もちろん、日本でも経営者が卓越した手腕で企業価値のほとんどを生み出すケースは考えられる。しかし、多くの企業にそれが当てはまるとはだれも考えないだろう。

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いや、ちょっと待て。例えばドイツでは職人が非常に尊敬されている。これはドイツで現場の価値が認められている証拠だ。他の欧州諸国でも、ドイツほどではないが、職人の果たす役割の重要性は理解されている。ちょっと切ないが、製造業がドイツに適わない理由として。

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また、かつてスティーブ・ジョブズ氏は、国内雇用を増やしたいと願うオバマ大統領に「3万人のエンジニアを雇用できるが、国内には不足している」という趣旨のことを言ったという(ウォルター・アイザックソン『スティーブ・ジョブズ』)。これは中国でアップル製品の生産等に携わっている70万人の労働者をサポートする要員としてだが、アップルが外注先に決して丸投げしない姿勢を見て取れる。また、日経ビジネスオンラインの11/20の記事『日本の電子部品メーカーが支える「iPhone 5」』では、日本企業の供給するキー・デバイスに依存しながらも、アップルは製品価値を生み出す主導権をより強固に維持するための仕組み作りに余念がない。これらはいずれも、アップルが現場の力を認識している証拠だ。

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したがって、これが日本の風土とIFRSが合わない例の一つと断定することは、まだ控えよう。

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それより、IASBに、「のれん」は「将来・将来」だと理解してもらえるようなアイディアを考えた方が良いかもしれない。僕がいかに「ハード・ネゴシエーター」でも、この英語力でIASBの誤解を解くよう説得するのは無理だ。しかし、ボード・メンバーにリラックスしてもらい、IASBと異なる意見でも抵抗なく聞け、議論がスムーズになる環境を整えることはできるかもしれない。

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例えば、この椅子を16脚、ボード・メンバーにプレゼントするのはどうか。この座り心地ならリラックスも集中もできる。これはGoodかもしれない!(ん~、でもちょっと高いから議長だけにしとこうか・・・、それとももっと値切ろうか・・・。)

 

 

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1 「この姿勢が腰痛の原因になる」と理学療法士さんに指摘され、この座り方は止めた。僕の場合は骨盤が前傾し過ぎていることが腰痛の原因らしい。(2021/2/1追記)

 

 

2013年1月17日 (木曜日)

のれん ー 毎期規則的に減損するのはどう?(20)集合的な人的資源

2012/1/17

ようやく、のれんの本質が人の評価だ、という結論を得て、のれんの償却方法や耐用年数を客観的に決める方法の検討へ入れると思ったら、IFRS第3号のBC176(結論の根拠の段落番号)の前の「集合的な人的資源」という見出しが目に入ってしまった。IASBも、人という経営資源をのれんとの関係で検討しているのだ。どのように考えているのだろうか。以下にBC176以下の段落の内容を説明する。

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BC176の出だしはこんな感じ。

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SFAS141号を開発するにあたり、FASBは、集合的な人的資源が識別可能な無形資産としての契約法律規準又は分離可能性基準のいずれかを満たすものであるか否かを検討していない。

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これは小さい。経営資源としての“人”はこんなに小さいのか! ここでは、集合的な人的資源を無形資産としてのれんから区分できるかどうかが、関心事になっている。のれんに人的な要素があることは認めているのだが、どうやら、人の要素は、のれんの小さな一部に過ぎないと考えているようだ。のれんの本質が人の評価だとする僕の意見とは大きく異なる。もう少し続けて見てみよう。

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SFAS141号ではその代わりに、集合的な人的資源の価値を信頼性をもって測定する技法を現時点で利用することができないとするFASBの結論を受け、集合的な人的資源を個別に認識することを排除した。

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なるほど、FASBは集合的な人的資源をのれんと区別できないと判断したのか。それも、計算技法がないという、テクニカルな形式的な理由で。

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僕にしてみれば、客観的な計算技法がないのは当たり前だ。区別できない理由はもっと本質的なものだ。のれんは、人が将来の不確実性へ適切に立向かっていく姿への期待なのだから、将来事象を認識し、将来要素から測定しなければならない。だから、買収時に経営者が神憑り的な判断で、買収対象会社の純資産を上回る値段をつけない限り、金額的な評価はされない。その価格で買収するか否かは、経営者の研ぎ澄まされた一瞬の判断なのだから、あとから計算式でなぞろうとしても無理なのだ。(だから、買収価格は極めて主観的であり、経営者によって異なるはずだ。したがって、企業の買収価格は公正価値とは言えないと思う。)

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では、それに対してIASBはどう判断したのだろうか。続きを見てみよう。

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一方、IFRS第3号及びIAS第38号は、集合的な人的資源を個別に認識することを明確には排除していなかった。しかし、IAS第38号の第15項では、企業は、集合的な人的資源から生じると予想される将来の経済的便益に対して、それが個別に認識される無形資産の定義を満たすのに十分な支配を、通常は有していないと説明している。

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IASBは、明確には言ってないが、結論は「企業は人(の行動から生じる経済的な成果)を支配できない」という理由で、区別できないとしている。この部分を読んで理解した。「支配」と書いてあるが、これは過去事象にこだわっている証拠だ。IASBもFASBも、人が将来の不確実性に立向かっていくこと(=将来事象)に価値を置いたのではなく、「人が過去してきたこと(過去事象)をそのまま将来も続けて行うとしたらいくらになるか」に関心があるのだ。即ち、過去に起因する事象を認識し、将来要素で測定しようとしている。会計上の資産の定義に合わせて(=財務情報の範囲で)、「集合的な人的資源」を考えているわけだ。しかし、買収額と純資産の差額で計算されるのれんは非財務情報の評価額であり、財務情報の評価額ではない。

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財務情報     非財務情報

認識の対象    過去       将来

測定の要素    将来       将来

  ↓        ↓

 IASBやFASB  僕が考える

    が考える     人の評価

 集合的な人的資源  (=のれん)

 (のれんの一部)

(なお、「認識」は伝票でいえば日付の決め方、「測定」は伝票の金額の決め方と思っていただけると良い。)

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結局、これは前回(1/16の記事)の「ぬいぐるみと生き物」の議論と同じだ。IASBもFASBも、経営者が企業の過去を見てその買収額を決めていると考えているが、僕は、企業の将来を推し量って買収額を決めると思っている。みなさんは、どちらだと思われるだろうか。

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ちなみに、このIFRS第3号の「集合的な人的資源」の議論は、上記のBC176からBC180までの5つの段落をかけて記述されている。そしてその結論を大雑把に表現すれば、次のようになる。

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「(公開草案に対するいろいろな意見を検討した結果、)集合的な人的資源は、のれんと区別できないので、のれんと別科目とすることは禁止する。仮に、のれんと区別できるとしても、その価値は僅かで重要性がない。」

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過去をそのまま繰返すだけの企業、環境変化に適用しない企業における人の価値は、確かに僅かかもしれない。しかし、立派なのれんのある企業とは、そんなものではない。

2013年1月16日 (水曜日)

のれん ー 毎期規則的に減損するのはどう?(19)企業は生き物

2013/1/16

このシリーズの前回(1/10の記事)で、ようやく「のれん」がなんであるかについて、僕の結論を書くことができた。これで償却すべきか、非償却で減損のみにすべきかへ進むことができる。だが、ここまでお付き合いいただいたみなさんは、すっかり拍子抜けしてしまったに違いない。これだけ話を引っ張っておきながら、散々理屈を捏ねたあげくの果てに、インテルの長友選手を引合いに「のれんは人の評価だ」と言われても・・・と。

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全くその通りだ。説明能力の低さを恥じるばかりだ。

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そこで改めて記載するが、「のれん」は、その組織に関わる人々に対する評価だと思う。期末日時点で企業が支配するものや権利等は、財務諸表にすべて計上されている。計上されていないのは人だ。財務諸表に計上されていないもの、非財務情報が「のれん」なのだから、「のれん」は、もはや人しかない。しかも、過去の成果は損益計算の結果として純資産に含まれているから、「のれん」は、将来に向けた評価(将来情報)だ。企業が、激しい環境の変化、不確実な将来へ対応し、社会(顧客)から必要とされ続けること、即ち、今後も存続できるとすれば、それは、企業に関わる人々の力、経営目的への強い意識と対応力によるものだ。この最も重要な企業の経営資源を財務情報は表現していないが、それこそが「のれん」だと思う。

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さて、今回のテーマは、上記の考え方と、今まで説明してきた日本やIFRSにおける「のれん」の考え方が、うまく整理できるかどうかだ。

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日本では「のれん」を「超過収益力」と考えている(2012/11/27の記事)。これと上記の僕の考え方は、残念ながら基本の部分で相容れない。僕の考えは、その会社が「業界平均を超過する収益力」を持っているかどうかと無関係だから、「超過収益力」を否定することになる。たとえ業界平均以下であっても、人に価値は付きえる。

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一方、IFRSは「のれん」が何かについて明確でないが、計算上、「のれん」に含まれる可能性があるものを「のれんの構成要素」として6つ挙げ、そのうち2つを、「のれん」に含まれてよい項目「コアのれん」と称していた。そして僕は、その「コアのれん」を、以下のようなものだと説明した(2012/11/17の記事)。

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 ① 先達によって積上げられてきた会社の価値(継続企業要素の公正価値)

 ② 期待されるシナジー効果の価値(期待される相乗効果及びその他の便益の公正価値)

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①について、IFRS第3号のBC313(結論の根拠の段落番号)は、「被取得企業の既存の事業における継続企業要素の公正価値。継続企業要素は、当該純資産を別々に取得しなければならなかったとした場合に予想されるよりも高い収益率を、確立された事業が純資産の集合体に対して稼得する能力を表すものである。」としていて、その内容の例として「独占的利益を得る能力や、市場の不完全性に関する要因など」を挙げている。

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「それじゃ、2012/11/142012/11/17の記事の説明と違うじゃないか」と思われるかもしれないが、同じものを違う面から表現したに過ぎない。この企業の先達が、個々の企業資源を組み合わせたり、顧客へ働きかけたり、競争相手や仕入先と切磋琢磨した結果、独占や市場の不完全性の利用をなしえたのであり、一から事業を構築するより高い収益性を実現するに至ったのだから、BC313に記載されているものは、この企業の先達が積上げてきたものといえる。

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このIFRSのコアのれんと僕の考え方は、整理が付けられるように思う。僕の考えを当てはめれば、企業買収時に認識されるべき「コアのれん」の2つの要素は、次のように表現できる。

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 ① 買収される企業に所属する人々の(将来への対応力に対する)評価

 ② シナジーに携わる人々への期待(買収する側に所属する人々への評価も含まれる)

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①については一つ大きな相違点がある。それは、BC313の説明が「過去に取得したものの公正価値」という表現の仕方をしていることだ。即ち、この「過去に起因する事象を認識して、将来要素を取込んだ方法で測定をする」というパターンは、このシリーズの前回(1/10の記事)で紹介した資産の定義の形式を踏襲している。「既存事業」とか「確立された事業」は「過去に取得したもの」を認識の対象としていることを示し(、「公正価値」は将来志向的に測定することを示し)ている。

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しかし、僕の意見は、のれん(の内容)は「非財務情報=将来情報=人の評価」だから、「過去に取得したもの」に捉われてはいない。なぜなら、いくらで買収するかを決めた経営者(=買収する側の経営者)が、「過去に取得したもの」に捉われていないからだ。買収する側の経営者は、過去も未来も、財務情報も非財務情報も、知り得たすべての情報から、さらに推測も重ねて、すべて考慮して買収の判断をしているはずだ。したがって、「のれん」に含まれるもののすべてが「過去に起因する」かどうかは分からない。むしろ、過去を参考にして、将来の環境変化への対応能力を意識的に評価していると思う。だから、買収額から純資産額を差引いて計算される「のれん」の内容を「過去に起因する」と限定することは適切ではないと思う。さらに言えば、過去に起因することは既に財務情報に含まれている、即ち、純資産に含まれているのだから、買収額がから純資産を差引いた「のれん」には含まれていないのではないかと思う。

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また理屈っぽくなってしまった。そこで比喩を試みる。

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例えれば、企業を買うということは、ぬいぐるみを買うのではなく、生きている動物を買うことだ。ぬいぐるみは、買った時の状態がすべてだが、動物はそのあとも成長する。醜いあひるの子が白鳥になるかもしれない。その将来の成長や変化の可能性が「のれん」の評価だと思う。企業の場合は、その成長や変化を起こさせるのは人だから、「のれん」は人の将来へ向けた期待、評価になる。IASBは買った時の状態しか対価に含めていない、即ち、企業買収をぬいぐるみを買うがごとくに考えているが、企業は生きている。経営者は企業を生き物だと思っている。

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うまく伝わっただろうか? 長友選手の例よりは良かった?

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さて、IASB(やFASB)は、「のれん」を非償却と判断した理由として、「のれん」の償却方法や耐用年数が恣意的で、償却費が有用な財務情報とならないことを挙げていた(2012/12/23の記事)。しかし、このように、「のれん」の本質・実態は人にあると考えると、償却すべきか否か、償却方法や耐用年数をどのように考えたらよいかが見えてくる。それは次回としたい・・・が、ちょっと待った。

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IFRS第3号のBC176の前にある「集合的な人的資源」というタイトルが目に入った。なんだ、IASBも人的資源の評価をのれんに絡めて検討しているのか? では、次回はこれを見てみることにする。

2013年1月12日 (土曜日)

IASBフーガーホースト議長の語る「五つの誤解」

2013/1/12

フーガーホースト氏は、昨年11月のIFRS財団アジア・オセアニア事務所(東京)の開所式の講演で四つ、および、その講演の後のプレ・カンファレンスで一つ追加して、合わせて五つの誤解があると述べている。

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(IASBの活動に関して誤解されていること)

 1.公正価値にしか関心が無い。

 2.バランスシート(貸借対照表)にしか関心が無い。

 3.製造業に合わない。

 4.アングロ・サクソンが支配している象牙の塔。

 5.『慎重性の原則』の採用を止めた。

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昨日(1/11)の日経電子版に「国際会計基準は黒船ならず? 日本企業の負担軽く」という記事(有料会員限定)が載り、講演で取上げられた4つが触れられていた。それで今回このテーマを取り上げる気になった。ただ、残念ながらこの記事は有料会員限定記事で、多分、引用は歓迎されないので、内容はこれ以上紹介しない。しかし、「五つの誤解」については既に日経BP社のITproが2012/11/16付でより詳しく報じている(無料会員登録でどなたでも読むことができる)。そこで上記は、こちらから引用した。

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このブログのオックスフォード・レポート・シリーズや製造業シリーズをお読みの方は、4を除いて、このブログのテーマと重なっていると思われただろう。4については、言い始めた人が個人的にアングロサクソンによほどの恨みがあるか、逆に宴席などの軽い場で使われるたちの悪い表現なので、中身があるとも思えず、このブログでは取上げる予定はない。(フーガーホースト氏はなぜ取上げたのだろうか?)

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さて、フーガーホースト氏は、「どれも神話(myth)であり、事実とフィクションを混同している」としているが、細かく根拠を挙げて反論したわけではなさそうだ。IFRS財団初の海外事務所設立の開所式の講演だから、そういう場ではないと判断したのか、或いは、揚足取り程度の取るに足りない中傷だと判断したのか。だが、重要なのはそんなことではなく、IASB議長が公式の場で「誤解だ」と主張したことだろう。これで「誤解を解く」努力を双方が行う対話の段階に入ることができる。

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参考までに、このブログでの検討結果(および途中経過)、主張は以下のとおり。

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 1.公正価値にしか関心が無い。

オックスフォード・レポートにも記載があるように、事業性の固定資産など、多くが公正価値会計ではない「取得原価主義会計+減損会計」によっている(2012/8/232011/12/14など)。IASBが公正価値に時間をかけるのは、そこに問題が多いからだろう。しかし、取得原価主義会計にも問題が多いから、それを補うために減損会計にも相当な時間をかけてきた。現在の金融商品のプロジェクトでも償却原価や減損について多くの論点が検討されている。よって、この主張は事実誤認。

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 2.バランスシート(貸借対照表)にしか関心が無い。

これは、全くの誤解とは言えないと思う。損益計算書よりは貸借対照表を重視しているのは間違いないからだ(2012/11/2)。ただ、それにしか関心がないということはない。

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これは「投資家の関心が将来キャッシュフローにある」というところからIFRSが組み立てられていることに起因すると僕は思っている。(過去の)損益は、将来キャッシュフローの見通しを推測するために重要だが、(過去の)損益から直接、投資や融資、業績見通しの良し悪しの判断をするわけではないということだ(2012/1/20)。言われて見れば、その通りだと思う。

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 3.製造業に合わない。

これについては、現在、オックスフォード・レポートの主張を参考に検討中(2012/9/14~)。残る課題は、現在検討している「のれん」、「再評価モデル」、「減損戻入」、「非上場株式の公正価値評価」だけになった。

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現時点で、IFRSに問題を感じるのは、のれんの償却が否定されていること(例えば2012/12/18)や、M&A先の研究費の一部が資産計上されること(2012/12/11)、M&Aで発生するのれんに不純物が含まれること(2012/11/29)だ。ちなみに、上記のITproの記事によれば、『フーガーホースト議長はのれんについては「日本基準のやり方に共感している」、研究開発費についても「日本基準のやり方は一理ある」と語った。』とされている。

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この検討の過程で、逆にIFRSの問題ではなく、日本での解釈がおかしいのではないかと思われることが見えてきた。有給休暇引当金だ。僕は日本では、かなり多くの会社で計上不要になると思う(2012/11/6)。また、IFRSは投資回収という日本的経営の特徴を阻害するというが、「投資回収」という発想は、IFRSにこそあるのであって、むしろ日本の会計制度に欠けている。さらに、経営面でもその発想が具体的な管理手法と結びついていない会社が多いと思う。IFRS導入でレベルを上げたい項目だ(2012/10/2)。

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 5.『慎重性の原則』の採用を止めた。

概念フレームワークの「有用な財務情報の質的特性」(企業会計原則の一般原則のようなもの)から、慎重性とか保守主義がなくなったが、単純にそれを保守主義の否定と捉える必要はない。というか、基準の文言から消えても経営にとって重要なものは重要だ。会計のみならず、経営全般に(リスク管理のために)、保守主義は必要だ(2012/9/18など)。そんな単純に経営がIFRSの規程に支配されることはない。そういう誤解は、経営を、或いは、企業を知らない人が、起こし、広めたものではないかと思う(というのは書き過ぎか?)。

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僕の希望としては、これをきっかけに、企業会計審議会がちゃんと理屈の通った議論を行って、早く報告をまとめて欲しい。日本は、のれんの償却などの主張を、IFRSを受入れる条件、或いは、IFRSを受入れられない理由などとして、IASBにぶつけ、対話を始めるべきだ。そうすれば、のれんの償却問題は、ASBJとIASBの合同プロジェクトになるかもしれない。ついでに、アドプションした場合の、個々のIFRSの受入承認手続も議論してほしいと思う。今は、金融庁が(ASBJと相談して?)省令発行手続で決めているに過ぎない。

2013年1月10日 (木曜日)

のれん ー 毎期規則的に減損するのはどう?(18)ついに「のれん=人の評価」!

2013/1/10

大雑把に言って、下記のようになるということに異論のある人は少ないと思う。

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将来情報 = 非財務情報

実績情報 = 財務情報

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加えて、「将来情報 = 非財務情報 = のれん」となることも、これまでの議論でなんとなく感じていただけたのではないかと思う。

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さらに「のれん=“人の評価”」と言ってよいだろうか?

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さて、前回までの「統合報告」の議論で、実績情報の位置づけは、将来目標の実現可能性を推し量る資料であり、将来目標への進捗状況の報告であるように見えた(IASBの「経営者による説明」は、若干この色が薄く、「財務諸表を含む財務情報が主役」のイメージが残っているように思われるが、会計基準設定主体としては、そうなるのだろう)。

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「統合報告」と「経営者による説明」で共通しているのは、企業の情報開示をより目的適合性を持たせてシンプルにしたいという動機があることだ。闇雲に情報開示をするのではなく、最大公約数にフォーカスしようとしている。その最大公約数こそ、ジェンキンス・レポート等で指摘された無形資産だ。長期目標およびそれを達成する戦略、環境認知能力、実現能力(この中に、コーポレート・ガバナンスの良否や持続的社会への関わり方が含まれてくる)。それは、財務諸表には未だ表れていない企業価値の源泉であり、早い話が企業価値から会計上の純資産を差引いた「のれん」ということになる。

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しかし、IASBとしては、非常に大きな矛盾を抱えてしまったことになる。企業の利害関係者の最大の関心事は理解できるし、より目的適合性のある情報開示の必要性も分かっている。しかし、それは非財務情報だ。では財務情報はどうすればよいのか。できるところから、財務情報に将来志向的な要素を取り込んでいくしかない。期末日時点の財政状態や業績に、将来を反映させる工夫をして、少しでも目的適合性のある情報開示に向かわなければならない。

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ところが、会計では古くから「客観性・確実性」が重要なテーマとなっていて、積極的に将来の不確実性を会計の対象から排除している。例えば売上計上基準である実現主義の要件が、この「客観性・確実性」だ。未確定な将来事象を排除するために、「引渡し(および対価の受取り)」というイベントを設定して、期間帰属の境界を引いた。また、貸倒引当金を設定する際には、得意先の支払いの遅延とか銀行取引停止という事実をイベントとした。そして、測定の難しい自己創設のれんの資産計上を禁止した。「事実しか記帳しない。」 これが会計の伝統的なスタンスだ。しかし、それを崩さなければ、将来要素を反映させられない。どうやって崩す?

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ヒントは、IFRSの概念フレームワークの資産の定義にある。過去に起因する「事実」を会計の対象とする(=認識する)のは従来通りだが、測定(=金額の計算)は将来の経済的便益の流入額に基づく(=将来要素を取込む)という崩し方だ。そういう目で、改めてこの定義をお読みいただきたい。

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資産とは,過去の事象の結果として特定の企業が支配し,かつ,将来の経済的便益が当該企業に流入すると期待される資源をいう。

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実際には取得原価主義(+減損会計)で処理される資産も多く、そういうものは過去の支出額でひとまず資産計上される。しかし、少なくとも年に1回の減損テスト(主に将来キャッシュフローによる価値の下落のテスト)が行われるから、将来流入が期待される経済的便益に金額的な制約を受ける。

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ん~、理屈っぽくてついていけない、という方が多いかもしれない。

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そこで、伝票を書くことをイメージすると、期末日前に何か起こらないと伝票を起票しない。何かが起こった場合に初めて伝票を起票するが、そこに記入する金額は、「いくら支払ったか」ではなく「これからいくら稼げるか」になる、或いは、その金額を上限に支払額を伝票に記入するということだ。「これからいくら稼げるか」を考慮することで、将来要素を取り込むことになる。

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もう少し説明すると、利害関係者は、現状から目標に至る道筋、工程表、行動一覧を見たいので、その行動一覧で期末日までに着手したものについては、財務情報に示し、未着手のものは非財務情報として示すというイメージになるのではないか。そうすることで、進捗状況が表現できる。また、金額については、目標値と整合する方法で算定しないと目標との比較ができないから、目標から逆算するかのように将来キャッシュフロー等で測定する。こうすることで、「目標に対する実績額」を示すことが可能になる。

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だが、みなさんもお分かりの通り、このようにしても財務情報は「実績」の表現であり、利害関係者が最も注目する(長期的な)企業価値の表現(≒のれん)には至っていない。企業の長期目標とそれに至る行動一覧の未実施項目は、依然として非財務情報だ。結局、利害関係者は、その目標が持つ価値と実現可能性を非財務情報から読み取って評価し、企業の品定めをすることになる。

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さて、その「非財務情報である目標の価値と実現可能性を評価する」という点だが、これは「人の評価」といえるだろうか、それとももっと別のものだろうか。即ち、のれんは人の評価か、それとも人以外の物や権利などに関係するのか。

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ここでふっと思い浮かぶのは、セリエAで活躍するインテルの長友佑都選手だ。「世界一のサイドバックになりたい」、とか、「サイドバックといえば誰もが思い浮かべるような選手になりたい」と目標を語っている。この長友選手には、最近、プレミア・リーグの複数のビッククラブから高額移籍金(15億?)のオファーがあったと報道された。しかし、インテルのストラマッチョーニ監督は「チームの将来を担う選手」と、長友選手に最高の評価を行い、手放さなかった。結局インテルは、長友選手と2016年までの長期契約を結んだと、先週5日に公表した。年俸も倍増したと推測されている。

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ストラマッチョーニ監督には、これまでの彼の成長の軌跡と共に、上述の目標とそれに至る道筋がはっきりと見えていたに違いない。そして、インテルもそこに15億円以上の価値を感じていたのだろう。彼の価値はそんなもんじゃないと。今後の活躍への期待がそれだけ高いということだが、そこでは、彼の目標に対する評価と、それを達成するための戦略、即ち、現時点の技や身体能力の高さだけでなく、向上心やコミュニケーション能力といった今後の成長要素、メンタル的な強さが評価されたに違いない。

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果たしてこのような評価を物や権利に対して行えるだろうか。物や権利は、“人”にうまく使われてこそ価値が出るものだ。それに、このような目標を持つことができるのは人だけではないだろうか。企業も目標を持てるが、それは企業にいる“人々”に共有されてこそ、意味がある。そして、目標を達成するために必要となる、激変する外部環境に対応するための戦略を立案するのも、それを実行するのも“人”なのだから、企業評価の究極は、そこに関係する“人の評価”になるのではないだろうか。

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将来は不確実であり、それを会計処理の対象(=財務情報)にすることには限界がある。だが、その限界の向こう側で、“人”はイノベーションを起こして不確実性を乗り越え目標へ向かっていく。そういう“人々”に対する期待こそが、本当の、のれんの本質だと思う。

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やはり、「のれん=“人の評価”」なのだ。(少々、強引だが・・・。)

2013年1月 8日 (火曜日)

統合報告のインパクト~将来情報と実績情報

2013/1/8

昨日の統合報告の内容要素(1/7の記事)については、みなさんはかなり驚かれたのではないだろうか。「こんなことを開示するのか!?」と。まるで事業計画発表会資料だと。いや、事業計画発表会など行われていない会社もあるし、行われていても事業計画が1年分しか示されなかったりするから、この例えではピンとこない方も多いかもしれない。もしかしたら、多くの日本企業にとって現実味が薄く、このような開示を行うようになるとは到底思えないかもしれない。

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しかし、このような統合報告が本当に制度化されるか、という問題は脇に置き、包括的に企業情報を開示しようとすると、その会社が長期的に目指す目標やそれに至る計画と能力、そして計画の達成状況という位置づけの実績情報が求められる、ということにはご理解いただけると思う。そして主役は将来情報で、実績情報は将来情報の確からしさを推測する材料の一部でしかない。

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1990年代のジェンキンス・レポート等で、財務諸表を含む事業報告書が企業の利害関係者が最も関心を持っている無形資産の情報を開示していないと批判したことから始まったこの動きは、ついに、その無形資産こそが主役で、従来主役であった実績情報を脇役へ追いやるところまで止まらないことになりそうだ。すると会計の位置づけは、一体どうなってしまうのだろうか。そしてその監査は・・・。

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  • 会計が将来情報をも扱い、主役の座をキープする

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  • 監査人は将来情報も監査の対象とし、統合報告全体(或いは相当の範囲)をサポートする

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  • 会計は実績情報の中に閉じこもり、脇役の一部となる

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  • 監査人は実績情報のみを監査の対象とし、脇役の裏方となる

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  • 会計および監査は、将来情報との関わりを一切拒絶し、配当限度額と税金計算へ特化する(包括的な企業情報の開示への関わりを止める)

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もしみなさんが企業買収を行う立場、或いは、上場会社株式へ投資する立場でもよいが、それらの立場になったことを想像していただきたい。そのときみなさんが注目するのは、その会社の将来だろうか、それとも過去の実績だろうか。

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実績情報を重視される方は「会計上の純資産が投資額に見合っているか」という観点で、その会社の現状が投資額に相応しいかどうかを考えるだろう。そして、将来情報を重視される方は「投資額が将来キャッシュフローに見合うか(投資額を回収できるか)」を考えるだろうと思う。実際の企業買収や株式投資はというと、圧倒的に後者へ重点を置くことが多い。極端にいえば、過去はどうあれ、これから稼いでくれれば良い、将来株価が上がれば良いのだ。ということは、すでに実績情報は実質的に主役ではなくなっている。即ち、すでに投資者は将来情報を最重視しているのに、開示制度がそれに追いついていないということだ。統合報告はこの問題へ対処しようとしている。

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さあ、大変なことになった。我々企業情報開示に関係する者は、制度があるからといって、的の外れた情報をせっせと世に送り出していたことになる。この的外れを直そうとしている統合報告に、我々は付いていけるか?

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日本の家電メーカーは、ブラウン管から薄型TVへの技術革新に乗り遅れ、今の業績に陥ったといわれる。IBMは1990年代のダウンサイジングについていけず、マイクロソフトにIT業界の主役の座を奪われた。そのマイクロソフトも、モバイル化・タブレットへの対応が遅れて冴えない。マイクロソフトと共にIT業界の主役だったインテルも、省電力化という新しい技術分野で躓いて、英アーム、米クアルコムなどに揺さぶられている。IT業界のみならず、産業界では「破壊的技術革新」で当たり前のように勢力図が塗り替わる。会計業界にもその「破壊的技術革新」は起こりえる。実績ベースの会計の地位が大きく揺らぐ可能性がある。

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「顧客の要望」に応えない製品はいずれ淘汰される。会計も同様の危機感を持つ必要があると思う。しかし、会計の場合は制度に規制されるので、制度が変わってくれないとどうしようもない。だが、ちょっと考えてみよう。「顧客の要望」に応えることは、実は経営の要望に応えることでもある。経営者も、会社が目指す方向に向いているのか、その進捗はどうか、そして目指している方向は社会のニーズに合っているのかをいつも気にしている。それを可能な限り客観的に評価・測定できる将来志向的な手段が欲しいのだ。

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ここで会計基準改正の動きを振返ってみよう。

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会計ビックバン以前の取得原価主義のころは、過去情報の財務諸表とほぼ過去情報の注記で構成されていた。それが会計ビックバン以降、減損会計や公正価値会計といった会計上の見積りが財務諸表に取り入れられた。後発事象も修正後発事象という考え方が取り入れられ、機械的に期末日以前か以後かで会計上の取引の期間帰属や見積りの対象期間が決まる時代ではなくなった。

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会計ビックバン以前は、財務情報作成者が作りやすい情報を開示していたともいえる。「確定した事実」だけを開示することは、「情報の信頼性を高めている」という言い方もできるが、基本的に集計・分類で情報を作成できるので楽だった。だが、財務諸表の利用者は、上述のように将来情報をより重視しているのに、そのニーズを汲み取っていなかった。

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会計ビックバン以降は、「期末日時点、或いは、開示時点の最善の見積り」という枠内で、将来情報を会計処理や注記へ取り入れるようになった。それが会計上の見積りであったり、修正後発事象となっている。財務情報作成者からみれば、見積りに判断が要求されるので、より高度なスキルが求められたり、実務上の困難を伴うが、その分、財務諸表の利用者の要望に近づいている(目的適合性)。

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監査人にしても、過去の確定した事実を検証することは比較的楽だが、判断という人の頭の中で行われていることの良し悪しを検証することは難しい。過去の確定した事実の検証は、1つ又は少数の証拠の有無で検証できることが多いので、年次の低いスタッフに任せても安心できた。しかし、将来情報を含む見積りを検証するには、関連する多くの状況やその判断プロセス(ビジネスモデルや内部統制)、その判断の結果の開示上の影響までも考慮する必要があるケースが多い。経験の浅いスタッフには任せられないから、少数のスキルの高い者が多くの業務量をこなす必要が出てくる。

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ということで、会計基準は、「長期的に企業が創造する価値」という利用者の要求水準には遠く及ばないものの、利用者の要求に向かって少しだけ歩を進めている。だが、このままで利用者の要求水準まで辿り着けるだろうか? みなさんも予想されていると思うが、これの答えは否だろう。きっと別の枠組みが用意されるに違いない(統合報告のフレームワークがそこまで進化するかも)。しかし、その別の枠組みは、会計関係者(会計基準設定者、会計研究者、財務諸表作成者、監査人など)がその能力を大いに発揮できる分野だと思う。特に作成者は、制度が変わるより先に、エッセンスを取り込んで経営に貢献することができる。もし、この流れに逆走し、将来情報との関わりを嫌って(昔の取得原価主義へ)逃げてしまうと、会計はいずれ存在意義が低下し、社会で、会社内で、肩身の狭い思いをすることになるかもしれない。

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さて、IFRSは、このような動きにどう対処していくのだろうか。

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実はIASBは、この統合報告の内容要素に似た感じの項目を記載した「経営者による説明(Management Commentary)についての実務ステートメント」を2010/12に公表している(統合報告のフレームワークよりは控えめな感じ)。これは、財務諸表と一緒に開示される財務諸表以外の項目を対象としているためIFRSを構成しない任意規定だが、IFRSが統合報告と同じ方向を向いている一つの証になる。この内容を知りたい方には、監査法人トーマツのHPに掲示されている資料を紹介する。翻訳であるためかちょっと読みづらいが、短いし、恥ずかしながらこのブログよりは良いのではないかと思う。

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そしてさらに付け加えると、国際監査基準(ISA)もこれらの動きに呼応するように、「720 監査した財務諸表が含まれる開示書類におけるその他の記載内容に関連する監査人の責任」の改定作業を進めている(財務諸表以外の、経営者による財務分析などの一定の開示(定性的な表現を含む)についても、従来の通読以上の“監査人の目”を入れることを義務付けようとしている。但し“保証”するわけではない)。統合報告に直接関連したものではないが、会計同様、控えめな歩みであっても方向性は合っている(非財務情報への関心を高めている)。

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ということで、次回は今回を踏まえたうえで「のれん」シリーズに戻り、将来情報・実績情報という観点から、非財務情報(のれん)と財務情報(純資産)の境界を探りたいと思う。

2013年1月 7日 (月曜日)

のれん ー 毎期規則的に減損するのはどう?(17)統合報告書の内容要素

2013/1/7

このシリーズの前回(2012/12/27の記事)には、次のように記載した。

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「投資額  会計上の純資産  のれん」であるので、

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  • 「企業は人なり」であるとすれば、会計上(の純資産に)考慮されない「人の評価(の一部)がのれん」と言い得る。

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  • 会計上の純資産が財務情報による企業評価であるとすれば、のれんは非財務情報による企業評価となる。

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  • では、「人の評価(の一部)= 非財務情報による企業評価」か?

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このように考えると、財務情報と非財務情報の垣根が問題になる。それを年末・年始にじっくり考え、その結果をみなさんに報告する。

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年末・年始は実家でゆったりと過ごさせていただいた。言い訳になるが、あれも喰え、これも喰えで、お腹いっぱいで身動きが取れず、そのように過ごすしかなかったのだが、とにかく「食べる・寝る・テレビ見る」で過ごしてしまった。お腹いっぱいになることは予想していたし、それでも思考を巡らせることはできると思っていたのだが、どうやら僕には、この幸福感の中で会計のことを考えられるほどのストイックさはないらしい。

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というわけで、結論とはいかないが、途中経過の報告をさせていただく。

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非財務情報と財務情報の境界を知るには、非財務情報が何かを知る必要がある。非財務情報は、その会社に関連する財務情報以外の情報だ。それが何かというと、例えば、有価証券報告書の経理の状況以外の項目がある。そして有報等では足りないとして、この数年話題のCSR報告書、環境報告書、そして統合報告書が思い起こされる。統合報告書については、このブログ(2012/12/23や上記2012/12/27の記事)でも触れたように、最初はジェンキンス・レポート等によって、既存の事業報告では企業価値を評価するのに重要な(無形資産等の)情報が不足していることが問題視され、最近のCSR報告書や環境報告書、統合報告書では、別の確度(企業と、持続可能な社会との関わり)からの情報提供が要請されている。

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具体的に項目を挙げてみると次のようになる。

有報(経理の状況の前まで)

  1. 企業の概況

主要な経営指標等の推移、沿革(企業の歴史)、事業内容、関係会社の状況、従業員の状況

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  1. 事業の状況

業績の概要、生産及び販売の状況、対処すべき課題、事業等のリスク、経営上の重要な契約、研究開発活動、財政状態・経営成績・キャッシュフローの状況(いわゆる経営者による財務分析)

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  1. 設備の状況

設備投資の概要、主要な設備の状況、設備の新設・除却等の計画

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  1. 提出会社の状況

株式の状況(種類株式やストックオプション、株式に関する情報(主要な株主・株主分布・自己株式・議決権、配当政策、株価情報など)、提出会社の役員、企業ガバナンスの状況等々)

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統合報告書

統合報告書については、内容がまだ具体的に定義されていない。現時点では2012/7に公表された「Draft Framework Outline」によるしかないが、その日本語による説明がKPMGあずさサステナビリティ㈱のHPに掲示されているので、これを利用にする。それによると「第7 内容要素」は次の通りとなる。

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  1. 組織概要及びビジネスモデル:
    • 組織は、どのように短期、中期及び長期的に価値を創造し維持するか

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  1. リスクと機会を含む、事業コンテクスト:
    • 組織が影響を受ける重要な資源と関係、組織が直面する重要なリスクと機会も含め、組織が事業を営む環境について

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  1. 戦略目標及び当該目標を達成するための戦略:
    • 組織が向う先と、どのようにしてそこへ辿り着くか

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  1. ガバナンスと報酬:
    • 組織のガバナンス構造、ガバナンスがどのように組織の戦略目標を支え、報酬に関する組織のアプローチに関係しているか

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  1. 業績:
    • 組織が戦略目標・戦略を達成するために行った活動

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  1. 将来の見通し:
    • 戦略目標を達成する際に、どのような機会・課題・不確実性に遭遇する可能性が高いか、戦略と将来の業績に対する結果生ずる影響が何か

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僕は、両者(有報と統合報告書)の相違点、即ち、統合報告書の特徴を2つ識別した。

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一つは、有報が現状の企業の状況を説明しようとしているのに対し、統合報告書は、長期も含めた将来を示そうとしている。現状の説明も将来の目標や戦略に絡めたものであり、過去(=実績)の説明は、「e. 業績」に限られる(この「e. 業績」が有報でいうところの「経理の状況」、即ち、財務報告に当たる部分と思われる)。

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もう一つは、統合報告書は、企業が創造する価値に焦点が当たっていることだ。この「企業が創造する価値」とは、財務報告上の純資産というより、無形資産たる「のれん」を意識したもの、「のれん」に近いものではないだろうか。

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統合報告の示そうとする「短期、中期及び長期的に創造し維持する価値」が、金額で表現されるのか、文章表現に留まるかは分からないが、これらはいわゆる「財務報告」ではない。だが、統合報告書は、投資家を含めた企業の関係者が主に知りたいのは、将来生み出される価値であると考えている。そして、それを生み出すために、持続可能な社会へ企業がどのような働きかけをするのかを表現させようとしている。財務報告(e. 業績)は、それらに説得力がどの程度あるかを推し量るための実績の説明、という位置づけだと思われる。

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現状の有報の記載事項では、あまり「非財務情報=のれん」というイメージは湧かないが、統合報告書の内容要素を見ると、みなさんは、どう感じられただろうか。僕は、ますます「非財務情報=のれん」という感じを強くした。

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そして、統合報告書の内容要素は、組織目標及び経営戦略とその達成・実行状況を示すものであり、組織、即ち、人的能力の説明、或いは、判断材料でもあると思えてくる。成果主義的な人事評価と思ってもらえばよい。即ち、人が環境や経営資源をどのように認知(≒状況判断)し、それを将来の価値創造に生かすか、或いは、生かすことができるかを利害関係者が判断する材料を与えていると思う。

以上、非財務情報の内容を見ることで、「非財務情報=人の評価」、即ち、「のれん=人の評価」に近付けたような気がする。

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さて、次回は、財務情報と非財務情報の境界について、さらに「現状説明」と「将来情報」という観点からも検討し、それが「人の評価」とどう関わるかを考えたい。

2013年1月 3日 (木曜日)

【番外編】ジャイアン対策

2013/1/3

明けましておめでとうございます。年末・年始の休み中にもアクセスしていただいたみなさんには大変励まされます。みなさんにそのような意識はないとしても。本年もよろしくお願いいたします。

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ということで、「まだ更新してない」と失望されないように、短かめの話題をひとつ。

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元旦のNHKスペシャルは中国問題がテーマで、日本に中国の民衆レベルの正しい情報が伝わっていないと危惧されていた。激しい反日デモや過激なネットの書き込みなどがセンセーショナルに報道され、それが印象に残ってしまうが、一般の人々はもっと落ち着いていて、ニュースと実際に大きなギャップがあるということだった。

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なるほど。それはそうかもしれない。確かにそういう見方のニュースもあったが、印象が薄い。しかし、民衆レベルはそうでも、中国政府の対応は、ニュースと実際に大きなギャップがあるわけではない。例えば、尖閣諸島付近の領海・領空を侵犯しているというニュースと実際にギャップがあるとは考えにくい。どう考えても中国政府は傍若無人の振舞をしている。かつてのレアアースの輸出制限や日本人ビジネスマンの不当逮捕といったことも思い出される。フィリピンなどとも揉めている。さて、このジャイアンのような中国政府とどうやって付き合っていけばいいんだろう。どこかにドラえもんはいないだろうか?

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もしかしたら中国政府は、冷戦時代のソ連を真似ているのかもしれない。いや、一時は良くなったが、今のロシアもなかなかだ。ご存じの方が多いと思うが、先日のニュースでは、ロシアの子供を米国人が養子にすることを禁じる法律を通したという。表向きは、養子になった子供たちが不当に扱われたから、という理由になっているが、実際には、人権侵害にかかわったロシア政府関係者の入国を制限する法案を成立させた米国への対抗措置なのだそうだ。

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そもそも、ロシア国内で、両親を失ったり養育を放棄された子供たちが74万人もいるというのが、このような養子縁組の背景にあるので、「子供たちが政争に巻き込まれた」と国内でも批判されているという(詳しくは、12/29朝日新聞デジタルの記事)。だが、影響の範囲や意味を考えると、中国に比べて、ロシアはまだ大人だし、スマートな気がする。一部の米国人にとってはとても悲しいニュースだが、恐怖心を与えるものではないし、本来、他国に頼るべきではない重要問題に本腰を入れるきっかけになるかもしれないからだ。

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そうそう、米国に頼れば良い。米国がドラえもんだ。米国なら長年ソ連・ロシアとやりあってきたし、軍事力も群を抜いている。知恵もある。だが待てよ、ドラえもんは助けつつも、泣きついてくるのび太君を嘆いていた。「これじゃ、ちゃんとした大人になれないよ。もっと自分で解決できなきゃ。」と。

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さて、冒頭のNHKスペシャルに戻ると、思わず僕が「いいね!」っとクリックしそうになったのが、ローソン社長の新浪氏の発言だ。僕の理解した趣旨を、ポイントだけ記載すると次のようになる。

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「ジャイアンたる中国と渡りあうには、日本の経済力を立て直すこと」

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新浪氏は「ジャイアン」とは言ってないが、確かに強い経済力はドラえもんのポケットに匹敵しそうだ。もちろん、経済力を立て直すには時間もかかるし、これだけですべて解決できるわけでもない。しかし、これがなければ良い結果を得られる見込みはまずないと思う。しかも、我々一人ひとりが参加できることだし、その結果、みんなが幸せになれる。どうせ、やらなければならないことでもあるし。

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一昨年の東北大震災で絆を深めたとはいえ、まだまだ既成概念や小さな利害を捨てて、より大きな目的にみんなで向かう状況には至っていないように思う。既に「チャイナ+1」といった具体的な動きも出ているが、それに止まらず、外交で時間稼ぎをしているうちに、我々が変わっていかなければと思う。

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多分、変えなければならないのは「気持ち」や「発想」であり、それがうまくいくと、意外と安泰でいられるのは「生活」ではないかと思う。しかし、もし、変えられなかったら? このままずるずると過ごしていたら、「生活」はどうなるだろうか。これは、ペースを上げる必要がありそうだ。政治家も、官僚も、我々も。

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