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2013年6月13日 (木曜日)

255.もし、も~し。これ、下書き金融庁ですか~?

2013/6/13

何てことだ。3月26日の企業会計審議会へ提出された経団連のレポート(下記A)は素晴らしい(但し、耐用年数のところを除く)、さすが、実務を熟してこられた方々の地についた意見だと思っていたが、この6月10日に公表されたレポート(下記B)は、すっかり様変わり。まるで金融庁に意見を代弁させられているかのようだ。あまりの驚きに、今回の記事はちょっと荒れ気味になるかも。

 

 

そもそも、IFRS導入論議が迷走し始めたときの2011年6月の経団連のレポート(下記C)では、「IFRSの適用については、十分な準備期間が確保される必要がある」との主張がメインだと思っていた。要するに、東日本大震災が起こったし、当時のIFRS導入の進め方に強引なところもあったので、企業の事情を考慮した余裕のあるスケジュールを明示してくれ、ということと思っていた。しかし、それはどこかへ行ってしまったか、もしかしたら、僕の勘違いだったようだ。

 

とはいえ、今日までの流れが非常によくまとまっていて、あのまとまりのない企業会計審議会の議論の落としどころまでも分かる文章になっているので、これまでの経緯と今後の行方に興味のある方は、今回のレポート(下記B)をご一読されることをお薦めする。

 

A.3月26日の素晴らしいレポート;「国際会計基準(IFRS)への当面の対応について(日本経済団体連合会資料)」(金融庁のホームページ)

 

B.今回の6月10日のレポート;「今後のわが国の企業会計制度に関する基本的考え方 ~国際会計基準の現状とわが国の対応~」(経団連のホームページ)

 

C.2011年6月のレポート;「国際会計基準(IFRS)の適用に関する早期検討を求める」(経団連のホームページ)

 

 

ところで、今回のレポート(上記B)は、米国の動きにとても気を使っていて、「世界最大の資本市場を抱える米国の方針が、当初から大きく変化したことにより、会計基準の国際的な統一への道は、未だ極めて不透明な状況にある。」としている。だから日本も態度を決められないと。

 

しかし、経団連が本当に米国流のコストのかかる(でも米国の訴訟社会では役立つ)細則主義を選択肢に望んでいるとは信じられない。その方が日本の風土に合うこともあり得るという主張だろうか。むしろ、「どちらかにつかなければならないとすれば、早くIFRSへ。」となぜ言わないのだろう?

 

そして、日本基準を高品質で低コストと褒め讃え、日本基準の存続を主張している。過去に日本基準という神輿を担いできた僕には嬉しい評価だ。しかし、実際の日本基準のこれまでの歩みは、欧米の流れに取り残されないようにキャッチ・アップを繰返してきたに過ぎない。そして、どうやったら、なるべく小さな変化で“制度対応”できるか、という形作りにばかり注意を向けてきた。その結果、会計が経営から遊離して、経営に役立たないところで会計専門部署にしか理解されない、タコ壺の無駄なコストを生んでいる。形ばかりを追いかけてきたことで、会計の価値が低まってしまったのではないか。会計を経営に融合させ、積極活用する欧米に遅れをとる原因になったのではないか。

 

これは、監査人だった者として、会計士として、僕自身反省しているところで、心苦しい。だが、日本基準が高品質で低コストというのは、もしかしたら間違っているかもしれない。もちろん、利用できるところであれば(会社法のみとか、中小企業など)利用したらよいと思うが、事業面でグローバルな競争にさらされ、海外から投資対象となる上場会社には、隠れコストになり、有利には働かないだろうと思う。(海外に事業拠点がない企業でも、多くの企業は直接・間接にグローバル競争をしている。そして、株価に大きな影響を与えるのは国内投資家より海外投資家という事実も、この半年間のアベノミクスで実感できたのではないか。)

 

日本基準を存続させるのであれば、IFRSや米国基準のように「投資家目線」を強調しながらも、「経営に役立つ」ことを前面に打ち出していったらどうか。当然基準の内容は見直しが必要だ。

 

欧米ではすでに会計部門のタコ壺化が問題視され、「経営に役立つ」ことが会計基準の当然の前提として実践されている(と僕は思っている)。しかし、日本ではタコ壺化したまま「制度会計」が独り歩きを続けている。なかには、会計部門が外部のために仕事をしていると錯覚しているとか、会計部門が事業を知らないとか、逆に経営者が会計に無関心、といった酷い例もあるようだ。そして、このタコ壺問題は根が深く、会計教育・研究の段階からすでに始まっている。

 

実は、企業会計原則も、原価計算基準も、前文を読めば、明らかに経営に役立たせることを重要な目的に掲げている。それは戦後間もないころに限った一時的な要請ではなく、現在にも当てはまる普遍的なものだと僕は思う。

 

しかし、「B/Sが主か、P/Lが主か」みたいな議論をしている会計学者はどうだろうか。どちらでも経営に役立つものが重要であり、経営に役立つ情報が投資家にも役立つはずだ。或いは、投資家に役立つ情報が経営に新しい有益な視点を与える。会計学者が勝手に対立軸に仕立てて机上で決める筋のものではないし、決めてもらってもたいして役に立たない。むしろ、そんな勝手な対立軸を会計基準開発や教育の場に持ち込まれて、無駄な時間を費やされたら、社会の迷惑だろう。そんなタコ壺議論が行われてないか。

 

前回(6/11の記事)の一橋大学の伊藤邦雄教授のように、会計学者はもっと経営や投資の現場に関心を寄せるべきだと思う。そして現場で行われていることや、現場のニーズから、何をすべきか学ぶべきだ。そういう観点から見ると、企業会計原則前文のあの有名な一節、「企業会計原則は,企業会計の実務の中に慣習として発達したもののなかから,一般に公正と認められたところを要約したもの」という表現は、意外に奥深い。今もいぶし銀の輝きがある。

 

 

ちょっと横道に逸れてきたが、さらに経団連のレポートからも離れて、金融庁や自民党で検討されていると報道されている日本版IFRS(例えば、日経新聞が「日本独自のIFRS」とか、「折衷案」などと表現しているもの)に話題を移したい。

 

日本版IFRSについて、僕は反対だ。上記の経団連のレポート(B)は、アドプションの手続を定めるべきと主張しているが、報道にあるような日本版IFRSまでは主張に含んでいないと思う。

 

以前、僕もアドプションの手続を決めて欲しいと書いたことがあるが(1/12の記事)、むしろそれと経団連の主張は似ているかもしれない。日本経済にとってどうしても受け入れがたい基準が確定してしまった場合に、それへ対処する手続の整備が必要だ。どうしても受け入れがたいとは、一部業種に反対が強いなどの限られた範囲の問題ではない。その程度の問題はどこの国でも抱えながら受入れるのだから。

 

今は金融庁が内閣府令で(=独断で?)アドプションしている。しかし、受入不能なものは、基準の開発段階から日本として意思表示していき、それでも適わない場合には、スピーディーにカーブ・アウトを決めてもらう必要がある。僕の趣旨は、それが引き金になって、リーマン・ショック級の衝撃や、失われた20年のようなことが日本経済全体に起こらないようにということだ。可能な限り交渉で解決する努力を尽くし、それでも、甚大な影響を免れない見込みの場合にやむなくスピーディーにカーブ・アウトする。例えて言えば、外交努力を尽くしてもダメなので、やむなく自衛権を発動するようなもの。その手続の存在は、最後の自衛手段や抑止力として決定的に重要だ。しかし、いざという時、今の企業会計審議会や金融庁にその役割が担えるとは思えない。議論のレベルも、スピードも。

 

ただ、会計基準でそういうことが起こるのは本当に稀なケースだと思う。現状へ大きな変化をもたらす規準が警戒され、大騒ぎされることは今後もあると思うが、実際は、経済実態へ迫る新しい見方をもたらし、より経営リスクを分かりやすく示してくれることがほとんどだ。それが企業経営や投資判断に役立ち、将来のリスクへの備えとなる。それを理解して、道具として上手に利用するのが正しい対処法だと思う。例えば、減損会計はその典型例だ。(しかし、減損会計は、まだまだ正しく理解されていないと思うが。)

 

僕がカーブ・アウトの対象として想定するのは、日本版IFRSに関して報じられている「1年を超える期間のオペレーティング・リースの資産計上」といった小さな問題ではない。

 

金融庁や自民党の狙いは、IFRSを任意適用する会社が増えるように、IFRSを飴でくるんで食べやすくしておくこと、というのは分かる。しかし、本当に日本経済のことを考えるのであれば、企業が苦さを味わうとしても、ちゃんと経営リスクを識別できるようにすべきだろう。飴でくるんだりしたら薬効まで無くなってしまう。経営実態を経営者や投資家が見えるようにすることの価値こそを、金融庁や自民党はもっとしっかり評価すべきだ。要するに、余裕を持たせたIFRS強制適用の期限を明示すべきだ。

 

さらに、飴が既得権益化してなかなか廃止できない、なんてことになったら・・・。

 

今の企業会計審議会の議論や、こじ付けの(オックスフォード・)レポートをホームページに掲載し続けている金融庁の姿勢を見ていると、そんな心配もしてしまう。「日本企業をグローバルで戦えるようにするには」といった本来優先順位が高くエッジの効いた議論が大切にされないのは、個別利害と立場を守ることに一生懸命のタコ壺の住人がたくさん議論に混じっているからだ、と僕は思う。みなさんは違う意見かもしれない。しかし、アベノミクスの成長戦略の議論もそうだが、全体のパイの拡大を考慮しない個別の利益や立場が強調され、細部に拘り過ぎるように思う。

 

話が完全に逸れそうなので元へ戻すと、そのレベルでカーブアウトをしていたら、“単一で高品質な国際基準の策定”というG20の決議の趣旨を日本が理解できていないと示すに等しいのではないか。そして、IASB等における日本の発言力を弱めてしまうに違いない。

 

そして、何より、また「形式を合わせればよい」とか「見た目が合っていればよい」みたいな、タコ壺を温存したままいつか来た道を繰返すことになる。(ただ、これは各企業の姿勢次第という面もある。)

 

今の時代に日本経済に必要なものを正しく把握できるメンバーで建前でない大きな目標を共有し、グローバル基準をどう扱うかについて、国内向けでなくグローバルに通用する議論を期待する。

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