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2013年6月25日 (火曜日)

260.【製造業】最後のテーマ;投資家のためじゃない会計

2013/6/25

オックスフォード・レポートには「そもそもの議論のスターティングポイントが異なる」とあるが、その“スターティング・ポイント”ってなんだろうか? 「理屈っぽい」、「出だしから理屈か?」などと読者のみなさんから批難の声が聞こえてきそうだが、僕には分からない。

 

素直に“スタート位置”と考えればよいだろうか。例えば、100m競走でスタート位置が違ったら競走にならない。それと同様に、オックスフォード・レポートは、IFRS推進派と慎重派の議論になっていない状況、議論がかみ合ってない状況を、このような比喩で表現しているのだろうか。

 

しかし、スタート位置が違っても、距離が同じ100mで、勾配のない平面で、風が強くない、等々の条件がそろっていれば、記録を比較することができる。オックスフォード・レポートも、色々な人にインタビューしたり、企業会計審議会の議論を引用したりと、違う場所での議論を並べて比較を試みている。比較のために条件をそろえるのはレポートの書き手の腕だ。条件をそろえられないインタビューや議論なら、最初からレポートに載せなければよい。

 

しかし、載せたうえで“スターティング・ポイントが異なる”と指摘している。ということは、どうも“スタート位置”ではなさそうだ。もっと的確な理解の仕方があるに違いない。だが、それはいったい・・・。ということで、改めて、オックスフォード・レポートの記載を見てみよう。

 

P124

IFRS推進派の関心は投資家のため会計の推進という点(或いはもっと狭義にIFRSという投資家のための会計とその技術論)に限られているのに対し、IFRS慎重派は会計が投資家のためのものになっていること自体に懸念ないしは不満があり、そもそもの議論のスターティングポイントが異なる。

 

立場の違いがあるのだから、関心の向く先も違うのは当たり前だ。しかし、このレポートが敢えて“スタート・ポイント”といっているのは、「会計は誰のためにあるか?」という基本命題が、この両者の差の根本原因となっていることに、レポート作成時点で気が付いたということだろうと思う。(もし、以前から気が付いていれば、それに焦点を当てたインタビューを行って、もっと明確に比較対照でき、このレポート上でちゃんと“議論”にできたはず。)

 

したがって、“スタート・ポイント”と表現したのは、議論の対象が異なっている状況、即ち、一方は「投資家のための会計」を、もう一方は「投資家のためじゃない会計」を議論の対象にしている状況を表現したかったということではないかと思う。(加えて、“スタート・ポイント”には、インタビュー時点に遡ってやり直さないと議論にまとめられないというイメージもあったかもしれない。)

 

あれっ、でも、これってIFRSの議論をしてるはずだよなあ。

なぜ「投資家のためじゃない会計」が出てくるんだ?

・・・

これだ! この疑問がこのレポート(のこのセクション)を読む大切なキーになる。

 

ということで、「投資家のためじゃない会計」についての記載と思われるところを、このセクション(P119~)から拾い出してみよう。

 

P120

まず、長期開発、投資資金回収、再投資を得意とする日本の製造業には、それを可能にせしめてきた合理的な経済行動としての保守主義的会計行為が実務として定着しているが、こうした行為がIFRS では認められないのは不合理であると表明された。また同様に、IFRS 下のセグメント情報ではマネジメントアプローチがとられ、企業内部の管理・報告方法に基づいたディスクロージャーが要求されるが、各事業分野や地域の業績管理が保守的な思想のもとになされているにもかかわらず、IFRS がそうした保守的な思想を排除するのは矛盾していることも指摘された48

 

ここでは、保守主義について、2つの面から記載されている。即ち、研究開発を含む投資回収管理の観点と、セグメント情報の観点から。そして、その後に出てくる複数の方々の証言では、原価計算についての言及も多い。

 

しかし、これらの証言の、IFRSに保守主義がないとか、原価計算がおかしいといったことについては、誤解に基づくものだろうと既に僕は結論付けている(3/12のまとめ記事など)。したがって、ここでは細かく触れない。

 

一方、セグメント情報については未検討だった。といっても、これについては『「のれん」の定期償却や「開発費」の即時費用化を含む保守主義に基づく内部管理報告制度とIFRS上のマネジメントアプローチの矛盾については、IASB に近い日本の識者にも認識されている。』(P121)とあるので、のれんとか開発費(及び原価計算)のことらしい。それなら上記の通り検討済みだ。

 

その他、セグメント情報について、「そもそも企業秘密を外に出すわけがないじゃないですか」(P121)という証言も、その前後も含め、かなり大きな扱いで紹介されている。これには少々驚いた。

 

なぜなら、これをこのように肯定的に紹介されては(=IFRSのマネジメント・アプローチの否定材料として利用されている)、それこそ資本市場が行き詰る。先日報告した統合報告のセミナー(6/7開催)でも、こういう企業の意識を克服していくことが、企業行動をより持続可能的に変え、長期投資家を育て、増やすための大きな課題とされていた。本来、肯定的に取り上げるべきものではないはずだ。

 

こういう意識が企業側にあることを指摘するのは良いが、資本市場という共有財産(各企業にとっても財産だ)を維持・発展させていくために、企業内の人を含めて、多くの人が努力していることを忘れてはいけない。肯定したら、こういう努力に砂をかけることになる。本来、このレポートの作者もその一員であるべき立場の人ではないか?(が、ここを見る限りそう思えない。こんな記載のまま、よく、金融庁のホームページに掲示され続けるものだ。)

 

このレポートに突っ込み始めるときりがなくなるので、もう一度元の流れに戻すと、「投資家のためじゃない会計」として、企業側には「企業秘密を守りたい」という意識があるという事実の指摘があった。だが、これは克服の対象であって、保護や維持の対象ではない。

 

更に読み進めると、次のテーマ「公正価値会計」に移って行く。

 

P121

・・・、IASB が公正価値会計や貸借対照表アプローチを採用し投資家のための会計を推進しているという、全体的な方向性に関する懸念である。ここまで貸借対照表アプローチと公正価値会計に関する各論には触れたが、全体として、製造業の立場からすれば経営はゴーイング・コンサーンの前提のもと投資回収・再投資というサイクルの中で業務が遂行されるのであり、IASB の推進する期末時点で解散した場合に企業の価値がいくらであるかというような印象を与えかねない会計が推進されることは製造業の持続的成長・発展を阻害するとの懸念である。

 

この「貸借対照表アプローチと公正価値会計に関する各論」が間違っているのであり(学者に対してこういう書き方は失礼と承知しているが)、特に減損会計をじっくり見れば、使用価値は投資回収管理としっかり結びついていることが分かる。また、僕に言わせれば「単に減価償却すれば投資回収を管理していることになる、長期的視点を持っていることになる」と考える方が間違いだ。これらは、すでにくどくどと記載済。

 

また、ちょっとここでの本論から外れるが、IASBが推進しているのは「期末時点で解散した場合に企業の価値がいくらであるかというような印象を与えかねない会計」ではない。公正価値を要求しているのは、金融資産・負債など一部に過ぎないことは以前も記載したし、このオックスフォード・レポートにも次のような記載がある。

 

P65

・・・現在のIFRS会計実務が「修正取得原価主義とでもいうような、これまでの会計とあまり変わらないものに落ち着いている」[Int. Corp. (TSE1 Electronic, Director of Accounting, anon.)-A-Tokyo, Jan., 2012]との見方が正しいとすれば、今後はこうした「IFRS=公正価値会計」観についての批判・検討を加える必要が少ないのかもしれない。

 

但し、この記載に続けて、このレポートは3つの問題がまだ残っているとしている。最初の2つは包括利益(=貸借対照表アプローチ)の理論的問題と、当期純利益や営業利益の実際の有用性を指摘したもの。営業利益や当期純利益の開示が認められているので、相対的にこれらの問題の重要性は低まっている。残りの一つはIAS41「農業会計」の公正価値評価の問題点を指摘したものだが、これも「果実生成型植物」について原価ベースの原価へ改正する検討がIASBで進められている。もう、公開草案が公表されてもよい時期だ。

 

いずれも、まだ改善が足りない、もっと改善を、という意見もあると思うが、少なくとも「期末時点で解散した場合に企業の価値がいくらであるかというような印象」と表現される状況ではないと思う。

 

ということで、IFRSが「投資家のための会計」である根拠として、「ゴーイング・コンサーンの前提のもと投資回収・再投資」される会計ではないと指摘されているが、これは間違いだと思う。事実は、日本企業は損益管理はするが、投資回収管理までできていない会社が多い。これに対して、IFRSの減損会計は、投資回収管理を前提としている点で、むしろ、「投資家のためじゃない会計」だ。

 

では、減損会計対象外の資産・負債についてはどうか。減損会計対象外の資産・負債とは、ほぼ金融資産・負債であり、主に公正価値で評価される。「その部分は公正価値会計じゃないか」と言われる方もいらっしゃるかもしれないが、金融資産・負債は製造業特有の問題ではないし、このセクションでも話題の対象にすらなっていない。

 

 

ということで、このテーマの結論だが、以前も記載したように、会計は経済実態を表現するものであり、経営者と投資家の両方に対して有用となるべきと僕は考えている。経営者のための管理会計とか、投資家のための財務会計などと区分するのは、もう古い。もちろん、完全に一致することはないが、有用性が一般に認知された管理会計的な手法は、財務会計にも採用されていくし、その逆もありえる。例えば、退職給付会計のような現在割引価値を計算する手法は管理会計にあったものだし、金融機関の貸付金の償却原価や貸倒引当金の測定は、金融機関のリスク管理手法であるBIS規制と共鳴している。

 

即ち、「投資家のためじゃない会計=投資家のための会計」というのが僕の考えだし、実際にそういう方向へ向かっていると思う。もちろん、投資家にそのすべてが開示されるわけでなく、目的適合性のある重要なもののみが開示される。

 

このレポートの言う“スターティング・ポイントが異なる”というのは、IFRSに対する誤解がそうさせてるのであって、IFRSが日本基準より経営、内部管理に親和的であることを、このレポートの作者を含め、多くの人がまだ知らないのではないかと思う。もっとそれをアピールする必要がありそうだ。

 

それには、社会に役立つ情報を提供する役割の会計の研究者が、企業経営や企業の現場に関心を持ち、IFRSの規程を、実際の経営管理の現場を踏まえて理解することが必要ではないだろうか。単純に、規程の文言だけを眺めて解釈するようなことは、やらないでほしい。これには、監査人も重要な役割が果たせるのではないか。そういう役割の自覚が必要だと思う。

 

特に監査人が気を付けなければいけないのは、「海外の提携事務所がこういう解釈をしています」とか、「英語の文献を調べました」ということも大切なことだが、そこで終わりじゃなく、それに加えて日本の実情、その会社の実情をどう考えるか、そこが問題だ。そこの議論を会社としっかり行う必要がある。そしてできればそのエッセンスを会計の研究者と共有できると望ましい。秘守義務に触れないレベルでなんとかできないか、と思う。

 

 

 

さて、最後に一つ付け加えたい。2011/8の企業会計審議会における元国税庁長官・現TKC全国会会長である大武健一郎委員の発言の発言が、かなり長く紹介されていて、そのなかに次のような個所がある。

 

P122

これからの日本の経営を引っ張っていこうとすれば、個々の企業が長期的視点に立って研究できるような会計を考えていただきたいと思います。

 

その通り! 僕も大賛成だ。

 

だがそれには、企業が行うべき長期的視点に立った経営戦略の立案と実行に会計が寄り添えるよう、税法の確定決算主義を見直したらいかがだろうか。企業がもっと自由に、耐用年数や減価償却方法、そして開発費の範囲を決められ、さらに、IFRS採用企業がのれんやその他の無形資産を償却しなくても、税務上は償却したことにできるよう、確定決算主義を変えてほしい。

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