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2013年7月 6日 (土曜日)

264.【オリンパスの粉飾】地裁で執行猶予付き判決

2013/7/6

既にみなさんもご存じの通り、7/3 にオリンパスの粉飾事件の東京地裁判決が出された。元社長の菊川剛被告(72)には懲役3年・執行猶予5年、元副社長の森久志被告(56)には懲役2年6ヶ月・執行猶予4年、元監査役山田秀雄被告(68)には、懲役3年・執行猶予5年だった。

 

僕は、量刑の重い・軽いは良く分からないが、仮に軽い場合であっても執行猶予は付かないだろう、付けないでほしい、と思っていた。なぜなら、・・・

 

  • 上場企業の粉飾は、不特定多数の投資家と株主に対する詐欺行為であり、影響が広範に及ぶ。
  • この事件は、粉飾額が最大1千億円以上、期間も10年を超える他に例を見ない悪質なもの。
  • この事件は、一部役員が完全に意図し実行したもの。間違いとか、会計基準の解釈相違ではないし、監督責任を問われたものでもない。

 

ということで、(粉飾事件すべてに実刑判決を、ということではなく)この事件に関しては実刑判決を期待していた。

 

ネットでいくつかの記事(読売朝日毎日日経産経(Yahoo!ニュース))を読んでみたが、執行猶予が付いた理由に言及していたのは読売、毎日、日経、産経だった。これらによると、弁護側の次のような主張が考慮されたらしい。

 

  • 最初に損失隠しを決めたのは先代の社長らで、菊川被告は負の遺産を引き継いだ。(読売、毎日、産経)
  • 既に真摯に反省し、社会的制裁を受けている。(日経)

 

さて、みなさんはどのように感じられただろうか。そもそも執行猶予付き判決が妥当と考える方、執行猶予付きでもよいが上記の理由には納得できない方、逆に上記の理由があるなら執行猶予付きでもやむを得ないという方、そして僕と同じように実刑判決が良いと思われる方もいらっしゃることだろう。

 

 

ここからは、ちょっと僕の思い込みで突っ走りたい。何の根拠もなく憶測・想像だけのいい加減な内容だ。いや、それは勘弁してくれ、と思われる方は、ここから先はお読みいただかない方が良いと思う。真に勝手で申し訳ない。

 

 

的外れかもしれない、そして、話が飛躍しているかもしれないが、僕は“会社のために”という言葉が気にかかる。Googleで“会社のためにやった”と“オリンパス”で検索すると、上記の読売の記事が検索される。僕は読売新聞の有料購読者ではないが、上記の記事には有料購読者だけが読める続きがあり、そこには『「会社のためにやったことだ」などとして執行猶予付きの判決を求めていた』と書かれているらしい。

 

“会社のために”という言葉は、意外と難しい。この言葉への思い、この言葉の理解の仕方には、かなり個人差があると思う。「彼らは会社のためにやったんで、私腹を肥やしたわけではない」、とか、「もし、菊川氏が社長になった時にオープンにしていたら、会社は潰れていたかもしれない。彼は会社のために泥をかぶったんだ」などと、素直に思える人、思えない人、悩む人。

 

僕は、社長としてこの問題をオープンにしたマイケル・ウッドフォード氏を支持する。一方、“会社のために”と説得されて、不正の隠蔽に手を染めて苦しむ心情も、一応理解できるつもりだ。しかし、どちらが“会社のため”なのだろうか。“会社のために”の内容は、意外と幅があるように思う。或いは、逆に“会社のために”という言葉には、どれほどの内容があるものなのか。

 

ご存じの通り、僕は特定の組織に所属しない全くのフリーになって2年が経過した。そろそろ、“会社”や“組織”を冷静に眺めることができるようになってきたし、“会社のために”の呪縛から心が解放されてきている。(元々、そんな気なかったでしょ、と元同僚や元上司からは言われるかもしれないが・・・)

 

“会社”を離れて思うことは、“会社のために”って言葉を安易に使う人は、本当に会社のことを考えていただろうか、という疑問だ。もちろん、本当に会社のことを思って使われることもあると思うが、意外に、自分の立場と既得権を守りたいという下心を隠すために使われるケースも多いのではないだろうか。(実は、僕のいた監査法人では、この言葉はあまり聞かれなかった気がする。それとも、実際は使われていたのに僕の頭が無意識にスルーしていたか。)

 

 

この事件で菊川氏に、「会社のために損失隠しを続けてくれ」と説得した人物に限って言えば、その下心を隠すために、この言葉を使った可能性が高いと僕は思う。そもそもの発端は、財テクや恐らく外国為替取引の失敗による損失であり、その発覚を恐れて隠すというどうしようもない動機で引起された粉飾事件だ。それを“会社のために”という、水戸黄門の印籠のような、容易に刃向かうことのできない万能の言葉で、この人物は誤魔化そうとしたに違いない。

 

しかし、菊川氏は、きっと、その下心を見抜いていたと思う。ただ、実際にその要求をはねのけた時の大変さ、先輩社長たちとの確執、社内での孤立、失脚のリスク、社外からの批難、銀行や株主・投資家からの罵声や裏切りを想像すると、そして、なにより会社を現状維持させる見通しの暗さを考えて、自分が楽な方を取ったのだろう。それが“会社のため”だ、と自分を誤魔化して。菊川氏も、この言葉を利用して、そういう自分の立場を守る選択をしたのではないだろうか。厳しい表現かもしれないが。

 

裁判の詳細を知らないのに無責任だが、仮に、菊川氏がひどい脅迫を受けて、“会社のために”を強要されていたのなら、情状酌量の余地がある。だが、そうでないなら、前任者の不正を正して会社を改善することは、当然に、経営者が果たすべき役割の一部だろう。ひどい脅迫を受けていたのだろうか。事実は、どうだったのだろうか。

 

自分をこの言葉で誤魔化すような人は、他の能力が長けていたとしても経営者になって欲しくない。経営は、社内・外の利害関係の調整という面を持っている。利害関係の調整は、関係者に適切な情報開示をしなければ良い結果が得られないはずだ。楽をしようと損失隠しをするような人は経営の場にいる資格がない。

 

 

そしてこの裁判において、弁護団はこの“会社のために”という呪文で、見事に裁判官に魔法をかけてしまった。本来なら“自分の立場を守るために”とか、“楽をするために”というべきところを“会社のために”と表現して誤魔化した。まあ、弁護団は被告の利益のために弁護をするのだからやむを得ない。

 

しかし、裁判官はこの史上最悪の粉飾事件に執行猶予を付けたことで、いくら粉飾しても、発覚したら素直にそれを認めて調査・捜査に協力すれば、実刑は免れるという前例を作ってしまった。“会社のために”というが、不正を隠ぺいしたために、社長の座に座り続け、或いは副社長や監査役に登りつめたのではないか。隠蔽工作の指揮や実務をやっていた人は、不正に地位を得、不正な収入を得ていたのではないか。そのために事業部に優秀な人材が、適正に評価されず、社長や副社長になれなかったのではないか。経営層の人材登用が歪んだのに、会社のためになるのか。経営とは人材登用が歪んでもできるような、そんな簡単なものなのか?

 

この判決は社会のためになるのだろうか。少なくとも、多くの経営者たちへの戒めにはならないのではないか。そして、騙され続けた投資家や資本市場、そして債権者への保護が、この判決でサポートされるのだろうか。

 

 

そんなことを感じて、ちょっと無力感に襲われたが、書いてスッキリした。今日は久しぶりのゴルフなので、程好く力が抜けて、ちょうど良いかもしれない。

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