336.【番外編】「簿記の日」に借方・貸方を考える
2014/2/10
みなさんは、2月10日が何の日かご存じだろうか。僕は知らなかった。なんと「簿記の日」なのだそうだ。BS 朝日の「週刊記念日」(2/9 16:55~)が自動録画されていて、それを見て知った。公益社団法人 全国経理教育協会HPでは、次のように記載されている。
簿記の原点である福沢諭吉の訳本 「帳合之法」の序文が1873年(明治6年)の2月10日に草されたことにちなみ、本協会が制定しました。
2月10日は、その他に、海の安全記念日、ふとんの日、ニットの日、蕗の薹(ふきのとう)の日、太物の日などもある(Wikipediaより)そうだ。このうち、「ふとんの日」以降は、語呂合わせから来ているという。
ところで、「帳合之法」といえば、複式簿記を日本に初めて紹介した本と言われているので、英語の debit / credit を、日本語で 借方 / 貸方 と翻訳したのもこの本らしい。みなさんは、簿記を習い始めたころ、この「借方 / 貸方」をすんなり受入れられただろうか? 僕はダメだった。未だに誤訳ではないかと疑っている。
借方には、資産の増加や費用の発生を記帳し、貸方には、負債の増加や収益の発生を記帳する。資産の増加を“貸し”、負債の増加を“借り”というなら、しっくりくる。ということは、貸借が逆ではないか、と思ってしまうのだ。簿記を習い始めたころ、慣れるまでは暫く嫌な感じがした。みなさんも経験されたかもしれない。もしかしたら、簿記嫌いになる人の最初のきっかけが、この翻訳にある可能性すらあるのではないか。
そこで、簿記の日にちなんで、この翻訳について、ちょっと考えてみるとにした。
debit / credit のうち、credit の方は、“信用”という意味があることは知っている。また、映画のエンド・ロールや音楽 CD のジャケットに、その貢献に感謝して名前を載せることも、credit という。そう、credit には相手に対する感謝の気持ちがある。すると、簿記の場合も、相手が信用してくれたことに感謝するという意味が含まれているのではないか。であれば、借入金や掛けによる仕入代金を credit に記帳することは、すんなり受け入れられる。そして、この場合、credit は“借り”だ。そして、疑った通り、credit を貸方とするのは、誤訳ということになる。
debit の方はどうだろうか。debit card というものがあるが、これは使うと銀行預金が直接引き落とされる。即ち、debit に直結するカード、という意味か。そうであれば、この debit は単に預金勘定が左側にあるということ、その位置を示しているに過ぎないので、debit card から debit の意味を想像するのは難しい。
そこで、debit について Wikitionary(英語版)を見てみることにした。次のように記載されている。
語源
From Middle French debet, from Latin debilitum (“what is owed, a debt”), neuter past participle of debere (“to owe”); see debt.
ラテン語に語源があるらしく、そのラテン語は“what is owed, a debt”という意味らしい。即ち、借りているもの、負債だ。あれ~っ、debit も負債、即ち、“借り”なのか? これでは、debit / credit の両方が同じ“借り”になってしまう。そして、debit に関しては、借方という翻訳は正しいことになる。
そこでさらに、Wikipedia の“借方”を見てみることにした。それは次の通り。
日本に初期の複式簿記と中央銀行システムを輸入したのは福沢諭吉で、「debit」・「credit」をそれぞれ「借方」・「貸方」と翻訳したのは彼である。帳合之法33頁に「書付を上下二段に分ち、上の段には山城屋より我方へ対して同人の借の高を記し、下の段には我方より山城屋へ対して我方の借を記したるが故に」とある。
初期の財務諸表や複式簿記は債権・債務を記載する目的が主であり、主に銀行の経理で使用されていた。それを相手方から見た視点で記録していたため、借方には相手方が借りた分を記載しているという意味があった。
時代が下り、簿記技術が発展し記録する内容が金銭の貸借関係から拡大していくにつれ、単なる「左側」という意味のみの符号と化した。
最初の段落は、「帳合之法」から、福澤諭吉が複式簿記の仕訳を紹介したところを引用している。「山城屋より我方へ対して同人の借の高」といったまどろっこしい書き方に翻訳の苦労が滲み出ている。そして貸方(下の段)も「我方の借」と表現しており、ここでは「貸」は出てこない。恐らく、上述した通り英語の意味としては、debit も credit も両方「借」だからだろう。きっと福澤諭吉も、debit / credit をどう日本語で表現するか、悩んだに違いないと思わせる。
第2段落と第3段落は、欧米における簿記の歴史について記述している。このなかで、第2段落の「相手方から見た視点」というところがポイントだ。なるほど、相手方から見たので、貸借が逆転しているわけだ。ということは、「debit =借方/ credit =貸方」は、誤訳ではない。
それにしても、福澤諭吉は、こういう簿記発展の歴史まで理解して、debit と credit の訳語を決めたのか。そう思うのは、そこまで理解しなければ、credit に「貸」という言葉を割当てることはできないと思うからだ。普通に考えたら逆なのだから。これは驚きだ。今とは全然違って、この本が出版された明治時代初頭は、欧米の情報が非常に乏しく、翻訳の過程で湧いた疑問を解決するのは大変な苦労だったに違いない。それを誤訳などと疑ったことを、僕は恥じなければならない。
ちなみに、福澤諭吉は、「帳合之法」出版の趣旨を次のように述べているという(慶應義塾出版会HP 日朝秀宜氏によって、文体が現代風に改められている)。
第一に、日本では学問と商売との間に関連がない。学者も商人もこの『帳合之法』を学べば、学者は実学を知り商人は理論を知り、日本の国力が増すことになる。
第二に、この『帳合之法』を学べば、会計事務が一変して便利になる。
第三に、日本では学問は非実用的であるとして、敬遠されてきた。この『帳合之法』を学校で生徒に教えれば、その生徒を通じて家族にも伝わり、洋学の実用的なことが認識されて、人々を学問・読書に導くことになる。
第四に、この『帳合之法』を学べば商工業を軽蔑することなく、実業界で独立しようという大志が生れてくる。
福澤諭吉の日本に対する思いや社会改革の強い意志が現われている。学問とビジネスが疎遠なことも、まだ解消されていないように思う。会計に携わってきた者の端くれとして、昨今の時勢に鑑みても、改めて、気の引き締まる思いがした。
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この記事の著者は、簿記の世界の偉い人らしいから、この記事の内容をもっと、強く広めていただきたい。私は簿記には無関係の物理屋だが、初めての簿記の先生が、借方と貸方に意味はなく、単に左と右だと教えた。簿記が解るためには、借方は、持ち金、プラス、目下で、貸方は、借金、マイナス、目上の感じを理解する必要なのに、借方と貸方に意味がないというバカな教育が日本中で行われて害悪を流している。たとえば、Xという人は、持ち金5万円、母Aに借金10万円、子分Bに貸金4万、部下Cに貸金3万があるとき、貸借表はどんな表になるかという例題を考える。すべての項目では、金の持ち主X、Aの借主X、Bの貸主X、Cの貸主Xという、Xの関与者としての名前が並ぶが、これはムダだから止めると、すぐに正解に到達できる。借方には持ち金とC、Dの名前が並び、貸方にはAが来る。
日本の簿記教育を革新していただきたい。
投稿: 近藤 衛 | 2020年3月18日 (水曜日) 00時06分
近藤さん、コメントをありがとうございます。
この記事を久しぶりに読み返してみましたが、分かりにくい。(^^;; それを物理専門家がちゃんと理解してくれて大変ありがたく思います。“目上と目下”の感覚はユニークですね。恐らく、信用してもらう(貸方=目上)、信用を与える(借方=目下)のイメージでしょうか。
思い出したことがあります。昔、バブルに踊って資金繰りに詰まった不動産業の経営者が「借金は資産だ」だと開き直っていたというニュースを聞いて、駆け出し会計士の当時の僕は意味がわかりませんでした。しかしその後、あるオーナー企業の経営者が「借入は銀行から信頼を得た証なのだから、会社にとっては資産と同じだ」と言っていたのを聞いて、なるほど、と納得しました。簿記を“信用”から眺めると面白いですね。
さて、近藤さんは物理屋と称されていますが、経営者ですか? “信用”の感覚は資金調達を含めて事業やプロジェクトを管理する立場で経験を積まないとなかなか身につかない奥深い感覚だと思います。おっしゃる通り、そういう感覚を含めて簿記教育が行われると素晴らしいと思います。それはもはや起業家教育ですからね。福澤の望んでいた実学の姿でもあると思います。僕は一介の小市民として努力をさせていただければと思います。
投稿: はみだし | 2020年3月18日 (水曜日) 14時23分