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2014年2月

2014年2月27日 (木曜日)

342.DP-CF32)会計上の不確実性~FacebookのWhatsApp買収

2014/2/27

世界最大の交流サイトを運営するアメリカのフェイスブックは、スマートフォン向けアプリ「LINE」のライバルの「ワッツアップ」を日本円で1兆9000億円余りで買収すると、米国時間の19日に発表した。ワッツアップの利用者は、世界全体で4億5000万人に上り、ライバルの「LINE」と同様にこの分野で急成長を続けてい買収の目的は、ワッツアップの成長の勢いを取り込んで携帯端末向けの事業を強化すること。 フェイスブックのマーク・ザッカーバーグCEO=最高経営責任者は、「ワッツアップは、いま、利用者を10億人に拡大する過程にあり信じられないほどの価値をもった企業だ」と話してい(以上、NHK ホームページの 2/20 のニュースより抜粋)

 

今回は、このM&A案件を題材に、自己創設ののれん・無形資産の資産計上について考えてみたい。もしかしたら、自己創設を議論するのにM&A案件を題材とするのはおかしいのではないかと思われるかもしれない。しかし、IASBが会計上の不確実性への言及を資産等の定義・認識規準から削除する先には、M&Aの場合(IFRS3号)と同じような資産計上の方法を自己創設の場合にも適用することが、僕には想像される(のれんは除く)。したがって、この案件でフェイスブックの連結財務諸表に計上されるであろうワッツアップ関係の資産(のれんを除く)に着目することは、IASBの目論みが、企業経営にどのような影響を及ぼすかを想像するのに役立つと思う。ちょっと強引だが、まあ、思考実験ということでご勘弁願いたい。

 

 

ワッツアップの昨年の売上は、約 2000 万ドル(100円/ドル換算で 20 億円)で黒字決算だという。黒字とはいえ、従業員 50 人程度の売上 20 億円の会社に、その 1000 倍の約2兆円の評価をつけるというのは驚きだ。(僕には、あのオリンパス事件の手口を思い出させる。・・・過去の財テク失敗などの隠蔽工作のために、国内ベンチャー企業や海外企業の買収額を過大に評価・支出することで、1000億円を超える簿外資金を捻出した。多くの人は、もう忘れてしまったかもしれないが。)

 

常識的には、売上の 1000 倍の企業買収額などありえない。しかも、グーグルと争って値段が吊り上ったという話もある。グーグルは 100 億ドル(同1兆円)を提示したらしい。ちなみに、2006 年にグーグルがユーチューブを買収した金額はわずか 16.5 億ドル(同1650 億円)。「これは高過ぎる」と思う人がたくさんいても不思議はない。

 

ところが、フェイスブックの株価は発表当日は下げて始まったものの、直ぐに上昇に転じてその後も順調だ。買収資金の支払は現金が 40 億ドル(同 4000 億円)、あとは 120 億ドル(同 1.2 兆円)の株式と 30 億ドル(同 3000 億円)の制限付き株式を交付する。ということは、株価は、このとんでもない買収評価を(とりあえず)認めるだけでなく、株式希薄化の悪影響さえも飲み込んで吸収してしまった。フェイスブックを分析対象にしているアナリスト 44 人のうち、37 人が「買い」、若しくは「強い買い」を推奨したという(ロイター 2/21)。

 

 

さて、フェイスブック社は、この買収資産をどのように会計処理するだろうか。それを考えるには、ワッツアップ社の資産(・負債)の情報が必要だ。しかし、そういう情報はなかなか見つかるものではない。とはいえ、どうやらワッツアップ社は、入居したビルに看板も出さないほどの質実経営の会社らしい。だから、無駄な資産はなく、そのほとんどはソフトウェアや開発・運営用のコンピュータ機器に違いない。ということは、2兆円のほとんどは「のれん」だ。(どうやって減損テストをするのか、実に興味深い。金を払ってでも見てみたい。)

 

しかし、この会計上の不確実性シリーズで焦点を当てたいのは、巨額の「買取のれん」ではなく「無形資産」の方だ。例えば次のようなものがあるだろう。わずかだろうが。

 

・一般より有利な価格・条件のリース契約(不動産賃貸などのオペレーティング・リースを含む)

・規制当局などより認められた特権的な営業条件、外部との契約

・売却可能なノウハウや研究、データ

・顧客名簿

 

僕の経験では、質実経営の会社というのは、契約条件を検討する際に非常にしたたかだ。取引の本質をわきまえていて、妥協すべきところと主張すべきところを良く知っている。相手の欲しいもの、譲れない条件を踏まえたうえで、自分に有利な条件を相手に認めさせていく。そのため、無形資産に計上できるような有利な契約や、行政との取り決めなどもあるに違いない。ただ、この場合は、たいした額にはならないだろう(のれんが大き過ぎるので)。

 

IT企業は質の良いコンピュータ・プログラムが命だが、50 名という少人数の企業でも、デバックやメンテナンスをしやすいようなプログラム・コードを作成する共通ルール、社内で共有し繰返し使用できる汎用的なモジュール、ワッツアップ・サービスの運用ルールなど、色々な社内ノウハウがあるに違いない。ただ、外部に売却可能なものは、意外とないかもしれない。特定の環境、即ち、ワッツアップ社でなければ役立たないようなものが多いと想像されるからだ。ちょっと考えれば他の人でも考え付きそうなアイディアが基になっているようなものも、売却可能とはされないだろう。

 

CIA元職員のスノーデン氏の暴露により問題になったユーザーの通信記録のデータは、ワッツアップのサーバーには残らないと創業者などが言っているらしい。ワッツアップは、フェイスブックやツイッターのような広告がないのが売りなので、ユーザーの行動記録のようなものは、事業上あまり必要ないのかもしれない。したがって、売却できるような行動記録のデータもないかもしれない。

 

最後に顧客名簿(ユーザー・リスト)だが、これはちょっと具合が違う。価値があるかもしれない。といっても、1.9 兆に比べればたいしたことはない。

 

フェイスブック社が買収後にこのユーザー・リストを利用して、フェイスブックのサービスへ勧誘するかもしれない。但し、それにはワッツアップのユーザー規約(セキュリティー・ポリシー)が、親会社等への情報提供を可能にしていなければならないだろう。残念ながら、僕はユーザー規約を読んでいないが(英語らしい)、秘守義務に例外規定があって、それができるらしい。しかし、その勧誘でフェイスブックのユーザーになるような人は、もうなっているのではないか。まだなっていない人には、プライベートを公表するのが趣味じゃないとか、広告が嫌いとか、何か理由があるような気がする(僕はフェイスブックを殆ど利用していない。あの中年男性をターゲットにした広告は、あまりおおっぴらに画面に出したくない)。

 

とはいえ、できるものは価値評価が必要だ。それには、フェイスブックと重複するユーザー数を除いた人数に、期待利益単価や新規ユーザー登録の確率を乗じて計算するのだろう。僕にはその計算はできないが、恐らくその評価額には上限がある。そちらの方なら大雑把に想像できる。

 

フェイスブックは、勧誘メッセージを発信したらユーザー・リストの評価額を費用計上するだろう。恐らく、勧誘メッセージ以外にフェイスブックがそれを利用する機会がないと思うからだ(もし、ワッツアップが創業の精神を捨ててフェイスブックの広告配信を受入れるとすれば、それはシナジー効果なので、のれんの一部となるから、そのような利用方法はここでは対象外)。

 

だとすれば、新規ユーザー開拓費用として利益で負担できる金額が上限になるはずだ。フェイスブックの 2013 10-12 月期の売上は約 26 億ドル(同 2600 億円弱)、純利益は 5 億ドル(同 500 億円)、月間利用者は12億人だ。多分、Max 4.5 億人の名簿に 1000 億円は払わないだろう。重複ユーザーもいるし、勧誘メッセージを受取った全員がフェイスブックのユーザーになるわけではないから。仮に 1000 億円だとしても、1.9 兆円の 5% 強に過ぎない。(ちなみに、電話番号が流出した場合の日本に於ける補償額は、1件あたり 5000 円という判決があるらしい。ワッツアップのユーザー登録には電話番号が必須だが、ユーザー規約に認められた情報提供であれば、この金額とは比べられない。)

 

ということで、フェイスブックはこの買収の結果、次のような仕訳を起こす。

 

                                               
 

  借)

 
 

諸資産

 
 

    少々

 
 

  貸)

 
 

諸負債

 
 

     少々

 
 

 

 
 

一般より有利な契約等

 
 

    少々

 
 

 

 
 

現金

 
 

  4000億円

 
 

 

 
 

ユーザー・リスト
    (利用後は費用)

 
 

Max 1000 億円

 
 

 

 
 

資本

 
 

 1.5兆円

 
 

 

 
 

のれん

 
 

  Min 1.8 兆円

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 

 

今回はもうだいぶ長文になってきたので続きは次回としたい。上記のうち、自己創設の場合は、IASBものれんの資産計上を否定している。そこで、その他の自己創設の無形資産を認識することが、経営にどんな影響を与えるかについて、上記を参考にしながら考えたい。

 

なお、この記事を書くにあたって参考にした主な情報源は、次の通り。

 

                                   
 

2/25

 
 

 ワッツアップ買収で若年ユーザー獲得を狙うフェイスブック 

 
 

(有料記事)

 
 

 

 
 

フェイスブックのワッツアップ買収、190億ドルは異常か?

 
 

(無料記事)

 
 

 

 
 

ワッツアップには買値以上の価値がある=フェイスブックCEO

 
 

(有料記事)

 
 

2/24

 
 

一杯食わされたのは誰?--Facebookが買収するWhatsAppの“三無主義”

 
 

(無料記事)

 
 

1/30

 
 

フェイスブック純利益8.2倍 10~12月、スマホ広告増

 
 

(無料記事)

 
 

2013/9/26

 
 

「個人情報」を流出させた企業が払うべき「慰謝料」の相場はいくら?

 
 

(無料記事)

 

 

 

 

2014年2月25日 (火曜日)

341.DP-CF31)会計上の不確実性~自己創設の「のれん、無形資産」

2014/2/25

ソチ・オリンピックも、終わってみればあっという間だった。その中に、長い競技人生がギュッと凝縮された数々のドラマがあった。スポーツは記録や得点も大事だが、プロセスを楽しめるのが良いと改めて感じた。

 

さて、前々回(2/18 の記事)に示した着眼点に従って、前回(2/20 の記事)は、進行基準売掛金について考えてみた。すると今回は、のれん関連(自己創設のれんと自己創設無形資産)がテーマになる。これで話が完結できれば、この「会計上の不確実性」というテーマは、目出度く今回が最終回になる。が、はたして・・・

 

 

前々回は、IFRS3号「企業結合」の規程を参考に、次の2点が心配だとした。

 

・果たして両者(自己創設の、のれんと無形資産)は簡単に区別できるか。IFRS3では、識別可能なもの(大雑把に、「分離可能なもの、法的権利に起因する他の一般企業より有利なもの・状況」)が無形資産として認識・計上される。

 

・認識された資産は公正価値による測定が想像される。しかし、重要性(開示によってコストを上回る便益を得られるかどうか)の判断を企業が行えないのは適切か。

 

この2点を心配した理由を記載しよう。

 

M&Aの際は、(理想的には)これらの評価作業(認識・測定)を買収調査で行い、買収価格を決める際の参考にすることができる。ただ実際には、調査対象や方法・期間の制約があって、買収前に十分な調査を行うことは難しい。しかし、事後的であっても、買収後のシナジー効果を最大限発揮するための事業計画の策定に当たって、或いはその精緻化や実行に当たって、必要になる作業だろうと思う。財務諸表に計上するために調整作業が追加されるかもしれないが、基本的には企業自身もメリットを感じられる作業が多いと思う(現実には行ってない会社が多いと思うが、買収を成功させる確率を高めるには必要と思う。また、日本基準も既に同様の内容で改定がされている)。

 

しかし、自己創設の場合も、これらの識別・評価作業が必要だろうか。もし必要でない作業を、財務諸表を作成するためだけに行うとすれば、重要性の問題が発生する。しかし、このディスカッション・ペーパーにおいては、IASBはそれを企業に判断させないスタンスだ。規準で指定したものすべてについて、これらの作業が強制されることになる。

 

また企業買収時には「後で慌てないように」という意識が強く働き、なるべく第三者的に、即ち、客観的に対象を評価することが多いと思うが、自己創設の場合はどうだろうか。業績に問題のある事業を立て直そうというなら、手間をかけてやるかもしれない。しかしそんな限定はない。すべての事業が対象だ。僕は、会計のためだけに行われる評価作業を信用しない。そこに“経営に役立つからやる”という動機がなければ、たとえ最初は良くても、やがては形骸化し、或いは、悪用され、社内外の財務諸表利用者に損害を与えると思う。単にコストどころの問題ではない。

 

 

ただ、心配だけではない。実は、若干、期待もある。

 

このような作業は企業が自分の姿を客観視する良いきっかけになる可能性があると思う。経営者、事業責任者、部門責任者、そして一般の社員。それぞれのレベルで、もっと自分の組織を客観的かつ定量的イメージで捉えられるよう、評価する機会があった方が良いと思う。

 

例えば、下記の記事は大変参考になる(但し長い)。

 

日本のDRAM、「安すぎる」と非難され、やがて「高すぎて」売れなくなる
(日経
BP 2/20 西村吉雄氏 全10ページ ID登録が必要)

 

8ページ目に、それまでの強みだった高品質(だけど高コスト)の物づくりが、韓国のメーカーに負けた理由が書いてある。主観的な分析しかなされない成功体験とは怖いものだ。

 

鎖国のときは栄え、開国したら衰退 市場のグローバル化で精彩を失った日本のパソコン

(日経BP 2/6 西村吉雄氏 全6ページ ID登録が必要)

 

こちらは、摺合せ技術とモジュール化技術の話だ。どちらが良い悪いではなく、ケース・バイ・ケースの使い分けが必要だ。それには、顧客が欲しがるものと自社の得意分野(や苦手分野)の距離を客観的に測り、それを埋める戦略を立案できることが必要だ。

 

顧客(他社、他者)からみて、自分の会社がどう映っているのか。具体的に、どこにどれぐらいの価値があるのか。これは人でも難しいが、組織でも難しい。しかし、重要なことだ。その分析にもっとコストをかけてもよいのではないか。というか、それが必要なケースが意外と多いのではないだろうか。

 

とはいっても、ん~、会計規準で解決できる話ではない。経営上の必要性を感じて試行錯誤を続けていく、そんな話だ。一定のパターンがあって、常にそうすれば良いなどと思った瞬間から、顧客の感覚とずれていく。会計規準に書き込めないところに真髄がある。

 

ややっ、もしかしてその真髄とは経営上の不確実性とかなり重なるものではないか。そしてそれは会計上の不確実性とも・・・

 

 

ということで、今回は中途半端な感じで終了する。このシリーズはまだ続くが、大丈夫、オリンピックも終わってみればあっという間だった。みなさんにはご辛抱いただき、もう少しお付き合い願いたい。

2014年2月24日 (月曜日)

340.【番外編】アベノミクス vs.リコノミクス

2014/2/24

WSJ2/19の記事によれば、内閣官房参与の本田悦朗氏は、「日本が力強い経済を必要としているのは、賃金上昇と生活向上のほかに、より強力な軍隊を持って中国に対峙できるようにするためだ」と、アベノミクスの背後にある目標を語ったという。(「ナショナリスト本田悦朗氏がアベノミクスで目指す目標」無料記事)

 

本田氏といえば、昨夏、デフレ脱却のためには消費税率を一挙に上げるのではなく、毎年1%ずつにするのが良いと主張していた安倍晋三首相の側近だ。その側近の発言としては率直過ぎる内容だが、20日、本田氏はWSJに「あまりにもバランスを欠いた記事だ」と抗議し、記者団には発言を否定したという(「本田参与、米紙に抗議」無料記事)。ちなみにWSJは、23日に上記の記事を書いた記者を、WSJ日本版編集長の小野由美子氏が直接インタビューした記事を掲載し、暗に、この記者がおかしな人ではないことを示した(【現地記者に聞く】WSJ中国通コラムニストが語る日中関係 無料記事)。

 

軍隊を強化するために経済を強くするというのでは、明治時代の「富国強兵」と同じだ。何やらきな臭いし、進歩もない。それより、中国が不良債権問題の破裂を防ぐか(リコノミクス)、日本が経済再生に成功するか(アベノミクス)の競争ではないか、と僕は考えていた。

 

この競争は、恐らく日本に分がある。日本のバブル崩壊を考えても、過去の世界経済史を考えても、いったん発生したバブルを混乱なく納めるのは至難の業だからだ。ただ、日本に不利な面もある。それは、中国バブルが崩壊すると、日本経済にも大きな悪影響があるので、経済再生も、その前の改革も、難しくなる可能性がある。つまり、アベノミクスには、中国バブルが崩壊する前に、後戻りできないところまで改革を進めておかなければならないという期限がある。

 

中国については、昨年末あたりから、中国の企業債務、地方政府の債務が経済規模に比べて大き過ぎるという記事が目立ち始め、今年に入っては、みなさんもご存じのように、シャドー・バンキングが綻び始めた。景況感を示す経済指標(PMIなど)も、今年に入って悪化が目立つ。景気が悪化すれば、借金の返済が滞る。もしかしたら、中国は景気浮揚策として、また大規模な投資を始めるかもしれない。さもなくば・・・。投資主導経済から消費主導経済へというリコノミクス改革は、ますます難しい局面に差掛ってきたようだ。

 

日本はというと、ロイターの下記の記事がちょうど良い。昨年10月から12月の第4四半期のGDP統計が期待外れというニュースが流れて以降、目立ち始めた論調だ。

 

コラム:ぐらつくアベノミクス「3本の矢」 無料記事

 

どうやら、アベノミクスの第3の矢は、国の予算編成に合わせて年に1回だけ検討されるらしい。つまり、チャンスは年に1回しかないようなのだ。「期限があるのに、そんな悠長なことで良いのか?」と僕は思うが、みなさんはどう感じられるだろうか。勇ましいことを言っても、政治家は官僚の仕事のペースさえも変えられない。第3の矢は、的に当てられないどころか、放つこともできないかもしれない。

 

当たり前のことだが、企業は自らの力で前途を切り開くしかない。政治や政府に期待を持ったのは間違いだったかもしれない。税金も、たくさん払っても無駄になるから、最小で済むように考えた方が良い。法人税率引き下げは賛成だし、消費税率引き上げには反対だ。そして、巨額の国債は、民間の力で景気を良くして返済していこう。(今回はちょっと反動的な記事になった。)

2014年2月20日 (木曜日)

339.DP-CF30)会計上の不確実性~進行基準売掛金のケース

2014/3/4 1」及び脚注を追加(収益認識規準の公表スケジュールが遅延したことを追加)。

 

2014/2/20

また“南岸低気圧”が来たそうだ。14日から15日の大雪では、静岡県でも小山町で3000人が孤立するとか、富士宮の牛舎の屋根が落ちて牛が250頭も死んでしまったというが、僕の住んでいるところでは、ついに雪は降らなかった。常に外を眺めていたわけではないが、少なくとも積もってはいない。行きつけの喫茶店のお姉さんは、こういう天気を「寒いだけだね」という。これには「雪が見られるなら寒さも我慢するが、結局雪は降らなかった」という期待外れの気持ちが込められている。しかし、被害を受けられた方々にしてみれば、大変なことだ。今回の“南岸低気圧”は、進路が南に逸れたらしい。大雪でなくて、何よりだ。

 

さて、前回(2/18の記事)では「混迷を脱した」と宣言させていただいたが、やはり道程は平坦ではない。しかし、だからこそ新しい発見を期待できる。と気持ちを奮い立たせて、今回は「進行基準売掛金」に焦点を当てていきたい。

 

 

前回も書いたように、確定した請求権というイメージの一般の売掛金と違い、進行基準による売掛金は不確実性が高いように感じられる。まだ財・サービスの提供中であり、それが完成・完了したら支払われるという見込みを根拠に、現時点で発生・実現したと思われる収益の見積額を資産計上するからだ。日本基準に慣れ親しんでいる我々には当然の感覚と思う。したがって、「何らかの事情により、もし、完成・完了に至らなかったら?」というリスクがあるため、一般の売掛金より不確実性が高いことになる。

 

 

まず、この「進行基準売掛金の不確実性の高さ」について、IASBとASBJのそれぞれの主張がどのように影響するかを予想してみよう。

 

IASBの主張では、不確実性が高い・低いは、認識の問題ではなく測定の問題なので、取敢えず資産計上(=認識)する。そして、その計上額を決める測定の段階で、リスクを考慮することになる。なお、不確実性が非常に高くて、回収がゼロとなることもありえるような状況(=存在の不確実性のある状況)は、IASBが予め個別規準で規定する場合以外はないと見做される。さらに、重要性(目的適合性に含まれる)で企業が判断して計上しないことは許容されていない。したがって、進行基準売掛金はプロジェクトのスタートと同時に、必ずすべてが資産計上されることになる。

 

一方、ASBJは、存在の不確実性があるケースを、あらかじめ想定・特定・網羅し、IASBが規準に明記するのは困難と考えている。その代りに蓋然性の基準を設けて、一定レベル以上の確実性があるかどうかを企業に判断してもらう。したがって、企業の判断で資産計上を見送ることがありえることになる。

 

 

では、2011年公開草案「顧客との契約から生じる収益」(以下「2011ED」と記載)において、進行基準がどのように規定されているかを概観しよう。これによって、どちらの考えが進行基準売掛金にフィットするか、より具体的に理解できるはずだ。なお、この公開草案が基になる新規準も今年の第1四半期に公表される予定(1)で、多分、現行のIAS18号「収益」は2016年一杯でお役御免になる予定。

 

IFRSの収益認識規準は、日本でいうところの“検収基準”のイメージに近い。しかし、我々がイメージするような“検収基準”であるならば、そこに進行基準が含まれることはありえない。ところが2011EDでは、進行基準をも“検収基準のようなものの枠組み”に入れてしまおうといった感じの規定になっている。(その分進行基準が適用される取引の範囲は狭まると思う。)

 

原則は、「財・サービスの移転による履行義務の充足」が収益を認識する要件だ。これだけ見ると“検収基準”のように見えるが、そこに「履行義務を充足するにつれて収益認識をする」というパターンを組込んでいる(2011ED.31)。この部分がいわゆる進行基準に当たる。

 

この 2011ED の進行基準の特徴を概観すると以下のとおり。

 

・選択適用ではない。取引の契約内容や経済実態が進行基準の要件に該当するか否かを、契約開始時に判断し、該当するなら進行基準の適用を決定する。(2011ED.34

 

・その要件は次の通り(いずれかに該当すれば進行基準の適用となる)。(2011ED.35

 

 財・サービス提供をするやいなや、それが顧客に支配される。

 

 その顧客以外に転用できない財・サービスであり、かつ、次の1つ以上の条件に該当する。

 

・履行の都度、顧客が受領する(主にサービス提供を想定していると思われる)。

・顧客が途中で供給者を変更しても、やり直しが生じない。

・途中までの請求をやろうと思えばできる(顧客に補償を請求する形でもよい)。

 

 

ここまで読んで、みなさんもお気付きかもしれない。2011ED の進行基準は、我々のイメージとちょっと違う。我々のイメージでは、「完成・完了することを前提とした見込額」を計上するが、2011ED は、期末時点で請求可能な金額を計上する。即ち、完成・完了は関係なく、進行基準であっても、回収がほぼ確実な金額が資産計上されるのであり、初めから不確実性の高いものは排除されている(要件を満たさないものは、一般の売掛金として、履行義務を充足した時点で全額一括計上される)。即ち、IFRSの進行基準売掛金は、一般の売掛金と確実性が大差ない資産になることが予定されていることが分かる。う~む、これはまずい。

 

ということで、IASBとASBJの主張の違いを、具体的な資産、進行基準売掛金で明らかにしたかったが、残念ながら、2011ED を前提にすると進行基準売掛金も不確実性の程度が一般売掛金と大きく変わらないので、その目的を達成できなかった。

 

「それなら、2011EDではなく現行のIAS18を検討対象にすれば良かったではないか」とみなさんは思われたかもしれない。確かに、現行のIAS18の進行基準であれば、日本基準とほぼ同じなので、この目的に合っていた。ただ、上述の通り、収益認識はもう新規準が公表間近だ。このディスカッション・ペーパーが形になって概念フレームワークが改正される頃には、恐らくIAS18はもうなくなっている。残念だが、それと比較しても意味がない。

 

或いは、もしかしたら、「目的は達成できなかったが、新規準における進行基準の考え方が一つ明確になった」と感じられた方がいらっしゃったかもしれない。が、残念ながら新規準では、上記の 34 項や 35 項は変わっているかもしれない。したがって、新規準が公表されたらもう一度内容を確認する必要がある。

 

 

「前回『混迷脱出宣言』したのに、相変わらず進路が定まってないじゃないか。」

 

もしかしたら、このようにお怒りの方もいらっしゃるかもしれない。そういう方は、次のリンクをご覧いただきたい。僕の気持ちをご理解いただける。

 

https://twitter.com/densya_dame/status/435202550472527872/photo/1

Twitter にアカウントをお持ちでない方もご覧いただけると思う)

 

“台風”じゃなくて、“南岸低気圧”だったらもっとピッタリだった。

 

 

 

1

2/25 に受け取った「IASB Update」では、収益認識規準の公表スケジュールが「2014 Q2」にずれていた。(上記の「今年の第1四半期に公表される予定」という記載は、この記事を記載した時点のIFRS財団HPの情報に依った。)

2014年2月18日 (火曜日)

338.DP-CF29)会計上の不確実性~混迷から脱出!

2014/2/18

葛西紀明さんは凄い。ジャンプ(ラージヒル)で史上最年長メダリストになった(銀)。日本はそのレジェンド葛西を中心に、団体戦も期待できるという。楽しみだ。もちろん、フィギャー・スケートの羽生結弦さん(金)も、ノルディック複合の渡部暁斗さん(銀)も、そして他の方々もそれぞれドラマがあって素晴らしい。(しかし、恐れていた通り、BS1のヨーロッパ・サッカー放送枠は減ったようだ。)

 

さて、前回は(2/13の記事)、IASBの「不確実性への言及を定義・認識規準から削除すべき」という提案に対し、ASBJ(企業会計基準委員会)は「不確実性への言及を定義からは除外してもよいが、認識規準には残すべき」と主張していることを紹介した。これからは、僕なりの理解で、具体的な勘定を想定して、もう少し掘り下げてみたいと思う。但し、今回は現時点における着眼点のみ記載したい。

 

 

【売掛金 vs. 進行基準売掛金】

 

2011公開草案「顧客との契約から生じる収益」の31項では、収益の認識規準を次のように表現している。

 

企業は、企業が約束した財又はサービス(すなわち、資産)を顧客に移転することにより企業が履行義務を充足した時に(又は充足するにつれて)収益を認識しなければならない。資産は、顧客が当該資産の支配を獲得した時に(又は獲得するにつれて)顧客に移転される。

 

IASBの提案とASBJの主張では、履行義務を充足した売掛金と、履行義務を充足するにつれて発生する進行基準の売掛金で、違いが現われるだろうか。特に後者については、進行中の案件に対する収益認識なので、不確実性がより強く関わってくるような気がする。

 

【のれん(買入のれんと自己創設のれん)】

 

IASBはすべての資産・負債はB/Sに計上すべきであるとしたうえで、本来資産の定義に当てはまる自己創設のれんを資産計上しない理由を次のように述べている(当ディスカッション・ペーパー 4.9c)。

 

・・・IASB は、自己創設のれんを認識することは、財務諸表の目的を満たすためには不要であると結論を下した。財務諸表は、報告企業の価値を示すようには設計されていない。自己創設のれんを測定するには、報告企業の価値の見積りが必要となる。したがって、自己創設のれんを認識することは、目的適合性のある情報を提供しない。・・・

 

では、現行のIFRSで自己創設のれんの資産計上を禁じている根拠を見てみよう。IAS38号「無形資産」49項には次のように記載されている。

 

・・・自己創設のれんは、信頼性をもって原価で測定できるような、企業が支配する識別可能な資源ではない(例えば、分離可能でも契約その他の法的権利から生じたものでもない)ことから、資産として認識されない。

 

4.9cは「価値」と言い、IAS38.49は「原価」と言っている。そして、同じようなことを言いながら、実は違うポイントで資産性を否定している(前者は目的適合性の観点、後者は信頼性、即ち、忠実な表現の観点)。即ち、見解を変更していると思われる。実は、僕は前者(=このディスカッション・ペーパー)の方が説明としては良いと思うのだが(但し、完全には納得していない)、問題は、その見解の変更が、次の無形資産にも及んでいると思われるところだ。

 

即ち、(M&Aによって取得した無形資産だけでなく)自己創設した無形資産の資産計上をさらに進めようとしていて、しかも、どうも原価ベースではなく公正価値ベースの測定が意識されている気がする。

 

M&Aによって取得した無形資産については、M&Aによるものであるために公正価値評価になっているが、M&Aのときにできるならば、自己創設のものについてもできると考えているのではないか。それが、「原価」から「価値」へ言葉が置き換わった理由ではないかと僕は勘繰っている。

 

【評価(=測定)が難しい無形資産】

 

これに関しては、IASBは次のように記載している(4.9d)。

 

一部の自己創設した無形資産を測定することの便益は、その結果生じる測定値が財務諸表利用者にとって目的適合性がない場合、又は当該資産の識別及び測定にコストがかかり過ぎる場合には、コストを上回らない可能性がある。

 

自己創設のれんと自己創設無形資産を、最初から違うものとして記載しているようだが、両者の区別は簡単だろうか。予想されるのは、M&Aの個別規準(IFRS3号のB31~)と同様に、分離可能性を持つ要素、契約やライセンスなどの法的権利に起因する他の一般企業より有利な要素を識別可能資産としたうえで、公正価値で評価させようとすることだ。

 

また、IASBは、次のように記載しているので(4.11)、仮に不確実性への言及が概念フレームワークに残っても、一端、IASBが個別規準で資産計上すべきと決めれば、IASBが自己創設無形資産と指定したものは、資産計上しなければならない。

 

「概念フレームワーク」は基準ではなく、基準に優先するものではない。したがって、基準が資産又は負債の認識を要求している場合に、作成者が「概念フレームワーク」における認識規準を、当該要求事項を覆すために使用することはできない。

 

目的適合性と測定コストは、企業によって違うと思うが、IASBが一律に決めてしまってよいものだろうか。もちろん、個別規準は所定のデュー・プロセスを経て設定されるので、公開草案等で一般の意見も寄せられるし、一部は反映されるとは思うが。

 

 

このディスカッション・ペーパーに直接記載されていないことまで心配してしまっているが、これが単なる杞憂、取り越し苦労であれば幸いだ。或いは、杞憂などと表現するのは間違いで、新しい会計、さらには新しい経営手法への入り口をIASBが示唆しているという結論に至るかもしれない。

 

ASBJの含蓄の深いコメントを読むことで、ようやく僕は長い混迷から抜け出せ、焦点を絞れたような気がする。今まで長々とお付き合いいただいたみなさんには大変申し訳ないが、今まではトレーニングで、これからが本番ということかもしれない。漸く、これから僕にとってのオリンピックが始まるようだ。但し、オリンピックはきっとすぐ終わる。恐らく、あと数回ぐらい・・・。

2014年2月13日 (木曜日)

337.DP-CF28)会計上の不確実性~ASBJの考え

2014/2/13

無念だ。ジャンプの高梨沙羅さんが4位に終わった。圧倒的な実力・実績を持ちながら、追い風という不運に見舞われた。しかし、試合後のインタビューで、高梨さんは次のように語ったという。

 

「本当に実力があれば関係はないと思うので、実力が足りなかったのだと思います」
 
NumberWeb2/12より

 

益々、応援したくなるコメントだ。

 

さて、このブログは長々と会計上の不確実性を書いてきた。IASBの提案に対し、上村愛子さんのような不屈の闘志を燃やしたいところだが、残念ながら、今のところ炎はIASBのそそり立つ壁を焦がすことさえもできない。ところが、先月17日にASBJ(日本の企業会計基準委員会)がIASBへ提出したこのディスカッション・ペーパーに対するコメント(ASBJのHPに掲示された文書)を見ると、ASBJも、IASBの不確実性の取扱いに異議を申し立てている。今回は、それを紹介することにしたい。

 

 

まずは、全体像から。「全般的なコメント」というプレゼンテーション資料のエグゼクティブ・サマリーのような場所の第 5 項に、次のように記載している。

   
 

 (1)

 
 

DP   4.24 項は原則としてすべての資産及び負債を認識するとしているが、我々は原則として認識規準に蓋然性規準が含まれるべきと考えているため、IASB の予備的見解に同意しない(第 45 項から第 50 項を参照)。

 

さすがだ。短い文章で書き尽くしている。中でも、これだ。

 

原則として認識規準に蓋然性基準が含まれるべき

 

勇気が湧いてくる。よく「大声援に背中を押される」というが、大声援を受けるオリンピック選手の気持ちとは、こんな感じだろうか。不確実性に拘っているのは僕ばかりかと思っていたので、非常に心強い。テンションが上がる。

 

それでは、早速、「 45 項から第 50 項を参照」してみよう。これは、ディスカッション・ペーパーのセクション4「認識及び認識規準の中止」についてのIASBの質問(質問8)に対するコメントを述べているところだ。(なお、蓋然性とは不確実性の反対で、確実性の度合いのこと。)

 

僕の理解で勝手に要約して箇条書きにすると次のようになる(ASBJの意見を正確に知りたい方は、上記文書の 15 ページをご参照ください)。

           
 

  理由

 
 

蓋然性の閾値を設けないと、翌期以降戻入による損益が生じる可能性が高まり、翌期以降の損益計算書が使いにくくなる(目的適合性が低下する)。

 
 

  逆提案

 
 

①認識規準に、最低限の蓋然性の閾値を設けるべき。
    (例としてだが、「可能性が高い(=
50% 超)」を挙げている)

 

②より適切な蓋然性の閾値は、各個別規準で(必要に応じて)設定する。
    (ASBJは資産と負債で蓋然性の閾値が異なることに肯定的。)

 

③会計単位(=蓋然性を評価する資産や取引のグルーピング)を考慮する。

 

④デリバティブについては、その性格から例外的に蓋然性の閾値は不要。

 
 

  補足

 
 

IAS37「引当金、偶発負債及び偶発資産」を 2005 年に改訂したときに、認識規準に蓋然性規準を含めるべきというコメントがたくさん寄せられた。そのときと状況は変わっていないのではないか(日本では変わっていないと考えられる)。

 

 

   
 

質問3について付け足し

 
 

上記は質問8に対するコメントだが、定義や認識規準から不確実性への言及を削除することについて、より直接的な質問となっている質問3に対するコメント(上記文書の7ページ)では、次の趣旨を述べている。

 

・定義から削除しても、認識規準からは削除すべきでない。

 

・「存在の不確実性」と「結果の不確実性」の区別は困難。認識規準で一緒に扱うべき。

 

 

なるほど、そう来たか。IASBよりは、ASBJの意見の方が、僕には遙かに納得感がある。思わず飛びつきたくなるが、残念ながら100% ではない。もしかしたら、まだこのコメントの読み込みが足りないだけかもしれないが、何か違う感じだ。

 

とはいえ、ASBJのコメントを読むことで、一つはっきりしたことがある。それは、僕がIASBの不確実性に関する提案に引っかかっていた本当の理由だ。それを自覚できた。「資産かどうか(または、負債かどうか)をIASBが決定する」という部分が問題だったのだ。それが受入れらなかったために、定義や認識規準から不確実性への言及を削除することに抵抗感を持っていたのだ。それが分かっただけでも、読んでよかったと思う。

 

なぜもっと早く読まなかったのか? 一足先に公表された日本公認会計士協会のコメントではこの問題はスルーされていた。そのため、まさかASBJがこの問題を拾っているとは思わなかったのだ。残念。

 

話を戻すと、その点、ASBJの逆提案は、蓋然性の閾値を設けることで、企業にその判断を要求するため、従来通り資産かどうか(或いは、負債かどうか)を、最終的に企業が決定することになる。やんわり、IASBの大胆な提案(或いは、野望?)を退けた感じだ。とてもスマートだと思う。

 

それならいいじゃないか! とみなさんは思われるかもしれない。でも何かが引っ掛かっている。恐らく、蓋然性の閾値とは比べ物にならない程度の僅かなレベルなのだが、微妙に背中を押される方角が違っているような気がしている。(但し、そもそも、ASBJが僕の背中を押すことなど、ありえないが。)

 

 

ということで、ジャンプでいえば、素晴らしい向かい風と思ってジャンプ台を滑り下りてきたが、飛んでみたら横風が混じってたような感じで、今僕は体勢を崩しかけている。高梨沙羅さんなら、この程度にびくともしないだろう。しかし、半年もこの問題で頭を悩ましている僕の実力では、そうはいかない。ついつい、「ASBJのおっしゃる通りです」と自分の姿勢を崩してしまいそうになる。それは、高梨沙羅さんのいうように自分に実力がないからだ。それは分かっているが、崩れたくない。みなさんは、「いい加減に次へ進め」というかもしれないが、悪あがきをもう少し続けようと思う。そこだけは、上村愛子さんのような不屈の闘志で。(上村さんを引合いに出すのは、恐れ多いが。)

 

2014年2月10日 (月曜日)

336.【番外編】「簿記の日」に借方・貸方を考える

2014/2/10

みなさんは、2月10日が何の日かご存じだろうか。僕は知らなかった。なんと「簿記の日」なのだそうだ。BS 朝日の「週刊記念日」(2/9 16:55~)が自動録画されていて、それを見て知った。公益社団法人 全国経理教育協会HPでは、次のように記載されている。

 

簿記の原点である福沢諭吉の訳本 「帳合之法」の序文が1873(明治6)210日に草されたことにちなみ、本協会が制定しました。

 

2月10日は、その他に、海の安全記念日、ふとんの日、ニットの日、蕗の薹(ふきのとう)の日、太物の日などもある(Wikipediaより)そうだ。このうち、「ふとんの日」以降は、語呂合わせから来ているという。

 

ところで、「帳合之法」といえば、複式簿記を日本に初めて紹介した本と言われているので、英語の debit / credit を、日本語で 借方 / 貸方 と翻訳したのもこの本らしい。みなさんは、簿記を習い始めたころ、この「借方 / 貸方」をすんなり受入れられただろうか? 僕はダメだった。未だに誤訳ではないかと疑っている。

 

借方には、資産の増加や費用の発生を記帳し、貸方には、負債の増加や収益の発生を記帳する。資産の増加を“貸し”、負債の増加を“借り”というなら、しっくりくる。ということは、貸借が逆ではないか、と思ってしまうのだ。簿記を習い始めたころ、慣れるまでは暫く嫌な感じがした。みなさんも経験されたかもしれない。もしかしたら、簿記嫌いになる人の最初のきっかけが、この翻訳にある可能性すらあるのではないか。

 

そこで、簿記の日にちなんで、この翻訳について、ちょっと考えてみるとにした。

 

 

debit / credit のうち、credit の方は、“信用”という意味があることは知っている。また、映画のエンド・ロールや音楽 CD のジャケットに、その貢献に感謝して名前を載せることも、credit という。そう、credit には相手に対する感謝の気持ちがある。すると、簿記の場合も、相手が信用してくれたことに感謝するという意味が含まれているのではないか。であれば、借入金や掛けによる仕入代金を credit に記帳することは、すんなり受け入れられる。そして、この場合、credit は“借り”だ。そして、疑った通り、credit を貸方とするのは、誤訳ということになる。

 

debit の方はどうだろうか。debit card というものがあるが、これは使うと銀行預金が直接引き落とされる。即ち、debit に直結するカード、という意味か。そうであれば、この debit は単に預金勘定が左側にあるということ、その位置を示しているに過ぎないので、debit card から debit の意味を想像するのは難しい。

 

そこで、debit について Wikitionary(英語版)を見てみることにした。次のように記載されている。

 

語源

From Middle French debet, from Latin debilitum (what is owed, a debt), neuter past participle of debere (to owe); see debt.

 

ラテン語に語源があるらしく、そのラテン語は“what is owed, a debt”という意味らしい。即ち、借りているもの、負債だ。あれ~っ、debit も負債、即ち、“借り”なのか? これでは、debit / credit の両方が同じ“借り”になってしまう。そして、debit に関しては、借方という翻訳は正しいことになる。

 

そこでさらに、Wikipedia の“借方”を見てみることにした。それは次の通り。

 

日本に初期の複式簿記と中央銀行システムを輸入したのは福沢諭吉で、「debit」・「credit」をそれぞれ「借方」・「貸方」と翻訳したのは彼である。帳合之法33頁に「書付を上下二段に分ち、上の段には山城屋より我方へ対して同人の借の高を記し、下の段には我方より山城屋へ対して我方の借を記したるが故に」とある。

 

初期の財務諸表や複式簿記は債権・債務を記載する目的が主であり、主に銀行の経理で使用されていた。それを相手方から見た視点で記録していたため、借方には相手方が借りた分を記載しているという意味があった。

 

時代が下り、簿記技術が発展し記録する内容が金銭の貸借関係から拡大していくにつれ、単なる「左側」という意味のみの符号と化した。

 

最初の段落は、「帳合之法」から、福澤諭吉が複式簿記の仕訳を紹介したところを引用している。「山城屋より我方へ対して同人の借の高」といったまどろっこしい書き方に翻訳の苦労が滲み出ている。そして貸方(下の段)も「我方の借」と表現しており、ここでは「貸」は出てこない。恐らく、上述した通り英語の意味としては、debit credit も両方「借」だからだろう。きっと福澤諭吉も、debit / credit をどう日本語で表現するか、悩んだに違いないと思わせる。

 

第2段落と第3段落は、欧米における簿記の歴史について記述している。このなかで、第2段落の「相手方から見た視点」というところがポイントだ。なるほど、相手方から見たので、貸借が逆転しているわけだ。ということは、「debit =借方/ credit =貸方」は、誤訳ではない。

 

それにしても、福澤諭吉は、こういう簿記発展の歴史まで理解して、debit credit の訳語を決めたのか。そう思うのは、そこまで理解しなければ、credit に「貸」という言葉を割当てることはできないと思うからだ。普通に考えたら逆なのだから。これは驚きだ。今とは全然違って、この本が出版された明治時代初頭は、欧米の情報が非常に乏しく、翻訳の過程で湧いた疑問を解決するのは大変な苦労だったに違いない。それを誤訳などと疑ったことを、僕は恥じなければならない。

 

ちなみに、福澤諭吉は、「帳合之法」出版の趣旨を次のように述べているという(慶應義塾出版会HP 日朝秀宜氏によって、文体が現代風に改められている)。

 

第一に、日本では学問と商売との間に関連がない。学者も商人もこの『帳合之法』を学べば、学者は実学を知り商人は理論を知り、日本の国力が増すことになる。

 

第二に、この『帳合之法』を学べば、会計事務が一変して便利になる。

 

第三に、日本では学問は非実用的であるとして、敬遠されてきた。この『帳合之法』を学校で生徒に教えれば、その生徒を通じて家族にも伝わり、洋学の実用的なことが認識されて、人々を学問・読書に導くことになる。

 

第四に、この『帳合之法』を学べば商工業を軽蔑することなく、実業界で独立しようという大志が生れてくる。

 

福澤諭吉の日本に対する思いや社会改革の強い意志が現われている。学問とビジネスが疎遠なことも、まだ解消されていないように思う。会計に携わってきた者の端くれとして、昨今の時勢に鑑みても、改めて、気の引き締まる思いがした。

 

2014年2月 7日 (金曜日)

335.【番外編】タイ政府、コメ相場で大火傷?

2014/2/7

今日はいよいよソチ五輪の開幕だ。サッカーの放送枠が削られるのではないかと心配な面もあるが、ジャンプやフィギュア及びスピード・スケート、スノボなど、多くの種目で日本選手の活躍が期待されるのだから、贅沢な悩みといえる。しかし、自国の選手が1名しか参加しないタイは、冬季オリンピックで浮かれてなどいられない。みなさんもご存じのように、タクシン派・反タクシン派の政治闘争に収まる様子が見られない。

 

ところで、民主主義国であるタイで、民主主義の象徴である選挙をも否定する反タクシン派に、なぜこれほどのパワーがあるのか、即ち、一定の国民の支持や理解があるのか、みなさんは不思議に感じられなかっただろうか?

 

ニュースの解説では、タクシン派のバラマキ政策を巡る農民と都市中流層・知識層の対立などというが、その程度なら、時間はかかっても何度も選挙を繰返して議論を尽くして、政権交代を目指すべきだと思う。タイ国内でも、そう考える人が多いのではないか。しかし、国王も、軍も、警察も、裁判所も、選挙管理委員会でさえ、恐らく違法行為を繰返しているであろう反タクシン派に優しいように感じる。中東のように選挙を求めてデモをするのではなく、選挙を妨害するために政府機能をマヒさせているのだから。

 

そう思っていたところに、この違和感をちょっと解消できる記事が見つかったので、もし、みなさんが僕と同じような疑問をお持ちであれば、参考までに紹介させていただきたい。

 

裏目に出たタイ政府のコメ市場支配の企て-農民の借金かさむ2/6WSJ無料記事)

 

どうやらインラック政権は、コメの国際市場で勝負に挑み、国家財政に最大で120億ドル(1.2兆円)もの損失を与えることになったらしい。これを反タクシン派から見れば、ちょうど、売上1,000億円の上場企業が、財テクで100億円の損失を計上したようなものだろう。それで資金不足に陥り、恩恵を受けるはずの農民への支払も滞り、この記事にあるような悲劇が起こっている。例えれば、従業員への給料の遅配を来たしたようなものか。これでは、経営者は自ら辞めざるをえない。しかし、辞めない。

 

日本の規模に置き直して考えてみると、政府が投機行為で10兆円ほどの損失を出したことになる。ちょっと考えられない。比較になりそうな事例がないかと考えてみると、政府の投機行為ではないが、バブル期の不良債権処理のために、6,850億円の公的資金を投入する予算が成立したことがある。これは1996年(橋本内閣)だが、初めてこの問題の重要性を認識したのは1992年の宮澤政権で、その後、現在都知事選に立候補している細川氏、羽田氏、村山氏、橋本氏と4回総理大臣が変わった。リーマン・ショックのときの欧米の雰囲気がまだ記憶に新しいが、日本でもこの頃は、銀行や農協を助けるために公的資金を投入するなどとんでもない、という雰囲気だった。政府自身が投機行為をしたわけではないが、バブルに踊った銀行や農協を監督する立場にあった大蔵省や農林水産省、そして政治家への怒りも強く政権交代に繋がったし、この時期に多くのスキャンダルが暴かれ、社会的な糾弾を受けた。

 

反タクシン派が、「この巨額の損失の責任を取ろうとしないタクシン派に、どう責任を取らせるか」を考えているとすれば、タイのデモは、単なる国内利益配分の不満といったレベルの問題ではない。国家指導者の人間としての資質を問うているのだろう。普通はそれを選挙でやるわけだが、選挙では目的を果たせる見込みが薄いとなれば、閉塞感に苛まれる。

 

僕は、ようやく、反タクシン派やデモ隊に寛大な目を向けている人々の気持ち、即ち、国家財政に大損害を与えてなお居座ろうとする指導者を許せない人々の気持ちが、分かってきたような気がする。

 

=(参考)タイの経済統計=

           
 

名目GDP
   
2013

 
 

119,990億バーツ

 

= 4,009億ドル)

 

= 42兆円…105/$換算)

 
 

世界経済のネタ帳(タイのGDP

 
 

歳出総額

 

2013

 
 

 28,702億バーツ

 

= 10兆円…上記と同じレートで換算)

 
 

世界経済のネタ帳(タイの歳入、歳出)

 

 

2014年2月 6日 (木曜日)

334.【番外編】為替差益は天下の回り物

2014/2/6

昨日(2/5)の日経電子版を見ると、次のような見出しの記事がある。

 

経団連「賃上げで好循環つくる」 春季交渉スタート(無料記事)

 

僕が注目したのは次のところ。

 

経団連の米倉弘昌会長は会談の冒頭で「今年はまさにデフレ脱却と本格的な経済再生の大きなチャンスだ」と指摘。「企業業績の改善が投資の拡大、雇用の創出、賃金の引き上げにつながる経済の好循環をつくり出すよう努力する」と訴えた。

 

この「会談」とは経団連と連合の幹部会談、即ち、日本を代表する経営者団体と労働者団体の代表者同士の会談のことだ。「経営者が日本経済全体に配慮し、賃上げを検討する」ことは、デフレ環境下で久しく消滅していた考え方のような気がするが、それが労働者の代表の前で語られた。もしかしたら、本当にミッシング・リンク(missing link)が埋まり、日本経済に好循環が回復するか。この動きがどこまで広まるかは分からないが、とにかく、春闘に向かう雰囲気づくりとしてはとても良い感じがする。

 

しかし、月例賃金の底上げにこだわる連合側に対して、「月例賃金でも一時金でも、全体的に(総報酬が)上がればいい」と、米倉氏は記者団に語ったという。ここまで読んで、考え込んでしまった。う~ん、大丈夫だろうか。

 

日本の経営者は、この十数年で従業員の給料を下げる術を学んだのではないか(但し、賃下げなどの不利益変更には、手間がかかることも一緒に学んだかもしれない)。確かに、「給料には下方硬直性があって、いったん上げると下げられないから月例賃金の上昇を抑える」というのは、バブルが崩壊して以降もしばらくは常識だった。しかし、この十数年は違う。「経営状況に見合う賃下げは可能」が常識になった。ならば、「どうせ総報酬を増やすなら、より消費が刺激される方法で増そう」という発想にはならないだろうか。

 

一方で、もし労働者側にも、「いったん上げた月例賃金は、既得権益なので手放さない」という発想があるなら残念だ。僕は「毎月の給与が増えた方が安心して消費できそうだ」という“気分”はありえると思うので、連合がそれにこだわっているのなら目的に適合していると思う。逆に、一時金の方が消費に回りやすい事情があると考える労使があれば、賞与に反映するのもよいと思う。

 

ちなみに、労働経済学・計量経済学が専門の慶應義塾大学商学部の樋口美雄教授によると、一時金の方が貯蓄に回りやすいという(Economic & Social Research 2013年冬号P2の末尾…内閣府経済社会総合研究所発行)。即ち、月例賃金を上げる方が消費を刺激しやすいということが、実証分析などで明らかなのだろう(そこまでは書いてない)。

 

どちらも、「デフレから脱却して経済に好循環を回復する」という大目的で一致しているのだから、労使交渉もその確認から始めるのが良いと思う。経営者側も、労働者側も、狭い範囲の損得(賞与の方が引下げが楽とか、生活レベルを絶対落としたくないとか)から発想すると、反って全体のパイが広がらず、双方にとって長期的な良い結果に繋がらないように思う。

 

特に、アベノミックスに起因する為替差益や復興特別法人税の廃止分は、経営努力やイノベーションによる生産性の向上といった個別企業に帰属する成果とは異なる。外部経営環境からプレゼントされた、まさに「天下の回り物」のお金だ。もし、社内留保して溜めこんだらバチが当たる。社会の厳しい非難も覚悟した方が良いだろう。その代償として、輸入物価の上昇で食料品や電力に高い金を払っている消費者や、今後20年以上復興特別所得税を払い続ける納税者がいるのだから。法人税率引下げへの世論の賛同も、得にくくなるかもしれない。米倉氏の言われるとおり、投資の拡大や雇用・賃金、そして仕入先への支払いなどに“効果的に”活用してほしいと思う。

 

そして、4月に予定されている消費増税を日本経済が乗り切れるかどうかは、この企業の姿勢にかかっているぐらいの感覚・責任感であって欲しい。労使ともに。

2014年2月 5日 (水曜日)

333.【番外編】中国監査、何が起こってる?

2014/2/5

先月の23日といえば、中国の経済指標(製造業PMI)が悪化して、株価が大幅に下落した日だ。その陰に隠れて、僕には気になるニュースがあった。

 

米国の判事、会計大手4社の中国部門に業務停止命令1/23 WSJ有料記事)

 

米国SEC(証券取引委員会)の判事が、大手監査法人の4社(業界では Big4 と呼ばれている)に、それぞれの中国部門による米国上場企業の監査業務を半年間禁止する判決を下したという。理由は「一部顧客についての文書のSECへの提出を拒み、SECの調査への協力を拒むことで米国の法律に違反したから」だという。大手4法人とは、デロイト・トウシュ・トーマツ、KPMG、プライスウォーターハウスクーパーズ(PwC)、アーンスト・アンド・ヤング(EY)だ。

 

それらの監査が禁じられれば、米国に上場している中国企業、例えば、ネット検索最大手の百度(独立監査人:Ernst and Young Hua Ming)やポータルサイト運営大手の新浪(同:PricewaterhouseCoopers Zhong Tian CPAs Limited Company)は、監査を受けられなくなるかもしれない。さらに、中国で大規模に事業展開している米国企業にも影響があるはずだ。最悪の場合は、上場廃止もありえる。

 

それにしても、監査資料の提出を拒むといえば重罪だ。例えば、あの有名なエンロン事件では、当時大手5法人の一角だったアーサー・アンダーセンが、一部の監査調書を廃棄して提出しなかったとされて解散に追い込まれた。数万人の巨大組織が蒸発するように消滅した。Big4 は、いったいどうしてそんな危険なことをしたのだろうか?

 

昨日、続報が出て様子が少し分かった。

 

中国関係の監査業務を丸投げか―4大会計事務所の香港部門2/4 WSJ有料記事)

 

中国の法律では、監査調書は国家機密に当たるらしい。もしそれをSECに提出すると、多大な罰金を科される恐れがあるという。大手4法人の中国部門とは、それぞれの“中国支店”ではなく、各監査法人グループに加盟・提携している独立した中国の監査法人なので、米国のためにこのような罰金を科されるのは御免こうむりたいということなのだろう。それに、監査法人が違法行為を犯したとなれば、クライアントが離れていくのは確実だ。国営企業の多い中国では、特にリスクが大きいだろうと思う。

 

ちなみに、「丸投げ」と印象の悪い見出しになっているが、監査の一部を現地の海外監査法人に依頼することは、普通に行われている。これを如何にスムーズに行うか、シームレスに行うかが、監査法人の国際的な組織化、即ち、Big4 誕生・成長の大きな動機になっている。

 

また、それによってメインの監査人の責任が限定されることはない。国際監査基準にも依頼先の現地監査人の能力を評価する手続、監査結果を評価する手続などが規定されていて、4大法人の監査マニュアルも、それに沿って、それ以上の成果が上げられるよう規定されているはずだ(同じ監査法人グループに所属している現地監査人にも適用される)。したがって、メインの監査人は、監査計画を策定し、中国の現地監査人へ重点項目などを含めた具体的な指示をするだけでなく、その監査調書をレビューしたり、自ら往査して監査結果や品質を評価していると思う。

 

そうすると、それが機密漏えいに当たらないのか気になるところだ。監査調書が国家機密だというなら、それをレビューするメインの監査人(外国人)は、国家機密を不当に盗み取ったとして中国当局のお尋ね者にならないだろうか。スパイとなれば、罰金だけで済むだろうか?

 

それとも、そうなることを避けるために、メインの監査人は現地監査人の監査調書レビューをやっていなかったのだろうか。そして、その状況を「丸投げ」と表現したのだろうか。それが重要であれば、監査報告書に監査範囲の除外事項として開示する必要があるし、予め普通の意見表明ができないと分かっていれば、現地監査人への業務依頼を含むような監査契約は締結しないことになる。(しかし、そんな話は聞いたことがない。)

 

まだまだ謎は深いが、この業務禁止の判決は控訴が認められており、確定するまでは業務を継続できるらしいので、今後も続報があり、徐々に明らかになるかもしれない。

 

いずれにしても、企業の監査資料が国家機密になるというのは、国有企業を中心に経済発展してきた中国らしい発想だ。しかし、国際的に資金調達するのなら、国際的なルールにも従う必要がある。共通インフラとしての監査環境もそろえてもらった方が良い。

 

 

参考までに、関連するロイターの記事も紹介する(無料)。

 

米国市場上場の中国銘柄が急落、会計の透明性めぐる懸念嫌気1/24

米会計事務所の中国業務禁止、商業会議所が外交解決求める1/24

中国証監会、米会計事務所めぐるSECの禁止決定に「大変遺憾」1/24

2014年2月 4日 (火曜日)

332.DP-CF27)会計上の不確実性~残り物には不確実性が一杯

2014/2/4

今年に入って、株価や円相場などの冴えない経済ニュースが多い中で、生命科学分野では拍手喝さいの大ニュースが駆け巡っている。理化学研究所の小保方(おぼかた)晴子氏の「STAP(スタップ)細胞」だ。なんでも、『受精卵から、いったん筋肉や血液などの細胞に分化すれば、外部からの刺激では元に戻らないという「生物学の定説」を覆した』のだそうで、『STAP細胞は、皮膚などの細胞に人工的に遺伝子を入れて作るiPS細胞と違い、外からの刺激だけで細胞を受精卵のような初期状態に戻せる』という。また別の研究者は、「ダイレクト・リプログラミング」という方法で、『人の皮膚細胞に遺伝子を入れ、万能細胞を経ずに直接、軟骨細胞に変えることに成功した』という。(以上 ITmediaニュース2/3 人によってはID登録が必要かもしれない。)

 

この他、「癌細胞を正常な細胞に戻す方法を発見」と鳥取大学が発表した。これも画期的だ。(マイナビニュース1/28 広告が出たら右上のスキップ・ボタンをクリック。)

 

もしかしたら本当に、人間は病気や怪我では死ななくなるかもしれない。「どうせ死ぬことはない」と思えば、もっと色々リスクを取れるようになって、“不確実性”に対するイメージも変わってくるかもしれない。しかし、それでも空腹で死ぬことはありえる。やはり経済は重要であり続けるに違いない。

 

ということで、このブログは今回も会計上の不確実性、特に、期間帰属(Cut off)の観点から、のれんという資産の特徴を考えていきたい。

 

 

過去か、将来か。この区別は、会計にとって重要だ。315.CF DP-16)会計上の不確実性~現在、過去、未来(2013/11/29の記事)」では、会計に「過去に拘ってばかりいる後ろ向きな」イメージがあるが、その目指すところは「将来への意思決定に役立つ」ものであることを記載した。では、どうやったらそういう会計になれるのだろうか。

 

僕は、少なくとも、次の2点が必要だと思う(必要条件)。

 

①.基準時点がはっきりしていること

②.その時点の状況がすべて織り込まれていること(もちろん、重要性がない事象は除く)

 

なお、十分条件とするには、「意思決定事項に関係する将来の見込み情報」が必要だが、これは、非財務情報であり、後発事象の注記などの例外を除き、財務会計の対象にならない。後発事象などの決算日以降の情報も、報告日より前に確定した事実に過ぎず、利用者の「意思決定事項に関係する見込み情報」ではない。そこで上記の記事では、このような非財務情報と財務情報の関係を深掘りすれば、もっと意思決定に役立つ開示資料のアイディアが出てくるのではないかと主張した。しかし、今回は、その続きではない。これについてはもう少し時間を頂きたい。

 

これらのうち、①は決算日を見ればよいので明らかだが、みなさんもご認識の通り、②には難しいケースがある。この②のうち、簡単なケースの例は、大量生産品を顧客に販売しているメーカーの売上だ。「顧客への受渡し(或いは、発送)が決算日までに行われたかどうか」で判断できる。では、過去と将来の区別が難しいケースとは・・・

 

 A.収益認識の進行基準や減価償却のような収益・費用金額の期間配分 

 B.見積りが必要となる公正価値の算定

 C.減損会計の使用価値、貸倒引当金のような見積り

 D.のれんの評価(取得時の評価)

 

これらを見て、「難しいのは分かるが、なぜこれが過去と将来の区分に関係するのか?」と思われた方がいらっしゃるかもしれない。一方、「これらは将来要素を見込まなければならないので難しい」と直感された方もいらっしゃるだろう。

 

しかし、後者の方でもDを見て、「支出額(と時価ベースの純資産の差額)を計上すればよいのに、なぜ取得時の評価が難しいのか?」と感じられた方は少くないと思う。確かに、制度上は(日本基準でもIFRSでも)そうなのだが、ちょっと考えると、のれんの評価は、実際には(難しくて)避けられていることが分かる。

 

概要を書くと、のれんの取得価額を決めるときは、M&Aに支出した金額から時価ベースの純資産を控除するが、時価ベースの純資産は、取得する資産・負債を個別に時価評価し積上げる。この過程で、該当すれば、A~Cの手続はすべて行われるものの、Dの、のれんの価値を直接評価することはしない。一番難しいので差引計算で、のれんを評価している。つまり、残り物をのれんの取得価額と見做している。

 

何故難しいのか。それは前回(1/30の記事)も書いたように、将来要素を他の項目に比べて大量に含んでいるからであり、将来要素は不確実性の素だ。したがって、この計算プロセスから「のれんは不確実性が最も高い資産」と、一応、言えそうだ。

 

しかし、だからといって、「不確実性が高いから資産計上しない(=費用処理)」が適切とは限らない。もしそう決めていたら、大型のM&Aは、非常に採用が困難な経営手法になってしまう。だが、実際には、大型のM&Aが成功している例も多い。会計は適切な意思決定を行いやすくするための技術なので、そういう事実を受け止める必要がある。

 

そういえば、生命科学分野では、こんな記事もある。

 

DNA鑑定してもらうべき!? 幸せな結婚と遺伝子の関連性が明らかに(マイナビニュース1/31

 

しかし、恐らく現実に好き同士になってしまえば、遺伝子に関係なく結婚してしまうカップルも多いのではないか。それが資産になるのか、負債を背負込む破目になるのかは二人の努力次第だし、それも人生だし後日測定すればよい・・・と考えて。それとも、遺伝子を理由に止めるだろうか。

 

企業買収のときの経営者は、例えば直前に聞いていたより相当高額でも購入するなど、必ずしも後者とは限らず前者のように見えることがある。しかも、それで失敗するとは限らない。(もちろん、失敗もする。)

 

不確実性が最も高いけど、のれんは(とりあえず)資産計上する。

 

ん~、こうなると益々、現状の実務は「資産の定義や認識規準から、不確実性への言及を削除する」というIASBの主張が、既に反映されているような気がする。「のれんを償却するか、非償却にするか」という問題は、測定の問題だから、測定規準として扱えばよいことだし・・・。う~む・・・

 

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