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2014年4月

2014年4月29日 (火曜日)

360.CF-DP45)純損益と OCI ~昭和の日にスタート

2014/4/29

今日は“昭和の日”。2007 年(平成 19 年)より“みどりの日”が 5/4 に移動し、4/29 は祝日のまま、名称が変わった。祝日法には『激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす』と書いてある(内閣府HP)が、この“復興”とは“戦争の焼け野原からの”という趣旨だろう。確かに、僕のように戦争を直接知らない世代は、言われないと昭和を“戦争と復興の時代”とイメージすることは難しい。むしろ最後の頃の“お立ち台で扇子を振るワンレン・ボディコン女子”の印象が強烈で、“昭和=バブル時代”が先に浮かぶ。

 

考えてみると、昭和と戦争を自然に結びつけてイメージできるのは、戦前・戦後の混乱期を体験している高齢の方々か、昭和を先入観なく教科書で習った若い世代だ。ということは、“昭和の日”は我々のようなその間の世代のためにあるのかもしれない。

 

とはいえ、(我々の頃もそうだったが)学校では近代史を教えないという。中国や韓国は教科書の記述を問題にするが、そもそも、何が書いてあろうが生徒は知らなかったりする。中国や韓国が外交問題にするので、ニュースとして知る生徒の方が多いのではないか。しかし、これは正常ではない。こんな国の一大事をちゃんと習わないなんて。

 

何故学校では教えないのか。

 

僕らの頃は、「時間がないから」とか「入試に出ないから」などと先生が言い訳していたのを覚えている。教えようにも「定説がない」、だから「入学試験にも出ない」、「(試験に出る)もっと前の時代に時間をかける」ということかもしれない。

 

僕は田原総一朗氏を尊敬している。そして氏は、しばしば「日本は戦争の総括をしてない」と言われる。しかし、これに関しては、僕はピーンとこない。“総括”の意味が分からないのだ(“総括”というと、昭和 40 年代の過激派の内ゲバ事件が先に頭に浮かんでしまう)。「どうすれば“総括”になるの?」と思っていた。しかし、近代史を学校で教えない理由を考えていたら、どうやら「総括してない=定説がない」、「総括しないと定説が生まれない」ということではないかと気が付いた。

 

となると、“定説”を作れるようにしなければならない。しかし、「“戦争の定説”ってどいういうこと?」とまた疑問が浮かんでくる。「戦争を定義すれば良いのか?」と思った時に、ハタと閃いた。「自衛戦争と侵略戦争の線引きができればよいのではないか」、「明治以降の戦争を分析して自衛と侵略に分け、今後その一線を超えないための教訓にできるといいなあ」と。

 

そういえば、最近話題の“集団的自衛権”の議論が、いまいち噛み合わないのも、「やってはいけない侵略戦争とは何か」、「自衛と認められるのはどこまでか」が明確でないことに原因があるように思う。ん~、しかし、グレーゾーンが広すぎて、そんな線引きはできない、或いは、やっても意味がないだろうか。

 

 

そろそろ、みなさんは不安を感じられていると思う。「純利益とその他の包括利益Other Comprehensive Income 以下 OCI と記載)の話はどうなっているのか」と。「また、悪い癖が出たか」と。

 

そうそう、今回から“純利益と OCI”という新しいシリーズだ。確かに“侵略戦争と自衛戦争”とは全く関係がない。強いて共通点を挙げれば、「1つのものを2つに区切ることが問題」というところか。

 

 

このディスカッション・ペーパー「財務報告に関する概念フレームワークの見直し」では、この区切り方について3つの考え方が提示されているが、ASBJの webcast を聴くと、現在IASBではまったく異なる切り口の議論がされているようだ。要するにまだ混沌状態といって良いと思う。

 

1つものを2つに区切ることは想像以上に難しい。即ち、損益或いは利益を、純利益と OCI に区分するのは難しい。ところが良く考えてみると、難しいのは“純利益”の定義だ。OCI は“その他”即ち“純利益以外の損益”なのだから、純利益を決めれば OCI も決まる。しかし、ASBJは実に面白い、全く異なる発想の提案をIASBに対して行っている。

 

みなさんは、意外に思われるかもしれない。今まで散々使い古してきたはずの“純利益”を決められないなんて、そんなことがあるのかと。いままで業績を表すとされていた“純利益”とはなんだったのか? そもそも、“純利益”を計算することが会計の目的ではなかったのかと。それが混沌としているなんて・・・。

 

これは、単なるP/Lの表示区分の問題に納まらない、意外に根深い、奥深い問題だ。経営者の通信簿の在り方についての考え方や、会計リテラシーの違いともいうべき根本問題が横たわっているように思う。

 

このブログでは、淡々と、ディスカッション・ペーパーの考え方の紹介、ASBJの webcast から、ASBJ案や(IASBで関心を持たれている)その他の案の紹介をしていこうと思う。但し、その前に、なぜ純利益と OCI の区分が問題なのか、どうしてこの問題が生じたか、というところから始めたい。それは次回から。

 

 

会計については、ロンドンに本拠地を置く国際組織のIASBで議論が始まった。戦争についても国際組織を置いて“定説”を追求できないか。もちろん、本拠地は日本に置いて、まずは日本の近代史を材料にして。日中韓だけでなく、もっと広く人材を集めて「国を守る」ことの意味を深められたら、世界と日本の未来に大きな貢献ができるように思う。もっとも、「そんなことは他人(外国人)に決められるものではなく、日本人が自分で決めるものだ」と怒られそうな気もするが、それが未だにできないのだからしょうがない。誰かこの組織にお金を出してくれる日本人の大富豪がいると良いのだけど。ん~、日本に大富豪なんていないか?

 

復興要素がないので“昭和の日”の趣旨には合わないが、そんなことを夢想した。

2014年4月24日 (木曜日)

359.【番外編】民主主義と市場経済の価値観

2014/4/24

昨日、オバマ大統領が羽田に到着した。今日は首脳会談、その後共同声明が発表されるそうだ。ところで米国など欧米先進国や韓国・台湾などを対象に、“価値観を共有する関係”と表現されることがある。この価値観とは、“民主主義と市場経済”を指すらしい。「“民主主義と市場経済”は社会の根幹である」という同じ価値観を共有する国同士。人も国も、価値観が同じだと付き合いやすい。しかし、この“民主主義と市場経済”は、国によって色々異なることがある。

 

例えば、一昨日(4/22)のクローズアップ現代「“独立”する富裕層 ~アメリカ 深まる社会の分断~」には考えさせられた。米国では富裕層が起案して中間層を巻き込み、住民投票で自治体の一部地域を独立させ、理想の公共サービスを備えた街(=徹底的な民営化で、納税者からみて費用対効果が高い)を作る動きが広がっているという。一方、取残された古い自治体の公共サービスは、元々富裕層が不満を溜めていた程度でしかなかったのに、税収が減るため、さらに縮小を余儀なくされるという。その結果、新しい自治体と古い自治体の間には、例えば、治安状態に大きな格差が生じるなど見えないが壁ができ、以前は一つだった社会が分断される・・・そんな内容だった。

 

ところが、僕はちょっと違うところに興味を持った。日本との“民主主義と市場経済”の差だ。

 

住民の意思で“市”を作ることができる。なるほど、考えてみればこれが公的部門の成り立ちであり、民主主義の基本かもしれない。選挙で首長を選択することまでは、日本でも当然に行われている。しかし、それでも希望が実現しない場合は自分たちで新しい“市”を作ってしまう。税金の使われ方が気に入らなければ、一から自分たちで“市”を作り直してしまうことができる。米国の制度は、究極の民主主義だ。

 

そして、これを可能にしているのは発達した市場経済だ。公共サービスを代替できるようなサービスの民間供給者が存在しなければ、このような新しい“市”は作れない。また、新しい“市”と古い“市”が、競争し合う関係になるのも市場経済的だ。番組にはそういう視点はなかったが、切磋琢磨し合えるのであれば、長期的には双方の住民にメリットが生まれる可能性がある。日本では規制緩和の遅れもあり、なかなか難しいだろう。

 

しかし、一番感心したのは、上記の何れでもない。それは、こういう効率性の高い自治体の設計・構築・運営を行える人がいることだ。そして、住民がその人ならできると信じて任せることも。果たして、日本にはこういうことができる人がいるだろうか? そして、もし、できると主張する人がいたとしても、その人に任すだろうか?

 

もしかしたら、日本にも理想の設計図のアイディアを持っている学者・研究者がいるかもしれない。政治家がそういう人と組んで選挙に勝ち残れば、その研究者は自分のアイディアを実現する場が与えられる。しかし、部分的な、一部の問題についてそのような形を取ることはあっても、この米国の例のように自治体の在り様、根本にまで踏み込むようなケースがあるだろうか?

 

あっ! あった。橋下徹氏の“大阪都構想”だ。

といっても、内容は相当違うが・・・。

 

この番組の例は、消防と警察以外はすべて民間委託し、裁判官さえ常勤者がおらず、必要に応じて期間契約するという。市役所の公務員は数人しかいない。徹底的な民営化でコストカットする、非常にドラスティックな内容だ。一方“大阪都構想”は、大阪府と大阪市の機能の重複を解消し、両者の摩擦で空回りしていた行政を機能させようというものと僕は理解している。この番組の例が、ロボットの手足や動力機構を目的に合わせて高性能なものに取り換える改革とすれば、“大阪都構想”は人間の病気治療に近い。しかし、“大阪都構想”も大改革であることは変わりなく、日本に於いては壮大な実験といえる。

 

ロボットの機能アップと、病気治療による回復。機能が落ちたものは簡単に捨てて新しいものへ取替えるドライだがイノベーティブな米国と、本来、住民のために存在する道具でしかない自治体を後生大事に治療までしようという優しい日本。同じ“民主主義と市場経済”ではあっても、その使い方には大きな違いがある。どちらが良いと、単純に決められない。きっと、お互いに学ぶところが多いのではないだろうか。

 

ちなみにTPPについては、日本の方に学ぶべき点が多いと思う。関税については自動車と農業5品目が問題になっているらしいが、日本経済の屋台骨を支える自動車と、全体でもGDPが数兆に過ぎない農業を天秤にかけても釣り合いが取れない。その農業については、関税で守るより、規制緩和で競争力を高められるよう農業従事者をサポートする戦略・戦術を考えた方が良いと思う。

2014年4月22日 (火曜日)

358.CF-DP44)会計上の不確実性~まとめ

2014/4/22

「売却可能なノウハウや研究、データ」の公正価値については、3/28 の記事から始まった。だが、そもそもこの公正価値シリーズは、自己創設無形資産の資産性に関する検討の一部として 2/27 の記事 から始まったもので、さらに言えば、会計上の不確実性を考える一部であった。この会計上の不確実性をテーマに据えたのは、もう遙か以前、昨年のことだ(2013/10/31 の記事)。

 

なんて、自由なんだろう。

 

みなさんは、“ん?”って感じだろう。しかし、僕は自由を満喫している。これが監査であれば、自分の興味であちこちつまみ食いはできない。みなさんの仕事や勉強と同じだ。いやいや、つまみ食いどころではない、それぞれ時間をかけてしっかり食べてしまった。相当メタボになっている。これが監査であれば、予算制約、時間制約があるので、自分の担当範囲の監査調書を仕上げるために、自分の興味を抑制しなければならない。こんなメタボなことをしていたら、監査先から監査契約を打ち切られてしまう。ところが、今、僕にはそういう制約がない。

 

しかし、それに付き合わされるみなさんは大変だろう。「ひとつひとつ、ケリを付けてくれ!」とおっしゃるに違いない。もっと遡る『296.CF DP'13】「概念フレームワークのディスカッション・ペーパー」シリーズ開始』(2013/10/7)以来、“ケリ”らしい“ケリ”を付けることができていないのだから。(こんな昔の記事、もう、覚えている人もいないか・・・。)

 

こんな書き出しになったのは、今回、久々に「売却可能なノウハウや研究、データ」をまとめ、ケリを付けようと思うからだ。いや、そればかりではない。上述の通り、昨年 10/31 に不確実性をテーマに据えたが、そこまで遡ったまとめができそうな気がする。そのために、ちょっとここまでの流れを振返ってみよう。・・・と思ったが、「そんなまどろっこしいことは止めて、早く結論を述べよ!」、そんなみなさんの声が聞こえたような気がしたので、そうさせていただく。

 

1.IASBは、B/SやP/Lから不確実性を追い出そうとしている?

 

2.追い出された不確実性のリスクは、注記からもはみ出す?

 

3.結局、リスクは経営者・投資家が負う?(適正表示の枠組みなら監査人も同様だろう。)

 

ん~、こんな疑問形ではまだ結論になどとすることはできない。結論は、次の通りだ。

 

不確実性は“会計”が直面する大問題だが、“会計規準”にとってはほんの脇役、端役程度でしかない。よって、不確実性の程度・リスクの評価については、会計規準に頼らず、経営で解決してくれ! by IASB.

 

ということではないかと思う。日本基準では債権評価、非上場株式の評価など、会計基準が不確実性の程度やリスクの評価方法を示してくれている。果たしてこのIASBの姿勢は良いことか、悪いことか。少なくとも、僕は突き放されたような気がしてかなりショックだ。

 

 

IASBは、概念フレームワークの資産等の定義、認識規準から不確実性の記述を削除し、個別のIFRSの測定規準でのみ扱うようにしたいと提案している。ところが個別のIFRSでは、従来から、不確実性を設例に与件の確率として記すなどという軽い扱いであり、個別規準で直接的・積極的に扱う様子はあまり見られない。恐らく、個別のIFRSでは「不確実性やリスクを考慮せよ」というだけで、どうやって、とか、どの程度といった具体的な記載、こうやったらいいというような具体的な手順は、今後も示されないのではないだろうか。

 

それが意味するところは、経済実態を判断する責任は経営者にあるということだ。もっと言えば、経済実態を判断できるのは、唯一、経営者であるということだろう。(或いは、銀行業のように他の基準 (=BIS基準 ) があるので、重複を避けるという意味もあるかもしれない。現行では重複しているが、今後、IFRSの方が退いていくのではないか。)

 

では、経営者が判断したら、すべて認められるのか。IASBは性善説か?

 

恐らく違う。IFRSとしては“目的適合性”と“忠実な表現”という2つ基本的特性を定めれば足り、それ以上会計規準で扱う必要はないと考えているのだろう。会計規準よりは、監査制度や、日本でいえば金融商品取引法の経営者の情報開示責任の問題、会社法の善管注意義務とか民法の不法行為責任の問題、或いは、投資家が経営者を見る目を肥やすことで軽減できる問題と考えているのではないだろうか。

 

一方、経営者に対しては、日頃から不確実性を定量的に扱うよう暗に期待しているのではないか(或いは、欧米企業の経営手法は、既にそうなっているのかも)。決算時の経理処理だけで、即ち、経理部の能力だけで、こんな高等技術が磨かれ、高い目標が達成されるとは思えない。日常の経営の中に不確実性の評価を客観的に行う思考・仕組みを明示的に仕込まないと、IASBが期待するような精度で不確実性を定量化できないのではないだろうか。

 

将来の目標と現実とのギャップに不確実性が存在する。その不確実性をひとつひとつ識別し、固定化していく作業は経営そのものだから、不確実性を評価し、コントロールする能力・技術を磨くことは経営能力の向上に資することになる。これは意外と経営にポジティブな影響があるかもしれない。

 

ただ、すべての不確実性をコントロールするわけではない。そこには自ずと優先順位が求められ、優先順位を決めるために重要性の判断が行われる。そう、不確実性の評価には、重要性の判断がつきものだ。重要な課題は対処されるが、重要でないものは無視される。会計規準に関係なく保守主義があるように、IASBがすべての資産・負債を計上せよと規定しても、その前に企業が重要性の判断を行う。なぜなら、会計以前に不確実性の定量化に重要性の判断が不可欠だから。

 

不確実性とリスクは、表裏一体だ。だから、不確実性の定量化とは、リスク管理の一部だ。

 

日本の内部統制報告書制度には“リスク・アプローチ”が採用されたが、この“リスク”はちょっと焦点が違う。本来経営にとっては、将来の不確実性に対応する体制を向上させることこそが重要であったはず。即ち、“リスク評価と対応”こそが、直接的に最も重要な内部統制であり、これが会計上の見積りの精度にも大きく、強く影響する。しかし、“制度”では会計上の不正防止や間違い探しに焦点が当てられた。それはそれで重要だが、内部統制報告書制度の実践の中でそれが強調され過ぎたきらいがある。そのため折角の機会だったのに、本来の意味でのリスク管理の重要性が正しく認識されなかったかもしれない。

 

また、日本の内部統制報告書制度では、損失に対するリスク管理しか制度の対象に含めていない(実施基準は「組織目標の達成を阻害する要因」をリスクと定義している)が、それでは公正価値測定の内部統制が対象から漏れてしまう可能性がある。公正価値測定では利益が発生することもある。例えば、M&Aで取得するのれんや無形資産等の価値が正しいかどうかは、損失に対するリスク管理の内部統制だけでは保証できない。M&A時点ではまだ存在しない、買収会社と被買収会社の協働により実現が期待されるシナジー効果による将来収益の見積りが根拠になるからだ。前回まで見てきたような研究プロジェクトも、将来収益の見積りが公正価値測定の対象となる。これは利益管理の範疇だ。

 

とはいえ、企業は“制度対応”も重要だが、それ以前に経営の高度化を絶えず進めていく必要がある。制度とは関係なく、重要なものは重要として、独自の改革が求められる。IASBは、明示的に何も求めてはいないものの、そこに含まれる意味を、(IASBが意図するとかしないとかに関係なく)企業が汲み取っていくことが重要だと思う。僕は、そういう意味で、不確実性を会計規準の主役から脇役・端役へ引きずり下ろそうとする概念フレームワークのディスカッション・ペーパーの提案は、「企業のリスク管理を強化せよ」というメッセージだと理解した。このディスカッション・ペーパーによる提案が通れば、不確実性と重要性は、会計規準では軽く扱われるようになるが、企業経営にとっては相変わらず主役であり続ける。

 

ところで、従来、財務諸表の本表で表現できないリスクの開示は注記で行われてきたから、今後も注記でより詳細に開示することになるか?

 

どうやら、そういう方向ではないようだ。というのは、(ご存じの方も多いと思うが)IFRSは注記が多過ぎると財務諸表作成者などの関係者に注文を付けられているからだ。このディスカッション・ペーパーでも、「注記の重要性は作成者である企業が判断し、企業が注記を省略できる」という提案がなされている。日本基準では一部業種しか該当せず、それほど大きな扱いではない“リスク感応度の分析”の注記も、IFRSでは一般的な規定となっており、すこぶる評判が低いらしい。

 

従来、作成者側から見て「リスクは開示することで解除される」とされ、なかにはどうでもよいようなものまで開示してきた。有価証券報告書のリスク情報などは良い例だ。しかし、これは過去のものになりつつあるのかもしれない。むしろ、「量ばかりたくさんの書き過ぎはダメ」、「重要なものだけ書く」という雰囲気のようだ。IFRSでは今後、企業は、「自己の事業にとって本当に重要なものだけを分かりやすく書く」という基本に立ち戻ることが求められるようになると思う。恐らくIFRSにおける注記の量は減っていくが、何を書くかを選択する権利を与えられる企業の責任は減らないということだ。

 

 

さて、これで、このディスカッション・ペーパーの“不確実性”については、一応の締めとしたい。「自己創設のれんはなぜ資産計上しないか」といったテーマには、重要なのに整理がついていないが、それはまた追々検討させていただく、ということで勘弁願いたい。実は、このブログの累計アクセス数が、本日(4/22)、十万を超える見込みだ。それをきっかけに、実にキレの悪かった“不確実性”とそろそろお別れをし、次のテーマに進みたいと思っている。

 

ここで再び、みなさんは“ん?”かもしれない。この画面の右肩にアクセス・カウンターがあるが、まだ十万にはちょっと遠い。

 

実は、この表示は間違っていて、ココログのサポートに対応をお願いしているところだ。この数日間、日付が変わるたびにアクセス・カウンターがリセットされ「99001」に戻ってしまってるらしい。しかし、手元の集計では 4/21 24:00 現在、累計アクセス数が「99,969」となっている。あとわずかで十万だ。ということで、本日アクセスされるどなたかが、十万番目のアクセス者になる。

 

358 本の記事に十万アクセスということは、各記事に均して、数百のアクセスがあったことになる。もちろん、間違って来てしまった方もいるので、すべての方が記事を読んでいるわけではないが、それにしても、こんな自由な、勝手気ままなブログにこれだけアクセスがあったとは驚きだ。

 

アクセスしていただけると励みになる。みなさんに感謝したい。これがテーマ・パークなら、十万番目の方には記念品でも差し上げるところだが、残念ながら、僕にはそれが誰なのか分からない。その代り、これからもアクセスしていただけるよう、みなさんの興味を惹く記事を書く努力を続けると、お約束申し上げる。

 

2014年4月15日 (火曜日)

357.DP-CF43)公正価値:売却可能なノウハウや研究、データ~STAP細胞研究の測定(4)公正価値の推移

2014/4/15

このシリーズの前回は 4/4 の記事で、冒頭に「このところ、“円安株高”傾向が復活してきた。」と書いた。しかし、その直後に"円高株安”に転じ、昨日までに日経平均が 1,054 円も下落しているから驚きだ。3月決算会社のなかには、これが4月で良かったと胸をなでおろしているところもあるだろう。市場価格というのはこれほど変動が大きい。この期間、それほど日本経済に大きな影響を与えるようなニュースもなかったと思うのだが・・・。

 

公正価値はこんな不安定な市場価格をベースにしているので、不安を覚える方も多いだろう。しかし、それでも将来キャッシュフローの流入を測定するうえで、他に説得力のある価格がないのだから、IFRSや他の会計規準が公正価値を捨てることはないだろうと思う。(これについて興味のある方は 2013/6/2 の記事の後半をご参照ください。)

 

むしろ期待すべきは市場参加者の熟成か。市場価格は市場参加者によって決められるので、価格が不安定なのは市場参加者の力量の反映ともいえる。市場参加者の判断にブレがなくなれば価格も安定する。しかし、市場価格の変動が激しければ激しいほど喜ぶ悪趣味な市場参加者もいるので、これも期待薄かもしれない。

 

この観点から見ると、市場価格からワン・クッション会計上の見積りが介在する“見積られる公正価値”というのは、B/S計上額として意外と良い価格になるかもしれない。特に非金融商品資産について、“最有効使用が見込める市場参加者の評価”という仮定は、特定の状況を除き、実際の市場価格より安定的な価格をサポートすると思う。恣意性を排除しなければならないので、なるべく市場価格要素を優先してインプットに使う必要があるが、この仮定が過度な変動を緩和してくれることが多くなると思う。

 

さて、今回はいよいよ、研究プロジェクトについて、時の経過とともに(見積られる)公正価値がどのように変化していくかを考えていきたい。一応、公正価値の教育文書もざっと見たが、あまり参考になる記述はなく、僕の勝手な憶測を書くので、その点はご容赦願いたい。

 

予め僕の感想を書くと、研究プロジェクトがプラスの公正価値を持つには、かなり、不確実性が軽減されなければならないだろうということ、そして、そこ(=不確実性の大きさの判断)にいわゆる保守主義が働く余地があるということだ。IFRSでは概念フレームワークから保守主義が削除されたが、不確実性を考慮する段階では、IFRSなど会計規準とは無関係に、経営上当然に必要なレベルで、それを働かせるべきだ。(詳しくは 2012/9/4 の記事をご覧ください。)

 

 

では、STAP 細胞の研究を念頭に、研究が進むごとに公正価値の大きさがどのように変化するか考えてみよう。なお、公正価値測定の対象となるネットの将来キャッシュ・インフローについては、このシリーズの前回記載したちょっと特別な仮定(=理研の支出を埋没原価と見做す)を置いている。

 

 仮説を実験等で検証する期間、試行錯誤の期間

 

STAP 細胞の研究が成果をあげれば、容易に万能細胞を得られるようになる。これは iPS 細胞の研究に勝るとも劣らないほど再生医療に大きなインパクトを与える可能性がありそうだ。iPS 細胞の山中伸弥教授によれば、細胞をリセットして万能細胞に戻すのに必要な4つの遺伝子を特定した iPS 細胞の研究と、特定の刺激でリセットした STAP 細胞の研究は、お互い相乗効果が狙えるという(YAHOOニュース 2/16)。

 

しかし、このように、社会的なインパクトが大きい革新的な研究は、常識外れの研究であり、常識外れということは、有意義な成果が得られない可能性(=不確実性)も高い。結局、いろいろ将来の経済的便益の流入が期待されても、それを不確実性の高さが打消すので、公正価値はゼロになるのではないか。

 

小保方さんの協力者であった山梨大学の若山照彦教授は、この研究のことを「誰もがあり得ないと思うことにチャレンジ」(2/3 読売新聞の記事)と表現している。また、この読売新聞の記事には、若山教授が最後まで「できっこない」と思っていたことが記載されている。(みなさんは「後にいち早く論文の撤回を呼びかけた人」と、若山教授を記憶されているかもしれない。) STAP 細胞の研究の常識外れの度合いが見て取れる。革新的な研究とはこういうものなのだろうと思う。

 

とはいえ、もしかしたら、この段階でも個別の補助金や共同研究の申入れといった形で、経済便益の流入が確実に見込まれるようなケースがあるかもしれない。そういうものは、将来の研究の成否に関係なくもらえるものであれば、測定の対象となると思う。したがって、この段階でも公正価値がプラスとなっていた可能性はある。但し、STAP 細胞の研究については、そういう可能性は低いと思う。Wikipedia の記事によれば、留学先のハーバード大学では小保方さんに協力する人さえなかなか見つからなかったらしいから、補助金や共同研究の申入れの可能性は極めて低いだろう。

 

したがって、会計実務としては、即ち、決算作業としては、この段階で社会的なインパクトの大きさから予想される期待便益を見積ることさえ必要なさそうだ。但し、理研の経営としては、この段階でも社会的インパクト大きさを把握することは重要だろう。即ち、(不確実性を反映した割引率による)割引前の将来キャッシュフローの大きさを、経営として試算しておく価値があるだろうと思う。

 

 主な実験がほぼ終了し、「あとは論文にまとめるだけ」の期間

 

基本的には上記の期間と一緒だが、主な実験が終了し研究の成果が見えているので、その分、研究の不確実性が減っている。するとその分、公正価値がプラスになる可能性がある。計算的には、不確実性が減った分、割引率が低くなるイメージ。

 

しかし、実際にはここからのまとめ作業で新たな課題が見つかったり、実験の追加が必要となったりすると思うので、恐らくそれほど割引率は低下させられないのではないか。STAP 細胞の研究も、2011年の年末の段階で初めて万能細胞の作成に成功したという(前出の若山教授の記事による。この記事の頃はまだ疑惑が発覚する前)が、この段階では、まだプラスの評価はできなかっただろう。そこから、どんな刺激が成功の条件になるか具体的に特定する必要があったし、その過程で実験にミスが見つかって結果がひっくり返る可能性も相当高かったと思う。

 

事実、2011年の年末から2014年まで論文が公表されなかったというのは、その間にも様々な課題に対処していたからだと思う。(小保方さんは他の仕事も担当していて、そちらが忙しかったという理由かもしれない。だが、そうだとすると、理研経営者や小保方さんの上司のプライオリティの付け方や管理能力が疑われる。)

 

また、STAP 細胞のように本当に常識外れの研究は、競争相手が乏しかったかもしれないが、通常は同じ研究を競っている外部の研究者がいるはずだ。誰が早く成果を出すかで、期待される経済的便益は変わってくるに違いない。そういう意味でも、この時点では、割引率を小さくしにくいだろう。

 

このように考えると、やはりこの段階の初期においては、割引率が十分に低下しておらず、公正価値はプラスにならなかったのではないか。では、いつごろプラスに転じるか。

 

 論文公表時

 

今回の小保方さんの会見で分かったのは、小保方さんは、理研がSTAP 細胞の研究の関連特許を押さえられるようにするためか、或いは、自身の研究者としてのポジションを確保するためか、詳細な STAP 細胞作製条件(“コツ”とか“レシピ”とか言われているもの)の公表を避けていることだ。逆にいえば、論文の公表はこの研究の一里塚に過ぎず、まだ、ゴールではない。関連特許を取得したり、次のステップの研究プロジェクトへつなげることが、この研究のゴールなのかもしれない。

 

僕は会見以前は、他の研究者によって追試され、小保方さんの論文が正しいと外部に認められることがゴールと思っていた。したがって、この時点で残るリスクは次のものだけと思っていた。

 

・外部の研究者の追試で論文が否定されるリスク(或いは、正しいと納得されないリスク)

 

しかし、見込みが甘かった。まだ研究プロジェクトが終わるまでに先があったということだ。ということで、論文が正しいとしても、この時点ではまだ次のようなリスクもある。

 

・他の研究機関が先に最適作製条件を発見するなどして、次の段階の研究の主導権を奪われるリスク

・他の研究機関より先に十分な特許を取得できないリスク

 

STAP 細胞の研究は理論面で高い革新性があるだけでなく、万能細胞作製の“簡単さ”にも特徴であるため、このようなリスクが他の研究より大きいのだろう。小保方さんが、今回の騒動で“研究が遅れる”と心配していたのは、こういう事情もあったからに違いない。(但し、このような理研の戦術が容認されるには、理研が主導し特許を取得した方が、より世のため人のためになるという前提がなければならない。理研のエゴが行き過ぎるようなことがないと期待したい。)

 

しかし、いずれにしても、論文公表時には、公正価値はプラスとなっているに違いない。上記に挙げた3つのリスクが残るにしても、論文発表前に最も意識される“仮説が自らの実験で否定されるリスク”はゼロになっているし、その結果、外部の研究者に納得されないリスクも、減っているからだ。加えて、今回明らかになったように、論文は、次の段階でも主導権を握れるよう、そして、他に先駆けて特許が取れるよう情報のレベルを調節しているようだ。したがって、追加した2つのリスクについてもコントロールできる状況にあると思われる。

 

ということは、研究をまとめる段階から論文公表に至る段階のどこかで公正価値がプラスになるので、この間、研究内容が確実に正しいことを、理研は組織として確認する必要がある。そして、その確認の程度、言い換えれば、理研が不確実性が減少したと確信する程度が、割引率に反映されることになると思う。したがって、この間の不確実性の減少を確認する内部統制は極めて重要な役割を果たすことになる。

 

 

・理研に必要な内部統制

 

これについては、すでに番外編ではあるが、4/8 の記事の最後の方で触れたので繰返さない。研究者以外の第三者が上手に関与する仕組みをマネジメントが整備・運用することが重要だ。

 

それから、理研の組織的な問題については、別途“研究の不正防止のための改革委員会”が立ち上がっているようだ(NHKニュース 4/10)。メンバーは外部の研究者及び弁護士となっているが、組織風土まで検討対象に含めて改善策を期待したい。

 

 

・重要性と保守主義

 

僕の勝手な妄想による研究プロジェクトの公正価値測定モデルは、将来キャッシュフローの見積りを4つの割引率で割引くものになった。いや、これ以外に時間の経過を反映させる割引率があるから5つだ。これは意外なスタイルかもしれない。なぜなら、一般には一種類の割引率を同種の多くの評価対象に適用するのに、個別の対象に対して5つも割引率がある。しかも、それぞれの割引率は、個々の研究内容によって個性があるに違いない。これでは、その決定・選択に手間がかかって仕方がない。

 

すると、すべての研究プロジェクトにこの手間をかけるのは、現実的ではないだろう。やはり、公正価値測定の対象になるのは、重要なものに限るのではないだろうか。その重要性の判断は、経営上の判断、即ち、財務諸表の作成者の判断ということになる。ということで、IASBが目論んでいるように、すべての資産・負債を計上するとの大方針のもとに、重要性の判断を企業に行わせないというのは、無理があるように思う。

 

だが、そもそも、研究プロジェクトの重要性の決定は、どんな指標に基づいて行われるか。この指標は同時に、研究資源の配分や研究者の評価、若手の育成など経営上の重要な機能に役立ちそうだ。恐らく、それは将来キャッシュフローの見積り(=研究の社会的影響の大きさ)に、その実現可能性を考慮したイメージになるのではないか。この“実現可能性の考慮”は、これも一種の割引率に他ならない。では、上記の公正価値測定の割引率と同じだろうか?

 

僕は恐らく異なると思う。理由は2つある。

 

・公正価値測定の割引率を使用すれば、上述の通り、仮説の検証段階以前では指標がゼロになってしまい、研究資源配分や研究者の評価、若手の育成といった経営の役に立たない。

 

・この指標は、なるべくすべての研究プロジェクトに適用したいが、上述の通り、公正価値測定の割引率は手間がかかり過ぎる。

 

ということで、この指標に使われる割引率は、もっと直感的で簡易なものになるに違いない。そして、公正価値測定の割引率は、もっと慎重なものとなるが、この両者の違いが、いわゆる保守主義と称される部分になるのではないだろうか。即ち、公正価値測定の割引率の方が、不確実性に対してより厳密に対処している。

 

 

さて、このシリーズは、3/28の記事で、2つの疑問を提起して始まった。1つは、論文公表時と現時点で、STAP 細胞研究の公正価値に極端な差があるか。もう一つは、いつになったら STAP 細胞研究は、資産計上が認められるかだ。

 

その後、理研から論文に不正があると公表され、小保方さんから反論の会見がなされた。現時点では、不正かどうかはともかくも、論文に重大な欠陥があり、研究の価値は STAP 細胞があるのかないのかという段階、即ち、仮説の検証段階まで後退してしまった感じだ。そうなると、論文公表段階ではプラスの公正価値、即ち、貸借対照表に載せられるような価値があったものの、現時点では、取消されゼロになったことになる。

 

この研究は、非常に革新的で社会的にも重要な研究だから、恐らく、貸借対照表上の価値も、大きなものとなっていたに違いない。それが間違いだったということは、上場会社でいえば、重要な内部統制の欠陥があったとして、内部統制報告書で自らの非を公表する状況にある。したがって、上述のような委員会が立ち上がったことは当然の成り行きなのだろう。

 

では、いつ再びこの研究が資産計上されるか。理研は1年かけて STAP 細胞の存在を検証するとしているので、その結果が出たときが、タイミングなのだろう。現在の論文が撤回され再提出されるのか、差し替えられるのかは分からないが、どちらであっても、なるべく早い方が好ましい。その方が、その後の研究の主導権を維持しやすいし、特許の取得にも有利になり、社会の役に立つのが早まると期待するからだ。

 

小保方さんに不正があったかどうかの判断とは別に、そこに小保方さんがいた方が良いかという観点も、あるかもしれない。即ち、小保方さんの不正を認めたうえで、その後の研究にも参加させるという選択肢を理研が持つことを指す。但し、それには小保方さんが理研の判断を受け入れ、自分の甘さに対する真摯な反省をすることが前提になる。科学者、特に生命科学のように利用の仕方で恐ろしい結果を生みかねない分野の研究者は、強い責任感・倫理感が必要だ。それは、小保方さんにとっては厳しいことでも、次のような決心をすることだと思う。

 

意図的かどうかは別として、不正と見做されるような重大なミスをした事実は一生変わらない。しかし、その悪評を、今後の努力と今回学んだ慎重さで地道に挽回する覚悟を持つ。

 

もしそうなるなら、僕は、小保方さんの勇気を拍手で讃えたいと思う。しかし、今回の論文の杜撰さを考えると、逆に、不正でないとして研究を続けさせることには賛成できない。(部外者の勝手な意見だが。)

 

 

2014年4月10日 (木曜日)

356.【番外編】2つの記者会見の“不確実性”~日銀黒田東彦総裁と小保方晴子さん

2014/4/10

2つの記者会見とは、日銀黒田東彦総裁と小保方晴子さんの会見だ。みなさんは、「この両者を比べる意味があるのか?」と思われたかもしれない。僕の着眼点は次の通り。

 

将来を自信を持って語る黒田氏と、その将来が不安で仕方ない小保方さん。果たしてどちらの記者会見が成功したのだろう。

 

 

まず、黒田氏の会見は8日の午後に行われた。僕は初めて黒田氏をじっくり拝見したが、ゆっくりとした穏やかな口調で、予想以上に紳士的な印象が残った。しかし、その内容は「日銀の量的質的緩和政策は予想通りの成果を上げており、消費税増税の影響を含め今後の見通しにも自信がある。よって追加緩和は考えていない。」というもので、語り口のソフトさとは異なり、強い自信に満ちていた。

 

その後円は欧州・米国時間に1円以上円高に振れた。その原因について新聞は、一部にウクライナ情勢の緊迫化を挙げる見方もあるものの、ほぼ、黒田総裁の会見の影響という意見を紹介していた。

 

日銀総裁が日本経済の先行きに自信があるなら円高も当然だ(し、それは日本経済にとって良いことだ)。

 

と思われた方はいらっしゃるだろうか? 僕はそう思った。お陰で、昨日9日の日経平均は 300 円以上の暴落となったが、黒田氏の言うとおり増税の影響も十分乗越えられるのであれば、中長期的には良いことには違いない。しかし、それだけでは割り切れないことがある。日銀には「市場との対話力向上」というテーマがあったからだ。

 

今回の会見は、初めて生中継が日銀から許可された。市場とのコミュニケーションを重視する欧米の中央銀行総裁の会見は既に可能になっていたが、今まで、日本の場合は会見が終わるまで記者は会場を出られず、記事や映像を公表することが禁じられていたという。そもそも、黒田氏が日銀総裁に選ばれた理由の一つが「市場とのコミュニケーション能力」だった。政権側は、従来の日銀総裁のこの能力に不満があったのだ。これは、そういう期待に応えた措置ともいえるし、日銀が対話力向上に取り組んでいる一つの現われでもある。

 

しかし、結果は円高・株安という形で現れた(一時的かもしれないが)。もちろん、日銀はこの結果を望んでいなかっただろうから、なぜこうなってしまったのか、分析しているに違いない。反省材料は何か。新聞を読む限り、それは、黒田氏の「自信たっぷりな話しぶり」のようだ。

 

市場では、アベノミクスの評判が低下する中で、日銀の量的・質的緩和政策は相変わらず信頼されている。したがって、第3の矢に期待できなくても、日銀の追加緩和が市場の円安期待を繋いでいる。とはいえ、今回追加緩和がないことについては、市場の大方の予想と一致していたから、一部の過剰な期待を持った人々を除き、この結論に驚きはなかった。しかし、そのあまりの「自信たっぷりさ」に、今回だけでなく将来もなさそう、或いは、あっても時期が後ずれするという見方に変わったらしい。それが円安期待を後退させ、株安に繋がった。

 

実は、僕が会見の映像を見た感想は「黒田総裁は紳士で自信にも溢れて頼もしい」だった。「そうか、我々はもっと自信を持っていいんだ」とさえ思えった。最近、ECB(=欧州中央銀行)議長のドラギ氏のオオカミ少年ぶり(ユーロが高すぎ、かつ、 インフレ率も低すぎるので、会見のたびに金融緩和する雰囲気を醸し出しながら、結局何もしない)に苦笑していたこともあり、なおさらそういう思いを強くした。

 

しかし、8日夜から9日の市場の反応を見ると、オオカミ少年でも市場をうまくユーロ安方向へ動かすことができているドラギ氏の方が、黒田氏より上手なのではないか、と思い始めている。恐らく、黒田氏は、将来の不確実性に対する謙虚さに欠けているのではないかと思うようになった。

 

もちろん、黒田氏は「必要があれば躊躇なく(金融政策を)調整する」と繰り返し述べている。したがって、追加緩和の可能性を否定しているわけではない。しかし、その前に枕詞のように「従来から言っているように」を付けている。そう、日銀のスタンスの一貫性・継続性を強調しているのだ。しかし、市場が見たいのは変わらない日銀ではなく、状況の変化に柔軟に対応する日銀、動く日銀なのではないだろうか。ちょうどそれは、IFRSが、継続性より実態の忠実な表現を重視するので、会計方針の変更を厭わなくなっているのと同じように。(これについては、以前このブログに記載した(2012/1/27 の記事~)。日本基準も、ゆっくりとだが、変わりつつあると思う。)

 

この観点から見ると、黒田氏が、現時点の生産・消費・在庫状況や、労働市場の需給、GDPギャップ、ミクロ情報などから、自信たっぷりに「このままでも増税の影響は乗り切れる、インフレ率目標は達成可能だ」と言うより、「このようなあらゆる情報を慎重に検討するので、今後の状況の変化にも対応可能だ」という姿勢にこそ一貫性を持たせ、そこに胸を張った方が良かったのではないか。即ち、将来の不確実性に対して謙虚であることをアピールした方が良かったと思う。

 

 

一方、小保方さんの会見は、昨日(9日)に行われ、体調が悪くて入院しているにもかかわらず、2時間半も続いたという。僕が見たのは冒頭部分だけだ。小保方さんは、もちろん、黒田氏のように胸を張るわけにはいかず、ひたすら謙虚に自己の非を謝罪し、理研や調査委員会の面子を潰さぬよう気を使いながら、しかし、指摘されている論文の問題には故意や悪意はなく、STAP 細胞は存在することを主張した。

 

今の小保方さんの将来は不確実だ。200 回以上 STAP 細胞作製に成功しているにもかかわらず、今後の検証チームに参加できないかもしれない、理研からは何も知らされていないそうだ。考えてみれば、研究不正が認定されてしまえば、検証チームやその後の研究には、参加できないと考えるのが当然だろう。小保方さんは、STAP 細胞が誰かの役に立つような技術になるまで研究を継続したいと希望しているが、現実は厳しそうだ。小保方さんの希望する将来は崖の向こうにあり、その崖の幅は広い。不確実性に満ちた将来だ。

 

そんな小保方さんの言葉の中で気になったのは次のところだ。

 

STAP 現象が論文の体裁上の間違いで否定されるのではなく、科学的な実証・反証を経て、研究が進むことを何よりも望んでおります。

 

なるほど。確かに重要なのは STAP 細胞が作製できたことであり、論文の画像の不備など些細な問題だ。

え~っ、そうかあ? これは弁護士のアドバイスかもしれないが、科学技術の信頼性のために極めて重要ではないか。まだ反省が足りないのではないか? 僕は職業柄か、不正をした人に暖かい目を向けることはできない。

 

まあ、しかし、この研究は、山中伸弥教授の iPS 細胞にも匹敵するというから、科学的価値は大きい。この会見で小保方さんの不服申し立ての通り、小保方さんに弁明の機会を与えるのは良いのではないかと思った。即ち、理研がもう一度研究不正かどうかを見直すことに賛成だ。それに、前回(4/8 の記事)記載した通り、理研自身の反省がまだ足りないと僕は思っているから、この問題を簡単に収束させたくない。

 

 

将来を自信を持って語った黒田氏は、不確実性への配慮が不足していたようだ。一方、小保方さんは、不確実性に満ちた将来を認めたうえで、それを少しでも確実にしようと努力した。

 

結局、小保方さんの会見は成功だったと思う。

2014年4月 8日 (火曜日)

355.【番外編】STAP細胞論文の調査報告書

2014/4/8

小保方さんは、明日(9 日)記者会見するそうだ。どんな内容になるか、ちょっとハラハラする。会見といえば、今日は日銀黒田総裁の記者会見がある。これは例の黒田バズーガ砲(=異次元の金融緩和)から1年の区切りの会見になるが、僕にとっては小保方さんの方が気になる。もし、小保方さんがバズーガ砲を発射するなら、理化学研究所の組織風土の闇を白日の下にさらして欲しいが、被告人席に座らされているような今の状況では無理だろう。

 

一応、理研ホームページの「研究論文(STAP細胞)の疑義に関する調査報告について」にある報告書にざっと目を通してみた。残念ながら、科学的内容は難しくてよく分からない。しかし、研究データの扱い・管理に問題があったことは分かった。

 

ご存じのように、報告書で研究不正とされたものは2つある。その一つは、ある画像の一部が切取られ、別の画像に都合よく尺が合わされ合成されていたこと。報告書はこれを「改竄(かいざん)」と判断している。2つの画像はそれぞれ異なる種類の細胞に由来する画像なので、素人感覚では、それを合成することはありえないように思える。なので「捏造(ねつぞう)か?」と思ったのだが、「改竄」とされた。違う細胞でも、同じ「T細胞受容体遺伝子再構成を示すポジティブコントロール」というものを重ね合わせて合成したものだからなのか。残念ながら、僕にはその合成画像がどの程度研究に重要なのかは分からない。

 

しかし、もう一つの方は、僕にも重要性が分かる。こちらは“酸性溶液に浸すだけで STAP 細胞ができる”というこの論文の主張の根幹に係る画像だからだ。“酸性溶液に浸した”のではなく、“機械的ストレスをかけた”実験の画像を貼ってあったようだ。これは「捏造(ねつぞう)」と判断された。ただ、良く分からないのは、“機械的ストレス”は小保方さんの学位論文のテーマなので、“学位論文のデータを使用した”と書いてある一方で、“学位論文の画像に酷似している”とも書いてある。“使用”と“酷似”ではかなり違う。もしかしたら、画像の出所が(調査委員会にも小保方さんにも)正確に分からないのではないか。この辺りが、研究データの扱い・管理が「杜撰(ずさん)」と表現された理由の1つなのだろう。

 

会計でいえば、いくつかの重要な伝票が、証憑書類が残されていないうえに明らかに間違っており、この影響が財務諸表全体の信頼性を揺るがしている状況だ。こういう場合、監査意見は出せない。みなさんもご存じの通り、不正確な財務諸表が公表されたら、その責任は伝票起票者に留まらない。伝票をチェックする上司にも、内部統制やその環境を整備・運用する経営者にも及ぶ。そして多くの場合、組織風土に重大な問題がある。しかし、この報告書はそこまで掘り下げてないし、改善策もない。起票者を悪者にし、上司に管理責任を問うただけでは再発防止はできない。

 

報告書を読んだ感想は、“研究を客観的に評価する内部統制がなさそう”ということだ。研究の信頼性は、各研究者個人の倫理観に頼っている感じだ。例えば、報告書に添付されている「科学研究上の不正行為の防止等に関する規程」を見ると、次のようなことが想像できる。

 

・第4条に研究者の所属長の責務が規定されているが、この報告書では所属長の責任に触れていない。

 

会計でいえば、証憑書類をちゃんと保管し、いざ問い合わせがあったら対応できるように、所属長は教育し、確認することとされている。今回は明らかにここに問題があるが、小保方さん以外の関係者に対し、共同研究者としての責任追及はあっても、この観点の指摘はない。報告書のまとめの文章でも、研究データ保管の杜撰さは小保方さん個人の責任にされている。ということは、第4条は機能していないのではないか?

 

・第15条に調査の方法が規定されているが、調査対象が研究者個人に集中している。

 

会計であれば、証拠書類の保管は、営業担当者や出納担当者にはさせない。いわゆる“職務と権限の分離”とか、“内部牽制を働かせる”といった仕組みから物的証拠を得られ、また、内部規定に沿った手続きがとられているかどうかを確認できる。すると、個人がいなくても、かなり外堀(金の動き、承認状況、進捗状況等)を埋めることができる。しかし、第15条では「科学的に適正な方法及び手続」とか「科学的根拠」を研究者個人が説明することが主となっており、証拠資料(研究データ等)の保管も個人任せが前提のように感じられる。

 

報告書のまとめの文章は、小保方さん以外の共同研究者について「担当研究者(小保方氏)以外の研究者(本件共著者等)が慎重にすべての生データを検証するという、当然発揮することが予定されている研究のチェック機能が果たされていなかった」と批判しているが、この「当然発揮する・・・チェック機能」というのが曲者だ。恐らくこれに関して内部規定もないのだろうし、このようなチェックは殆ど行われてないのだろう。実態が透けて見える書き方だ。

 

理研は、組織として対応しなければならない課題がたくさんあるのだと思う。実験や研究データ管理に第三者を介在させる牽制機能の設計・整備、研究の進捗管理の方法、STAP 細胞論文のような重要な研究論文の内部審査の方法、そして、研究者に対する倫理的な教育や、こういうものを疎かにさせてきた環境的要因の改善(研究予算獲得の仕組みなど)。理研に、そういうところまで目が届くプロの経営者はいるのだろうか。

 

科学技術立国日本にとって、理研は大事な組織だと思う。改善するには、監督官庁も含めた対応が必要かもしれない。

 

2014年4月 4日 (金曜日)

354.DP-CF42)公正価値:売却可能なノウハウや研究、データ~STAP細胞研究の測定(3)測定の対象となる収入

2014/4/4

このところ、“円安株高”傾向が復活してきた。投資の世界では「うわさで売って、ニュースで買う」というらしいが、今の状況は、既に消費増税のリスクを十分織り込んで(=売って価格が下落)、実際に税率が上がったところで買いに転じたということだろうか。

 

このように市場価格はしばしば乱高下するが、公正価値も、インプットをなるべく観察可能な市場価格に頼らなければいけないので、その時々の市場の状況を反映して大きな変動がある。さて、STAP 細胞研究の価値は、この一連の動きの中でどのように変動するだろうか。ということで、本題に入ろう。

 

・研究プロジェクトの公正価値測定は理研の経営に役立つか。

 

役立つが弊害もある。要は使いようではないか。

 

理研(独立行政法人理化学研究所)が社会的役割を果たすためには第三者目線が必要であり、その意味では、公正価値測定は必要といって良いかもしれない。しかし、公正価値を独り歩きさせると、成果の出にくい画期的な研究や若手研究者の育成が阻害されるだろう。そうなると理研の経営にマイナスの影響を及ぼす。

 

この弊害を防ぐためには、公正価値を利用する一方で、研究テーマ選択や若手育成に関して、理研独自のポリシーを強く持つ必要がある。理研の経営者は、このバランスをうまく保たなければならないし、そのバランスのとり方が理研ブランドの強さの源泉になると思う。

 

公正価値測定を行わないとすれば、このようなバランスを経営者が意識することは少なくなるので、理研独自のポリシーを堅持しようとする意識も弱くなる。しかし、それでは理研ブランドも強くできないから、公正価値測定はあった方が良いと、僕は思う。理研独自のポリシーをアクセル、公正価値測定をブレーキと見做せば、アクセルとブレーキは両方強力でないと、素晴らしい自動車にならない。

 

・重要な仮定の追加

 

しかし、大問題がある。

 

公正価値は、ある一時点での経済的便益生成能力を測定して計算する。経済的便益は将来キャッシュフローのネット(=純額)の流入額なので、期待される収入から支出を差引いた差額を現在価値に割引いて計算するイメージになると思う(DCF法=Discounted cash flow 法のイメージ)。すると、研究活動をサポートするような収入(補助金や研究費の負担金など)は、研究費支出と相殺されてネットの流入額を生じないことがほとんどだと思う。元々理研は非営利研究機関なので、ほとんどすべての収入がこのようなものである可能性が高い。そうすると、ほとんどすべての研究が公正価値ゼロになってしまう。

 

ん~、そうなのだろうか。・・・そうなのだ。

 

ということで、みなさんの会社の研究プロジェクトについて考えるときは、補助金等の将来の支出と相殺される性格の収入は、獲得が決まった時に未収入金(/前受金)に計上すればよいのであり、公正価値測定の対象にする必要はないと思う。その代り、他社からの研究成果を譲ってほしいという申入れや、他社が上手に事業化した場合にどれぐらいの価値を生み出すかを想定することになる。しかし、非営利研究機関である理研について同様に考えると、公正価値測定は経営にほとんど役立たない。そしてなにより、STAP細胞研究の公正価値測定というこの検討も“的外れ”になってしまう。

 

しかし、思い出してほしい。そもそもこれは会計上の不確実性を検討するために設定したテーマであり、測定における会計上の不確実性の特徴をうまく切出せるなら、このまま検討を続けることもありなのではないか? 苦しい言い訳なのは分かっているが、IFRSから除去されて一部に批判のある“保守主義”とも関係して重要性が高いので、このまま進めさせていただきたい。

 

ということで、この検討においては、(実際とは異なる)仮定を一つ加えさせていただきたい。

 

理研の支出をサンク・コスト(=sunk cost、埋没原価)と見做す。

 

即ち、理研の支出は基本的には国等によって賄われるとし、その他に個別の補助金獲得に成功したり、研究費負担の申入れなどがあった場合は、追加の収入(=ネットのキャッシュインフロー)になると考えることにする。

 

こうすることで、STAP 細胞研究のような多くの派生研究を生む革新的な基礎研究に、公正価値測定による光を当てることができる。将来、多額の個別補助金を見込めるとか、多くの企業から研究費負担や共同研究などの申し出がありそうな研究プロジェクトは、その社会的影響の大きさを反映して、公正価値測定額も大きく計算されることになる。(ちょっと強引な仮定ではあるが。)

 

・公正価値測定の対象となる収入

 

ということで、くどいが、研究プロジェクトが生み出す経済的便益として僕が考えているのは、研究成果が評価された結果として獲得できる、プロジェクトに紐付いた個別の補助金収入や、共同研究の申入れ(研究費負担の申入れ)、委託研究の申入れ、寄付、研究成果等の売却収入、特許権収入等であり、理研が一括してもらい、理研の経営者の裁量で各プロジェクトに割当てられるようなものは含まれない。

 

 

さて、「うわさで売って、ニュースで買う」ということなら、小保方さんの株は、ネット(=インターネット)上で色々言われていた時に売られて十分に下がり、最終報告書が出たところで買戻しが入るということになる。実際は、どうだったのだろう。いずれにしても、論文発表時の史上最高値にはほど遠い。今後の本人の地道な努力に期待したい。

 

2014年4月 3日 (木曜日)

353.DP-CF41)公正価値:売却可能なノウハウや研究、データ~STAP細胞研究の測定(2)理研の最終報告書を受けて

2014/4/3

一昨日、理研(=独立行政法人理化学研究所)が、STAP 論文の信頼性に疑義があるとされていた問題で、最終報告書を公表した。報道によると、理研は論文に不正があると断定し、小保方晴子さんほか、関係者の処分を検討するという。肝心の STAP 細胞が存在するかどうかについては、今後、1年ほどかけて検証していくらしい。なお、小保方さんは過誤があることや論文の取下げには同意しているものの、不正とされることには承服できないということで、不服申し立てをするとされている。

 

僕は、新幹線の中でスマホに通知された速報で知り、帰宅してからじっくりニュースを読んだ。エイプリル・フールであってくれれば良いと思ったが、そうではないらしい。残念だ。僕がこの STAP 細胞をブログの題材にしようと思ったのは、実は、小保方さんの研究を信じていたからだった。きっと、疑念を晴らしてくれるに違いないと思っていた。

 

ところが、小保方さん自身に不正の意図がなかったとしても、研究データの管理や論文に使用した画像の取扱いについて、理研が捏造や改竄と判断せざるえないほどの杜撰さがあったということなので、研究プロジェクトとしての価値は、取敢えずなくなってしまった。するともう、このブログにおける議論の対象にはならない・・・ということにはならない。前回も記載したように、それはそれで興味深い。

 

間が空いてしまい申し訳ないが、この件、意外に手こずっている。しかし、引続き取り組んでいるので、ご了解願いたい。

 

 

 

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