385.【番外編】マス・メディアの役割
2014/8/13
新監督が来日した。メキシコ人のハビエル・アギーレ氏だ。日本語では“アギレ”との表記も散見されたが、記者会見で本人によって“アギーレ”と確認された。「ギー」にアクセントがある。これでサッカー日本代表(男子)は、“アギーレ・ジャパン”と呼ばれる(“アギレ・ジャパン”より語感が良い!)。初戦は来月5日のウルグアイ戦、続いて9日にはベネズエラ戦。どんなメンバーを選ぶか、非常に楽しみだ。今月28日にそのメンバー発表が予定されている。
しかし、新しいことが始まるときの昂揚感がある一方で、今は、じっとり重い時節でもある。そう、もうすぐ終戦記念日がくる。戦争を知らない我々の世代も、改めて太平洋戦争に至る時代を振返えり、何を未来へ何を活かせるか、じっくり考えてみる機会になる。
そんなタイミングで、みなさんもご存じのとおり、朝日新聞が慰安婦問題に関する特集を組んだ。その中で過去の記事の一部(といっても問題の核心を形成する重要な記事)の取消・訂正をしている。
慰安婦問題を考える(朝日新聞デジタル 8/5、8/6)
土日のワイド・ショーでも色々取上げられており、僕も2つ見たが、それらはいずれも「なぜ、取消・訂正に30年もかかったのか」とか、「現在の最悪の日韓関係のきっかけを作り、国際社会における日本の評判を貶めたことへの責任感が、朝日には足りない」という論調だったと思う。
僕もその通りだと思う。そして、もう一つ付け加えたい。ただ、これは朝日新聞に対してではなく、その他のマス・メディア各社に対してだ。
他のマス・メディアは批判して終わりですか。朝日がどうすべきか、もっと具体的に提言し、それを実行に追い込み、さらにその実行状況を監視して、読者や視聴者へ報告するところまでが役目では?
これは、特別なことではない。マス・メディアが、重大な不祥事を起こした企業に対していつもやっていることだ。朝日新聞は重大な不祥事を起こしたと思う。だから、それを朝日に対してもやって欲しいと僕は期待している。まさか、「この件は、この土日でもう終わり」なんてことにはならないだろうなあと、ちょっと心配しながら。
そこで、いつもなら(=一般企業の不祥事なら)どうなるか、今後の展開を想像してみたい。
(第一報での批判・分析のフェーズ)
これは、この土日に既に行われた。だが、普通ならやるはずの「朝日新聞がどのような対応策・改善策を導入すべきか」の提言までは、あまりなかったような気がする。例えば次のようなもの。
・勝手なシナリオに固執して事実を曲げて報道してないか、チェック体制を整備すべき
・そもそも、チェック可能な業務体制になっているか確認すべき
・第三者委員会等の調査で事実を明らかにし、再発防止策を立てるべき
・経営者が会見して説明すべき
なぜ、今回朝日新聞に対して、具体的な提言が明確になされなかったのだろう。いつもなら、コメンテーターに話させるとか、専門家のインタビューを取るなど、何かあると思うのだが。まさか、“仲間意識”とか“メディアは特別”などという思い込みがあったりはしないだろうと思うが、どうだろう。
(事件の深掘りで世論を盛上げていくフェーズ)
新聞や雑誌は、“朝日の当たらない闇”みたいなタイトルの囲み記事を定期的に掲載するだろう。当時の朝日新聞社内の様子・雰囲気を知る人や当時取材対象となった人々、当時の韓国メディアの報道状況等々を、改めてじっくり取材して、朝日新聞の誤報に照らして分析していく。そして、具体的な事実を明らかにすることで、世論を刺激していく。
テレビ業界では、NHK以外は苦手なフェーズだが、民放でも1時間枠のディスカッション番組を放送するぐらいはできる。きっと、「事実を明らかにすることが朝日のためになる」と正義感に燃えたOBらが、多数出演してくれるに違いない。もちろん、顔を隠したり、声を変えたりする人はいないだろう。
NHKは、「シナリオなしで取材ができるか」というテーマでスペシャル番組を作るかもしれない。「取材した事実から真実が浮かび上がってくる」などというが、実際の取材活動は「こうじゃないか」というシナリオに沿って事実を収集しているかもしれない。結局、シナリオの全面否定はできず、どこまでなら利用可能かという観点で番組製作されるかもしれない。すると恐らくコメンテーターには、シナリオの利用経験豊富な東京地検や大阪地検の特捜部検事が呼ばれるに違いない。
(追込みのフェーズ)
そのころ国会では、「国益を守るために政府がマスコミをもっと監督すべきではないか」と、政府が単純思考の保守系議員から突上げられる。すると、待ってましたとばかりに「特定分野の報道を事前検閲する権限を内閣府に与える法律」が国会へ提出される。しかし、米国から「民主主義を脅かす」と批判されて引込める。
マス・メディア業界からは、政府による関与を嫌い、業界自主規制を主張するキャンペーンが張られる。社会に一定の影響を与えた番組や記事を、報道した会社以外の報道機関が検証し、報道するという企画だ。しかし、一つのネタで2度おいしいとか、業界の焼け太りなどと批判されて、結局、検証報道はネット上で無料で(広告もなしで)提供されることに落ち着く。
ここまでくると、そろそろ朝日新聞の読者離れが進んで、経営的な危機が見えてくる。そして漸く第三者委員会による調査などを受入れる。その報告書の公表に合わせて、経営者による謝罪会見が行われる。ただ残念なことに、場の雰囲気を読めずに「朝日の報道姿勢は変わりません」を強調しすぎて、また批判される。「謝罪会見は、朝日の宣伝の場ではない」と。
単なる想像を長々と書くつもりはなかったが、段々楽しくなって、つい、たくさん書いてしまった。実は、今回の本題は別にある。しかし、残念ながら、それを十分に書く余地はもう残されていない。だから、ここからは簡潔に書きたい。
朝日が誤報新聞であり、日本が特殊な性奴隷の国ではないとしても、従軍慰安婦だった方々が筆舌に尽くしがたい辛酸をなめたことには変わりない。しかも、これは戦争のほんの一部に過ぎず、もっと色々な形で多くの人が悲惨な人生を過ごした、或いは、途中で人生を終えさせられた。我々はその加害者の子孫だ。軍部の独走とか、一部の人だけが悪いような言い方もあるが、マス・メディアがそれらの主張を報じ、煽り、世論はそれを許した、或いは、望んだ。これも、事実だと思う。我々はそういう人々の子孫だ。
悲しい歴史を繰り返さないためにどうするか。(国や政府ではなく)人々の生活基盤が破壊されないためにどうするか。終戦記念日は、少し時間軸や地理的条件を広げながら、そういうことを考える機会にしたい。
非常時に至るプロセスにおいて、マス・メディアの役割は非常に重要だ。質の高いマス・メディアは、我々の状況判断においてレベルの高い選択肢を提供してくれる。また、戦争抑止力として防衛力にも匹敵する活躍ができると思う(防衛力は対外的な抑止力だが、マス・メディアの事実に即した報道は、対内的な抑止力になりえる)。ただ、マス・メディアを育てるのは、視聴者であり、読者だ。だから、マス・メディアの質は、我々次第ということになる。
ということで、僕は、「平時の今から、マス・メディアとどのように向き合うか」を考えようと思っている。
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