386.【番外編】虫にさえ 会計感じる 夏の夕暮れ by 会計ばか
2014/8/18
夜、カナブンが迷い込んできて、照明にごつごつぶつかり、これが延々と続く。家の壁に蝉がとまっている。捕まえて林の方向へ投げてやると、戻ってきてまた家の壁にとまる。都会ではあまり見ないかもしれないが、田舎暮らしの僕には、夏の風物詩だ。
ん~、しかし、彼らは何か間違えてないか?
僕は、照明も壁も、昆虫が美味しいと思えるものではないから他を当たった方が良いと思う。しかし、昆虫はそんなこと知らないから、とりあえず何でもやってみようの精神で当たっているのだろう。僕は漠然とそう考えていた。だが、どうやらもっと違う原因がありそうだ。そう思ったのは、さっき駐車場で赤とんぼの変な行動を見たからだ。
ところで、人間の目は、長く様々な進化・変遷を経て今の能力を獲得した。太古の海で2つになり、恐竜が闊歩していた時代は夜行性だったので暗視能力を得、木の上や草原で採取狩猟生活をしていたころに、赤色を識別する能力や、2つの目の焦点を合わせて距離や形をより正しく認識する能力を獲得した。
子どもの頃、昆虫は目をたくさん持つ“複眼”だと習い、昆虫に見えている世界を想像してみた。人は2つの目で画像が見える。その目が一つ、二つ増え、いや、無数にあった時に、一体どんな景色が見えるのか。きっと精緻で人の見えない物まで見えるに違いないが、当時の僕には、複雑すぎて訳が分からなかった。
しかし、冒頭の夏の風物詩を思い返してみると、どうも、そういうことではなさそうだ。
昆虫は、複雑で精緻な景色は見えてないように思う。逆に“状況認識が大雑把”と仮定すると、冒頭のケースも“なるほど!”と合点がいく。例えば、カナブンは光に敏感だが、光源が通り抜けられない物体だと分からない。蝉は垂直に立っているものに敏感だが、それが何であるかを把握できないなど。
さっき駐車場で見かけた赤とんぼもそうだ。車のフロントガラスにしきりに尻尾の先を打ち付けていたが、あれは普通は水面で見られる行動。産卵場所を間違えているのではないか。実際にフロントガラスには、卵らしきものが残されている。透き通るものの識別はできるが、水か、そうでないかまでは判別できないのかもしれない(すぐ脇が小川なのに、もったいない!)。
「目の能力に、行動が制約される」
「正しく見ないと、正しい行動ができない」
ここで、“目”とは会計、“正しく見る”とは会計リテラシーと重ねることができる。企業は経済実態を忠実に描写する会計を行い、かつ、それを正しく読み取れないと、先ほどの虫たちのように正しい行動ができない。晩夏の夕暮れ、赤とんぼをきっかけに、会計の大切さを感じた次第である。
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