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2014年9月14日 (日曜日)

396.【番外編】会計の本質論と公認会計士の立場

2014/9/14

え~っ、朝日新聞社長が謝罪会見!? 第三者委員会を設置して外部調査?

 

どこかで見たような・・・、そうだ、このブログの終戦記念日の妄想記事だ(385-8/15)。と思って読み返してみたら、やはり大分違う。そんなに簡単に未来予想が当たるわけがない。特に、社長が謝罪会見を開いて第三者委員会を設置するのは、(はっきりとは書いてはないが)もっと、数か月も経ってからのイメージだった。

 

随分早いなあ、朝日新聞は意外に自浄能力が高いんだ。

 

と一旦は感心しかかったのだが、どうもそういうことではないらしい。みなさんもご存じのとおり、朝日新聞は、池上彰氏のコラム“新聞ななめ読み”で問題を起こしていた。「慰安婦報道に関する訂正は遅きに失した。謝罪もするべき」という趣旨の池上氏の原稿を、予定されていた 8/29 に掲載しなかったという(遅れて 9/4 に掲載)。(僕は昨日放送の「激論!クロスファイア」で知った。)

 

その経緯について、朝日新聞は 9/6 に説明している。それによれば朝日新聞は、今までも池上氏から厳しい指摘を度々受けており、それらはそのまま掲載してきた。しかし、今回に限っては間違った判断で掲載を見合わせてしまったという。

 

なるほど、朝日新聞が「朝日新聞に対する批判も可」として、その自由さを売りにしてきたコラムで掲載を拒み、しかも正当な理由がなかったというのは、“言論の自由”で成り立っている新聞社のやるべきことではない、というより許されない。誤報ならミスの範疇と思うが、これは報道機関としての”意思“や“基本の考え方”が間違っている。単なるミスでは済まない致命的な失点だ。いわば、ゴールデン・ゴール方式(或いは、サドン・デス方式)の延長戦における“オウン・ゴール”だ。それで時期がこんなに早まったのか。

 

「何を偉そうに。相変わらず、他人には厳しい。自分には甘いくせに」と怒られそうだが、次のようにも思っている。

 

今回の謝罪会見は、朝日新聞社内からの批判もきっかけになったらしい。それなら、変化の兆しと考えて良いかもしれない。

 

でも、あくまで“兆し”であって、これからが茨の道だ。朝日新聞の精神に巣食う色眼鏡を掛けた鬼を全部退治して、健全な批判精神を持つ新聞社へ変わってほしい。第三者委員会の活躍に期待したい。(ちなみに、この謝罪会見は、福島第一原子力発電所の吉田氏の証言に係る記事を取消すことに関して開かれたものらしい。鬼はあちこちにいそうだ。)

 

 

ところで、新聞社の方針と違うことでも自由に書くコラムといえば、日経新聞の“大磯小磯”がある。日経新聞を紙で読んでいたころは、目に入れば必ず読んでいた。テーマの裏側まで見られるような気がして、けっこう面白い。ただ、最近は電子版なので目に入ることがなく、すっかり縁遠くなっていた。

 

日経電子版の購読をされている方はご存じと思うが、日経電子版にキーワードを登録すると、そのキーワードが含まれている記事のリンクが、朝と夕方にメールで送られてくる。それをきっかけに、久しぶりに“大磯小磯”を読んだ。次の記事だ。

 

国際会計基準より大事なこと (9/11 有料記事

 

このタイトルを見た瞬間、「これは本質的な議論をしているに違いない」と直感した。会計は、経済実態を忠実に描写する“道具”であって、会計自体が“目的”になることはないはず。ところが、最近の議論はおかしいのではないか、そんな議論が展開されていると思ったのだ。だが、違った。

 

有料記事なので、あまり内容を紹介することはできないが、最初と最後の段落だけ拝借させていただきたい。

 

(最初)

国際会計基準(IFRS)を巡る議論が活発だが、国際化ばかり強調されている。哲学も不明確なまま国際情勢と異なる実態を取り上げ、技術論に終始しているのには違和感を感じる。本来は企業にとってのメリットが説明され、監査制度や市場監督の質向上とあわせて議論されるべきだ。

 

(最後)

公認会計士は根拠もなくIFRSの必要性を主張したり、制度改正を求めたりすべきではない。企業の立場で導入のメリットと向き合い、監査の質向上と合わせた議論を期待したい。

 

匿名なので、誰が書いているかは分からない。もしかしたら、上記の池上氏のように新聞社に依頼されて外部の方が書いているのかもしれない。

 

この記事は、拝借した最初の段落が具体的に展開されて、最後の段落の結論を導く形になっている。最初の段落から素直に想像していただければ内容はお分かりと思うが、3年前に企業会計審議会でIFRS反対派が主張していた議論が繰返されている。このブロクでも取上げた Oxford Report の要約版のようだ。

 

しかし、この議論では1年前の7月の初めに、日本版IFRSを作るなどの(中間的な)結論を出したはずだ。なぜ、3年前に後戻りするような主張がなされるのだろう? 「何か新しい要素でも出てきたのか」と思って読み返しても、殆どない。唯一新しいと思えるのは、米国に上場した(IFRS採用の)中国企業が上場廃止になったぐらいのことだ。だが、そんなことで何年も時間を巻き戻し、この間の努力を無駄にする根拠になるのだろうか。

 

特に、のれんの非償却についての批判がたくさん書かれているが、ASBJやその他の努力でIASBも見直しを始めようとしているところだ。みんなで前向きな努力をしているのだが、そういうことは書いてない。

 

ただ、監査に目を向けてもらったのはちょっとうれしい。見積りの監査は確かに難しい。欧州でのれんの減損が“too little too late”と批判されているが、監査も重要な原因だ。

 

3年前の企業会計審議会で、公認会計士の委員がやはりこの点を指摘している。だが、“だからIFRS導入に反対”ではなかった。確か、「監査証拠の入手ができるように企業における監査環境を整えてくれ」という主張だったように記憶している。それは何故だろうか。なぜ「監査が難しくなるからIFRS反対」と主張しなかったのか。このコラムを書いた方は、それを考える必要がある。

 

恐らく、次のような理由ではないかと僕は思う。

 

複雑な利害や制度が絡み合う問題を整理・解決するには、問題の優先順位付けを行う必要がある。IFRS導入問題も、監査制度や証券監督、税制、会社法など色々な制度が絡み合う。そこに、それぞれ利害関係を持つ人々がいるから、優先順位を間違えると問題解決にも失敗する。

 

企業の財務情報開示制度の中で、会計と監査の関係は分かりやすい。明らかに“会計が主で監査が従”だ。まず会計があって、その信頼性を担保する仕組みとして監査がある。したがって、まず、会計のあるべき論があって、それを実現するために監査がどうサポートするか、という順序にしないと、本末転倒の議論になる。

 

企業経営の立場で考えてみると、会計の役割は経済実態の忠実な描写だ。経営者はそれを見て(もちろん、もっと他の情報も見るが)、経営が順調であるかどうかを確認・判断したり、今後の戦略・戦術の立案や選択に利用する。企業の立場からはこれが最も重要な会計の役割だから、あるべき会計論は「どのような会計が経済実態の忠実な描写になるか」という観点で行われる。そして、このレベルの議論では、経営者も投資家・株主も、利害を共有する(と僕は思う。もっと議論をブレーク・ダウンしていくと、利害が分かれていくが)。この段階の議論では、まだ監査に出番はない。

 

証券監督も、税法も、会社法も、監査と同じ立場ではないか。まず、企業及び経営者、そして投資家や株主が、経済活動を行う上で適切な判断ができる基盤(≒会計)があることが優先されると思う。実際に企業会計審議会における法務省の委員はオブザーバー参加で、この議論の聞き役に回っていた。ちなみにTKC関係者の委員も、本来このような立場であるべきだった(が、強烈な反対論をぶっていた)。

 

以上を踏まえたうえで、公認会計士法の第1条を見てみよう。

 

(公認会計士の使命)

第1条 公認会計士は、監査及び会計の専門家として、独立した立場において、財務書類その他の財務に関する情報の信頼性を確保することにより、会社等の公正な事業活動、投資者及び債権者の保護等を図り、もつて国民経済の健全な発展に寄与することを使命とする。

 

公認会計士は、財務書類(≒会計)の信頼性確保が使命であり、公認会計士にとって財務書類の内容は“所与”だ。

 

だからといって、公認会計士が会計規準の議論に一切参加しないということではない。極端にいえば、財務諸表が、デタラメの会計規準に準拠して作成されていれば、経営者に、そして投資家や株主に信頼されるだろうか。そんな財務情報に存在意義はない。会計がちゃんと役割を果たす必要がある。

 

会計が十分に役割を果たせないのであれば、会計自体の改善が必要だ。それなしに監査も何もない。こういう観点では、独立した立場から議論に参加する。したがって、公認会計士は「会計が経済実態を忠実に描写しているか」という議論であれば参加する。「監査が難しい」という公認会計士の都合は、後ろに控えさせながら・・・。それが、公認会計士の立場だと思う。(くどいが、本当は「監査が難しい」という問題意識も持っているから、今回のように第三者が問題提起してくれるのはうれしい。)

 

したがって、もし、この「会計が経済実態を忠実に描写しているか」という議論を“技術論”と、このコラムの筆者が批判の対象にしているのであれば、それは違うと思う。これこそが“本質論”だ。そこに、哲学がある。そして海外と事情が違うことは、積極的に日本は主張しようとしている(公認会計士も貢献している)。

 

 

長くなって恐縮だが、最後にもう一つ。

 

上記「公認会計士は根拠もなくIFRSの必要性を主張したり・・・」の「根拠もなく」には、ちょっとヒヤリとした。僕は根拠を示しながらこのブログを書いているつもりだが、最近は妙に想像や妄想が多くなった。想像や妄想には確かに根拠がない。しかも、「他人に厳しく自分に甘い」という自覚も、芽生えつつある。この状態で想像・妄想するのは危険かもしれない。上に引用した公認会計士法第1条の次はこうなっている。

 

(公認会計士の職責)

第1条の2 公認会計士は、常に品位を保持し、その知識及び技能の修得に努め、独立した立場において公正かつ誠実にその業務を行わなければならない。

 

品位かあ。そういえば、監査基準の前文にも“高度な人格を持て”と書いてあった。これは難しい。果たして、このブログから“品位”とか“高度な人格”など、みなさんに感じてもらえるだろうか。恐らく無理だろう。頑張っても育ちの悪さは隠せない(また親のせいにしてる!)。ただ、“品位”とか“高度な人格”が、「金銭欲に支配されない人格」を指すなら大丈夫、ご安心戴きたい。見てお分かりと思うが、このブログに金銭は絡んでいない。

 

 

 

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