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2015年8月13日 (木曜日)

498【番外編】戦争の反省と安保法制

2015/8/13

この時期は、毎年、先の大戦関連の話題がマスコミを賑わすが、今年は特に多い。70年という区切りの年ということもあるが、徐々に、国際情勢が緊張の度合いを増していることにもあるように思う。僕は時間の許す限りそういう記事や番組をチェックすることにしているが、毎年いつも、かなり食傷気味になる。しかし、今年はまだ飽きがこない。それどころか、ますます、興味が湧いてくる。

 

僕の場合、生まれる前の出来事を“ウルトラマン”や“仮面ライダー”と同様のもの、即ち、架空の創作話のように受け取っていたから、話が面白くなければ飽きてしまう。先の大戦についてはどの話も、なんかワンパターンだし、悲惨だし、面白くない。しかし、義務と思って関心を保ってきた、いや、関心を持っている振りをしてきた、と言った方が近いかもしれない。

 

しかし、近年では研究が進んだのか、非常に具体的に軍部や社会を分析したものが出てきており、臨場感がある。“臨場感がある”というのは、「ドラマ性や物語性がある」という意味ではなく、「現代社会でもありそうな話」に感じられることだ。

 

みなさんは「戦前は社会が特殊だった、一時的におかしくなっていた」と思われてないだろうか。或いは、「憲法が違うから、もう同じことは起きない」などとイメージされてないか。しかし、どうも、違いそうだ。というか、むしろ、状況は似てきているかもしれない。

 

今回は、最近チェックしたその手のものから、現時点で僕が特に興味を持ったものを皆さんに紹介したい。(以下は、いずれも日経ビジネスの「終戦から70年、改めて歴史に学ぶ」シリーズの記事。閲覧するには会員登録が必要かもしれない。)

 

知られざる昭和陸軍のキーパーソンたち

陸軍・宇垣派:満州事変の拡大を一度は抑え込んだ男たち 8/3

満州事変の進路を変えた犬養内閣の陸相人事 8/6

武藤章:日中戦争と太平洋戦争の引き金を引いた男 8/7

 

ちょっと古いが、同じシリーズで以下の記事もとても参考になった。

 

政党は善玉、軍部は悪玉――は間違い 政党政治を自ら壊した政友会と民政党 1/19

 

第一次世界大戦後の日本陸軍の仮想敵国はソ連だったようだ。結局、日本は中国・米国などと戦争をしたが、本来は、米英とは協調路線を取りつつ、中国とは本格的な戦争にならないよう満州を実質支配し満州でソ連を止めることが、陸軍主流派(=宇垣派)の戦略だったらしい。したがって、そこで発生した満州事変(柳条湖事件1931918日)はその戦略外だったから、宇垣派は暴走した関東軍を押さえ込もうとした(そのときの陸軍大臣は宇垣派の南次郎)。

 

しかし、“宇垣派の戦略”は、政治とは共有されていないかったようだ。いや、共有されていたのかもしれないが、当時の政権交代(立憲民政党若槻禮次郎政権立憲政友会犬養毅政権)とともに、関東軍の暴走抑え込みに成功していた宇垣派は陸軍組織の要職から追放され、陸軍大臣にはより強硬派である皇道派トップの荒木貞夫へ交代させられる。翌19325.15事件(犬養毅、高橋是清などが暗殺される)も起き、それらの結果、満州事変は拡大、抗日運動は激化し、米英と日本の関係も悪化していく。すなわち、宇垣派の戦略から外れていく。(この後、陸軍内部では1936年の2.26事件にかけて皇道派から統制派へ実権が移っていくが、この戦略へ戻されることはなかった。)

 

(以上は、主に8/38/6の記事に、Wikipediaなどから時代背景や年号などを補足して記載。以下の記載についても同じ。)

 

以上については、詳しい方は既にご存知のことかもしれない。僕は、“米英協調+ソ連に備える”戦略は、当時の状況から適切なものに思えたが、なぜ、それが引き継がれなかったのか不思議になった。そこで、「戦略は、陸軍の官僚ではなく、政治が持つべきではなかったか」とか、「陸軍の官僚(=一夕会)がなぜ宇垣派の戦略を否定したのか」などを疑問に思った。

 

これらについてもう一度よく読んでみると、8/3の記事に次のようなことが詳しく記載されていた。

 

政治)若槻政権は、中国との関係をよくし、満州利権より、通商で利益を得ようとした。

 

陸軍)ソ連との総力戦に備えて、満州鉄道利権(南満州鉄道、通称満鉄)を守ろうとした。

 

なるほど、政治には政治の戦略があったが、陸軍の戦略とは一致していなかった。そして、政権交代があると政治側の戦略は揺らぎやすい状況だった。では、宇垣派の戦略は、なぜ揺らいだのか? それは、以下のように陸軍内部でも宇垣派と一夕会は下記のように異なる戦略を持ち、宇垣派が一夕会によって追い出されたからだ。

 

宇垣派)ソ連との総力戦に必要な資源は、米国に依存する。即ち、対米協調路線。

 

一夕会)ソ連との総力戦に必要な資源を自給する。そのために中国資源の実質支配を目指す。即ち、米国との協調にこだわらず、臨機応変に対応する。

 

宇垣派は長州閥の流れをくむが、(双葉会や)一夕会は陸軍士官学校出身者の集団で、のちに皇道派や統制派へ分かれていく。宇垣一成は海外留学経験もあり国際感覚を持っていたようだ。陸軍大臣として内閣の方針に協力し軍縮にも務めた。しかし、それゆえ士官学校出身者など陸軍中堅層からは反感を買っていた。

 

当時、米英の生産力は圧倒的だったので、宇垣派の方が現実的な路線だ。これについて、もっとオープンな議論は当時行われなかったのだろうか。政治を交えて、或いは、もっと社会的な広がりを持った議論が行われていたら、どうなっていただろうか。もっと、米英協調的な路線が取られていた可能性が高いのではないか。

 

これについては、上記に参考として紹介した1/19の記事にヒントが記載されている。

 

大正末にワシントン会議がありました。これを契機に平和ムードが高まり、軍人が無用の長物扱いされる時代が続きました。若い将校にお嫁さんが来ない。電車に乗っていると「税金泥棒」と言って足で蹴られる。軍服を着ていると批判されるので、軍事官庁に勤める軍人は背広を着て登庁して、登庁してから軍服に着替える。帰る時はまた背広に着替える。こういう状況があったことを押さえておく必要があります。

 

第一次世界大戦の厭世気分、軍縮、世界恐慌の流れの中で、日本では人身売買が行われるほど厳しい不況が続き、軍事予算の縮減が行われていた。すると、社会的に軍部・軍人を疎む風潮が生まれ、軍部は疎外されていった。恐らく、このような国防に関する本質的で重要な議論が、オープンになされうる社会的環境、雰囲気ではなかったのだろう。まったく残念なことだ。

 

ここまで読んで、さらに残念なことを思い出した。それは、満州事変、日中開戦、日米開戦のいずれのケースでも、マスコミと国民世論は行け行けドンドンだったこと。事前に十分な議論・検討がなされていないことに対し、緒戦でちょっと良い結果が出ると、すぐに結果オーライにしてしまった。特に満州事変では、上記の通り、マスコミと世論は直前まで軍部を毛嫌いしてたのに、すぐに手のひらを返した。ところが、5.15事件後は、今度は政党がマスコミ・国民から疎まれて軍出身者ばかりが首相になった。そして、それが軍部の独走をサポートした。ん? それなら“軍部の独走”ではないかも。

 

今の中国には、尖閣諸島海域への侵犯やガス田開発施設の建設、サイバー・テロなど、悪意すら感じることが色々ある。しかし、一方で爆買いしに来てくれるなど、日本製品の安心・安全を高く評価してくれているという。それに何より、中国共産党指導部は、「日本の戦争責任は、一部指導者たちにあるのであって国民にはない」と言ってるらしい。これは、温情ではないか。

 

オリンパスの粉飾は、経営の中枢にいる極一部の者によって行われていた。この場合、粉飾決算の責任は、一般社員にはない。しかし、東芝では経営者の(暗黙の)号令で、現場が粉飾を行った。現場の責任も免れない。真っ当な会社になるために、どちらが大変か、自明だろう。日本の戦争責任はどうか。

 

日本国民の責任は、本質的に重要な議論を必要なタイミングで行わなかったことにあると、僕は思う。政治も同様だ。それが、その後の軍部暴走に対するサポートへつながったのではないか。この点、みなさんはどのように感じられるだろうか。

 

僕は、銃の所持には反対だが、銃を持つ相手と対峙せざる得ない時には銃を要求する。だが、その前にそういう状況にならない努力を精一杯すると思う。そのとき、もし、お隣さんや友人たちを守ったり、守られたりする関係があれば心強い。数は力になる。交渉力も、防御力も増す。だが、無用な喧嘩をする友人がいれば、諌めなければならないし、一緒になって戦うこともないだろう。その線引きは重要だ。これを国レベルで考えると、その重要な判断を、たまたまそのタイミングで首相の座にいる人に委ねることはできない。

 

与党の安保関連法案は、答弁が薄すぎるし、政権の判断の幅が広すぎて、感じ悪い。(感じ悪いのは、昨年の特定機密保護法案に続き、もう、2回目になる。) 一方で、違憲と騒ぎ立てるだけで、本質的な問題を議論しない一部野党やマスコミの姿勢も、無責任だと思う。

 

このままでは、また、必要なタイミングでの議論を逃しかねない。そしてこのままでは、いざ、何かをきっかけに強硬に突き進む勢力が現れた時に、またそれを追認してしまうような未熟なマスコミ、行き当たりばったりの国民世論が復活してしまうのではないか。即ち、今、この議論をしっかり行い、戦略を共有することが、先の大戦から読み取るべき現在の日本国民の反省と責任なのではないか。

 

願わくば、「憲法があるから日本は平和国家だ」ではなく、道具(=憲法やそれに定められた政治システム)を上手に使いこなす「国民性ゆえに日本は平和国家だ」と言われて胸を張れるようになりたい。

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