523【CF4-05】受託責任〜記述強化の影響
2015/10/27
前回(522ー10/23)は、ED(=公開草案)の“一般財務報告の目的”の記述で受託責任に関する記述が強化されたこと、及び、その結果『「IFRSは短期投資家のための会計だ」という批判をかわす狙いがあるかもしれない』と結んだ。しかし、「だから何?」とか「それは何?」と思われた方がいらしたかもしれない。「まず、“短期投資家のための会計”の意味が分からない」と。
一方、「そんなに“目的”にこだわらなくてもいいんじゃない?」という方もいらっしゃるだろう。「細かいことはどうでも良いからどんどん先へ進めば?」と。しかし、僕はどうしても立ち止まりたくなった。それは、金融庁がIFRS反対派学者に書かせた「Oxford Report」を思い出したからだ*1。
僕は、このレポートを読み進めるうちに、こじつけ・(意図的な?)誤解や間違い・目的と手段を混同した論理的混乱などが随所に見つかり、途中で放り投げてしまった。しかし、全てがダメというわけではなく、興味をそそるアイディアもあった。その一つが、短期投資家の弊害に触れたところだ。
この数ヶ月の株式市場、為替市場の乱高下に関して、アルゴリズムを利用したプログラム売買の弊害を指摘した新聞記事などを、みなさんもご覧になったかもしれない*2。コンピュータが、一定のキーワードや指標の変化に関する情報を見つけると、自動的に、大量かつ高速に売買取引を発注してしまい、相場が大きく振れるのだ。例えそれが誤報であろうと、コンピュータの解釈の誤りであろうと、関係ない。そして、相場が動けば、それ自体が多くの投資家に影響を与え、さらに相場が動くことになる。市場価格がもはや適正とはいえなくなる典型例だ。それに泣かされる投資家は多いに違いない。
単に、外国為替市場に参加している投資家だけでなく、そういう市場価格を決算に利用する企業も迷惑だし、そういう決算を報告される株主や株式投資家・債権者にまで弊害が及ぶ。下手をすれば、金融危機のきっかけにすらなりかねない。但し、これはITの発達によるものであり、IFRSが原因なのではない。IFRSであろうがUS-GAAPであろうが日本基準であろうが、このような取引を行う短期投資家が存在すれば、弊害は生じうる。では、短期投資家とIFRSは無関係か?
しかし、次のような考え方も成り立つと思う。
アルゴリズムには、売買のきっかけさえ設定できれば良いので、包括利益でも純利益でも関係ない。とにかく利益項目があればコンピュータ・プログラムを書くことができる。一方、長期投資家や株主・債権者は、将来の長期にわたる企業の収益力の見通しの変化が問題だ。本当の業績を示すのはどちらか、或いは、包括利益と純利益のそれぞれが示す意味が重要になる。もし、IASBが純利益とOCI(=その他の包括利益)の区別を明確にしないと、長期投資家等は業績に関する適切な分析を行いにくくなる。
つまり、このEDによる一般財務報告の目的の改定は、下記のように、長期投資家等にはより有益となる可能性を期待できる。
概念フレームワークは、IASBが個別IFRSを開発したり改善したりする際に利用されるものだ。その概念フレームワークにおいて、経営者の受託責任の記述が強化され、その結果、一般財務報告の目的と利用者とのミスマッチが改善される。このことは、今回のEDで同時に提案されているOCIや測定基礎(=歴史的原価や現在価額)に関する記述の追加と、無関係ではないだろうと思う。
僕は、OCIや測定基礎などに関して追加される記述は、長期投資家や債権者などにより役立つ内容になると期待し、このEDを読み進めるのを楽しみにしている。そしてそれが、今後の個別IFRSの開発や改定にどのように生かされるかも楽しみなのだ。
ところで、もしそうなれば、上述のような短期投資家にとってIFRSは使いにくい会計基準になるだろうか。残念だが、それは期待していない。短期投資家にとっては理論的な背景や会計基準の改善の方向性などはどうでも良い話だからだ。そもそも、短期投資家の弊害は、会計基準で改善できる問題ではない。
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*1 Oxford Report のIFRS批判
金融商品取引法第1条に「…国民経済の健全な発展及び投資者の保護に資することを目的とする」とあるので、同法に基づく企業開示制度で利用される会計基準が“投資家のための会計”を目的にしていても違和感はない。ここで問題なのは「IFRSは、“短期”の投資家のための会計で、長期投資家やその他の長期的関係を持つ利害関係者にとって有用でない、むしろ、有害だ」という主張があることだ。
Oxford Report は企業会計審議会の議論に付すために金融庁がOxford大学教授に依頼して作成させた論文で、下記の記事に始まるシリーズ(記事数は9本)で取り上げた。但し、作者への不信感が抑えきれずに途中で中止した(その上、金融庁や企業会計審議会への不信感も同様に高まった)。
145 2012/08/03 【Oxford Report】この「序」の意味するところは?
この論文の“短期投資家のための会計”に関連するIFRS批判について、誤解を恐れず概略を記載すると、「IFRSは原則主義と公正価値会計により、情報を瞬時に自動的に売買発注(=プログラム売買)するファンドのような超短期志向の投資家に都合の良い会計基準になっており、健全な投資家の投資活動を阻害している。しかし、IASBはIFRSが資本市場を効率化し、かつ、幅広い利害関係者に役立つと強弁している」という。
この主張に直接関連しそうなところを、ざっと抜き出すと、以下のようなものがある。
P4
一般にIFRS 推進派の主張する「投資家のために有用な会計情報を提供することが、効率的な証券市場を構築するうえで必要不可欠である」という論理やレトリックに対しては、注意深く洗練された投資家と多くの日本企業から強い懸念とその証拠が提示されている。原則主義と公正価値による世界統一会計基準のもとでは財務諸表の透明性と比較可能性は低下すると考えられている。
この文章はサマリーの一部。“注意深く洗練された投資家”に対して、“短期投資家”とは、公開情報をコンピュータを使って瞬時に分析し自動的に株式売買が発注されるようなファンド(下記P42)や、財務報告をよく読まずに一株あたり利益などの財務指標だけで売買する個人投資家などが想定されている。
原則主義と公正価値会計は、具体的な手続きを定めず企業の見積りに依存しているため、本当は企業ごとに処理が異なり、比較可能性はむしろ低下している。にもかかわらず、IASBは比較可能性が高まり効率的と宣伝しているが、それは実態を伴わなない単なるレトリックに過ぎない。本当は違うものなのを、同じものとして扱っても支障がないのは、財務情報を単に取引のきっかけとしか思わない短期投資家のみ。
“注意深く洗練された投資家”は、じっくり時間をかけて分析するので、会計基準が国ごとに多少異なっても問題ない。その上、非財務情報や経済環境要因などに意思決定の多くが依存するので、コストをかけて世界統一の会計基準を作る必要もない。株主や債権者などの企業と長期的な関係を持つ利害関係者は、こちらのタイプに近い。
P42
一般に「投資(家)」として一括りにされているものの中には高頻度トレーディング、アルゴリズム取引、ソーシャル・ネットワーク・ファンドようなものも含まれる。多種多様でいち早く投資決定のできる環境を「効率的な市場」として、あたかもそれが経済社会厚生を増進するかのよう議論されることがあるが、これは検討に値する。インタビューによれば、企業のみならず、証券市場運営者や政府官僚も、適格な投資家や株主のクラス(多様性)というものを考え、それに合った会計・財務報告というものを考案するに値するということに気が付くが、そうした議論は今まで積極的に展開されていない。
P62
一般にはIFRS の目的は「投資家が株式等を購入、売却または保有するかどうかを意思決定するにあたって、有用な情報を提供すること」と解釈されているからであり、これは近年の多くの会計学者に共通の理解である。・・・「概念フレームワークでは、財務報告基準は、第一義的には財務情報の作成者である企業や経営者のためにあるのではなく、投資家などの財務情報の利用者のためにあるとの観点に立って、財務報告の目的を定めていますので、このような目的を踏まえて作成されるIFRS は、『投資家のことを最優先で考えた』基準となる傾向があります。・・・」
P74
…多くのステークホールダーの犠牲の上に特定のステークホールダーの便益が優先される政治経済的な行動に注意が向けられている。こうした観点から過去10 余年にわたるIASB によるグローバル・スタンダダイゼーションを見直してみると、「投資家」という特定のステークホールダーのために(あるいは少なくともそのレトリックのもとに)、財務諸表作成者(企業)を含む他のステークホールダーの便益が、あまりにもないがしろにされるような政治的手法がとられてきた可能性がないか、検討に値する。
P100
数値を見ていち早く投資意思決定が出来る(または見ずともコンピューターが機械的に処理できる)会計と、企業の実態を深く分析させて効率的な投資判断をさせる会計とは異なりうる。IFRS が作り上げている新しい資本市場は、理論が想定していたような効率的な市場ではないかもしれない。
*2 例えば、次のような記事が典型だ。
株式市場の構造変化を映す超乱高下 日経電子版 8/25 無料記事
豊島逸夫氏のコラム。僕が最も楽しみにしているコラムの一つ。みなさんはご記憶にあるかどうかわからないが、8/24(月)の夜に、突然ドル円相場が120円台から116円台まで急落した(=急激に円高が進んだ)。その時のことについて、豊島氏は次のように表現している。
特段のニュースがあったわけでもない。しかし、116円をつければ、それが既成事実となり、そこから新たなレンジが形成されてゆく。このような効率性を追求した結果の市場の構造変化が果たして健全といえるだろうか。
・・・
米国で高速度取引規制論が生じるのも当然と思ってしまう。
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