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2015年12月

2015年12月28日 (月曜日)

538【番外編】来年への期待〜移民戦略

2015/12/28

今年もテレビや新聞などの各メディアで10大ニュースといった特集が組まれる季節になった。それらを見ると、やはり、日本人も犠牲になったISなどのテロ組織の影響が大きい。パリのような具体的なテロ事件のほか、派生するテロ行為、それらによって内向きになる各国の世論や政治勢力、欧州の難民問題など。ウクライナ問題やギリシャ危機でさえ、すっかり影が薄くなっている。

 

アジアや日本に関することでは、中国のジャイアン化から、南シナ海の緊張や日本安保法制、さらに中国人の爆買いを含め、中国経済の行方に関心が強いようだ。一方、意外に、TPPや今年もジワリと残高が増えた国債など公的債務削減への関心は薄いように思える。さらに(日本の)移民政策に至っては、全く眼中になさそうだ。

 

僕も、移民政策について定見があるわけではない。しかし、移民なしでやっていけるか、移民なしの将来はどうなるのか、どうもイメージが湧かず、不安だけがある。

 

高齢化・人口減という低経済成長率をもたらす要因は今後さらに強まっていき、いずれマイナス成長が常態化するかもしれない。すると、多額の公的債務を減らすことはできなくなってしまう。これを回避するには、女性活躍社会とか、人工知能・ロボット、IoT活用による生産性の向上などと言われ、移民政策の議論は優先順位が低い。

 

しかし、来年は議論だけでも、盛上がらないだろうか? 実際にやるかどうかは別にして。

 

このように思うのは、実は、女性活躍社会を実現するための議論で、男性の働き方に焦点がしばしば当たるからだ。僕も、仕事・労働に対する固定観念がかなり壊されて、この議論に(全てではないが)心地よい気がしている。

 

同じように、もし、移民政策の議論が始まるともっと他の分野に焦点が当たり、日本の社会的な固定観念に変化を与えるきっかけになるのではないか。それを期待したいのだ。

 

ちょっと楽観的過ぎるかもしれないが、例えば…

 

介護サービスは、きっと、“老い”に対する様々な分野からの理解が進むことでより正しいアプローチが開発され、さらに、人工知能やロボットの実用化が進むことで、大きく生産性を上げてくれるだろう。他の産業でも同様に省力化が図られることを期待したい。

 

ただ、そのためには、そのようなイノベーションを生み出すアイディア・資金力・実行力を持った人々が必要になる。日本は素晴らしい研究があってもビジネスで成功させることが苦手な面がある。このままでそこが足りるだろうか。移民で補わなくて良いか?

 

みたいな議論になると面白い。なぜなら、そういう人々を世界から惹きつけるために、日本がどうあるべきかという議論につながるからだ。きっと、語学教育を始め、社会に良い変化をもたらしてくれそうな気がする。

 

これは、世界中で競争になる。どこの国もみんな望んでいるだろう。それがまた良い。具体的な競争を想定できた方が、議論が空理空論に走らず、身のある展開が望める。

 

 

というわけで、今回は、来年への期待を書いてみた。これで今年の締めくくりにしたいと思うが、気が向けば、もう1つぐらい書くかもしれない。とりあえず、みなさん、良いお年を。今年もありがとうございました。

 

2015年12月24日 (木曜日)

537【CF4-12】不確実性の引越し〜財務報告の価値

2015/12/24

先週金曜の日銀の“追加緩和の補完措置”で、円や日本株の相場は、すっかり冷えてしまった。ありがとう、日銀。おかげで僕の気分は、実際のお天気がどうであれ、吹雪のホワイト・クリスマスだ*1

 

さて、そんなことはどうでも良い。このところ番外編が続いたが、今回は本題に戻って概念フレームワークの公開草案(=EDの検討に戻りたい。

 

前回(535-12/10)は、“不確実性”に関する記述が、財務情報の基本的な質的特性の1つである“忠実な表現”のところから、もう一つの基本的な質的特性である“目的適合性”へ引越しし、かつ、記述が拡充されたことを記載した。不確実性は忠実な表現に反しない範囲で受容されるものから、目的適合性に合えば許容されるものへ変わったように見える。その結果、読者が関心の高い分野(=重要性が高い分野)では不確実性が高くても会計上の見積りを企業へ要求し、読者の関心の低い分野(=重要性が低い分野)では会計上の見積りを要求しないといった、会計基準上の扱いがしやすくなったのではないかと思われた。そして僕は、この引越しを良い引越しと評価した。

 

今回は、前回の末尾で予告した通り、この変更の意図を読み解いていく。

 

ところで、IASB議長のハンス・フーガーホースト氏が来日しており、21日に開催された報道機関向けの説明会で、東芝の粉飾事件に関する質問に対して、次のような発言をしたらしい。

 

不正の起きない会計基準を作ろうとしているが、企業側の会計操作の意志があればそれを100%回避できない*2

 

何ら目新しいことはなく、むしろ、当たり前の発言だ。会計基準開発に携わる人々が、ずいぶん昔から繰返し発している鉄板フレーズだと思う。僕は、それが、今回のテーマに深く関わっていると考えている。

 

不正の起きない会計基準を作ろうとしている」にも関わらず、IFRSUS-GAAPは、不確実性が高く、かつ、経営者の判断に依存するため恣意性の介在しやすい会計上の見積りを、どんどん会計基準に取り込んできた。日本基準も同様だ。これは、反IFRS派や反公正価値測定派などから、格好の批判材料になってきた。会計上の見積りは信頼性が低く、会計基準で多用すべきでないと。

 

ならば、不確実性の記述を“忠実な表現”から移して良いのか。むしろ、もっと不確実性と“忠実な表現”の結びつきを強めるべきではないか。なぜなら、“忠実な表現”は、2010年以前の概念フレームワークで用いられていた質的特性である“信頼性”のことだからだ(EDの結論の根拠(日本語)P24の脚注9)。

 

しかも、2010年以前の“忠実な表現”である“信頼性”は、“検証可能性”という補強的な質的特性をその一部に含んでいた。しかし、“忠実な表現”に変わる過程で、それは外された。即ち、IASBは、「検証できるから信頼できる」という考え方を概念フレームワークから遠ざけた。

 

このように考えると、鉄板フレーズの「不正の起きない会計基準を作ろうとしている」という発言の真意を疑いたくなるだろう。反IFRS派や反公正価値測定派などの主張も、分からないではない。また、僕は監査人出身だから、監査が困難な会計基準を敬遠したくなる気持ちもある。

 

では、「IASB議長は嘘つきだ」だろうか?

 

もちろん、そうではない。ただ、我々が期待するほど、このフレーズに対する思い入れは強くなさそうだ。というのは、IFRS等では「不正の起きない会計基準」より「読者に価値のある情報を提供できる会計基準」の方が、優先されていると思うからだ。

 

みなさんの中には、「財務情報が信頼できないなら、価値もないだろう」と思われる方もいるかもしれない。しかし、恐らくIASBは、その懸念より「“信頼できても価値のない財務情報”には意味がない」という思いの方が強そうだ。

 

例えば、既に確定した取引のみを集計し、すべて取得原価で財務諸表を作成すれば、かなり見積もりは不要になるし、情報に嘘はないかもしれない。その結果、市場価格の変動も、資産の減損も除去債務も考慮されなくなる。しかし、それを見たがる読者はどれぐらいいるのか。そういう情報に高い価値があるだろうか。恐らく、IASBでは、こういう疑問の方が優っているのだ。

 

2010年の改定では、信頼性を質的特性から外した。今回は、不確実性(会計上の見積り)の記述を、忠実な表現から目的適合性へ引越しさせた。これは、「信頼性より目的適合性を優先させる」というIASBの意思の現れだと僕は思う。

 

会計基準に頼れないとすれば、信頼性はどうやって担保すれば良いのか?

 

もちろん、それは監査だ。しかし、会計上の見積りは検証困難ではないか。経営者の判断とか、心の内にしかない根拠をどうやって検証するのか。

 

それでも、監査だ。監査しかない。但し、監査人だけで達成できるものではない。究極的には、経営者が説明責任を果たすこと、これに尽きる。まずは監査人に説明し、監査人を納得させられるか。監査人が納得しないものは、恐らく、外部からも納得が得られないだろう。監査人がそういう存在になり、かつ、経営者が説明責任を強く自覚することが最も重要だ。

 

これも昔から言い古されてきた鉄板フレーズだが、決して錆びていない。むしろ、会計上の見積りが重要性を増してくればくるほど、さらに輝きを増していくと思う。

 

今回のEDでは、前回(535-12/10)の欄外でも分かる通り、不確実性に関する記述が引越ししただけでなく、分量が倍ぐらいに増やされている。そこには、会計上の見積りの必要性や不確実性と目的適合性のトレードオフ関係が、以前より明確に記載された。

 

僕には、IASBが「財務報告の価値を上げるのは企業自身の努力だ」「経営者や監査人が役割を果たすことだ」「会計基準はそれをサポートする」と思っているように感じるのだが、みなさんはどう思われるだろうか。

 

 

最後にもう一つ鉄板フレーズを。「投資は自己責任」 メリー・クリスマス!

 

 

🍁ー・ー🍁ー・ー

*1 ここでいうホワイト・クリスマスは、「外は雪で寒くても、家の中は暖炉と団欒でほっこり」ではない。お分かりと思うが、「吹雪の中に放り出されて、懐も心も凍えそう」だ。

 

 

*2 IASB議長「日本やアジア企業のIFRS導入広がっている」 日経電子版 12/21 無料記事

 

 

 

2015年12月22日 (火曜日)

536【番外編】サンフレッチェ広島、世界第3位

2015/12/22

12/20(日)にクラブW杯の3位決定戦と決勝が、横浜国際競技場(=日産スタジアム)で開催され、僕も見に行った。決勝ではMSN(=メッシ・スアレス・ネイマール)が大活躍してバルセロナが優勝を決めたが、僕にはサンフレッチェ広島の第3位の方が強く印象に残った。

 

このブログでは、以前も横浜国際競技場での観戦について記載したことがある。覚えておられる方もいらっしゃると思うが、その時は座席がサッカー選手から遠く、かつ、手前側ではなく、遠い方のゴールに全てのシュートが決まったので、老眼が始まっている僕にはきつかった様子を書いた*1

 

「それなのに、また、行ったの?」と思われた方もいるかもしれない。

 

そこで、今回は双眼鏡を用意した。今回はゴール裏2階の安い席(でも高価!)である上に、見たいのはなんといってもMSN。彼らの素晴らしいテクニックは、遠くからではごちゃごちゃとしか見えない。だから、絶対に双眼鏡が必要と思ったのだ。

 

しかし、2試合を見終えて、新横浜駅へ向かう途中で友人と話したのは、バルサのことではなかった。「今日印象に残ったのは、圧倒的に広島だよね。バルサはMSNが当たり前に活躍して当たり前に勝ったけど、広島はアジアで敵なしの広州相手に広島サッカーで見事な横綱相撲を披露してくれたものね」と話し合った。

 

しかも、今回の広島ー広州戦は、すべてのゴールが手前側のゴールで決まった。試合開始早々に決められた広州の先取点も、後半広島が決めた同点弾、逆転弾もすべてだ。2階席ではあるが、双眼鏡なしでも、十分に見られる近い距離だった。

 

それなら、双眼鏡は要らなかった?

 

そうではない。実は、上記は僕の友人にとっての話であって、僕は違っていた。もちろん、僕らは隣りの席で一緒に観戦したのだが、広島の2発が決まった時に限って僕はその席にいなかった。では、僕はどこにいたのか、そして、なぜそうなったのか。

 

これには、僕ら2人の、観戦準備の違いが関わってくる。

 

僕は、上記の通り、進みつつある老眼を心配し、双眼鏡を準備した。一方、友人は、寒さを心配し万全な防寒対策をしてきた。これが明暗を分けた。

 

スタジアムに到着した頃は、友人は「暑い、暑い」と言っていた。駅からちょっと歩いただけで、友人は汗をかいていたのだ。僕は「防寒対策が、大袈裟過ぎるからだよ」とせせら笑っていた。

 

しかし、試合が始まる頃になると寒くなった。冬のスタジアムの寒さは十分知っているつもりだったが、暖冬なので甘く見ていた。ちょっと予想以上だった。

 

真下の1階は、広州サポーター席だった。向こう側には、広島サポと、バルサと対戦するリバープレート・サポが陣取っていて、熱心に応援していた。必然的に、我々はちょっと引いた感じで、おとなしく観戦することになった。広島は、試合開始早々に先取点を奪われたし、これがまた、寒さに輪をかけた。

 

前半終了後の休憩時間に、友人が「何か暖かいもの買ってくるね」と言って席を立ったが、「売店の行列が長すぎて諦めた」と戻ってきた。期待が裏切られて、さらに寒くなった。

 

後半も中頃のこと、僕は、3位決定戦と決勝戦の間はさらに売店の行列が長くなるのではないか、と不安に駆られた。試合中なら行列が短いだろう、暖かいものを買うなら今のうち、と思ったので、今度は僕が「暖かいもの買ってくるね」と言って席を立った。

 

しかし、十分行列は長かった。でも、寒かったから並んだ。すると、「ウォー!」と急にスタジアムが盛り上がった。そして、広島の同点ゴールがアナウンスされた。さらにそのまま並んでいると、再び盛り上がった。今度は広島の逆転ゴールだった。

 

みなさんは、「やっぱり双眼鏡は無駄になったな」と思われたかもしれない。友人も、僕がフランクフルトとつくねのくし刺を持って席へ戻ると、それを受け取りながら「大事なシーンを見逃したね」と、礼も言わずに笑った。しかし、最初に述べたように、そうではない。それは違う。

 

売店の脇にはモニターがかけられており、試合の様子が映されている。だから、僕は、長い行列の後方から双眼鏡でその同点ゴールを見た。双眼鏡がなければ、多分、何が起こったのか全然わからなかったと思う。間違いなく、双眼鏡が役立ったのだ。ただ、逆転ゴールの時は、列がだいぶ進んでモニター付近にいたので、双眼鏡は不要だったが。

 

友人にも「双眼鏡を持ってきてよかった」と強弁した。が、もちろん、内心は忸怩たる思いだった。

 

寒さ対策をした友人と、老眼対策をした僕。どちらも、サッカー観戦に備えた準備をしてきたのだが、明らかに軍配は友人に上がった。そして僕は、次のように反省した。

 

広島の試合運びは後半に特徴がある。勝っていれば逃げ切るために、そして負けていれば逆転するために、必ず、後半にフレッシュな攻撃選手を投入する。広島は、Jリーグの時と同様に、クラブW杯でも、一貫してこのパターンを継続していた。であれば、試合後半に席を立つようなことをすべきではなかった。そのためには、いくら暖冬でも、しっかり防寒対策を準備をすべきだった。

 

とんだサッカー観戦になったが、それでも、サンフレッチェ広島のサッカーは素晴らしかった。

 

 

🍁ー・ー🍁ー・ー

*1 477.【投資】黒田発言で衝動買い(6/15)」の導入部分。

 

 

2015年12月17日 (木曜日)

535【番外編】監査業界は厳冬

2015/12/17

一体、いつ、冬が来るのか? そんな暖かい陽気が続いているが、この記事が公開される17日は、東京でも最高気温が12℃とかなり寒い予想となっている。ようやく冬らしくなるだろう。しかし、それより一足早く、しかも、吹きすさぶ寒風にさらされている業界がある。監査業界だ。

 

15日、公認会計士・監査審査会(=CPAAOB)は、新日本監査法人に対する検査結果を公表した*1。内容は厳しいもので、冒頭に「運営が著しく不当」(運営とは、経営のこと)とされている。素直に読めば「経営者はクビ」ということだろう。

 

今回は、どんな点が不当だったかについて、僕の理解できる範囲ではあるが、公表文の趣旨に沿って、専門用語をなるべく避けながら記載したい。

 

但し、注意していただきたいことがある。すべての社員・スタッフ・監査業務に問題があったということではない。多くの監査業務を検証した結果、幾つかの監査で発見された問題に関して、法人全体の対応、例えば、個々の問題点を改善したり、他の監査業務へも展開し問題を未然に防ぐといった対応の徹底が不十分だった。

 

問題があったのは間違いないが、みなさんがご存知の新日本監査法人の方々のこととはお考えにならないでいただきたい。

 

  1. 経営陣の問題ー過去の指摘事項への対応が悪い。

 

以下の2〜4を総括して、経営陣の責任としている。過去の指摘事項の改善が十分でない。(経営陣は、監査サービスを熟知している。一般企業の会計不正とは異なり、知識が不足していた、などという言い訳はできない。経営陣には、より直接的な責任がある。) 

 

  1. 組織の問題ー過去の指摘事項への対応が悪い。

 

検査等による指摘事項への対応は、品質管理部門を中心に分析され対策へ落とし込まれたものが経営陣によって承認され、それを各事業部門が個別の監査業務へ導入する。品質管理部門は、もともと備わっている Plan-Do-Check-Action の仕組みの中でその導入状況を検証し、改善へ導いていく。各事業部門は個別の監査業務のDoを指示・サポートする役割だ。

 

問題とされたのは、Check-Actionの部分の実効性と、その態勢だ。どうやら、Check-Actionのやり方が悪く、早急に変更すべき監査計画を適時に修正できないとか、以前から(CPAAOBが)繰返し指摘している“分析的実証手続”と呼ばれるP/L項目を中心に適用される監査手続の不備が、現在の態勢で改善されなかったらしい。

 

その他に、地方事務所の監査業務の不備が前回に引続き今回も発見されたとか、各事業部門のDoの指示・サポートが徹底してない、一部社員の監査業務の指揮が不十分(調書査閲不十分)といった指摘が挙げられている。

 

最後に、「当監査 法人の品質管理態勢は著しく不十分である」と、恐ろしい言葉で締め括られている。これはまるで、飲食店が「衛生管理が全然ダメ」といわれているようなもの。

 

  1. 社員の問題ー監査人としての心構えや姿勢が不足する人がいる。

 

社員とは、個別の監査業務を指揮し監査報告書にサインする人のこと。監査人としての心構えや姿勢(=職業的懐疑心)は、監査法人が社員昇格させる際に最も重視する、基本中の基本。監査人が監査人たる所以ともいえる。

 

これを指摘された人は、社員失格の烙印を押されたに等しい。また、外部からそういう指摘を受けるまで気がつかない人事評価制度の不備やそういう状況の放置の責任など組織の問題が滲んでいる。

 

CPAAOBがこのような評価を下したのは、監査計画におけるリスク・アプローチ(=リスクの大きいところに監査の重点を置く考え方)不十分、重要な会計上の見積りに対する監査手続の不備、重要な勘定残高の異常値の放置、経営者による内部統制無効化の検証が未完成(というか、ほぼ未実施)、という状況を(一部に)発見したかららしい。

 

  1. 審査の問題ー甘い

 

審査とは、監査報告書の内容と発行を法人として承認・許可するチェック手続のこと。その監査業務と無関係の社員が担当し、必要があれば(=難しい問題があれば)、品質管理部門の応援を受ける。時には、監査法人の経営会議(取締役会)まで進むことがある。

 

この公表文では、審査担当社員が監査チームが審査用に作成した資料を閲覧するだけで、重要な不正リスクについても、監査チームの対応を監査調書で確認していないと指摘している。審査は、誰が担当するかで厳しい・甘いの差は確かにある。ただ、そのやり方は規定や慣習的なルールで、概ね、法人内で統一されていると思う。したがって、これは一部の問題ではなく、法人全体に共通する問題かもしれない。

 

 

一つ、この公表文の異常な点を指摘しておきたい。

 

この公表文には“東芝”の文字は一つもない。一見、東芝の件とは全く関係がないような内容になっている。しかし、CPAAOBは、もう10年も前から大手監査法人を少なくとも2年に1回は検査してきた。なのに、なぜ、突然、今回だけ、新日本監査法人にこれほどひどい評価を下したのか。別に新日本監査法人が突然怠け出したわけではない。それに、新しい問題の指摘はない。

 

東芝の件があったからだろう。間違いない。(欄外に紹介した日経新聞の記事では、東芝の監査業務に重点の一つが置かれていたことが記載されている。)

 

今回ひどい評価をするなら、もっと以前からそうすべきだったのではないか。ひどくない、或いは、以前と同じレベル、ということなら、そういう内容の公表文にすべきではないか。以前と同じレベルだが、それではダメだと考えを変えたので、処分を勧告した。これが実態ではないか。それなのに、その説明が全くないこの公表文は、まるで、CPAAOBの責任逃れのように思えてしまう。

 

或いは、別の意図があるかもしれない。それは、他の監査法人に対する警告だ。

 

今回のような問題を起こせば、手の平を返して金融庁に処分を勧告しますよ、過去の評価とは関係ないですよ、という脅しだ。実は、一見、分かりにくいこの公表文の指摘事項の内容を、僕はかなり確信をもって理解できる。というのは、現役の監査人だった当時、同じような指摘を読んだ記憶があるからだ(但し、審査の指摘は除く)。もう、辞めて4年半も経つ。かなり過去のことだ。

 

新日本では、それらがまだ改善されてなかったのか。僕のいた監査法人は治っただろうか?

 

治っていなければ、いつでも、CPAAOBは今回のような評価を下すネタを持っていることになる。同じ指摘を受け続けている監査法人がもしあれば、背筋の凍る思いがしているだろう。

 

しかし、それでは処分が基準もなく極めて恣意的に決められることになる。監査人にとっては暗黒時代だ。見えるのはCPAAOBの検査官の顔だけで、クライアントや投資家・株主といった本来責任を負うべき相手の顔は、ますます霞んでいくだろう。このやり方は良くない。

 

それに今回の件では、CPAAOB自身にも反省すべき点があるはずだ。恐らく、東芝のような大規模な監査業務は、過去に検査の対象になっていただろう。その検査結果はどうだったのか。(もし、検査されたことがないというなら、サンプルの取り方がおかしい。)

 

加えてもう一つ。同じ指摘事項が指摘され続ける本当の原因も考えてみるべきだ。簡単に、監査人の心構えや姿勢(=職業的懐疑心)だけで片付けられる問題ではない。

 

リスク・アプローチのためと称して、様式化した形式的で膨大な監査計画の調書を作らせる監査基準を見直すべきだ、と僕は思う。そんな様式など、国の制度として(国際監査基準に準拠しているのだが)コピペを推奨しているようなものだ。むしろ、監査業務ごとに、異なる形やアプローチがあってしかるべきだ。膨大な量の様式の穴埋め作業は無駄だし、人は育たないし、それこそ、監査が形骸化する原因になっている。もっと原則主義の規制が良い。日本からそういう発信はできないものだろうか。

 

監査法人の品質管理は改善が必要かもしれないが、国の監査を規制する仕組みも見直しが必要だと思う。僕は、何度かこのブログに書いている通り、監査法人や監査人の過去の業務内容(特に問題業務)に関する情報開示を徹底し、市場原理を利用して不良サービスが自然淘汰される仕組みにするのが良いと思う*2。その方が、シンプルに、監査人がその責任と結果を感じ取れるに違いない。

 

 

🍁ー・ー🍁ー・ー

*1 CPAAOBのホームページに掲載されているのは、印刷すればA4で1〜2枚の短いもの。

 

新日本有限責任監査法人に対する検査結果に基づく勧告について

 

抽象的な記述しかないので、取材も加味した日経新聞の記事がわかりやすい。

 

新日本監査への行政処分を勧告 東芝手続きで重大不備  12/15 無料記事

 

*2 例えば、最初に書いたのは、下記の記事だと思う。

 

【期待ギャ】「不正に対応した監査の基準の考え方(案)」(企業会計審議会監査部会)の「不正の端緒」 (2012/10/20)

 

 

2015年12月15日 (火曜日)

534【投資】X'masは楽しいかも?

 

2014/12/15

僕には、原油が冷たい炎を上げて燃えているように思える。原油相場の下落で、株式相場がすっかり冷めてしまった。厄介なことになった。

 

みなさんもご存知の通り、株式相場は大荒れとなっている。昨日の日経平均終値は、あっさり19,000円を割って18,883円となった。前回の記事(530-12/1)では、毎月恒例の米国雇用統計も期待外れはなさそうだったし、ECBの追加緩和と米FOMCの利上げ決定を順調に消化していけることを想定していた。ただ、利上げで材料出尽くしとなり、それをきっかけにして相場が崩れる前に、短期保有分を売れば良いと思っていた。

 

しかし、そうは問屋が卸さなかった。

 

確かに、米雇用統計は期待以上だった。しかし、ECBの追加緩和にケチがつき、原油相場の下落がとどめを刺した感じだ。僕の場合、原油下落がまったく想定外だった。

 

この時期にOPEC総会が開催されていることは、多くの方がご存知だったと思う。僕も知らないわけではなかったし、OPECが減産を決められるとも思っていなかった。ただ、それがこれほど株価にインパクトを与えることになるとは、思っていなかった。まったく甘かった。

 

とはいえ、ものは考えようかもしれない。

 

米国経済は基本的には調子が良い。日本経済も懸念されていた設備投資が復調し、GDP成長率が上方修正される状況だ。欧州も、ECBが機敏に対応して投資家の期待をつないでいる(僕は、期待はずれとされるECBの追加緩和策を悪い対応とは思っていない)。この数ヶ月のうちに危機が訪れるとは思えない。

 

加えて、この間に、懸念されていたドル高がかなり是正されており、米株価の頭を押さえていた新興国のドル建て債務問題や米国多国籍企業の業績については、逆に、少しだが余裕ができた。

 

要するに、株価が急落したものの、不可逆的な何かが変わったわけでは、まだ、ない。単に(FOMCで利上げが決まる直前に)原油相場が下落しただけだ。前回(530-12/1)記載した投資家の猜疑心が、増幅され、少々早く動き出した。だが、投資家の猜疑心は、“良い知らせ”があれば晴れる。

 

僕は、この相場は逆転する可能性があると思う。問題は、その“良い知らせ”が何か、そしていつか、だ。素直に考えれば、それは原油相場の安定や持ち直しにつながる情報だが、もしかしたら、FOMCの利上決定だけで十分かもしれない。僕は、FOMCの利上げで、一時的かもしれないが、原油相場が安定若しくは持直しし、株価も(少なくとも一時的には)反転するのではないかと思っている。というか、願っている。

 

ただ、原油相場の中長期的な需給見通しには厳しい意見もあるようだ。例えば、「原油相場に対して長期の弱気派であるゴールドマン・サックスは、2016年に相場が反発するか安定するとの見方は全く的外れであり、米原油先物価格は現状から約5割安の20ドルまで値下がりする可能性があるとみている」という報道もある*1。それにもかかわらず、僕がこのように思ったのは、次の記事がきっかけだ。

 

ヘッジファンドの原油売りポジション、過去最高に-OPEC決定で 12/14 Bloomberg

 

原油相場は、実需取引より先物取による投機取引に左右されるらしい。「売りポジションが過去最高」とあるが、売りポジションは必ず買い戻されるので、逆に、相場が上昇するきっかけになりえる。僕が注目したのは「過去最高」という部分で、ここまで売りポジションに傾くということは、ヘッジファンドは「近々起こる原油相場を下落させる具体的事象」を何か想定していると思うのだ。超短期思考のヘッジファンドは、中長期的な見通しだけで、過去最高の売り建てをしないのではないか。であれば、何を想定しているのだろうか?

 

それを、“FOMCの利上げ”と考えるのはどうだろうか。

 

もちろん、僕の知らないもっと別のイベントがあるのかもしれない。しかし、「FOMCの利上げドル高原油安」も鉄板のように思える。そして、実際に利上げされ材料出尽くし感が生じれば、ヘッジファンドは、少なくとも一部を利益確定し、その際に原油相場が一時的に安定・持直し、株高へつながるのではないか。

 

要するに、猜疑心が利上げより先に動いたため、逆に、利上げが相場の不透明感を払拭する“良い知らせ”になるのではないか、そして、株式相場が反転するきっかけになるのではないかと思うのだ、いや、願う。

 

ん〜、なんとも危険なシナリオだが、僕としてはそこに望みを託すしかない。当たれば、楽しいクリスマスを迎えられる。外れれば、ちょっぴり(じゃないけど)損をする。ただ、それだけだ。それに、それはそれでテンションが上がるだろう。(やけになって。)

 

 

なお、昨日(14日)は、原油安以外に「ハイイールド債」などの信用度の低い企業が発行する高リスク債券を運用する米国の投資信託やヘッジファンドの破綻も報じられた*2。ただ、このマーケットからの資金流出は、かなり以前から報じられていたので、(特に短期的には)原油ほどの影響はないと思う。むしろ、欄外の豊島逸夫氏のコラムの末尾にあるように、公表されるFOMCメンバーの金利上昇ペースの予想が抑えられる可能性がある。

 

市場の関心は、利上げ決定それ自体より、その後の利上げペースの緩さに移っているといわれているので、むしろ、一時的に株式相場に良い影響を与えるかもしれない。(楽観しすぎ?)

 

 

🍁ー・ー🍁ー・ー

*1 焦点:2016年の最大のリスクは引き続き原油価格REUTERS 12/10)の3ページ目後半より。

 

*2 “ハイイールド債”関連の情報については、例えば以下のものがある。

 

Page1980 利上げ直前ファンド破たん相次ぐ、円119円台も視野に 12/14 豊島逸夫氏ブログ(日経電子版に同内容のコラムがある。)

株、一時600円安 よみがえる「危機」の記憶 12/14 日経電子版有料記事

訂正:日本株が急落、「パリバショック」が脳裏に REUTERS 12/14

 

日経とREUTERSは、14日の日本株の急落が、ハイイールド債を運用する米ファンドの破綻と関連するような書き方をしているが、大袈裟だと思う(単純に、先週末の米株下落と円高の流れを引き継いだに過ぎないと思う)。

 

これら新聞社の記事は、中長期のリスクを考える上で参考にはなるが(REUTERSの記事の方が詳しい)、ハイイールド債の商品内容や問題を抱えた債券の発行体は全体の一部にすぎないことを考えれば、サブ・プライム・ローンと同じであるかのように書き立てるのは無理がある。

 

サブ・プライム・ローン問題は、返済が見込めない債務者のローンを掻き集めてトリプルAの金融商品に合成したので、マーケットの流動性が失われた際には、金融商品の価値がほとんどなくなり巨額の損失が発生した。一方、ハイイールド債は、返済が滞るのは主にシェールオイル・ガス業界に属する一部の債務者で、それ以外の大方の債券は待っていれば回収が見込める。利上げできるほど米国経済が好調であることを考慮すれば、損失は多額にならないはずだ。

 

 

2015年12月10日 (木曜日)

533【CF4-11】不確実性の引越し

2015/12/10

人生において、“不確実性”は非常に重要だ。もし、予めすべてが決まっていたら、人生は味気ない、色褪せたものになってしまうだろう。前回(532-12/8)記載したゴルフも同じだ。もちろん、限度はあるが、“不確実性”があるから人生は面白い。しかし、会計は違った。会計は結果報告という目的・性質があることから、従来(=会計ビックバン以前)は、“確実なもの”を処理対象にすることで、“確実な利益”を報告してきた。

 

ところが、IFRSの概念フレームワークでは、“不確実性”が会計処理対象に含まれることを是としており、それが“会計上の見積り”という作成者の判断が重要な会計手法の多用につながっている。これが、現代会計の特徴といわれることもある。このように、“不確実性”の扱いは重要なのだ。

 

その“不確実性”に関する記述を、このEDで変えることをIASBは提案している。これを避けて通るわけにいかない。

 

 

前回も記載したが、現行の概念フレームワークは2つの基本的な質的特性のうち、“忠実な表現の説明の中で不確実性を扱っていたQC16)。しかしこのEDではもう一つの基本的な質的特性である“目的適合性の説明の中引越しさせた(2.12-13)。同時に、“測定の不確実性”という小見出しを付し、2段落を使って、“会計上の見積りの必要性”と、“不確実性のレベルと目的適合性のトレードオフ関係”についても説明し、以下のように〆ている。

 

ED

、測定の不確実性のレベルが高くても、見積りが最も目的適合性の高い情報を提供する場合には、当該見積りの使用を妨げるものではない。(2.13)

 

EDで提案されている変更は、記述場所の引越しと、記述内容の充実だ。この変更を象徴するこの〆の文章を、現行の概念フレームワークの該当部分と比べてみよう。それは次の通り。

 

(現行の概念フレームワーク)

見積りの不確実性が非常に大きい場合には、忠実に表現しようとしている資産の目的適合性に疑問がある。より忠実な代替的な表現がない場合には、その見積りが最も利用可能な情報を提供するかもしれない。QC16の末尾)

 

どちらも、不確実性の高い見積りを使用する場合があることを示唆している点は同じだ。ただ、その条件に、現行は“忠実な表現”を、EDは“目的適合性”を挙げている。これは、ちょうど、引越しに対応している。

 

では、“忠実な表現”を条件にした場合と、“目的適合性”を条件にした場合で、何が違うのだろうか。

 

このEDの結論の根拠では、“忠実な表現”は、以前使われていた“信頼性”という言葉に対応するものだと、かなり長々と説明している。だとすれば、忠実な表現を条件にした場合(=現行)は、次のように考えることができる。

 

不確実性が高くても、他にそれ以上信頼性の高い表現がないならば、見積りを使うことがありえる。

 

一方、このEDの提案、即ち、“目的適合性”を条件にした場合は、次のように考えられる。

 

不確実性が高くても、読者の関心に沿った財務情報となるなら、見積りの使用を妨げない。

 

読者の関心とは、一般財務報告の目的で説明されている「企業が生み出す正味将来キャッシュ・フローの見通しに役立つこと」及び「経営者の受託責任の評価」だ。どちらも、“当期純利益”や“包括利益”、“営業キャッシュ・フロー”などが重要になる。典型的には、将来キャッシュ・フローの見通しには過去数期間の利益や営業キャッシュ・フローの推移、受託責任の評価には当該期間の利益情報が、読者が求める財務情報の軸となるだろう。

 

ちょっと大胆に解釈すると、IASBは、「利益や営業キャッシュ・フローに重要な影響を与える項目については、不確実性が高くても会計処理の対象にするような会計基準を作ります」と言っているように読める。(概念フレームワークは、IASBが会計基準を開発する際の指針だから。)

 

逆に、読者の関心との関連の低いところでは、「不確実性が高いことを理由に会計処理を行わない」という会計基準にすることが可能だ。これは確かに「他にもっと“忠実な表現”があるかどうか」より、合理的といえそうな気がする。読者の関心の低いところは重要性も低いので、測定値が不確実となるような危険を冒す会計基準は必要ない。

 

ということで、この引っ越しは、良い引っ越しと考えて良さそうだ。

 

 

では、次に、記述内容を充実させたIASBの意図を考えてみよう。上述したように、EDには2つの段落を使って「会計上の見積りの必要性」や「不確実性のレベルと目的適合性のトレードオフ関係」が記載されている。しかし、現行の概念フレームワークは、「忠実な表現と有用な情報」について論じたQC16項の後半で、触れられているにすぎない*1

 

だが、これについては次回に繰り越したい。

 

🍁ー・ー🍁ー・ー

*1 今回議論の対象となったこのEDによる不確実性の記述は以下のとおり。

 

測定の不確実性

2.12 財務情報の目的適合性に影響を与える1 つの要因は、測定の不確実性のレベルである。測定の不確実性は、ある資産又は負債の測定値が直接には観察できず、見積らなければならない場合に生じる。見積りの使用は、財務諸表の作成の不可欠の一部であり、財務諸表の目的適合性を必ずしも損なうものではないが、見積りは適切に記述し開示する必要がある(2.20 項参照)。

 

2.13 見積りは、たとえその見積りに高いレベルの測定の不確実性がある場合でも、目的適合性のある情報を提供する可能性がある。それでも、測定の不確実性が高い場合には、見積りは測定の不確実性のレベルが低かったとした場合よりも目的適合性が低い。したがって、測定の不確実性のレベルと情報の目的適合性を高める他の要因との間にトレードオフがある。例えば、見積りの中には、見積りの不確実性の高さが他の要因を上回っているため、もたらす情報にほとんど目的適合性がないものがある。他方、測定の不確実性のレベルが高くても、見積りが最も目的適合性の高い情報を提供する場合には、当該見積りの使用を妨げるものではない。

 

現行の概念フレームワークの記述は以下のとおり。

 

もう少し微妙な例は、資産の価値の減損を反映するために当該資産の帳簿価額を修正すべき金額の見積りである。その見積りは、報告企業が適切なプロセスを適切に適用し、その見積りを適切に記述し、その見積りに大きく影響する不確実性を説明している場合には、忠実な表現となり得る。しかし、そうした見積りの不確実性が非常に大きい場合には、その見積りは特に有用ではないこととなる。言い換えれば、忠実に表現しようとしている資産の目的適合性に疑問がある。より忠実な代替的な表現がない場合には、その見積りが最も利用可能な情報を提供するかもしれない。QC16の一部)

 

現行の概念フレームワークの書き方は、“ついでに書いた”感じがあるが、EDの方は“しっかり感”がある。

 

2015年12月 8日 (火曜日)

532【CF4-10】リスクと不確実性

2015/12/8

先日、久しぶりに誘われてゴルフをした。

 

朝、フロントで名前と住所をカードに書き込むと、「2002年以来ですね」と言われた「へぇ〜、ちゃんと記録が残ってるんだ!」と感動しながら、フロントの美しい女性の営業スマイルを見ているうちに、記憶が蘇ってきた。

 

・・・このゴルフ場に良い思い出はなかった。だから足が遠のいていたのだ。

 

重機を使わず手作りしたというその歴史ある18ホールは、フェアウェイやグリーン上でさえもデコボコで、僕のような簿記3級程度の腕前のゴルファーには、厳しいコースだった。しかも、視界のきかない奇抜なコース・デザインばかりだ。

 

僕の顔は引きつっていたはずだ。その女性に「お変わりありませんか?」と言われて「あっ、大丈夫です」と答えた。女性は電話番号など他の登録情報に変更はないかを尋ねたのに、僕は心中を見透かされたと勘違いして動揺していた。本来なら「じゃ、LINEしてみる?」と、女性の電話番号を聞き出すボケをしても良かったのだ。もちろん、その後に「違うかあ〜」と続ける。オヤジなので。

 

せっかくの好天だが、営業スマイルじゃない本当の笑顔を見られる貴重な機会を逃した悔しさも相まって、浮かない気分でのスタートとなった。しかし、一緒に回ったメンバーに恵まれたからか、意外なことに午前のスコアは悪くなかった。特にアプローチが冴えている、というか、ついている。

 

逆にいい気分で昼食をとったが、ふと、思った。もしかすると、あのボケ、言わなくて正解だったかもしれない。もし言っていたら、「はっ? 意味が分かりません」と冷たくあしらわれていたかもしれない。

 

さて、どちらだったろう。ついていたから言ってもウケけてもらえたか、それとも、ついていたから言わなかったのか。こればかりは、やってみなければ分からない。どちらとも言えない。不確実だ。

 

 

さて、このED(=公開草案)は、概念フレームワークの「第2章:有用な財務情報の質的特性」において、前回の慎重性の復活と、もう一つ、不確実性に関する記述の記載場所の変更し(=従来、忠実な表現の説明箇所で不確実性を扱っていたが、それを目的適合性の説明箇所へ移動)、記述内容もより詳細なものを提案している。

 

即ち、従来は、会計上の見積りに関する不確実性が非常に大きくなければ、その見積りの不確実性に関する説明をすることで忠実な表現になりうる旨記載していた(QC16)。それを、EDでは、記載場所を目的適合性のセクションへ移動させて、さらに“測定の不確実性”*2という見出しをつけてた2つの段落で、より詳細に説明している。即ち、“会計上の見積りの必要性”と、“測定の不確実性と目的適合性のトレードオフ関係”を説明した上で、以下のように結んでいる。

 

測定の不確実性のレベルが高くても、見積りが最も目的適合性の高い情報を提供する場合には、当該見積りの使用を妨げるものではない。(2.13の末尾)

 

不確実性のレベルが高くても見積りを用いて良いという。ん〜。

 

不確実性は悩ましい。会計の世界のみならず、日常生活からビジネスまであらゆる事象に纏わりつく、実に厄介な代物だ。しかし、敢えてそこへ切り込むことで、企業は超過収益を上げられる。いわゆる「リスクをとる」ことだが、もちろん、リスクを無秩序に受容するわけではない。リスク管理による対応を図る。リスクと企業経営は切っても切れない縁がある。同じことは不確実性にも言える。

 

では、リスクと不確実性って、同じものか? いや、どうも、違うらしい。

 

僕は、両者をあまり区別せずにいたが、それが今までの混乱の元だったかもしれない。例えば、上記斜体文字の文章は、両者を区別してないので、実にアバウトだ。もしかしたら、これをちゃんと区別することは、概念フレームワークやIFRS(の個別基準)を正確に理解するのに役立つかもしれない。

 

そこで、“不確実性”についてネット辞書(Webilo)で調べると、最初に次の説明がある。

 

<流通用語辞典>

一般に、不確実性とは、意思決定者のコントロールし得ない事象の生起の仕方…。決定理論では、確実性のもとでの意思決定、リスクのもとでの意思決定、不確実性での意思決定の3つに区分される。

 

実際の意思決定では、これら3つは渾然一体となっていると思う。例えば、ゴルフ・ショットを打つ際に考慮される諸要素は、次のようになっているのではないか。

 

(クラブ選択)

クラブの性格を知っているので「確実性のもとでの意思決定」。

 

(スウィングの仕方)

過去の経験に照らして概ね確率が分かっているので「リスクのもとでの意思決定」。

 

(着地点でのボールの挙動)

そこにディボットや石ころなどどんな障害物があるか分からないので、やってみなければ分からない。従って「不確実性での意思決定」。

 

ゴルファーは、少なくとも、これら3つを考慮して個々のショットを行っている。もちろん、どの意思決定が“確実性のもと”とか、“リスクのもと”、“不確実性のもと”などと全く意識はしていない。だが、言われてみれば、ゴルフに限らず、様々な意思決定の過程で考慮される条件・要素には、確かに、次のものがある*1

 

  • 確実なもの
  • ある程度確率の分かっているもの(=リスク)
  • やってみなければ分からないもの(=不確実性。コントロール不能)

 

以上から考えると、例えば、「売上債権に回収リスクがある」という場合、回収できない確率を概ね見積もれる前提がある。一方、「売上債権の回収に不確実性がある」という場合は、回収できない確率すら分からない状況をイメージすることになる。

 

なるほど、確かにリスクと不確実性は異なるもののようだ。「“不確実性”がある」と表現される事象は、会計処理の難易度が高そうだ。

 

このようなイメージを持った時に、上述のこのEDによる不確実性の記述(記載場所の変更と詳細な記述)をどう解釈できるか。これは、次回に検討したい。

 

 

ちなみに、同じ事象でもリスクと感じるか、不確実性と感じるかは、人(或いは企業)によって異なるようだ。先日のゴルフの例でいえば、この難コースやフロントの女性とのコミュニケーションを「リスクはあるが、コントロール可能」と考える人もいるだろう。そういう人は、リスクを楽しみと感じられるに違いない。しかし、僕は、「不確実性が高くコントロール不能」と感じた。その証拠に、午後には大きくスコアを崩した。やはり、このコースは鬼門だった。

 

恐らく、企業にも得手不得手や強み・弱みがあって、同じ経営環境に直面してその諸要素を分析した時に、何をリスクと不確実性に分類するかは異なってくる。また、最初は不確実性のある要素だったものが、経営努力によってリスク対応可能となり分類が変わることもあるだろう。むしろ、そこにこそ、経営の妙味がある。

 

経営と表裏の関係にある会計にとって、経営上不確実性があるとされた項目は、やはり不確実性がある可能性が高い。その状況は、企業によって異なってくるはずだ。そして、状況は時とともに、経営努力によって変化する。

 

一方、会計基準の基礎として概念フレームワークは、すべての企業とそれらの状況を一律に扱わなければならない。不確実性は、なかなか難しいことになりそうだ。

 

 

今回のテーマとは関係ないが、REUTERS12/7付の記事によると、東芝の監査人に対して業務停止命令が下される可能性もあるという。関心のある方は、下記のリンクをご覧いただきたい。

 

アングル:不正見抜けなかった東芝の監査法人、業務停止の可能性も

 

🍁ー・ー🍁ー・ー

*1 さらにそのページを読み進めて、<ウィキペディア>の“不確実性の概要”のリンクを開くと、“学者の見解”のセクションに、次のように書いてある。

 

・・・。たしかに、不確実性には、イノベーションを生むという側面がある。しかし、不確実性を有しているイノベーションは、結果が予測できないため、投資は成り立たない。したがって、イノベーションが発生するのは、むしろ不確実性が低い場合であるとしている

 

一見、難しいことが書いてあるように感じるが、本文の例で考えれば、着地点でのボールの跳ね方があまりに不確実だと、ゴルファーはそのゴルフ場を「整備不良のゴルフ場だ」と感じて避けるようになる。または、雨や強風でもゴルフを止めない強者ゴルファーでも、霧は嫌だという。着地点がまったく見えなくて、不確実性が高過ぎると感じるからだ。

 

上の引用箇所の「投資は成り立たない」というのは、「ゴルファーがそのゴルフ場を避ける」とか、「霧の時はゴルフを中断する」のと同じ感覚ではないかと思う。要するに、投資家もゴルファーも、(無意識のうちに)リスクと不確実性を区別し、不確実性をより敏感に避けるのではないかと思う。

 

続けて、次のように記載されている。

 

また、現代経済学のモデルは、不確実性を取り入れたと言われているが、実際に取り入れられているのは、不確実性ではなくリスクであるとしている。

 

即ち、かなり広く(経済学の世界でさえ)、リスクと不確実性は混同して使用されているということだろう。「より厄介なのは不確実性という意識を持つことが必要だ。

 

*2 “測定の不確実性”とは、このEDに先立って公表されたディスカッション・ペーパーで、“結果の不確実性”と表現されたものだと思う。参考までに、ディスカッション・ペーパーから抜粋を転記する。

 

存在の不確実性

2.20 いくつかの稀な場合において、企業が資産又は負債を有しているのかどうかが不明確であることがある。存在の不確実性は、資産又は負債が存在するのかどうかが不確実である場合に存在する。存在の不確実性の最も明白な例は、訴訟である。例えば、企業が、もし約束しているのならば企業が賠償金又は罰金を支払う義務が生じる行動を約束したのかどうかが不確実であるかもしれない。

 

結果の不確実性

2.32 結果の不確実性とは、資産又は負債が存在しているが、結果が不確実である場合を指す。結果の不確実性は、存在の不確実性よりもずっと一般的に発生する。結果の不確実性の例として、次のようなものがある。

((a)〜(f)の例は割愛した。)

(g) 訴訟: 企業は訴訟に負けた場合には現金を支払わねばならなくなる。企業に義務があるのかどうかは、そうなのかどうかを裁判所が決定するまでは不確実である場合がある(存在の不確実性)。さらに、企業が訴訟に負けるであろうとすでに結論を下しているとしても、どれだけ支払わねばならなくなるのかは依然として不確実である場合がある(結果の不確実性)。

(h) 売掛債権: 企業は資産(売掛債権)を有しているが、現金を受け取るのかどうかは分からない。

(i) 棚卸資産: 企業は資産(棚卸資産)を有しているが、棚卸資産を販売して現金を受け取るのかどうかは分からない。

 

2015年12月 4日 (金曜日)

531【CF4-09】財務情報の質的特性ー慎重性の復活

2015/12/4

スランプと言い訳して、問題を先送りするにも限度がある。ということで、兎に角、淡々とこのテーマで書いてみようと思う。では、早速…。

 

IASBは、このED(=公開草案)によって慎重性(≒保守主義)を復活させようと提案している。結論の根拠には、主として次の内容が記載されている

 

  1. 2010年に概念フレームワークから慎重性を削除したことで誤解を広めてしまった。よって、慎重性を再導入し誤解を鎮めたい。その代り、その慎重性の内容・意味をはっきりさせたい。

 

  1. 慎重性には2種類あり、その1種類についてはIASBも同意できる。しかし、もう1種類については一部の例外を除いて同意できない。

 

  1. 同意できる慎重性とは“注意深さとしての慎重性(=Cautious prudence)”。

 

この意味の慎重性を「不確実性の状況下で判断を行う際の警戒心の行使」と定義し、概念フレームワークへ再導入する。

 

  1. 同意できない慎重性とは“非対称の慎重性(=Asymmetric prudence)”。

 

僕の感覚では、非対称の慎重性とは、費用や損失をより早くより多額に計上するよう促す、いわゆる保守主義とイメージが重なる。

 

  1. “非対称性の慎重性”のうち例外的に同意できる部分は、IASBが個々に個別基準に定める(例えば、引当金などにすでに定められている(IAS37号)。偶発資産より偶発債務を優先的に計上する=蓋然性の閾値が偶発債務の方が低い=不確実性が50%未満なら偶発債務は計上されるが、資産サイドはもっと高い確実性を要求される)。

 

要するに、「この意味の慎重性は、企業が判断するもの・できるもの」とIASBは考えていない。必要ならIASBが個別に指定する。

 

従来の慎重性(保守主義)から、“非対称”を外すことで得られるのは“中立性”だ。“中立性”は“忠実な表現”という基本的な質的特性を支える補強的な質的特性だが、再導入される慎重性はその中立性を支える位置付けとなっている。

 

  1. IASBの分析では、“非対称性の慎重性”を求める意見は、次のような誤解と結合して主張されるので、それらへの対処(=概念フレームワークの記述修正)や反論を記載している。

 

(誤解)

IFRSは、B/Sで企業価値を表示している、或いは、表示するよう意図されている。

IFRSでは、全ての資産・負債が公正価値で評価されている。

IFRSは、資産の減損を禁止している。

IFRSでは、資産・負債の認識に不確実性の閾値がない。

 

これは、アンチIFRS派へ目配せした内容のようだ。だが、そのおかげでIASBの意図が分かりやすくなったと思う。アンチIFRS派の批判が建設的に働いたということだ。

 

以上の結果、復活される慎重性は、いわゆる保守主義を除いたものになっている。くどいが、復活したのは保守主義ではない。中立性を担保するための慎重性”だ。

 

一方で、IASBは次のような企業や監査人等の判断を認めている。というか、次のような判断は企業や監査人等によって当然なされると思っている。これは、いわゆる保守主義にかなり近い。

 

経営者が楽観主義に傾く可能性があるという自然な偏りを中和するBC2.9(a))

 

例えれば、「経営者が作成した事業計画を、大きめの割引率で(保守的に)割引いて使用価値を計算する」といったことは正当化されるだろうと思う。

 

要は、「過度な保守主義はダメ。中立性の枠の中で慎重に判断してほしい」ということだろう。(企業会計原則注解にも同じようなことが書いてあったような。あまり進歩がない…。)

 

ということで、IASBは、慎重性を復活させるにあたり、慎重性を「中立性を支える」位置付けと表現しつつ(2.18)、その実質は、「中立性で枠をはめた」ように思われる。それで漸く、慎重性を概念フレームワークに復活させた。だから、「逆粉飾は止めましょう」というのがIASBの主張のように思えるが。ん〜、そうだろうか?

 

素直に読めば、確かに、IASBが「保守主義を乱用し、逆粉飾されること」を警戒しているように読める。しかし、もしそうなら、僕は、IASBのスタンスに違和感を感じる。どう考えても、世間の実態は、次のように思うからだ。

 

逆粉飾のリスク  粉飾のリスク

 

みなさんもそう思われないだろうか。だとすれば、そもそも慎重性は削除されなくてもよかったのだ。もし、(2010年に)逆粉飾を警戒するあまり、慎重性を概念フレームワークから削除したとすれば、IASBのバランス感覚・リスク感覚はおかしいのではないか。だから、僕は「IASBの意図は他にある」と思う。

 

僕は、不確実性の扱いについても、共通したものを感じている。IASBは、今回のEDで、資産等の定義から不確実性に関連する文言を削除し、認識規準からも除いた。それはなんだろう? なんとなくイメージはあるのだが、残念ながら、言葉にならない。

 

ここまで読んでいただいたみなさんには申し訳ないが、これが今回の結論だ。こんな中途半端な結末でご勘弁願いたい。

 

 

2015年12月 1日 (火曜日)

530【投資】X'masは寒いかも

2015/12/1

今年も、早くも、師走となった。しかし、昼間はコートなしで外出できる陽気だ。昨日からCOP21が開催されているパリでも、平年より暖からしい。だが、一昔前と様変わりして、今は、冬が暖かくてもお祝い事にならない。将来の気候変動が頭をよぎるからだ。

 

株価も一時の中国ショックの冷え込みから脱し、今や日経平均株価(=N225)は、2万円を回復しようとしている。このまま暖かい状態が続くだろうか、それとも、寒波が来るだろうか。そろそろ、見極めが必要な時期に来ている。

 

当面は、3日(木)の欧州中央銀行(=ECB)政策委員会の結果と4日(金)の米国雇用統計が注目だが、クライマックスは16日(水)の米連邦公開市場委員会(=FOMC)の結果、米国の金利が引き上げられるかどうかだ。18日(金)には日銀の政策決定会合もあり、追加緩和の有無も注目される*1

 

恐らく、現時点で次のような見方をする方がいても不思議はないと思う。

 

ECBは追加緩和策を公表し米国雇用統計は大禍なく順調な数値が公表され、ドル高・ユーロ安、円も連れ安し、日本株は上昇する。FOMCでは利上げ開始が決定され日銀が動かなくても年末までドル高が進み、日本株は上昇する。そして、良い年が迎えられる。

 

赤文字部分は、一般的にかなり高い確率で予想されている。僕も、きっとそうなると思う。ただ、FOMCあたりで寒波が来るかもしれない、年越しは厳しいかもしれないと思っている。その理由は、概ね、次のコラムに書いてある。

 

コラム:米利上げ後のドル円上昇は望み薄か=亀岡裕次氏 REUTERS 11/27

 

長文のコラムだが大雑把に要約すれば、次のようになると思う。

亀岡氏は、利上げ後の米国株式相場の上値が重く、長期金利の上昇が阻まれるため、利上げペースがゆっくりとなり、ドル高は進まないだろうと予想している。米国株式相場が重くなるのは、世界経済の成長が鈍化している中で、米国経済や米国企業にとってドル高が限界にきているため(、もはや、来年以降の金利上昇を後押しする米国単独での成長や物価上昇は望めないのではないか)。

 

亀岡氏は、数ヶ月から1年単位の視点でドル高の可能性を引き下げているが、僕は、早くも半月後にそうなりそうな気がしている。なぜか。それは投資家の猜疑心による。

 

信用取引を行わない方には関係ないが、金利を払って投資を行っている投資家にとって利上げとは、直接的なコストが増える上に投資先企業業績にも負担となるものだ。中央銀行が景気の過熱を防止するために金利を上げるのは景気を長続きさせ企業業績をサポートする意味で好ましいが、もし、景気が過熱してない時に利上げされたらどうなるか。景気を冷ましてしまう。投資家にとってこれは最悪だ。直接的なコストが増加する上に、投資先企業の業績も悪化しやすいからだ。

 

FRBの利上げは本当に時宜を得ているだろうか。」 米国の投資家はこの点を改めて確認しようとするに違いないと僕は読んでいる。そのため、利上げが決まったら、いったんポジションを縮小するのではないかと思うのだ。そうなれば、米国株は下落し、日本株もそれに引きづられるに違いない。だが、そのうち堅調な景気指標が確認できたら、きっとポジションを戻し始めるだろう。

 

この数年、FRBが金融引締めのステップを踏むたびに米国株式相場は調整を繰返してきた。

                       
 

2013/5

 
 

いわゆるバーナンキ・ショック。当時のFRB議長のバーナンキ氏が、議会でテーパリング(=追加の量的緩和規模の縮小)の開始を示唆。

 
 

2014/1

 
 

前月のFOMCFRBがテーパリング開始を決定。アルゼンチンに端を発する新興国通貨ショックが発生。

 
 

2014/9-10

 
 

その前月にテーパリング終了を決定(=追加の量的緩和の停止)。米国株は3週間にわたって下落。

 
 

2015/1

 
 

FRBが2015年中の利上げ開始を示唆。原油安・ドル高が意識され米国株軟調。

 
 

2015/9

 
 

利上げが予想された9月を前に米国相場が下落(8月の中国ショック)。利上げを織り込んだと思われていたが、FRB声明文の自信のなさに、9月に一段の下落。(この時は、ギリシャ危機などで6月ぐらいから軟調ではあった。)

 
 

2015/12

 
 

FOMCは利上げを開始する見込みだが、さて、相場はどうなるか。中国ショックがあった2015/9以外は、FRBのアクションの後に相場が崩れている。

 

 

一方、投資家が米国経済に自信を持っていれば、こんな確認は必要ないかもしれない。自信を持てるかどうかは、4日の雇用統計の結果に大きく影響されるように思う。したがって、もし、雇用統計が先月のようにびっくりするほど良い場合は、FOMC後も引き続き良い相場が続くかもしれない。この意味でも、今週末の雇用統計には注目だ。

 

もし、X'masが寒くなれば、ホワイト・クリスマスになってロマンチックな夜が過ごせるかもしれない。しかし、株価が下がって懐も寒ければ、それを楽しむ余裕は無くなってしまうだろう。今年は、短期投資目的の株を早めに売って、クリスマス・プレゼント資金やお年玉用にした方が良さそうな気がする。

 

 

🍁ー・ー🍁ー・ー

*1 日銀の黒田総裁が追加緩和について前向きな発言をしたらしい。

 

日銀総裁「物価2%、早期に実現」 名古屋で講演  日経電子版 11/30 無料記事

 

この記事は午前11:49に配信されたが、この日の午後の相場はさらに下落した。日銀の追加緩和は、あまり投資家に期待されていないのかもしれない。

 

 

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