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2016年3月

2016年3月29日 (火曜日)

557【番外編】日本死ねブログと使用価値

2016/3/29

最近ずっと気になっているブログがある。みなさんもとっくにご存知と思うが、次のブログだ。

 

保育園落ちた日本死ね!!! 2/15 はてな匿名ダイアリー

 

テレビ番組で2度ほど(確か、「こまで言って委員会NP」と「激論!クロスファイア」だったと思う)、全文の朗読を聞いたが、実際にブログを読んでみるとさらにインパクトが強い。しかも、何度読み返しても飽きない。すごい怒りのエネルギーだ。この十日ほど、僕のパソコンには、このブログがずっと表示され続けている。

 

最初は圧倒された。次に“芸術だ”と思った。そして、なぜかツー・ビートの「赤信号、みんなで渡れば怖くない」が思い出された。恐らく、強烈な皮肉、劇薬的な“毒”があるところで繋がったのかもしれない。

 

僕のブログはIFRSがテーマなので、“番外編”であってもなるべくIFRS、できれば最近取り上げている使用価値に関連付けたい。そこで、この“日本死ね”ブログをなんとかIFRSに関連付けられないか、ずっと考えてきた。無駄に時が流れていったが、その間に、次の2つのテレビ番組を見た。

 

 

愛情ホルモンとも呼ばれるオキシトシンは、出産時に大量放出されるなど、ママたちの脳や体の機能を変化させる。しかしそれだけでなく、ママたちの攻撃性をも増加させるため、育児中のママたちの怒りがパパたちを困惑させるという。このブログの強烈な怒りのパワーもオキシトシンが関係しているかもしれない。

 

 

いや、オキシトシンではない。むしろ(社会の)閉塞感が原因ではないか。

 

この番組は、米国の庶民的なレストラン“ダイナー”を取材することで、銃規制や大統領候補者選びなどに関する一般米国人の意見を拾っていて、非常に興味深かった。印象的だったのは、次の2点。

 

・2014年にミズーリ州のファーガソンで起こった黒人暴動の原因が、人種問題より経済問題(社会システムの問題)だとする意見が、人種を問わず(黒人からも)主張されていた。

 

工場移転などで税収不足に直面した市が、警官に罰金徴収のノルマを与えていたらしい。その結果、そのしわ寄せで、黒人がひどい扱いを受けたという。人種問題と無関係ではないが、単純な人種差別問題でもない。

 

むしろ、「経済変動の影響を受けやすい層=社会的尊敬を受けられない層=貧困層」という社会構造が固定化し、そこに生まれた閉塞感に、白人警官の黒人青年射殺事件が火を付け、黒人暴動の巨大な怒りのパワーへつながったようだ。そういう意味では格差問題ともいえる。

 

・極端な政策を主張するドナルド・トランプ氏やバーニー・サンダース氏を支持しているのは、普通の人々だった。

 

人々の話を聞いていて思ったのは、「僕も似たような感覚になったことがある」だった。小泉純一郎氏が「自民党をぶっ壊す」と言った郵政解散選挙(2005年)と、最近では民主党が政権を奪取した選挙(2009年)の時だ。閉塞感があると、「まともな選択肢がないなら、賭けに出よう」という気持ちになりやすい。

 

なるほど、これならトランプ氏やサンダース氏は強い。やっとこの両名が善戦している理由が分かった気がした。

 

有権者が“賭け”に出るには理由がある。我慢できない問題があるのだ。しかし、それが正統派候補の政策では解決されそうにない。じゃあ、せめてぶっ壊してやれ、という気持ちもありそうだ。

 

では、何が我慢できないのかが問題だが、人によって異なるようだ。ある人はロシアに主導権を握られている外交(特に中東)。また、ある人は高騰する高等教育費用。そして、雇用の海外流出や銃規制。しかし、これらは普通の問題であり、我慢できなくなるには、背景に社会的な閉塞感があるに違いない。頑張っても、頑張っても、良くならない日々の暮らし。みんなが問題だと分かっているのに、(既得権者に邪魔されて)改善されない身近な社会問題。要するに、格差が固定化された社会。

 

段々、話が“日本死ねブログ”から離れているようだが、そうではない。僕は、このブログは、ファーガソンの暴動と同じではないかと思う。もちろん、暴動の暴力とは異なり、このブログは読み手を惹きつける極めて知的な作品だ。言葉遣いが批判の的になっているが、ツー・ビートのギャグも、当時は「交通法規を守るべき」との的外れな批判を浴びていた。“芸術”というのは言い過ぎかもしれないが、この言葉遣いだからこそ、伝わってくる強烈なメッセージがある。「これは詩人の作品ではないか」と思ったくらいだ。

 

日本にも閉塞感がある。アベノミクスと安倍外交で、多少天井が上がって息が吸いやすくなった気がするが、時間稼ぎ的な面も多く、根本的な改革はこれからだ。特に少子化は、積み残し問題の象徴だと思う。省庁の垣根争いだとか、予算不足だとか、担当大臣がころころ変わるとか、やる気があれば回避可能な問題で滞っている。政治家の責任が大きい。

 

何年も前から、みんな、少子化が相当危ない問題だと分かってるのに、遅々として社会制度の改善が進まない。日本国民は米国人のように暴動は起こさないが、だからといって甘く見ていると、選挙では“賭け”に出る。

 

しかし、昨秋、安倍政権は幸いにも新三本の矢で、少子化問題の将来目標・将来像を掲げた。将来像を掲げたということは、それを現在に逆算した姿と現状を比較し、差異を分析して具体的な対策を立てやすくなったということのはずだ。このブログの作者は保育園に落選した。それをきっかけに、政治家や官僚より一足先に正確に分析したようだ。その結果が強烈な怒り、「日本死ね」というわけだ。

 

これを減損会計に例えれば、「将来キャッシュフローを現在価値に割り引いて使用価値を算出したら、全然簿価が高すぎる。しかも、みんなそれを分かっている。それなら減損しろよ。」ということではないか。

 

最近メディアでは、消費税増税の再延期や追加の財政支出までが検討されていると報じられている。僕は、消費税増税再延期は当然と思うが、財政支出は内容次第だ。ダブル選挙などとも言われているが、少子化問題を軽く、甘くみるなら、有権者は甘くはないと思う。僕は、与党の減損に一票を投じるつもりだ。

 

 

2016年3月16日 (水曜日)

556【番外編】3/15公表の東芝報告書と文藝春秋の記事をざっと読んでみた。

2016/3/16

表題の件、読んだのは、具体的に以下の2つだ。

 

「改善計画・状況報告書」の公表について東芝HPのIRニュース

 

東芝「不正謀議メール」を公開する*1  ジャーナリスト川端寛氏

(文藝春秋2016/4月号 P184〜)

 

上は、昨年の第三者委員会報告書*2を受けた東芝の対応状況と、東芝が改めて策定し直した再発防止策が記載されている。一方、下は、川端氏が入手した東芝関係者の社内メールの内容を、川端氏の解釈を交えて紹介している。そこには、東芝が、監査人である新日本監査法人やErnst & Young(=ウェスチングハウス社の監査人)を欺くために、重要な外部レポートを隠蔽したり、デロイト・トーマツ・コンサルティング(以下“DTC”と記載)を知恵袋にしていたとしている。第三者委員会報告で触れられていない原子力事業の減損回避に、主な焦点が当てられている。

 

上は問題を過去のものにし今後に目を向けるためのレポート、下は問題がまだ隠されたまま明らかにされていないというレポート。非常に対照的で、象徴的な読み物を同じ日(3/15)に読んだこともあり、それぞれに、かなり強烈な印象を受けた。そこで、僕の勝手な感想を書いてみたい。

 

 

順序は逆になるが、まずは“不正謀議メール”の方から。

 

著者の川端氏はメールの本文は入手したものの、添付ファイルは見られなかった。そこで添付ファイルの内容は川端氏の推測によっている。しかし、そこに問題の核心があるため、注意が必要だ。メール本文には“謀議”の雰囲気は出ているものの、具体的な内容は添付ファイルにあるので、その川端氏の推測が正確かどうかについては読者が判断する必要がある。

 

特に、DTCが監査人を欺くコンサルティングを行っていたとの推定については、僕がもし(DTCの)当事者であれば、いくら良い条件で依頼があっても危なっかしくて受けられる契約ではないように思う。それに、DTCは監査法人トーマツの支配下にある“ネットワーク・ファーム”だと思うので、恐らく、DTCの新規契約の受注承認手続は監査法人トーマツで行われるのと同等のチェックを受けるだろう。その時、減損回避をコンサルするなんて内容の契約が通るとは思えない。

 

しかし、契約書を別の名目にするなどしてもし通っていたら、或いは、コンサル・チームの現場が契約を逸脱してそのような助言をしてしまっていたらどうだろうか。背筋が寒くなるが、それは最悪の事態だ。即ち、川端氏の推測が正しいとすれば、監査法人トーマツにとって、或いは、会計士業界全体にとっても、信用失墜の大打撃になるだろう。もし、業界を代表する大監査法人でさえ、減損会計という会計基準を金儲けのネタとしか見ていないとなれば、誰が真面目に会計基準を守るだろうか。

 

それでも事実なら、明らかにされる必要がある。この先、その機会はあるのだろうか。

 

川端氏は、東芝が翌事業年度から監査人をPWCあらたへ変更するので、その決算に注目している。確かに、そこで東芝が原子力事業に多額の減損損失を計上するようなら、昨年の不正発覚時に計上しなかったことについて説明を求められ、明るみに出ることがあるかもしれない。

 

僕も、東芝の原子力事業については未だに怪しいと思っている。しかし、それにDTCが関わっているとは思いたくない。DTCは別の正当な契約に基づいた業務を行っていたが、東芝の社内メール本文だけ見ると、見方によっては関わっていたかのように見えてしまった、ということだと思う。コンサルティング業務は、依頼主に同じ立場にいるように見せて、そこから違うアイディアを提供するものだ。そのために、このような誤解を生じさせるやり取りをする可能性は考えられる。

 

 

次に、東芝の再発防止策について。

 

この報告書は57ページあるが、僕が注目したのは下記のP41P42の部分。

 

当期利益至上主義から脱却し、実力に即した実行可能で合理的な中期経営計画や予算を策定する観点から、中期的目線での予算策定方針を明確化するとともに、カンパニーにおける予算策定プロセスや業績評価制度についても見直しを行いました。

…中略…

上記の見直しにあわせて、短期的な損益に関する数値上の改善見込を議論していた社長月例を廃し、新たに、キャッシュフローを中心とした実績値を基に将来の業績改善に向けた討議を行う場として業績報告会を新設しました。

 

足元ばかり見てると行き先を間違う。東芝は、当期利益ばかり気にして、事業の将来へ目を向けていなかった。恐らく、東芝の経営を改善する上で、これが最も重要なポイントになると思う。

 

昨年の第三者委員会報告書や、上述の文藝春秋の記事を読んで思うが、当期利益を粉飾するために経営幹部クラスがこれほど多くの労力を割いていれば、競争相手に勝てるはずがない。無駄働きが多すぎる。これで業績が上がるわけがない。そうならないためには、経営幹部が視線を上げることに尽きる。キャッシュ・フロー経営は良い方法だと思う。

 

欲を言えば、期待将来キャッシュ・フローの現在価値である使用価値を経営に取り込み、常に、使用価値を最大化するよう思考できるようになると良いと思う。そのためには、期待将来キャッシュ・フローを、楽観せず、厳格に見積もれるようにならなければならない。そうすれば、自然と視線は将来へ向かう。

 

原子力事業には、本当に減損が発生してないのだろうか。僕は、「視線が将来へ向かった結果、原子力事業の減損が見えるようなる」というのが、東芝の経営改善の最も自然なシナリオだと思う。

 

このブログでこの数回強調しているように、減損テストに利用する使用価値の算定には、経営者の判断が重要な役割を果たす。経営者が認識を改め、厳しく現実を見ようとしない限り、本来の使用価値は見えてこない。だが、逆にそうなれば、東芝の経営改善の兆候と言えるかもしれない。

 

 

🍁ー・ー🍁ー・ー

*1 僕はこの記事の存在を、Twitter経由で行った郷原信郎氏のブログで知った。

 

最終局面を迎えた東芝会計不祥事を巡る「崖っぷち」 3/14

 

*2 このブログでは、報告書が公表された当時、以下で要約した。ご関心のある方は参照されたい。

 

492【番外編】東芝第三者委員会報告の要約版 2015/7/21

 

2016年3月15日 (火曜日)

555【CF4-24】会計情報の信頼性〜使用価値

 

2016/3/15

GoogleAI(=人工知能)“AlphaGo”は、4局目にして韓国の世界最強プロ棋士李セドル九段に敗れたそうだ。

 

プロ囲碁棋士、4局目にしてグーグルAIに初勝利! GIZMODE 3/14

 

李棋士は“一矢を報いた”というより、3連敗から学んで“AIとの戦い方を覚えた”のではないだろうか。AIは、きっと事前に李棋士の棋譜を勉強しまくったのだろう。これでようやく条件が揃った。今日が最終戦のようだが、この勝負は勝敗数より、最後にどちらが勝つかの方が重要なような気がする。もちろん、僕は李棋士を応援している。

 

 

さて、このブログではAIを離れて会計情報の信頼性や価値について考えていきたい。しかし、前回までAIを切り口にして公正価値と使用価値について考えてきたが、改めてそれを整理しよう。

 

まず、IFRSの概念フレームワークの公開草案(2015/5、以下“ED”と記載)によれば、測定基礎は次の2つに分類されるという(ED6.4)。

 

(a) 歴史的原価

 

(b) 現在価額

・公正価値

・使用価値(資産)、履行価値(負債)

 

“歴史的原価”は、従来の“取得原価”を、負債を含めて言い換えたものと言って良いと思う。例えば、有形固定資産や貸付金などに加え、前受金、借入金などの負債項目、見越・繰延項目などの測定基礎(=“評価基準”)として利用されている(金融資産・負債については“償却原価”とも呼ばれる)。

 

上述のED6.4の記載によれば、公正価値と使用価値はともに現在価額だから、「この両者を比較しても歴史的原価が検討漏れではないか」と思われるかもしれない。

 

しかし、何度も記載してきた通り、歴史的原価を付された資産は使用価値ベースの減損テスト対象となる。すなわち、歴史的原価が付された資産は、使用価値の方が大きい場合に限り、歴史的原価がそのままB/S価額となるが、使用価値が小さくなると使用価値まで減額される(=減損損失の計上)。要するに、その資産を利用することで流入が期待される将来キャッシュ・フローの現在価値が、歴史的原価の上限となる。というわけで、使用価値を検討することは歴史的原価(の最低ライン)を見ることになる。

 

数式的として記載すると次のようになる。

 

使用価値=歴史的原価+自己創設のれん

 

自己創設のれんがマイナス値をとると、減損が生じる可能性が出てくる。一方、自己創設のれんがプラスの値であっても歴史的原価に評価益は計上されない。自己創設のれんは事業活動の成果としてキャッシュ・フローの流入が確実になった時に、損益計算書で利益計上される。

 

このような使用価値の利用方法(=減損テスト)から、IFRSにおける使用価値は、歴史的原価に生じかねない含み損を防止するキャップの役割を期待されていると思う。

 

したがって、使用価値の信頼性とは、歴史的原価に含み損を生じさせないキャップの役割を果たしているかどうかにかかっている。ここで、552-2/16の記事後半に記載したことを再掲しよう。

 

経営者が「このままでは買収した効果が得られない。何か対策を打たなければ」と考えた時の「このままでは」を金額にしたものが、減損テストで利用される使用価値だと考えれば良いと思う。

 

「このままでは買収した効果が得られない」

=「このままでは将来損失が発生する」

=「このままでは投資を回収できない」

=「含み損が生じている」

 

ということだ。

 

経営者が甘い現状認識を持っていれば、問題が放置され、事業が廃れていく。これは誰もが同意できる真実だと思う。この“現状認識”こそがIFRSの“使用価値”なので、甘い“使用価値”を見積もる企業、甘い減損テストを行う企業の株は買えない。進歩が期待できないからだ。

 

 

李棋士は違う。恐らく、昨日の勝利は厳しい現状認識の上に新しい戦略・戦術を編み出した成果なのだ。今日も昨日に続き、きっと勝ってくれるに違いない。AIは再び、事前に勉強した棋譜とは異なる李棋士に振り回されると思う。

 

 

 

2016年3月11日 (金曜日)

554【CF4-23】AIに会計上の見積りができるか?〜結論;英雄は色を好むが、AIに色はない。

 

2016/3/11

この“AIシリーズ”は、549-2/9 の記事の次のような書き出しで始まった。

 

会計上の見積りは、IASBにとっては会計情報の価値を高める極めて重要なツールである一方で、その信頼性や手間(=コスト)の多さが批判の的になっている。僕は、このテーマを考えるために、勝手に次のような問題設定をしたが、この設定にみなさんはご納得いただけるだろうか?

 

A. 本当に会計情報の価値は高まるか?

B. 会計情報に求められる信頼性とは何か?

C. そのうち会計業務は人工知能(=AI)に置き換わるのだから、手間など掛からなくなる?

 

Aが最も本質的な問題だと思うが、そのためにはBをはっきりさせなければならない。Cは、ABをシンプルに考えるための思考実験といった感じ。

 

Cについては、公正価値の見積りはAI(=人工知能)で概ね可能になるが、使用価値についてはAIでは無理ではないか、とこのシリーズの前回(552-2/16)までに記載した。もっとも、経営者でさえAIに置き換わるような時代になれば別だ。使用価値もAIが算定するだろう。

 

但し、僕やみなさんが生きている間は、そこまで実現しないように思う。AIは恐らく、まず、現場へ導入されて徐々に活動範囲を広げていくと思われ、経営全般に行き着くまでに、人間による様々なチェックを受けることになる。というか、極めて強烈な文化的・社会制度的抵抗を受けるに違いない人は、AIに管理される、まるでSFのような世界には容易に馴染めない。車の運転と会社経営の間には、人間とAIの上下関係を逆転させるという大きな壁がある。これを乗り越えるには、非常に長い時間がかかるに違いない

 

ということで、Cについては、次のような結論が出せそうだ。

 

『使用価値の算定を除く会計業務は、そのうちAIに置き換わるだろう。会計業務は大幅に省力化されるが、使用価値の算定は経営者や経理マンの業務として残り続ける。』

 

みなさんは、もしかしたら「公正価値と使用価値で、AIにとっての難易度がそんなに違うのか?」と思われるかもしれない。「そこが、本当に、AIの限界ラインなのか」と。

 

ん〜、そういえば、囲碁のトップ・プロがAIに負けたという衝撃的なニュースがあった*1。特に、「チェスよりもはるかに複雑な囲碁でAIが勝つには、少なくとも10年はかかると思われていたが、今回の対局でそれが事実でないことが明らかになった」とされている。このペースで進歩するなら、上記のAIの限界ラインなど、易々と突破されてしまうかもしれない。

 

確かにルールのあるゲームの世界ではそうかもしれない。しかし、僕はあえて反論したい。前例やルールの乏しい世界、リスク選好やイノベーティブな面が要求される世界では、AIは人間を超えられないのではないだろうか。公正価値測定はルールの世界だが、使用価値測定は経営者の主観が重要となる。使用価値はゲームの世界ではない。次の記事が参考になるかもしれない。

 

出会い系「アシュレイ・マディソン」利用で分かる企業の性格 WSJ 3/8 有料記事

 

この記事は、AIとは関係のない記事だが、人のリスク選好やイノベーティブな面が異性関係への積極性と関連があることを記載している。いわゆる「英雄、色を好む」的な内容だ。

 

要約すると、昨年話題になった既婚者向け不倫サイト(=アシュレイ・マディソン)の会員情報流出事件で流出した会員情報を分析すると、このサイトの利用者が多く所属する企業は、リスク志向でイノベーティブな傾向があるらしい。そして最後に、次のように結んでいる。

 

配偶者を相手にクリエイティブな言い訳をしなければならない人々は他の点でもクリエイティブなのかもしれない、ということのようだ。

 

この手の研究は、“英雄、色を好む”でググると他にも出てくる*2。どうやら、テストステロンという男性ホルモンが関係しているという説があるらしい。人間には、このホルモンが生物として必須なもので、その量が多い方が仕事面でも良い成果があげられるらしい。しかし、AIにテストステロンはない。あっても役立たない。

 

AIだって、リスク選好度や創造性の高低は、パラメーターで調整可能じゃない?」という反論も聞こえてくるが、さてどうだろう。リスク選好度や創造性を上げる代償として、情報探索の範囲を広げるコストがかかるが、その情報がデジタル化されていないとすれば、膨大なコストになるだろう。

 

ちょっと話を元に戻すと、「公正価値の見積りは市場価格など公開情報から妥当な結論を導き出せるが、使用価値は一般化されない特殊な状況(=公開情報のみでは適切な判断が困難)に対する高度な判断が要求されるので、AIには難易度が高い」点について記載してきた。

 

言い方を変えれば、「公正価値は測定が容易で客観的だが、使用価値は測定の難易度が高く主観的」と言える。但し、公正価値の元になる市場価格は変動しやすく、かつ、変動の根拠も曖昧だが、使用価値の元となる主観的な判断は、常人にはなしえない経営者の特殊能力が発揮されたもので、その後の事業経営の起点・原点となる(552-2/16の記事に記載したように、減損テストに利用される“現時点”の使用価値は、経営者の現状認識。現状を正しく認識してこそ、事業環境の変化や将来の不確実性に対処できる)。

 

ということをCの結論とし、引き続き、ABについて考えていきたい。

 

 

ところで、今日はあれから5回目の3.11。未だに多くの方が自宅に戻れてないし、喪失感に苛まれている。しかし、5年の間に積み上げられた被災者や関係者のみなさんの努力に感謝したい。復興のスピードや方向性に全て満足しているわけではないが(特に原発関係)、今日は変化したことに目を向けたい。あの直後は本当にひどかったから。

 

🍁ー・ー🍁ー・ー

*1 この記事には、AIの勝利について、世界のメディアの反応が要約されている。

 

人間対AI:囲碁ソフト勝利、海外メディアの反応は? 朝鮮日報 3/10

 

*2 例えば、以下の記事にはペンシルベニア大学のアラン・ブース教授の研究が紹介されている。

 

「英雄色を好む」は真実らしい!? excite.ニュース 2011/2/15

 

但し、ネットには「英雄じゃなくても色を好むのでは?」という疑問や、「色を好むからといって、英雄ではない」と諌める意見もあるので要注意だ。

 

2016年3月 4日 (金曜日)

553【番外編】米国のiPhoneロック解除問題と、日本のJR認知症事故問題

 

2016/3/4

ブログを更新するのは、半月ぶりになる。そんなに空けるつもりはなかったのだが、あっという間に過ぎてしまった。もし、このブログを楽しみにしていらっしゃる方がいたら、半月も音沙汰なくて、大変に申し訳ない。しかし、今後も時々こういうことはあるかもしれない。ご容赦願いたい。

 

 

さて、皆さんもご存知のとおり、米国ではFBI(=米連邦捜査局)とApple社が、銃乱射テロ事件の容疑者が使用していたiPhoneのロックを解除するかしないかでモメている。FBIはカリフォルニア州で「解除せよ」と命ずる連邦裁判所命令を得てAppleに対応を迫ったがAppleは拒否した。また、Appleはニューヨーク州で別の麻薬事件でのiPhoneロック解除要求を拒否した対応を連邦地裁から支持された。裁判所の判断が、カリフォルニア州とニューヨーク州で分かれている。

 

FBIは「協力が可能(Appleがそう認めている)なのだから、捜査に協力すべきだ」と主張し、Appleは「FBIはこれを今後発生する全てのケースの前例にしようとしている」と考えているらしい。FBIの主張はシンプルだが、Appleの主張がちょっと分かりにくいかもしれない。僕の理解では、Appleの懸念は次のようなものだ。

 

最初は(このケースで協力したのだから)他のケースも協力せよと個別に迫り、そのうち、個別対応ではApple及びFBIの双方に手間がかかるから、システム的にバックドアを作って、FBI簡単にユーザーのプライバシーへアクセスできるよう、環境作り(=新OS)を要求してくるに違いない。

 

そのバックドアは、使い方が漏洩したり、外部のハッカーに探知されたりする可能性がある。そうなれば、iPhoneなどのApple製品のセキュリティ機能は、根本的な欠陥を抱え、全世界の数億人のユーザーのプライバシーを危険に晒すことになる。もちろん、このような要求を受けるのはAppleだけではない。

 

このAppleの主張に正当性を認めるかどうかは、米国ではかなり大きな議論を呼んでいるようだ(Apple批判派の方が勢いがあるらしい)。WSJでは、次のような真っ向から対立する意見を掲載している。タイトルだけでも雰囲気がわかると思う。

 

【オピニオン】iPhone解除拒むアップルの「腐った芯」 2/29 多分、有料記事

【社説】アップルの暗号化めぐる姿勢は正しい 3/2 多分、有料記事

 

記事のタイトルから分かるように、上ではAppleの主張を「芯が腐ってる」と非難し、「合理的な捜査への協力はAppleの義務」だとしている。逆に下は、Appleを擁護している。Appleにバックドアの開発を強制したところで、テロリストは他の手段で通信を暗号化できるので、国家安全保障上の貢献はほとんどないとしている。

 

ただ、両記事ともに共通しているのは、FBIが根拠としている法律が古く、現在のデジタル化された時代に合っていないので、議会が新しいルールを決めるべきと主張しているところだ。

 

 

一方、日本で最近気になったニュースは、徘徊中に電車にはねられて死亡した認知症患者の家族に対し、JR東海が損害賠償を求めていた訴訟の判決についてだ。みなさんは直感的に、「認知症患者が線路に入り込んで電車に轢かれたとして、なぜ、家族に損害賠償が?」と思われないだろうか。しかし、一審ではJR東海の主張した遺族5名のうち、妻と長男について責任を認め、二審では同居してない長男は免れたが高齢の妻(事故当時85歳)については責任を認めて損害賠償をJR東海に支払う判決となっていた。それが3/1に最高裁で、妻にも損害賠償責任はないとされた*1

 

法律上、この認知症患者は責任能力がないと認定された。したがって、この認知症患者に直接損害賠償責任が生じることはない。これは一審から最高裁まで共通の判断だ。このような場合、民法では、損害賠償責任は“監督責任義務者”が負うのだという。

 

問題は、この“監督責任義務者”を適用する範囲の判断だ。一審はこの“監督責任義務者”に妻と長男が該当するとし、二審は妻のみが該当するとし、最高裁は妻も該当しないと判断した。

 

しかし、認知症患者の徘徊を止めるのは本当に大変だと思う。だから、一審・二審の判決は非常に酷だ。いったいどういう法律解釈でそうなったのか。そして、最高裁判決は良かったと思う。

 

一審では、別居していたとはいえ介護方針を決めるなど親の介護に中心的に関与していた長男も“監督責任義務者”と認定されたが、二審では20年も別居しているなどの理由から外された。しかし、二審では夫婦の協力扶助義務(民法第752条)や事故当時の精神保健福祉法、成年後見人の身上配慮義務の趣旨(民法858条)などを理由として、配偶者が認知症患者に対する法定の監督義務者に該当すると判断していた。

 

一審・二審は、なんて形式的な判断だろう。色々な法律を並び立てても、(当時)85歳の妻のうたた寝を罰するような損害賠償なんて判断は信じがたい。いくら法律知識が豊富でも、生活者としての常識が感じられない。

 

 

これら日米の訴訟問題は、一つの事案が、今後、社会に広く影響を与える可能性を秘めている点で共通している。社会が変化しているのだ。米国では、デジタル時代の安全保障・治安と、国民のプライバシーやセキュリティーの新しいバランスが問われているし、日本では少子高齢化社会の到来と急増中の認知症患者の介護にあたる家族のあり方に焦点が当たっている。いずれも、司法判断が社会変化に揺れている。

 

しかし、これらの事案をどう生かしていくかについては、だいぶ方向性が違いそうだ。

 

iPhoneのロック解除問題は、環境変化を反映した新しい国民の合意作りが求められるが、認知症患者の監督義務責任問題は、地裁・高裁レベルの裁判官の資質とか裁判制度の改善の必要性が示唆されているように思う。

 

 

🍁ー・ー🍁ー・ー

*1 以下の記事を参考にした。

 

家族の賠償責任認めず 最高裁、認知症JR事故訴訟 中日新聞 3/1

認知症患者の鉄道事故裁判、「逆転判決」の理由 東洋経済ONLINE 3/3

 

その他、アイエム法律事務所 裁判例解説 の名古屋地判平成25年8月9日の5つと名古屋高判平成26年4月24日の1つの記事。

 

 

 

 

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