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2016年11月

2016年11月 3日 (木曜日)

581【番外編】Pokémon GO

2016/11/3

みなさんは、Pokémon GO を楽しんでおられるだろうか。このゲーム、なかなか奥の深いところがあって、考えさせられる。もしかしたら、我々人間社会の縮図かもしれない。

 

プレーヤーを青・赤・黄の3チームに分けてポケモンをバトルさせ、チーム間で“ジム”と呼ばれるバーチャルな施設を奪い合うのだが、どうも多くの地域で青チームが圧倒的に強いようだ*1。しかし、恐らく、かなり多くの青チームのプレーヤー(以後、“青プレーヤー”と記載する)は、あまり幸せを感じてないと思われる。実は、意外と多くの青プレーヤーが劣勢である赤や黄プレーヤーより不遇なのだ。そのため、敵である赤や黄プレーヤーに、期待を託しているようだ。何を? それが信じられないことに、「青チームが支配しているジム(以後、“青ジム”と記載する)への攻撃を」だ。

 

こんなチーム戦にあるまじき思考がなぜ生じるのだろうか。それは邪悪な考えなのだろうか、それとも、何か前向きな意味があるのだろうか。ちなみに、僕は赤チームだ。

 

 

Pokémon GO にはポケモン採集や健康的な運動促進など色々な側面があって、もっと違う遊び方、楽しみ方もあると思うが、上記に関連する部分について、ちょっと書いてみようと思う。

 

僕の理解では、Pokémon GO は現実世界をゲーム盤に見立てたモノポリーのような面がある。 ジムポケモンのバトルに勝利して、ジムをより多く占有したチームのプレーヤーが、多くの利益を得られる仕組みになっている。そうしたプレーヤーは、ポケコインというゲーム上の通貨による配当を得られるのだ。一つのジムについて最大10名までがポケモンを配置でき、その10名が配当を受けられる。

 

ところが、そう単純ではない、モノポリーより複雑な面がある。

 

ゲーム盤を(青・赤・黄のいずれか)一色に染めてしまえば、そのチームが勝ちというわけではない。いや、仮に全てのジムが青一色に染められたら、即ち、すべてのジムが青チーム10名によって“完全支配”されたら、もはや青プレーヤーはポケモンのバトルができなくなる。バトルという楽しみが奪われる。それでも、ジムにポケモンを配置して配当をもらえるプレーヤーはまだいいが、配当をもらえないプレーヤーは、一切、配当をもらう道が絶たれる。青チームは貧富の差が完全に固定化される。

 

なぜなら、プレーヤーは自分が所属するチームが“完全支配”したジムを攻撃できないからだ。やってもいいが、徒労に終わる。何も得るものはない(というか、バトルさせたポケモンの元気を回復させるために、手持ちの道具を消費する分、持ち出しとなる)。というわけで、青プレーヤーはバトルという楽しみがなくなってしまうとともに、配当も増やせない。もはや、このゲームにおける自分の状況を向上させられない。

 

一方、赤や黄プレーヤーは、青チームのジムを自由に攻撃できる。青チームが支配しているジムがたくさんあるから、辺り一面にバトル・チャンスがゴロゴロある。ポケコインという金貨がそこら中に転がっているようなものだ。スマホ片手に、そこら中歩き回って良いポケモンをゲットし、進化・強化させてバトル力を高めれば、ゲームにおける自分の環境をいくらでも向上させられる。

 

青プレーヤーにはさらに悲劇がある。青ジムを、他のチームが攻撃するよう願うようになるのだ。即ち、味方の悲劇・損失を望むようになる。

 

例えば、もし、10人で完全支配している青ジムを赤プレーヤーが攻撃すれば、10人のうち何人かが削られて、ポケモンの配置に空きができるかもしれない。そうなれば、自分のポケモンを配置して配当をもらえるチャンスが出てくる。或いは、赤プレーヤーが完全に勝利して青プレーヤー10人全員のポケモンを削れば、そのジムは赤ジムになるので、青プレーヤーが攻撃できるようになる。バトルという楽しみ、配当への期待が復活する。

 

おまけに、青ジムの10人は、多くの場合、お互いに面識があるわけではない。中には、集団でジム・バトルを仕掛け、リアルな仲間でジムを支配することもあるが、大概は、たまたま同じ船に乗り合わせた程度の間柄でしかない。いや、お互いに顔も知らないのが普通だろう。

 

だから無理もない、不遇な状況にある一部の青プレーヤーは、味方の悲劇を願い、敵を応援するという居心地の悪い願望を持つようになる。中には、もう一つ、赤や黄チームのアカウントを持っていて、そのアカウントで青ジムを攻撃して仲間のポケモンを削って自分のポケモンの空きを作ってしまう青プレーヤーもいるようだ(青プレーヤーだけじゃないけど)。ここまでやると、本当に邪悪だ。

 

この状況は、まるで“独占”、或いは、“寡占”が経済に与える影響を表しているようだ。或いは、既得権者が支配する社会の縮図と言えなくもない。ジム支配にも参加できず、バトルする場を奪われた青プレーヤーは、息苦しいにちがいない。

 

ジムに参加し配当を受取っている青プレーヤーにとっても、Pokémon GO がつまらないゲームになってしまうと思う。もう何もやることがない。ポケモン採集しても、それを使う機会がないから、楽さ半減だ。そんな時に、赤や黄プレーヤーが青ジムを攻撃しているところに出くわすと、思わず、嬉しくなるだろう。「この野郎!」と思う反面、また「バトルができる」とほくそ笑むに違いない。

 

既得権者や支配層が入れ替わるなど、社会の流動化を促す現象を、人々が望むのは自然なことだ。だから、青プレーヤーが、ジムの既得権を持った仲間が他チームに削られるのを願うのは、自然なことなのだ。それによって、青チームの活性化が促される。赤や黄プレーヤーの活躍で、青プレーヤーも生き返る。

 

 

社会は、既存の枠組みを壊す新しい勢力が台頭できるようにしておかないと楽しくない。既得権がのさばり、強固なガードを築き上げてしまうと、変化も進歩も止まってしまう。階層が固定されてしまい、頑張っても報われないから、希望もない。Pokémon GO では、3つにチーム分けすることで、その固定化を防いでいる。

 

さて、日本社会は、現在どんな状況なのだろう。階層の流動性が失われてないか。新しいものが既存の“常識”によって排除されてないか。既得権が固定化されてないか。多数派の青をも楽しくする少数派の赤や黄の価値は尊ばれているだろうか?

 

という、疑問形でこの記事を書き終えるが、僕は、「尊ばれていない」と感じている。それは僕が赤チームだから、というわけではない。ニュー・カマーや新世代への注目やサポート、多様性の尊重などが足りないように感じるのだ。恐らく、みなさんの周囲でも、様々な場面でみられるのではないだろうか。(とまた、疑問形で終わる。)

 

 

 

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*1 青チームが強い理由は、青チームに所属することを選んだプレーヤーの人数が一番多い、という単純な理由によるものらしい。青チームが優遇されるようなゲーム上の仕様はないと思う。

 Pokémon GO を起動したスマホの画面は、 800m ぐらい先までの現実世界の地図に、ゲーム上のジムやポケスポットが表示されたバーチャル・リアリティになっている。例えば、電車の中でスマホの Pokémon GO の画面を見ていると、ほとんどのジムが青チームに支配された青ジムになっている。たまに赤ジム、稀に黄ジムがある。新幹線に乗っても同じ状況だ。

 

 

“ジム”とは、プレーヤーが捕獲したポケモンをバトルさせる場で、このバトルに勝つために、各プレーヤーはより多くのポケモンを探してGet、進化させ、強化する。バトルに勝つと、ジムはそのプレーヤーが所属するチーム(青・赤・黄の3チームがある)のものとなり、そのチームのプレーヤーはジムに自分のポケモンを置くことができるようになる。ジムにポケモンを配置すると“ポケ・コイン”と呼ばれるゲーム上の通貨で配当を得る権利を与えられる(実際に配当を得るには、別の操作が必要)。ポケ・コインは、ゲームを有利に進められるグッズ購入に使用できるので、とてもありがたい。

 

だが、オセロのように対面勝負のゲームではないから、ゲーム参加者(=プレーヤー)ははるかに多く、かつ、青・赤・黄の3チームに分かれているから、なかなか決着がつかない。ポケモンのバトルによってジムの占有は覆され、改めてジムを占有するための競争・バトルが繰り返される。但し、争いに敗れたプレーヤーが諦めない限り、だ。この点が重要だ。プレーヤーが諦めたらこのゲームは誰もいない寂しい世界になってしまう。

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