587【番外編】人が残酷になる条件、それを避ける条件
2017/9/18
会計のブログにこのタイトルはおかしいだろう。みなさん、そう思われたと思う。今回は、番外中の番外、会計とは無縁の内容となる。何かというと、北朝鮮問題だ。もちろん、僕にこの問題を解決できる名案などあろうはずもない。ただ、北朝鮮に(金正恩以外の)多くの人々が生活していることを、時々、思い出した方が良いと思うのだ。長文になってしまったので、初秋の貴重な3連休を台風で台無しにされ暇を持て余している方などにお読みいただけると嬉しい。台風被害を受けられたみなさんにはお見舞いを申し上げる。
さて、みなさんは、先月NHK BS1で放送された「ショックルーム ~伝説の“アイヒマン実験”再考~*1」(BS世界のドキュメンタリー)という番組をご覧になっただろうか。内容は、ナチス戦犯アイヒマンの裁判に触発されて心理学者ミルグラムが行なった実験を検証し、ミルグラムとは違う角度から教訓を引き出そうとするものだ。
まず、このミルグラムの心理実験の内容とその結論を説明しよう。
被験者は「罰は教育効果を高めるかを実験によって検証する」と説明され、「これには“教育への貢献”という崇高な社会的意義がある」と感じて、実験に参加する。そして、この被験者が与えられた役割は、生徒とは別の部屋からマイクを通じて生徒に簡単な記憶問題を問い、生徒が間違ったら生徒へ罰(=電気ショック)を与えることだった。
実はこれは“ドッキリ”で、実際には被験者がスイッチを押しても生徒に通電することはない。しかし、それを知らない被験者は最悪な体験をすることになる。
なぜなら、被験者は、事前にさりげなく生徒(役を演ずる人)が心臓に持病を抱えていると聞かされ、しかも、生徒が答えを間違えて被験者がスイッチを入れるたびに生徒の呻き声や悲鳴を聞かされることになる。実験を中断するよう提案しても、研究者役の人は受け入れてくれないし、崇高な研究目的と研究者という権威を盾に「大丈夫だから」「責任はないから」などと続けることを強要する。加えて、問題を間違えるごとに被験者は電気ショックの電圧を上げねばならいことになっており、その度に生徒の苦しみ方は激しさを増していく。そして、順調に実験が進むと致死量の電圧に至る(スイッチを入れても生徒が反応しなくなる)。
この実験の本当のテーマは「教育と罰」ではなく、「どんなに残酷な命令でも、目的の崇高さや命令者の権威が人の良心を麻痺させ、実行されることがある」を証明することだった。この実験を行なったミルグラムは、次のような結論を導いた。
一定の条件下では、人は「自分はただ命令に従っているに過ぎない」と自分に言い訳をすることで残虐な命令をも実行する。
1962年に行われたこの実験は、「ナチスは、なぜユダヤ人にあそこまで残酷なことをし得たのか」という問いに一つの答えを与えたとされたらしい。それで、ナチスのホロコーストの残虐行為に主導的役割を果たしたとされるアイヒマンの名をこの実験の名称にしたようだ。
戦後アルゼンチンに逃亡していたアイヒマンは、1960年にイスラエルに拘束され、翌1961年にエルサレムで裁判を受けたが、一貫して「自分は命令に従っただけ」と主張した。結局、死刑となったが、その姿は『人格異常者などではなく、真摯に「職務」に励む一介の平凡で小心な公務員』のように見えたという。*2
平凡な小市民にあんな残虐行為ができるのか。「できる」ことをこの実験は示唆している。
ということは、我々も、一定の環境条件が整えば命令された残虐行為を実行したり、それを容認する(見て見ぬ振りをするようなことも含む)可能性があるということだろう。実験では最後にネタばらしをして被験者がホッとして泣き出したり、喜んだり、多くの場合ハッピーエンドになったようだが、この結果の意味するところは恐ろしい。
それはそうと、これと北朝鮮とどういう関係が? そうそう、そこが大事なところだ。
この実験の「崇高な目的」を「朝鮮半島からの核廃絶」に、「研究者の権威」を「国連安保理の権威」に、そして「電気ショック」を「経済制裁」に置き換えてみよう。我々は、北朝鮮が安保理決議に違反するたびに、経済制裁の厳しさを引き上げている。これはちょうど、生徒が問題を間違えるたびに電気ショックの電圧を上げていく行為に当たらないだろうか。いずれは電気ショックが生徒の息の根をとめる。すると被験者は「そんなつもりじゃなかった」とひどい後悔に苛まれることになる。この実験はドッキリだから生徒は死なないが、北朝鮮問題の場合、北朝鮮の国内、日本や韓国はどうなるだろうか。
ここで誤解のないように、北朝鮮問題に対する僕の考え方を書いておきたい。恐らく、多くのみなさんとあまり変わらない意見だと思う。
僕は北朝鮮に厳しい経済制裁を課すべきだと思っているし、トランプ氏の北朝鮮(や中国)に対する脅しを悪いと思っていない。米国の強硬姿勢に常に同調する安倍政権の対処も良いと思っている(だからといって、選挙で支持するとは限らない)。
なぜなら、北朝鮮の目標は朝鮮半島から米軍を追い出し韓国を併合する形で朝鮮戦争を終結させることであり、核保有やICBM開発はその有力な手段となるからだ。この目標が実現しないでほしいと願っている。だが、単純な話し合いでは北朝鮮に目標を取り下げさせることはできないだろう。何せ、金王朝親子3代にわたる宿願なのだから。というわけで北朝鮮には強いプレッシャー、高い電圧が必要だ。そのために経済制裁のレベルを上げていくことは避けられない。同様に考えている方は多いのではないか。
しかし、このまま続けていけるのだろうか。これも、みなさんが心配していることだと思う。いつか、致死量に達した時に何が起こるか。プーチン大統領が述べたように雑草を食べても(=「大量の餓死者が出ても」という意味だと思う)耐え抜くのか、中国が心配しているように大量の難民が押し寄せるのか、それとも自棄自暴になって戦争を始めるのか。そうすれば、韓国や日本、そして米軍に大量の被害が出る。どれも悲劇だ。
さて、また“アイヒマン実験”に話を戻そう。上述したようにミルグラムはこの実験から人間の良心が麻痺する条件を指摘した。崇高な目的や命令者の権威などの条件が揃うと、人は恐ろしい命令であってもそれに従う。
しかし、このドキュメンタリー番組はこの実験の異なる面に焦点を当てている。
実はこの実験は、上記のドッキリ条件に変更を加えた様々なケースでも実施されていた。但し、ミルグラムはそのうち人間の良心が弱くなるケースの実験結果のみに焦点を当てて分析し、上記結論を導いたようだ。この番組は他のケースも合わせて分析すると、異なる結論が得られるとしている。では、他にどんなケースがあったかというと・・・
生徒と被験者の位置関係
生徒と被験者が同じ部屋にいて、生徒が苦しむのを被験者が横で見ているようにすると、すべての被験者は研究者に強い抵抗を示し実験を中断させる。生徒が死ぬところまで実験は進まない。
一方、別の部屋にいる生徒の悶絶する声を被験者が聞けない環境だと、実験は完遂されてしまう(生徒が10秒以上質問に回答しない場合は、間違えたとみなして被験者は電気ショックを与え実験を継続することになっているので、生徒の反応がなくなった後も、電圧が機械の能力いっぱいにあがるまで実験が続けられる)。
研究者と被験者の位置関係
研修者と被験者が同じ部屋にいる場合は、実験が継続される可能性が高まる。一方、被験者と実験者が別の部屋にいてマイクのみでつながっている場合は、実験が中断される可能性が高まる。
研究者の言葉
被験者が実験の中断を提案した際に、研究者が実験の継続を強制するような強い言葉を発した場合は、被験者は抵抗し実験を中断する可能性が高まる。例えば、「あなたは続けるしかない。あなたには他に選択肢はない」など高圧的な言葉を研究者が使うと、被験者は「選択肢はある、私はもうやらない」と反発する。
ということは、生徒の苦しみを被験者が認識できるとか、研究者と被験者の信頼関係が薄くなる場合には、実験が中断される、或いはその可能性が高まることになる。特に生徒の苦境を被験者が認識した場合の効果は絶大だ。この番組はこの点を逆手にとって、普通の人が残虐行為にまで及ぶ悲劇を防ぐことができると主張している。これこそが実験の教訓だと。
たびたび話題を変えて恐縮だが、もう一度、北朝鮮問題へ戻ろう。
金正恩は“普通”の人ではなさそうだ。だからこの実験を彼に当てはめる必要はないだろうと思う。一方、我々は普通の人だし、ビジネスマンのトランプ氏も金正恩と比べれば、“普通”の範疇に含めても良いように思う。更に、トランプ政権の安全保障政策を支える3将軍もこの意味では普通の人以上に普通、すなわち、悲劇につながるような武力行使には慎重と考えて良いように思う。そして金正恩以外の北朝鮮の人々も、多くは普通の人だろう。
ここでこの番組の主張を借りれば、普通の人は生徒の苦境を知れば悲劇を防ごうとする。要するに、我々が北朝鮮の一般の人の苦境・苦悩へ意識を向けることが、悲劇の可能性を下げることにつながるのではないかと思うのだ。
北朝鮮の核開発・ICBMの完成が近づいている。それに対応して、電気ショックの電圧を上限いっぱいに引上げる期限を早めなければならないかもしれない。しかし、そもそも、どこが上限なのかさえ正確にはわからない。短期間で難しい判断が求められている。
しかも北朝鮮は閉ざされていて、日米韓などの政府機関も一般の人々の状況を正確にはわからないだろうし、我々一般人がそこまで意識が向かないのは当然だと思う。しかし、悲劇を避けるには意外にそこが重要なのではないだろうか。そこで僕は、北朝鮮の一般の人々の状況を知ったり、逆にこちらの意図を知らせたりする有効な方法が欲しいなあ、と思っていた。
そんな時に、韓国政府が国連機関を通じて日本円にして8億円超の人道支援を検討するというニュースがあった。それを読むと、日本政府も日本のマスコミも、国際社会が結束して制裁をしようという時に「援助」を口にする韓国政府に対して冷ややかなようだった*3。
僕の見方は違う。
韓国政府は、8億円程度の僅かな援助で北朝鮮の人々が助かるなどと思ってはいまい。しかし、国際機関を通じてであっても、そのような接点を持つことで、一般の人々の状況に関する新たな情報を得ようとか、何らかの意図を伝えようなどとしたのではないか。単なる援助を目的としたのではない、もっと裏の意図があったのではないか。
韓国は、慰安婦問題とか、戦時中の労働に関する損害賠償とか、変なことをいっぱい言う妙な国だが、この件は別。面白いアプローチだなあと思った。北朝鮮の一般の人々の状況がわかれば分かるほど、悲劇を避けられる可能性が高まるのだから。
一方、日本政府や日本のマスコミは、北朝鮮への経済制裁などのプレッシャーの強度とその効果をどのように、どういう観点で評価しようとしているのだろうか。人の言葉とは思えないような汚い金正恩のプロパガンダに踊らされながら、核とICBMの開発をやめるかどうかのただ一点しか見ないのか。
僕の勝手な感想を書けば、「日本は今なお20世紀の取得原価主義の世界に生きてるなあ」となる。20世紀の取得原価主義は、一旦支出額で評価したら、いくら環境が変わっても後生大事にその評価額を維持する。ワンパターンの減価償却しかしない。当時の経営者から見れば、「会計は支出した時点で思考停止してしまう」と思っただろう。だから管理会計が重宝された。ちょっと言い過ぎかもしれないが、環境変化に合わせて違った見方をしようとか、現在の新しい考え方で見直してみようとか、会計にはそういう発想があまりない時代だった。
北朝鮮の科学技術力がなぜか急速に進歩し、核開発などのスピードが予想を超えるものになった。それに対応して、米中露が素早く妥協し、国連安保理がスムーズに動くようになった。そうした環境変化の結果、重要性が増してきたのは、安保理決議等による制裁の効果が十分かどうかを評価する方法やその精度だ。やりすぎれば悲劇を招くし、足りなければ無法者国家が増長し国際秩序が大きく不安定化、最悪の場合は崩壊するかもしれない。その評価方法の精緻化と、今後も繰り返される追加制裁のサジ加減の調整がとても重要な局面になってきたと思う。
公正価値評価の議論でも出てくるが、評価や評価方法の有用性は、適切な情報を入手できるかどうかに大きく依存している。しかし、北朝鮮問題ではその情報が乏しいから、これを何とかする必要があるように思う。というわけで、これからは、今までのように核実験の規模やミサイルの性能ばかり話題にしててもしょうがないような気がしている。恐らく、中露は北朝鮮の内実について我々より多くの情報を持っている、或いは、その気になれば情報を取れる状況・立場にあるのではないだろうか。韓国もそうかもしれない。
日本はどうしていくのが良いのだろう。日本は現在、強硬路線の米国に同調する方針をとっているが、いずれどこかで、悲劇を避けるために米国にブレーキをかけるよう主張する事態に突き当たる可能性がある。その時が勝負だ。できるだろうか、自信と裏付けを持って。
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*1 この番組は、NHKオンデマンドで配信されているらしい。
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*2 Wikipediaのアドルフ・アイヒマン、および、ミルグラム実験より。
*3 例えば日経は次のように伝えた。
韓国、北朝鮮への人道支援検討 国際機関通じ8億円超 無料記事 日経電子版 9/14
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